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Play Back〜ハードボイルド大学生活〜

ある大学生の日常をハードボイルドなエッセイ調に書く。

the Big Slump

ここ数日、いや一ヶ月以上になるが、ここに投稿していなかった。この一ヶ月何もなかったわけではない。それどころか、いろいろなことがあった。まず先月の18日、わたしは無事二十歳になった。そしてその少し前見た「ハリーとトント」という映画はなかなか良かったし、そのあともいろいろ映画を見た。自分への誕生日ブレゼントに買ったローリングストーンズのCDは良かったし、最近読み始めたアンリ・ベルクソンという哲学者の著作はなかなかいい。7月に入ったら風邪を引いたが、おかげであることを知ることができた。だが、それでも投稿をしなかったのだ。

なぜか。その理由は単純だった。わたしはいわゆる「スランプ」に陥っていたのだ。

単なるブログ執筆者がスランプとは生意気な。そう思われるかもしれない。そりゃそうだろう。ブログでスランプってのはなかなか聞かないからだ。

ことは数年前に遡る。わたしは高校の文芸部にいた。文芸部というと、他の部活の人にとっては何をしているかわからないところだろう。そんな人のために言っておくと、文芸部では大抵は小説などを書いて発表している。そういうわけでわたしも小説を書いていた。あのときからだ。わたしにはよくスランプというものが訪れていた。わたしの部活では季節ごとに一つ小説を発表していたのだが、わたしの場合、一度書くと、次の発表の機会がある時にスランプが訪れていたものだ。そして、大概そんなスランプが終わるのが、締め切りの二日前や一日前と決まっていた。そんなわけで、わたしはいつも小説をものすごいスピードで作り上げるという不健康なことをしていたものである。

スランプというのがどういうものなのかというと、要するに書けないのだ。スランプではない時期には、文章を書きたくて書きたくてたまらない。誰が読んでいようと関係なく、書きたくて仕方がない。そんな狂った状態が通常営業だ。だが、スランプに陥ると、まず集中力が持たない。パソコンの前に座って、書き始めても、途中で別のことをしてしまう。そのせいで思考の糸というやつが切れてしまい、もう書くことができなくなるのである。書きたいことはあっても、うまく書けない。そんな歯がゆい状態が続くと、なんとなく疲れてしまって、書くことが嫌になる。

そんな時期を乗り越えるには、自分の力だけでは不十分なことが多いように思う。書こう書こうと頑張ってみても、書けないものは書けない。だから散歩に出てみたりするが、それでも書けない。そんな時は書かないことが一番いい。といっても、書かなければ治るというわけでもなくて、また書き始めなければ、スランプなんぞ一生治らないだろう。

書きたいことを胸の奥に貯め続けるというのも、スランプから抜け出す一つの方法だ。そうすれば少なくとも書きたい気分になる。そうし続けて、イライラを重ね、そんなある時、ふとまた書けるようになっているものだ。

そういうわけでわたしは今、こんなことを書き連ねている。リハビリである。リハビリを人に読ませるっていうのも、なんとなく問題を感じるが、まあ仕方ない。

そんなに疲れそうな思いをしながら書く必要なんてないじゃないか、と思う人もいるだろう。ご説ごもっともだ。だが、なぜだかわからないけど、わたしは文章を書きたいみたいなのである。