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旅、映画、食べ物、哲学?

手ぶら族の夏

わたしは基本的に手ぶらだ。もちろん、大学に行くときはバッグを持っているが、それ以外では手ぶらだ。

かつてはそんなことが普通のことだと思っていた。少々男女差別的な発言かもしれないが、男は手ぶらなものだ、などと思っていたのだ。

だが、高校から大学になって、友達と学外であったりすると、「手ぶら⁈」と、まるで魑魅魍魎を見るような目で言われるのである。何をそんなに驚いているのだろう、と疑問に思っていたが、会う人会う人にことごとく言われる。どうやらおかしいのは世界ではなく、わたしのようであった。

それにしても、皆さんは何をそんなに持っている必要があるのだろう。スカートを履いている女性ならわかる。ポケットがないからである。だが、ポケットがあるのにそんなにバッグにこだわる理由がわからない。ただかさばるだけではないだろうか。

まあ、喧嘩はよそう。

ところで、「手ぶら族」のわたしにとって危機の時代の始まりが告げられた。それは、夏の到来だ。コートを着ないから必然的にポケットの数が減り、特にケータイと、本をどこに入れればいいかわからなくなる。去年は尻ポケットに本を入れて、数多くの本をダメにした。そして、ズボンのポケットに何かを入れるとものすごく暑いのである。

そういうわけで、全地球を挙げての、我ら手ぶら族の迫害が始まるわけだ。

先日、わたしは気づいてしまった。もはや、何か入れるものを持った方がいい、と。暑さを避けるためだ。そこでわたしは、バックパッカーの知恵に頼ることにした。それは、バッグを買わずに入れ物を工面する魔法の技である。そう、ビニール袋を持ち歩くのだ。そこに本やらケータイを入れる。かの沢木耕太郎もやっていた。

これがなかなかいい。バッグより密着率が低く、暑くならないし、金もかからない。いらなくなったらくしゃっとできるし、捨てられるからかさばらない。それでいて、見栄えだって(いいというわけではないが、コンビニ帰りの人くらいには)そこまでみっともないわけじゃあない。

これが流行ればいいと思う。表参道や、スクランブル交差点や、シャンゼリーゼや、ピカデリーサーカスや、タイムズスクエアが、ビニール袋で溢れればいいと思っている(誇張)。まあとにかく、同じ悩みを持つ手ぶら族の皆様が、これで救われることを望む。まぁ、もっとも、ビニール袋を手にしたわたしはもはや手ぶら族ではない、などと言われたらぐうの音も出ないが。