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ある大学生の日常をエッセイ調にかっこつけて書く。

吉祥寺が教えてくれたこと

五月が好きだ。太陽が輝いている。新緑ももちろんいいが、わたしは太陽が好きだ。暑くなってきているのは確かだが、8月の暑さとは違って、気分のいい暑さである。

今日、わたしは吉祥寺へ向かった。吉祥寺は我が家からも近く、諸事情により無料でいけるため、最近はよく言っている。一人で夜に食事をするときは特に、値段も安いところが多いし、ヴァリエーションも豊富だから吉祥寺は使い勝手がよくて重宝している。だからわたしは夜の吉祥寺に慣れている。だから今日真昼の吉祥寺に行ったのは珍しい体験でもあった。

太陽が輝き、ジリジリと肌を焼く。これを嫌う人もいるが、わたしは嫌いではない。確かに生きている、そう思わせてくれるからだ。昼食は家族と食べ、そのあとは、吉祥寺の昼を満喫したかったため、家族から離れて一人、喧騒の中へと飛び込んだ。

吉祥寺は活気がある街だが、今日はゴールデンウィークのせいかその活気たるやバンコクのごときものがあった。人並みは商店街に流れ、わたしは歩くスピードを遅くして歩いた。なんとなく、そうしたかったからである。

ところで、わたしはよく、歩くスピードが速いと言われる。父もそうなので、我が家系の悲しき定めなのかもしれない。しかし今日、あえて歩幅を狭く、ゆっくりゆったりと歩くことで気づいたことがあった。それは、歩く速さが速いというのは、もしかすると、何かを怖がっているからなのかもしれないということだ。

危険な匂いのするところでは誰しもスピードを速めるものだ。それをいつもやるというのは極端に臆病なのかもしれない。現に、歩行スピードをゆっくりにするとなんとなく恐怖心を覚えた。

わたしは気づいた。わたしは臆病だったのだと。しかし本当にいい散歩をするには、もっと外の世界と関わらないといけない。だからゆっくりと歩いて、積極的に世界と関わらないといけないのではないか。

今日、わたしはゆっくりと歩きながら、ベーコンの串焼きのようなものを買って食べた。うまかった。速く歩いていたら、そんなことしなかっただろう。思えば今年の頭にバンコクに行った時も、少々速く歩きすぎたのかもしれない。だから、焼き鳥もあまり買えなかった。これからは怖がらず、ゆっくり歩いて行こう。それが楽しい旅の鍵になる。

そう、誓うのであった。