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旅、映画、食べ物、哲学?

AVANTI!〜台湾1日目〜

志はあるが、全てを支配し尽くすことはできない。だから小さな島を分捕って、そこに理想郷を作る。そんなストーリーはわたしの憧れだった。だから、榎本武揚がその地に共和国を作ろうとした北海道、そして鄭成功蒋介石が夢を託した台湾は憧れの土地でもあった。だから高校を卒業してすぐにわたしは北海道、それも榎本武揚が政府を置いた箱館に初めての一人旅を行ったのだった。そして今、わたしはついに台湾で一人旅をしている。

全ては思いつきから始まった。

カナダから帰ってきて、旅の後の恒例行事、楽しかった日々を思い出してメランコリックになる、という状態になった時、ふと、どこかへ行ってしまおうと思ったのだ。モントリオールで使う金として用意していたのが100000円、実際に使ったのは40000円、則ち60000円も浮いている。それならその金を使って何かができるはずだ。アジアにならいけるに違いない。わたしは雨季だったヴェトナムを避け、今回の目的地を台湾に設定し、すぐに飛行機をとった。

あまりに急のことだったから、アルバイトやらなにやら大変だったのであるが、まあなんにせよ、わたしは台湾行きを決めた。

だが一筋縄で行ったわけではない。出発の二日前、気象庁発表の情報がこの度を消滅の危機へと至らしめた。フィリピン沖で台風が発生し、台湾に直撃するというのだ。色々と悩んだ結果、わたしは行くことにした。理由はと問われるとよくわからない。理由なんてなかった。だが、なんとなくここで行かないという選択肢は見出せなかったのだ。台風が来たら、部屋にいればいい。そこでカップヌードルでも食おう。それも、台湾産のやつを。それもアリだ。わたしはそうしていくことにしたのだった。

そういうわけで、台湾に今いる。

三時間のフライトは前代稀に見る快適さで、機内食も珍しくうまかった。魚がプリプリで、それに絡ませるカレーソースも旨い。つかったEVA航空がサンリオとコラボしているためにチケット、機体、機内のモニター、そしてフォークとナイフまでキティちゃん一色なのは小っ恥ずかしかったが、フライト自体は良かった。それに、三時間はあっという間だった、ということもあるかもしれない。

飛行機があっさりついたように、市内へ向かう地下鉄にもあっさりと乗り、あっさりと目的の台北駅へと到着した。電車は日本よりも入り口が広く、タイのエアポートレイルに近かった。また、切符ではなく、コイン型のトークンを使って乗車するシステムも同じだ。もしかすると、台湾のシステムを、タイが真似したのかもしれない。逆かもしれないが。

台北駅からホテルのある「重慶南路」までは少しあった。そして、天気はあいにくの雨。そこでわたしは台北駅の地下にあって、重慶南路の方へと伸びている「駅前地下街」へと向かった。そこはまるで市場で、中華文化圏らしいわい雑さがあった。色とりどりの服、色とりどりのバッグ、宝くじ屋、そして、やけにうまそうな匂いのする食べ物屋。そしてそこを抜けて地上へ出ると、ガソリンと食べ物とお香の匂いが混ざり合う、ヴェトナムでも経験したあのアジアの空間だった。だが建物はヴェトナムやタイとは違った。建物はずっと高く、ボロボロのコンクリートだった。当たり前だが看板の漢字の比率は多い。そしてネオンがある。しかし写真で見る香港よりは大人しい。空気はまとわり付くようで、歩いているとすぐに汗が出る。その上、雨がしとしとと降っている。しばらくその通りを歩けば、ホテルがあった。

フロントの人はまだチェックイン時間ではないのにもかかわらず、快くチェックインを許してくれた。わたしは言葉に甘えて汗だくになりながらチェックインした。部屋は3畳ほどで、まるで、テレビで見るオリエント急行のキャビンのような狭さだった(寝台列車にしてはでかいが、ホテルとしては狭い)。だが、幸いなことに窓がある。わたしは汗でびしょびしょのシャツを着替え、外に出た。

