日常
毎年、年が明けるタイミングで、このブログを更新していた。 新年の抱負というとなんだか堅苦しくて古臭いが、昨年の自分を振り返り、新しいテーマを決めるのに新年はもってこいだったからだ。 ところが今年はと言えば、元旦も過ぎ、節分も過ぎ、旧正月も過…
長らく、こちらのブログの更新ができずにいた。 理由は一つ。今年に入って、noteという媒体で文章を書くようになったからだ。その試用期間のために、こちらはお休みしていた。もちろん、私の怠惰な性格のせいもあって、noteも二ヶ月ほど毎週二回投稿してみた…
私は『天才』という人の存在をあまり信じていない。 いや、それは嘘だ。天才は確かにいる。 ちょっと子供じみた表現を許していただけるならば、私はすべての人が天才なのだと思っている。だけど、いわゆる『天才』と言われている人は、自分の中にある天才的…
去年11月の終わりに成田山まで行った時のことだ。あのころわたしは、お寺や神社に行くと、決まって、「私の道をお示しください」と唱えていた。 今仕事としてしていることは自分にとって一生続けたいこととは思えない。だが、もっと創造的なことを、もっと一…
今年のクリスマスは、家族でセッションをした。父がフルートを吹き、母がピアノを弾き、私が音程の悪いヴァイオリンを鳴らした。 クリスマスイヴの昨日はそこまでひどくない音を鳴らせたが、今日はあまりかんばしくない。腕やら体やらが硬いようで、うまく音…
今から、私はとんでもなく無謀なことをしようとしている。 スポーツ観戦記も書いたことがないのに、昨日初めてきちんと見た競技の観戦記のようなものを書こうとしているのだ。本当ならやめた方がいいのかもしれないが、書きたくなるほど熱中したのだからしょ…
1 先日、オリンピックが始まった。私にとっては初めての東京オリンピックである。いや、実を言えば、自国開催のオリンピック自体が、物心ついてから初めてだ。 私はオリンピックの開会式というものが好きで、毎回見るようにしている。ただ、確か前回のリオ…
私はドミトリーというものがあまり好きではない。 そういう風に堂々と言えるようになったのもわりと最近のことである。 ドミトリーというのは、安宿の一種で、二段ベッドのようなものが一部屋に並んだ作りをしている。バックパッカーといえばドミトリーに泊…
数ヶ月ぶりにTwitterを使い始めたら、世の中を騒がしていたのは巨大な猫だった。化け猫の類ではない。立体的な広告だそうだ。 それはどうやら新宿のビルの掲示板のようなところに出現しているらしい。評判も上々で、迫力があるという。 新宿方面に行く予定は…
バクロ町という場所がある。 馬を喰らう、と書いて、バクロと読む。随分と禍々しい名前である。それだけに、どんな由来があるのか、無性に気になってしまった。 *************************************** 三週間ほど…
ラジオを聴いていたら、実際に見たヘンな設定の夢をリスナーに募集する企画をやっていた。ボウリングの玉になってしまう夢、砂に埋まる夢…どれも奇妙奇天烈で、そしてちょっと怖いものが多い。確かに夢はちょっと怖いものである。 夢、というと、思い出すの…
「神が愛であふれたお方なら、なぜ世界は苦しみに溢れているのか?」 そんな問いがキリスト教が浸透したヨーロッパで強く問い直されるようになったのは1755年に起こったリスボン大震災のときからだったという。 ベルギー映画「神様メール(Le Tout Nouveau T…
私は陶器作りに詳しいわけではない。昔一度だけ、修学旅行で山形県に行った際、体験でちょっと触れた程度だ。そして今思えば、あの時の私は陶器作りをしていなかったに違いない。あの時は、土を曲げていただけだったからだ。 どこで聞いたのかは思い出せない…
日本には酒を温める熱燗があるが、ヨーロッパにはワインをあたためたヴァンショーがある。英語ではホットワイン、ドイツ語ではグリューヴァインという。といってもただワインを温めるだけではない。クローヴ、シナモン、スターアニス(八角)などのスパイス…
いろんな見方をできる映画というのがある。私が昨日見た「トゥルーマンショー」もそうだろう。というのも、私がこの映画を見た動画配信サイトの紹介文には「情報化社会」についての言及があった一方で、沢木耕太郎の映画評『世界は使われなかった人生で溢れ…
