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旅、映画、食べ物、哲学?

常連もどき

今日、TOEFLを大学で受け、その帰りにトルコ料理屋に寄った。

そのトルコ料理屋は、わたしがエスニック好きになるきっかけを与えてくれたところだった。思えば去年の春、わたしは独り、あの非常に入りづらい、物理的な意味での「狭き門」を押し開け、エスニックの世界に入ったのだった。

しかし、あの店には去年の9月以来行っていなかった。だから、久しぶりだったわけだ。

言っていなかった理由は、単純に大学から少々遠いことと、金がなかったことと、空前の東南アジアブームがわたしの中で起こってしまったことがあるが、もう一つ理由があった。

それは、去年の秋のこと。わたしはアルバイトとしてライターをやろうと考えていた。そういうわけでとあるサイトに登録して、まずは東京のトルコ料理屋の記事を書くこといした。その当時はあの店を見つけていて、もう、トルコ料理の虜になっていたから、ちょうどいい題材だと思ったのだ。

そういうわけで幾つかのトルコ料理屋を回って、飲食し、それをつらつらと書き連ねた文章を先方に送り、報酬も受け取った。だが、折しも、そのサイトは何やら再編される時期だったらしく、わたしは自分の文章がどこにどういう形で乗っているのか、よくわからなくなってしまった。記事が載ってから例の店に行こう、そう思っていたものだから、完全に次の来訪の機会を失ってしまったのである。だからわたしは半年近く、かの店を訪れることができなかった。

そして、今日、訪れた。店員のお兄さんは、わたしのことを覚えているのか、そうではないのか、とにかくにこやかに迎え入れてくれた。わたしは、一人です、といって、席に着いた。思えば取材の日も、初めて訪れた日も、一人だった。「ぼっちメシ」はつらいことだと人はいう。だが、一人で食うトルコ料理も悪くはない。いや、料理の種類にかかわらず、一人飯も悪くはない。だから、独り身なのかもしれない。

まあとにかく、メニューを開くと、前よりも値上げしていた。昨今のご時世だ。しかたない。わたしはこの店の「イスケンデルケバブ」という料理が大好きだったが、懐事情により、日替わりメニューを頼んだ。

いつものスープ、いつものサラダ、そしていつものエキメッキ(パンみたいなやつ)がサーヴされる。そしていつものように、店員さんは無言で皿を置く。スープは前よりも絡みがあったが、うまかった。エキメッキをちぎっていると、謎の料理が出てきた。トマトソースにじゃがいも、鶏肉、米が添えられている。肉を口に放り込む。やはり、トルコの味だ。イタリア料理でも似たようなシチュエーションがあるが、トルコ料理はやはり、トルコ料理だ。そしてそれがわたしは好きである。

以前のように、「もちもちプリン」と言われるデザートが置かれ(白いクレームブリュレみたいなやつで、甘くてもちもちしていて美味しい)、チャイと呼ばれる濃い紅茶が出てきた。以前はやっていなかったが、「テシェッキュル」とトルコ語で礼を言ってみた。そうしたら店員は満面の笑みで「テシェッキュル」と返してくれた。今までは砂糖なしで飲んでいたが、今回は変えてみよう。そう思ってわたしは砂糖を4つほど入れた。向こうの人はたくさん入れるらしいからだ。

やはり元が苦いだけあって、甘すぎる、なんてことはなかった。むしろ深みが出ていてよかった。こういう飲み方もありだと思った。やはり郷に入っては郷に従え、だ。

チャイを飲み干すと、店員さんが歩いてきた。

「チャイのお代わりいかかですか?」

覚えていてくれたのだろうか、と一瞬思った。本当のことはわからない。だがわたしは好意に甘えることにした。熱々のチャイは、わたしの舌を焼き尽くしたが、なんとなく嬉しいものでもあった。

もしかすると、もう半年も行っていないのだから、常連ではないかもしれない。だが、もしかすると覚えていてくれているかもしれないという店があるのは気持ちがいい。

かつてタイ料理屋のおばあさんに顔を覚えられていたことがあったが、あれ以来行っていない。あの時はなんとなく気恥ずかしかったのだ。かつてインド料理屋のお兄さんに「お久しぶりですね」と言われたことがある。あれ以来行っていない。それは別のインド料理屋に浮気しているからだ。また、行ってみようかと思う。エスニック料理やは第二の外国であり、もしかすると第二の故郷なのかもしれない。

 

‥‥‥などと言いつつ、現在金欠なのである。