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旅、映画、食べ物、哲学?

一人歩きの夜

みんなでしゃべったりしながら、いろいろなところに行くのは楽しいことだ。ふざけてみたり、笑ったり、色々と話したり、なかなか楽しい。わたしは喋るのが好きだし、わりと寂しがり屋だからだ。

だが、個人行動ほど楽しいものもない。一人宿舎を抜け出し、喧騒の街へと繰り出す。この、よくわからない背徳感と、そして自立感がたまらない。作家の沢木耕太郎は、一人でいると自分に話しかけるしかないから、内へ内へと行く旅ができる、と言っていた。まさにそのような感じで、一人で街へ出ると、なんだろう、ものすごく充実した気分になるのである。

数日前のこと、夕飯の後の時間は自由だと言われて、わたしは困り果てた。ブログでもかくか、それともポケモンでも捕まえるか。だが、それはなんだかもったいない気がした。そこでわたしは思い切って、夜のモントリオールへと向かうことにしたのだ。

一人では絶対に出るな、と言われていたので、わたしは同室のイタリア人を誘った。だが彼の答えはツレなかった。疲れたから寝る、というのである。こうなったら、ぜひに及ばず。わたしは一人ホテルを抜け出し、とにかく外に出たのだった。

プランなんてものは、全くない。だからわたしは何か思いつくのを待ちつつ歩いた。そうするとアイデアがわたしの頭に降ってきた。「川へ行こう。この前は遠いような気がして諦めてしまったけど、さっき調べたら以外と旧市街から近かったじゃないか。なら行ってみよう。今から夕暮れになる。きっときれいだろう」

そういうわけでわたしは川へと針路を切り替えた。モントリオールの川は、サンローラン川という。旧市街を超えたところにあって、前回の散策では諦めて引き返してしまったのだった。ぜひ川は見たい。なぜなら、ホーチミンでも、バンコクでも、ホイアンでも、わたしは川のほとりがいいなと思っていたからである。わたしは途中で「世界の女王マリア教会」なる大仰な名前の教会(ビジネス街のど真ん中にある、ドームの教会だった。バチカンの「サンピエトロ大聖堂」のレプリカらしい)に寄ったりしつつ、旧市街へと入った。この前入ったところとは違って、こじんまりとしたビストロがならび、夕日が映えている。ノスタルジックな石造りの通りをしばらく歩くと、川のそばの公園に出た。そこは、現在も幾つかの船が止められている場所だった。そのためか、大声でしゃべっているガタイのいいあんちゃんたち、ポケモンを捕まえるガタイのいい兄ちゃんたちがワイワイとやっていて、お世辞にもあまりいい雰囲気とは言えない。また、川のそばには、1センチ大の白い羽虫が盛んに飛んでいて、少しばかり気色が悪かった。しかししばらく歩くと、その虫も消え、雰囲気も変わってきた。どうやら観光地的な場所に出たようだった。

そこには幾つかの露店が並び、賑わっていた。ちょうど夕暮れ時(といっても21時である)で、オレンジ色の空が旧市街と川を照らしていた。黄昏時の風がスーッと吹き、にぎやかな音が聞こえてくる。わたしは夕食をしっかりと食べてしまったことに後悔した。なぜなら、サンドイッチやら何やらを食わせている屋台が幾つかあったからである。それを知っていれば、もっと軽く済ませていたものを!だが仕方がない。わたしはとりあえず歩くことにした。屋台街のそばにはアスレチックパークがあって、その奥には高い塔がある。そこからライトアップされたワイヤーが川の向こう岸までずーっと続いており、そのワイヤーを滑車で、ターザンのようにシャーっと降下してゆく遊びをやっていた。とてもやりたかったが、どうも一人でやるのは侘しい。そう思ってわたしはまた屋台街をほっつき歩きながら、夕日に向かって帰途に着いたのだった。

そういえば今日も個人行動をした。

まず午前中、時間が空いたので、初日に行った「サンルイ公園」へと言った。そのそばのサンローラン通りは、旧市街とは全く違う良さがあった。あそこには人が生きている。普通の人が普通に買い物をして、何かを食っている。そんな面白さがあった。平凡な街ながらも、モントリオールの人々の暮らしが覗ける場所だった。また文化の十字路でもある。イタリア語の看板、スペイン語の看板、ポルトガル語の看板、そしてヘブライ語の看板。日本語もあったし、中国語もある。モントリオールは多文化の街だ。だが旧市街やダウンタウンにいる限りそれは見えない。だがここではそれを感じられた。移民問題などで、文化の交流なんて夢物語だという人もいるだろう。だが、文化は確かに交流している。入り乱れ、変容し、そしてエキサイティングでダイナミックな街となって生きている。それを肌で感じられた。ぜひユダヤ料理の店に入りたかったが、今日は昼食に約束があったので、入るのはやめておいた。そしてサンルイ公園でぼーっとしたり、本を読んだりと、一時間以上時間を潰したのだった。

午後のアクティビティの後、わたしは洗濯をし、その出来上がりを待つ間、水を買いに出た。ここ数日で顔なじみになっていたコンビニのおっさんが、「モントリオールの冬は寒くて長い。だから夏になるとみんなクレイジーになるんだ」といっていた(蛇足になるがこのおっさんとのトークにはもう一つエピソードがある。旧市街と川の散策の後、いい気分になってビールを買ったら「歳はいくつだ?」と聞かれたので、「20だよ」と答えたのだが、なぜか今回も聞いてくる。しかも今回は水しか買っていないのである。「20だよ」というと、「ちょうど20なのか?」と聞いてくる。「ああ」といえば、「ふうん、本当かなあ」という。なぜか信頼してもらえない。多分若く見えるのだろう)。それで思い出した。宿泊先のそばで、先住民の祭りをやっているらしい、ということを。そこでわたしは洗濯をすっかりほったらかしにして祭りへと向かった。先住民は一瞬しか登場せず、「南米フェス」の方がメインだったが、南米のビートに飲まれて非常に楽しかった。

そしていい気持ちになって帰ってきて、今に至るというわけだ。

明日は6:00に朝食だという。全くもって早い。というのも、カナダの首都オタワへの旅が待っているからだ。オタワではどんなことが待ち受けているんだろう。そう思いながら、そろそろ寝ることにしようと思う。