Play Back

旅、映画、食べ物、哲学?

「恋に落ちて」

毎週月曜日の午前十時からは、わたしは映画を見るようにしている。それにはちょっとした理由がある。

去年、ドイツ語の授業をとっていたから、今回もと思って、中級のドイツ語の授業の抽選に申し込んだ。そうしたらどうだろう、定員割れしているのにもかかわらず、わたしは抽選に落ちてしまったのである。意地になって次の抽選でも入れてみたが、見事に通らない。どうやら、ドイツ語に嫌われているらしい。そういうわけで、わたしは最後になってもドイツ語の授業がとれなかった。その腹いせと言っては何だが、わたしは月曜のドイツ語の時間に映画を見ることにしたのだ。

TOHOシネマズなどの一部の映画館では、「午前十時の映画祭」と称して名画座のような企画をやっている。その枠の映画はなんと、学生なら五百円で見ることができる。映画を見るのに学生が千五百円という「重税」を支払わなければ行けないご時世だ。五百円は超がつくほど安い。だからわたしは毎週、この枠に通いつめることにしたわけだ。

そういうわけで、先週の「ティファニーで朝食を」に続き、今回見た映画が若かりし日のメリル・ストリープとこれまた若かりし日のロバート・デ・ニーロが主演する1984年の「恋に落ちて」というラヴストーリーである。というのが、簡単な説明だが、もう少し詳細に言うなら、少し違う。もちろんラヴストーリーに違いはないのだが、これは「不倫ストーリー」なのである。

わたしたちの世代にとってメリル・ストリープはおばちゃんである。マーガレット・サッチャーやマンマミーアのイメージがある。ロバート・デ・ニーロもおっさんである。だから、この映画を見ると、「若いな!」と感じる。率直に言って、映画の冒頭部分の感想はそんなものだ。誰にも若い日があって、皆老いてゆく。そんな単純な事実を感じたのは、「スターウォーズ:エピソード7」を見たとき以来である。まあ、それはどうでもいいか。

この映画を見て印象的だったのは、主人公のフランク(デ・ニーロ)がモリー(ストリープ)とのことを妻に伝えた時の話だ。フランクは「その女性とは何もなかった」としきりに言う。何もない、というのはここでははっきりとは言われていない(し、そもそも言う場面ではない)が、「一夜をともにする」ことについてだろう。事実、そこまで一瞬いきかけるのだが、モリーの方が自制心をもっていて、「こんなことはいけない」とそれで終わる。さて、印象に残ったのはそのフランクの言葉に対しての妻の一言だ。「そのほうがもっと悪い」

男は「なにか」があった方が罪深いと思う。だが、妻はないほうが罪深いと言った。これはなんとなく理解ができる。「一夜をともに」してしまったのなら、それはフランクが生物学的に男だから、思わず、本能的に、そういうことになってしまったという風に片付けられる。だが、何もないのに思い悩む、ということは、妻にとっては、フランクがモリーのことを心から愛しており、心が妻を裏切ったことになる。それはもう取り返しがつかないのである。浮気をされてしまった妻が、自制心を保っていられるのは、夫が本当に愛しているのは自分で、浮気相手は遊びにすぎないと思えるからではないだろうか。そうだとすると、この場合、もうどうすることもできないのだ。

モリーの方も、作中で「いっそのこと彼(フランク)とベッドをともにすればよかった」というようなことを言っていた。行為に及んでしまえば、その恋はなんとなく質的に下等のものになってしまうような感じがする。むしろそうなってくれれば、まだ自分のパートナーに戻ってくることもできる。だが、何も起きなかったことで、モリーとフランクの間のことは、「不倫」「浮気」なのにもかかわらず、本物の愛になってしまったのだろう。