テレビドラマと映画がタイアップしている作品を見ると、ドラマ版と映画版とでは絵の雰囲気が違うのがわかる。技術的には、きっと、フィルムを使っているとか、使用する機材が違うとか、そういった物による違いだろう。だが、私のような純然たる視聴者からす…
大学一年生の時、プラトンの『ソクラテスの弁明』を読まされた。そしてその内容について、軽く発表を、というわけだ。もちろん一気に全部読むわけではなく、何回かに分けて読むわけだが、私は運が悪いことに、初回に当たってしまった。とはいえ、最初に読む…
そんなに古本屋が好きなわけではなかった。ブック・オフには自分の興味がある本がなさそうだったし、個人経営の古本屋には個人経営特有の緊張感というものがあって、どうもそこに飛び込もうという気にならなかったからだ。だが、それだけではなく、あまり古…
カレーを作ることにハマっている。ルーを買ってきて、煮込むわけではない。南アジア系の人が経営しているショップでスパイスを買い込み、動画サイトで理解できないヒンディーやウルドゥーやベンガリーでのレシピ動画を見ながら、レシピを確認し、できるだけ…
昨日、時計が壊れた。 私は自分の部屋に掛け時計を置いていて、時間の確認はたいていの場合その時計でやっているのだが、その時計が動かなくなった。 壊れたというと、語弊があるのかもしれない。 というのも、時計が壊れたというよりむしろ、電池が切れてい…
朝、めざめても、起き上がる気になれない。起き上がってしまえば、また消費される1日が始まるからだ。 暇なのではない。暇ならいい。だが残念なことに、心の奥で、何かが常に疼いているのだ。さあ、すべきことをしなさい。君にはすべきことがある。それをし…
最近家族にはカミングアウトしたのだが、私は一人で家にいる時、テレビと会話している。なんなら、部屋ではYouTubeやラジオと会話している。 例えば、家族が家にいない時、よく高級料理の値段を当てるバラエティを見ていたのだが、私も不思議とそれに参加し…
ちょっと野暮用があって、東京駅の方へ行った。至急出さねばならぬ書類があり、大型連休中のため、郵便局の本局に行かざるをえなかったのだ。 2020年の初頭、人類を悩ませた流行病のせいで、街には人通りがほとんどなかった。しかし皆無ではない。私のように…
面白いものを見つけた。 それは今からだいたい五年前に、私がラインのタイムラインに投稿した一つの感想文である。題材はアルベール・カミュの『ペスト』だった。 昨今、簡単に察しのつく理由でこの本の売れ行きがすごく好調だという。正直、読んだのは五年…
警告には甘美な響きがある。 なぜなら、警告は、自分を一回り大人に見せてくれるからだ。それがいかに子供じみたことだったとしても、警告しているという行動自体に、大人らしさが滲んでいる。 「あの国は危ないから行くのをやめなさい」 「外は危険だから出…
インドに自分なんていないんだから、自分探しの旅は無意味だという意見がある。確かにそうかもしれない。なにせ、自分というものは常にそばにあるからだ。インドに行って、アフリカに行って、世界を一周して、シベリア鉄道に乗って、アメリカ横断して、見つ…
散歩の面白さの一つは、知っている町が知らないところにガラリと変わって見えることにある。私たちが普段歩く道は、ほとんどの場合、目的地に行くための最短経路だから、見逃している景色がたくさんある。しかし散歩には多くの場合目的地などないのだから、…
それはカナダに行ったときのこと。 モントリオールのショッピングモール回りをする企画には興味が持てなかったので、わたしは一人、街に出ることにした。適当に歩いたりしながら、わたしはある公園にたどり着いた。今でも名前を覚えているが、それはサン・ル…
「なぜ研究者にならないのか?」 とよく尋ねられる。私は今大学院にいるからだ。だが「大学にいても儲からない」「研究者になるのは難しい」等のよくある理由は私には思い浮かばない。そもそも、実を言えば、私はすごく大学院に入りたかったわけではない。 …
わたしはレストランの予約もしないし、映画のオンライン予約もめったなことがないとしない。なぜなら、予約をすれば、心配事はひとつ消えるかもしれないが、その代わり義務がひとつ増えてしまうからだ。どこかに行かなければいけない。自由な気持ちで歩いて…