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Play Back〜ハードボイルド大学生活〜

ある大学生の日常をハードボイルドなエッセイ調に書く。

Farewell, My....

すべてのものには始まりがあって終わりがある。某国民的アイドルグループが解散を発表し、今年もオリンピックが幕を下ろしたように。永遠に続くものなどはなにもない。全ては始まり、そして終わりへと向かって行く。それを私たちは黙って受け入れるしかない。

三日前。三週間に及んだモントリオールでの語学研修が終わった。「三週間」という期間は初めは長いように思えたが、過ごしてみると一瞬のようだった。光陰矢の如し、とことわざにはあるけれど、ここまで早いなんて誰も想像していなかったに違いない。

それにしても初めてだったことは、あの語学研修に参加していた人々のほとんどが「帰りたくない」と言っていたことだった。というのも、去年学科のメンバーでヨーロッパに行った時は、「やっと帰れる!」という声が大半だったからである。思えば四年前に行った英国の語学研修でも、「帰りたい!」という人が多かった。そんな帰りたい人々の中にあって、わたしは一人、「ああ、帰りたくない」と言っていたものだった。だが今回は違う。ほとんどみんなが「帰りたくない」と言っていた。「フェアウェルパーティー」という最終日の送別会では涙する人も少なくなかったほどである。

それは、ある意味当然だったのかもしれない。それほどにあの語学研修はいい意味で濃厚だった。予定が詰め込まれて忙しかったが、いい忙しさだったような気がする。

一週間目は、このブログにもその様子を少しばかり書いたと思う。わたしは基本単独行動で、モントリオールの街を歩き回っていた。山の方へ登り、コンビニ(デパヌールという個人商店)で水やビールを買い、夜の旧市街に繰り出し、南米フェスで盛り上がった。週末には、語学研修の仲間たちとカナダの首都オタワへと小旅行に行った。オタワはトロントモントリオールに比べて地味なイメージがあったが、意外な都会感に驚いたものだった。

二週間目は風のように過ぎていった。CBC、いうなれば「カナダ放送協会(NHKみたいなやつ)」で放送体験をしたり、手巻き寿司をみんなで食ったり、色々と予定がてんこ盛りだったのだ。だがどれも楽しかったと思う。そしてこの週の終わりは、「”大都市”トロントと”魅惑の”ナイアガラの滝の旅」、「”雄大な”カナダの大自然体験」、「カナダ人宅訪問、ホームステイ体験」、そして「レジデンスにそのまま滞在」の四つのグループに分かれてそれぞれアクティビティーをした。あいにくの天気と諸々の事情により「”雄大な”カナダの大自然体験」はあまり芳しくない結果に終わったようだったが、それぞれがそれぞれの週末を楽しんだようだった。わたしは、というと、レジデンスにそのまま滞在した。といっても、引きこもったわけではない。単身、ケベック州の州都ケベックシティーへと日帰りで乗り込んだのである。その模様はまたいつか書くとしよう。だが、最高の体験だったと言える。初めての長距離バス旅行だったし、成り行きで滝も見れたし、なによりうまい鴨料理にありつけた。

三週間目の印象は、「練習」の2文字だった。先ほども少し触れたが、出発の1日前に「フェアウェルパーティー」という送別会が開かれる予定になっていたのだが、そこで出し物をしなければいけない。だから、そのための練習をしていたというわけだ。出し物はレジデンスの階ごとに決められたグループ単位で行われる。わたしのいたグループはなぜだか妙に仲が良く、出し物も一週間目の終わりくらいには決まっていた。そして、練習は二週間目から始まっていたと思う。私たちの出し物はダンスと歌だったが、みんなダンスや歌が好きだった。だからある程度二週間目で練習が落ち着いていたものの、みんな進んで三週間目にも練習をしていたのだ。みんなで何かを作るというのはとても面白い。不思議な結束力が生まれる。初めから不思議な結束力で結びつけられていた私たちのグループは、さらに結束力が強まり、「帰りたくない」という気持ちはますます強まっていた。

そして、フェアウェルパーティーである。わたしは本番でダンス(足の位置を間違えた)も歌(なぜだか音程が外れた)も失敗してしまったが、最後のあのやりきった感じは忘れられない。歌が終わった時にはもう、みんなが家族のようであった。みんな数年来の親しい仲間みたいだった。フェアウェルパーティー自体も素晴らしかった。みんなが着飾り、それぞれのショーをする。あの空気感はなんとも言えない良さがあったし、ついにここまで来たという気持ちがあった。だが、その一方でこれで終わる、という実感は沸かなかった。このまままた新しい週が始まるような気もどこかでしていた。だが、そうはいかなかった。そう、すべてのものには始まりがあって終わりがある。終わりがなければ始まりもないし、始まりがあれば終わりがあるのだ。

そうして今に至る。

あの日から三日が経った。

時々寂しくなる。それはあの仲間たちにしばらく会えないから、という理由だけではないかもしれない。それはむしろ、あの生き生きとした現実だったものが、いつの間にか一夜の夢のように感じられてしまうことが寂しいからかもしれない。わたしは確かにモントリオールにいた。そしてあそこでいろいろなことをし、考えた。だがそんな日々は、日本に帰ってくると、いつの間にか夢のようになってしまう。あまりにいろいろなことがあったからだろうか、まるで現実感がなくなってしまうのだ。

思えば、あそこでやり残したこともたくさんあった。三週間は長いと思っていたから、次がある、次がある、といろいろなことを先送りにしていた。お気に入りだった公園にも二回行ったっきりだったし、公園のそばでスモークミートを食べることもなかった。旧市街でディナーも食べなかったし、その他にもいろいろなことをやり逃したように記憶している。そんなやり逃したことも、今ではもうできない。もうあの、夢の世界には戻れない。そう思うと、ため息が出る。

心残りのない旅はないし、いつしか心の中で現実味のない夢のようなものなってしまわない旅もない。それはどこかに行くたびに思い知らされる。帰ってくるたびにそれを思い寂しい気持ちになる。そろそろ慣れてもいいはずなのに、それでもわたしはいつもそんな気分になる。

だからかもしれない。わたしがこれからも旅に出るのは。旅を夢にしてしまわないために、そして心残りをただの後悔で終わらせないために。過去を未来へとつなぐために。

だからこそ、あの仲間たちにもまた会いたい。そうすればあの日々はまた蘇るような気がするのだ。そして、あの楽しかった日々は、未来の楽しい日々に生まれ変わる。

そんなことを思いながら、わたしは次の旅の計画でも立てようかと思う。次はアジア圏だろうか。ヴェトナム再訪、あるいは中国文化圏も悪くない、だがロシア旅行も捨てきれない、悩ましい限りである……