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ある大学生の日常をエッセイ調にかっこつけて書く。

嵐の前の激しさ PART4

「Tansui、あるいは暗雲」

台北郊外にあるちょっとした保養地「淡水(タンスュイ)」は、台北中心地から40分ほどで行ける距離にある。日本でいうなら、どうだろう、鎌倉といったところだろうか。だが、アクセスの良さは圧倒的に違う。というのも、「台北101」、「士林」、そしてわたしのホテルのある「台北車站」を通っている「淡水信義線」一本でたどり着くのだ。つまり、市内交通に使う地下鉄に乗っていれば、いつの間にやら淡水についてしまうのである。

だが淡水は鎌倉よろしく、歴史もある場所である。というのも、台南を本拠地にしてオランダが入植を進めていた頃、それに対抗しようとしたスペインが北部の淡水に「サン・ドミンゴ城」を立て、スペインの植民活動を開始していたのである。ただし、この植民活動は17年間しか続かなかった。なんと、わたしの年齢よりも短い。こうなった理由は、台湾の西側、つまり中国大陸側の制海権をオランダ海軍が握っていたため、スペインは東回り(日本側を通って)で台湾北部へ向かわねばあらなかったからだ。台湾東部、すなわち日本側は、台風の宝庫である。そして台風が来るたびに東側は被害を受ける。そのため、補給路はすぐに立たれてしまうのだ。しかも、当時台湾北部ではマラリアが発症していたという。その結果としてスペイン軍は撤退を余儀なくされた。追い打ちをかけるように始まった、オランダ軍による「北伐」も理由の一つだった。とまあ、事前に買ってあった台湾の歴史の本を読んでいろいろと学んだのである。台風のくだりは興味深かったが、この翌日、そして滞在の最終日、押し寄せる台風の中で身を以て知ることになる。

さて、3時15分、わたしは思いつきで淡水へ行くことにした。昼間は激しいとしか言えないような日差しだった台北の街も、徐々に涼しい風が吹いていた。だが、それは喜ばしいことではない。遠くの空は暗く、その風は確実に、雨を呼ぶような風だからである。だが、こうなったらもう、淡水まで行ってしまいたかった。日は5時頃に沈む。台北に流れる川、「淡水川」をその名を冠した淡水で、夕日を眺める。どうしてもそれがやりたかったのだ。

わたしは台北車站へ行き、地下鉄に乗り込んだ。地下鉄は、「圓山(ユェンシャン)」駅で地上に登り、高架鉄道に変貌する。今日はこの路線に何度もお世話になった。故宮博物院に行くために、「劍潭(ジエンタン)」駅で間違って降り、「士林(チーリン)」駅に一駅だけ乗って、そこからバスに揺られて博物院へ行った。お金が底をついたと思い込み、「台北101/世貿中心」駅まで行って銀行を探したあげくに見つからず、後々お金が底をついていないことに気づき、全エネルギーを奪われつつホテルへ戻った。この一日だけで何度この路線を使っただろう。

そんなことを思いながら窓の外にふと目をやると、シュロの木が揺れていた。台風は確実に近づいている。予報によれば、3時ごろに台北市内で雨が降るという。窓の外には雨のあとはない。雨からの逃亡。わたしはそんな気分になった。淡水の方へと落ち延びることは、さてできるだろうか。

客は少しずつ降りて行き、温泉があるという「北投(ベイトウ)」駅にたどり着く頃には、もう電車内の客はまばらだった。保養地であり、デートスポットだというものだから、もっと人が残るのかと思っていたが、きっと火曜日と台風のせいである。

高架鉄道はものすごいスピードを出して進んで行く。日本ではありえないスピードだ。一瞬脱線しないかと不安になるくらいである。だが、大事なのは信頼することだ。わたしはそのスピードに少し恐れを抱きつつ、楽しさを感じていた。風は感じられないが、スイスイと走って行く電車に乗って窓の外を見れば、気分は爽快だった。

しばらく経って、電車は淡水駅に停車した。やはり、観光地なのだろう。駅はほかの駅とは比べならぬほどにでかく、レンガ色のタイルが貼られていた。エスカレータを降り、広い改札(ほかのところでは改札機は4つずつくらいしか並んでいないのにもかかわらず、淡水では10は並んでいる)を出ると、相変わらず空気はむわっとしており、風もそんなになかった。もしかすると、逃亡は成功したのかもしれない。そう思いつつ街の雰囲気をつかむべく、道を歩いてみた。