わたしはしばらく歩き、土地勘をつけることにした。まず、重慶南路を真っ直ぐ歩くと台北駅がある。重慶南路の並びには、繁華街や市場が並ぶわい雑な通りがいくつか走っている。台北駅をさらに奥へと進めば、庶民的な問屋街が現れる。一方、重慶南路を台北駅とは逆方向に歩くと、大きくて、中華風の祠や博物館や二二八事件という中華民国による台湾住民の反乱弾圧事件の慰霊碑がある公園、そして、省庁街、総統府(デモをやっていて近づけなかった。やはり、政治的主張に関しては激しい国なのだな、と実感した。それも、参加者はやはり若者が多いように思えた)のある小綺麗な界隈。そしてそんな小綺麗な界隈をしばらく歩くと、唐突に庶民的な食堂の並ぶ道が現れた。その頃には、初めは鬱陶しかったしとしと降る雨も気持ち良く感じるようになっていた。むしろ傘などいらない。あれだけ蒸し暑いと、むしろ雨に濡れる位が気分がいいのだ。

小綺麗な街の中にひっそりと存在する食堂だらけの道を歩いていると、小籠包を売る店を見つけた。買おうかと思ったが、中国語でどう対応すればいいのか、そもそも自分の中国語が通じるのか、あれこれと不安になってきた。初めて使う言語だ。そして初めての土地だ。そうなると、本当にうまくいくのか不安になる。だがここは勇気を出そうと思った。今までカナダやヴェトナムやタイで、徐々にできるようになっていたことだ。ここでもできるはずなのだ。

「ニーハオ」と、わたしは店に立っているおにいさんとおばさんに言った。

「ニーハオ」

「ウォーシャンヤオ……」まずい。小籠包の発音がわからない。わたしはとりあえず「小籠包」と書かれた看板のほうを指差し、「しょうろんぽう」と言ってみた。だが、店のおばさんは、「ア?」と聞き返す。まずいぞ、と思った刹那、おにいさんが、「ああ、シャオロンポウ」というようなことを言った。伝わった。するとおばさんは頷き、「&%?」と何やら聞いてくる。とりあえず聞き返すも、やはりわからない。わたしはとりあえず、

「ブーヤオ(いりません)」と答えた。

おばさんはにっこり笑って「ブーヤオ」と返した。台湾では拙い中国語を使うと、なぜか言い返してくる。これはとても面白い。

かくしてなんとかわたしは小籠包を手に入れた。どうやって食べようかと思案したが、この小籠包は肉まんのような皮で、丈夫だったので、そのまんま手づかみで、口に頬張った。あまり知るは入っていなかったが、非常にうまかった。やはり、どんどんしゃべるべし、である。

夜になってわたしは昼の散歩で見つけた市場へと向かった。その市場はホテルのそばの通りにあり、通りを歩いていたら突然市場が始まっていて驚いたものだ。とりあえずいろいろ歩き、わたしは一番繁盛していそうな「牛肉拉麺」を食べることにした。とりあえず店主らしき人に声をかけると、何やらペラペラっと喋ってくる。困っていると店主は日本語のメニューを出した。こういうものが結構あるのだろうか。あそこは特別観光客が来そうなところには思えなかった。まあとにかく頼んでみると、うどんのような麺と牛肉を煮込んだものが、茶色いスープに入っていた。麺はうどんそのものと言っていい。牛肉は柔らかくなっていてトロトロ、スープはピリ辛で、肉の出汁が良くてていてうまかった。帰りがけに「ハオチー(おいしい)」と言ってみたら、仏頂面でやはり「ハオチー」と返してきた。気持ちが伝わったのかはわからないが、とにかく初日にしては上出来である。わたしは店を出た。

店を出て少し散歩をした。すると何やらライトアップしているものが見えた。それは昼まデモの影響で見れなかった総統府だった。夜の闇にオレンジ色の光が、赤いレンガを照らし、ノスタルジックな美しさを放っている。こういうものに何の計画もなく出会うと感動する。見に行こうと思っていくのではなく、たまたま目にする方が、まるで(それが単なる勘違いだったとしても)神が用意してくれたプレゼントのように感じるからだ。気を良くして夜の台北をさまよった。爆撃の影響が東京ほどではなかったからか、日本統治時代の建物が多数見受けられた。それもライトアップされ、ノスタルジックだった。そしてその前をバイク達が疾走し、その奥には高層ビルが見え、そこに台湾の歴史が凝縮されているようであった。

そうこうするうちに駅に戻ってきたわたしは、また地下街を通ろうと思い、地下へ入った。すると見慣れない、中野ブロードウェイ的な地下街が現れた。とにかく歩こう。それが間違いだった。わたしはいつしか全く知らない駅へと迷い込んだのだ。調子に乗るのも大概にしないといけない。

それから先は大した話ではない。引き返し、コンビニで台湾ビールを買って、飲んでこれを書いている。これからわたしを待つのは明日という日だ。明日は何をしようか。正直まだ未定だ。だが、明日は明日の風が吹く臭豆腐でも食べようかと思う。