どうやら、淡水側は駅から出て左側にあり、右側は街になっているようだった。わたしはとりあえず左へと曲がり、川の方へと向かった。

川はなかなかの圧巻であった。日本の川より広く(もちろん、カナダの川よりは狭い)、向こう岸には山がそびえていた。空は青く、ふわっとした雲が浮かんでいる。川は風が吹くと波打ち、ゆっくりと流れてゆく。

わたしはなぜだかわからないが、川に行くのが好きだ。モントリオールでもしきりに川へいこうと努力し、タイでも川に向かった。ヴェトナムは街が楽しすぎてそういうことはしなかったが、パリへ行ったときも、ローマへ行ったときも、わたしは川辺に行った気がする。川は静かで、さりとて止まることなく流れてゆく。そして、海とは違って渡りきることができるような気がするのだ。先へ行ってみたい。そう思いながら、川を眺めると、なんとなくワクワクするし、あの静けさは心を鎮めてさえもしてくれる。川を見つめていると、静かに考え事ができる。そして、川面に向こう岸の様子が映ると、非常に美しいのだ。夕日が沈むと、海とは違って、夕日が向こう岸、こちら側のあらゆるものを照らしながら、沈んでゆく。あれがたまらない。

といっても、別にこれといった理由がはっきりとあるわけでもなしに、わたしは川が好きだ。わたしは川を見ながらしばらく遊歩道を歩いた。風が涼しい。それは悪天候の予兆だったが、それでも気持ちよかった。しばらく歩くと、賑やかな界隈に入った。屋台ではイカを焼いていて、観光客たちはそれを食っている。わたしはふとお腹が空いた。だが、とりあえずまずは歩いてみようと、川の反対方向へと、街中に入ってみた。

そこの風情は台北とは違って、少しレトロな建物が多かった。清の統治時代から栄えていたらしく、おそらく日本統治時代にも栄えていたのだろう。街並みはどこかノスタルジックな雰囲気があった。まるで戦前の繁華街にいるようだ。人々が賑やかに歩いている。周りから何かを焼いたり煮たりしている匂いが漂い、夏祭りのようだった。

現地の人の行く場所だけを狙い、観光地をツンとした顔で嫌う人もいる。だが、街の楽しみ方には二つあるとわたしは思うのだ。現地人でに賑わう場所にはその良さがある。わたしはそれが大好きだ。だが一方で、観光地に漂う賑やかな感じもわたしは好きだ。物売りがいて、くだらないTシャツをたくさん売っている。白人もムスリムもインド系もモンゴロイドも黒人も、みんながみんなで買い食いをする。あの一体感と言ったらたまらない。淡水は台湾人の観光客が多かったが、十分観光地の良さが出ていた。そろそろ何かを食べたいな、とわたしは思った。

わたしはイカを揚げたものがたくさん売っていることに目をつけ、それを食うことにした。日本人向けなのか、「イカ揚げです」とメニューに書かれた屋台と、「イカ燃焼」というわけのわからない、まるで「本能寺炎上」のようなメニューが書かれた屋台があった。これはもう、「イカ燃焼」を食うしかない。わたしは例の体当たり中国語でイカを購入した。屋台ではイカが丸ごと串に刺さっていたので、それを売ってくれるのかと思いきや、わざわざ細かく切ってくれたものがやってきた。わたしはそれを口に頬張ってみた。熱い。かなり熱い。しかも味が塩味だけであり、脂がコテコテについているのだ。これは台北で食べた、最初で最後のはずれ食品であった。なんとか完食しようとしたが、果てしなく多く、果てしなく脂っこかったため、わたしはいつもの「出されたものは全て食すべし」という戒律を破り、泣く泣くそっと捨ててしまった。悪いことをしたが、あのまま食べていたら、わたしはその後果てしなく続く胃もたれに悩まされただろう。

といっても、口の中の油は消えない。まるで血を拭うマクベス夫人の気分である。「口の中の脂っこさが消えないわ」と。わたしは何かフレッシュなものが飲みたかったが、どうもそれがない。そこでたくさんの人が飲んでいた緑色の飲料を買うことにした。それはおそらく、「サトウキビジュース」である。『深夜特急』の中で沢木耕太郎が飲んでいたものだ。はてさてどんな味がするのか。わたしはおばあさんが二人で経営する店に行き、「にいはお、うぉーしゃんやおいーがじぇーが(コンニチハ。コレヲ一個クダサイ)」と頼んだ。おばあさんは小麦粉で真っ白になっている手でジュースのカップを取り、渡してくれた。カップの飲み口にはビニールのようなものがはられている。わたしが「しえしえ(アリガトゴザイマス)」と立ち去ろうとすると、おばあさんは何やら言ってくる。ああ、そうか。ストローをもらうのか。わたしは、「ああ」と言って、ストローをもらい、今度こそ「しえしえ」と「立ち去った。

ストローでビニール部分をぶっ刺して、わたしは川の方へと向かった。「イカ燃焼」の影響で、もう何も食いたくなかったのだ。ジュースをすすると、少々エグく、甘みのすぐない生暖かい液体がぐっと入ってきた。そんなに美味しいわけではない。だが、さっぱりはした。サトウキビの匂いがハナにつくが、決して悪くはない。わたしは手ごろなベンチを見つけて、ジュースをすすりながら川を眺めた。

しばらくすると、韓国人と思しき女性の二人組がやってきて、

「写真撮ってもらえますか?」と、声をかけてきた。わたしは「もちろんです」と頷いた。カメラを向けると、山と川をバックに、二人はポーズを決める。シャッターを切ると、もう一枚お願いという。今度は彼女たちは山の方を向いて手でハートマークを作った。撮り終わってカメラを手渡すと、二人のうちの一人がわたしの後ろの方を指差し、

「虹がでてますよ!」と教えてくれた。わたしは振り向き、

「おお、綺麗ですね」と言ってみたものの、その虹の後ろにある黒い雲にどうしても目がいってしまった。悪天候は、淡水にまで近づいていた。夕日まで持ってくれるだろうか。

その二人組と会話が続くわけでもなく、わたしはベンチに再び腰掛けた。太陽は今にも沈もうとしていた。風は徐々に吹いてきて、気持ちがよかった。嵐の前の静けさとは、このことを言うのだろう。夕日が沈む山の右側が快晴なのに対して、左側は徐々に真っ白になっていた。わたしはそれでも逃げることなく、夕日を見届けたかった。

しばらくすると、パラパラっとにわか雨が降ってきた。傘をさすと、雨はすぐに止む。だが傘を閉じると、またにわか雨が来る。そんなことの繰り返しだった。そうこうするうちに山の右側の空はオレンジに、それから赤に変わっていった。嵐の雲は山を越えて侵食しつつあり、夕日に輝く空の中にも、雨のカーテンが見えるところがあった。まるで、ターナーの絵のようだ、などというと、『坊ちゃん』の野太鼓のようで嫌なのだが、まさにターナーの絵のようだった。雲に囲まれ、夕日は沈む。真っ赤な光は淡水の町並みを照らし、夕日の写真を撮る一人旅の女性、初老のカップル、私たちのみんなを包み込む。わたしはただ椅子に座り、時に写真を撮りつつ、眺めていた。

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夕日はオレンジ色のまま沈み、最後には真っ赤になって消える。ここ淡水では、その真っ赤になるかならないかの時くらいに、雨が降り始めた。わたしは傘をさし、夕食の場所でも探そうと思った。川沿いを歩くと、船が見える。その船のそばを、真っ赤に燃える火の玉が落ちていった。

その時だ。雨は突如として、まるでシャワーのような強烈な雨に変わった。バケツをひっくり返したような、というよりも、「強」の設定のシャワーのような雨である。淡水で夕食を食う、というのは断念すべきだとわたしは判断し、とにかく駅へと向かった。なにせ、先ほどまで見えていた山が、真っ白になって見えなくなっていたのである。

雨はますます強くなり、その振り方はもう、滝のようだった。風も吹いてきて、わたしの骨が一本折れている傘では耐えられるかどうかが怪しかった。なんとか耐えながら歩き、ふと空を見ると、それはセピア色になっている。それはまるで古い写真のようだった。建物が戦前の繁華街のようなものだから、まるで古い写真の世界に入ったような気分になる。だが、それは紛れもない現実であり、大嵐であった。空は不吉にセピア色。そして雨は滝のよう。地獄に落ちたような気分にもなった。

雨はしばらくして弱くなり、代わりに風が吹き込んできた。わたしは傘をさすのをやめた。傘を閉じてみると、空は更に赤くなり、ピンクに近い色になっていた。雲で覆われているため、雲がピンク色になっていたのだ。あれほど幻想的で、奇妙で、恐ろしく、かつどこか神秘的な美しさを持った空を見たことはない。

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駅は人でごった返していた。当然だ。あの雨から避難し、市内に戻る人がたくさんいたのだから。電車に乗り込むと、どうやら電車が止まっているらしい。これはいよいよまずいかもしれない。そう思った時、電車は動き始めた。

電光掲示板によると、どうやら機械トラブルがあり、それに伴い間隔調整をしていたようだ。電車は動き出すと、行きに体験した、例のものすごいスピードで走って行った。外は嵐。雨で窓は濡れていた。窓のそばのよっかかれる場所に立っていたら、おばあさんがやってきて、荷物をわたしの足元に置いた。そういえば台湾人はすぐにお年寄りに場所を譲っていたっけ、と思い出し、わたしはその場を離れ、手でここにどうぞと合図してみた。「謝謝」とおばあさんは満面の笑みでいってくれ、窓の近くのよっかかれる場所に入った。どうも日本では手に入れることをためらってしまうような自由を手にしたような気がした。

電車はかなり混んでいる。だが、台湾人たちは相変わらず、日本の電車よりもマナーが良かった。通る時は、「ブーハオイースー(すみません)」ということが多かったし(もちろん、そうでない人もいる)、みんな行儀よく電車に乗っている。

そうこうするうちに「台北車站」にたどり着き、そこで降りる多くの客とともに電車から降り、地下鉄の駅に降り立った。さて、夕食はどうしよう。もし仮に、外が嵐だったとすると、昨日見つけた市場では食べられないだろう。わたしはそこで、駅の地下にある、「站前地下街」に行くことにした。

 

 

 「站前地下街」は日本の駅の地下街とは違い、かなり台北の雰囲気があった。いかがわしいシャツやお菓子を売り、謎の洋服屋やバッグ屋が並ぶ。ゲームセンターのようなものもあって、若者たちはそこで「太鼓の達人」(ではないかもしれないが、その世界に疎いのでわからない。なにやら、リズム系のゲームである)をやっている。台北の料理の匂いが充満し、地下街の端っこには食事コーナーもある。

わたしは食事コーナーへと向かい、どこに入るか吟味した。目に入ったのは、「臭豆腐」である。台湾名物で、要するに発行した豆腐であり、臭いと評判である。台湾経験のある友人から、出発前に一つのミッションとして「臭豆腐を食べてきて」と言われていたものだから、これは入らざるをえなかった。わたしは酔狂な食べ物が好きであり、ぜひこれは食っておきたい。わたしはとにかく店に入り、メニューをもらい、「臭豆腐+細麺」なる料理を頼んだ。

細麺の正体は春雨のようなものだった。だが、固く、なかなか噛み切れないし、歯に挟まってくる。だからより一層噛み切れない。だが、この麺は汁を絡め取ることができ、この料理にはもってこいだった。臭豆腐はそんな麺と一緒に煮込まれており、汁はピリ辛だ。臭豆腐は食べるとあまり匂いがするわけではなく、むしろピリッと辛くて苦いことが気になった。それを更にピリ辛のスープで流し込み、麺をすする。そうするとなかなかうまい。ビールが欲しいと思ったが、台湾の屋台では基本的にビールを売っていない。仕方ないのでわたしはひたすら臭豆腐を頬張った。

食べ終わると、わたしはとにかく外に出てみよう、と恐る恐る外に出た。だがそこは、嵐の影などなかった。嵐は一度過ぎ去り、新たなる嵐の前の静けさが始まっているようである。わたしはほっと一息、涼しい外へと歩いて行くことにした。

明日は台風の日だ。どうなるかはわからない。だが食料くらいは必要だろう。わたしはそう思ってコンビニに入り、この日の夜のために「台湾ビール Classic」という商品を買い、台湾風の「おにぎらず」であり、どこかの鉄道で戦前出されていた駅弁の復刻版らしい弁当と、カットフルーツを買ってホテルへと戻った。

テレビをつけると、台風の話題で持ちきりだった。わたしは不安と落胆を消し去るように、ビール缶を開け、ごくごくと飲み込んだ。「台湾ビール Classic」は、前日に飲んだ「台湾ビール」に比べて、ほんのりと甘い味がした。

 

(台北滞在二日目、終了)