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旅、映画、食べ物、哲学?

Fifteenth Night PART1

「NIGHT in DAY」

朝起きてホテルの窓の外を眺めたら、青空だったものだから、てっきりこれが台風一過の晴れ模様だと思っていた。だが、朝食を食べ、ホテルの外へ出るとそうでもないとわかったのだ。空は雲で覆われ、時折雨も降る。わたしはとりあえずビニール袋の中に傘と、台風の前日に買った透明なかっぱを入れて、出直すことにした。

台風14号「莫蘭蒂」は台湾の南部をかすめて直進し、少しだけ北上しながら中国大陸へと消えていった。と言っても、大陸の果てへとどこまでも進んで行くはずもなく、消滅した台風の余波がまだ台湾には残っていたようだ。だから、わたしの台北滞在四日目は、若干ぐずついた、いいとも悪いともつかない天気のまま開始した。

台北滞在四日目

 

二日目のように、一日乗車券もないまま、テキトーな地下鉄利用を繰り返せば、金が持たない。もうあの失敗を繰り返すまい、とわたしは「台北車站」(台北駅)でワンデイパスを購入することにした。だが、買い方がわからない。インフォメーションセンターで聞いてみると、「どちらに行かれるのですか?」と聞いてきた。

そこでハッとしたが、わたしはどこに行くのか決めずに駅まで来ていたのだ。だが、ワンデイパスなら行き先など決まっていなくてもいいはずだ。わたしはとりあえず、「いや、ただワンデイパスがもらえればいいんです」と答える。

するとインフォメーションセンターの女性は、「ですが台北駅には、二つの線路が走っていて……」といった。

それくらい知っている。板南線と淡水信義線だ。親切に教えてくれているのはわかっているが、こちとら淡水まで行ってきた口だぞ、と少々語気が荒くなってしまう。「ええ、でもワンデイパスはどの線路でも平気だと思っていたんですが? どこに行くかはノープランです!」

女性は、「ああ、そうですか」と少々困惑しながら、「それでしたら彼方に行けば一番近い改札口があるので、そこで購入できます」

わたしは、「ありがとう」と語気が少々荒くなってしまったことに対する精一杯の謝罪をこめて言った。おそらく、気づいていないだけでちょっとばかし外国語での会話に疲れていたのだろう。まずは落ち着かねば。わたしはエスカレーターを降りて、改札口へと向かった。そこの窓口でバスと地下鉄両方に使える一日乗車券を買い、勢いで改札の中に入っていった。

そういえば、改札を超えた今も、わたしはまだノープランだった。とにかく行き先を決めないと。そうは言ってもこれと言ってあるわけでもなく、わたしはとりあえず台北の真ん中の方へと行くであろう「淡水信義線」の、淡水とは反対の台北101の方へと行く路線に乗った。

電車の中で路線図を開き、どうするか考える。そうすると、台北101駅の一つ前の「信義安和(シンイーアイフー)」駅が目に止まった。ガイドブックを暇つぶしにめくりながら、夜市について読んでいた時、その名前を見た気がしたのだ。だが、そこにどの市場があったのか、あるいは店があったのかは全く覚えていない。だがこの際だ。わたしはとりあえずそこで降りることにした。

 

信義安和駅の出口には、確かに件の市場のことが書かれていた。だが、どうやっていけばいいのかわからないし、まず第一にそれは夜市、すなわちナイトマーケット、すなわち夜に開かれる市場なのである。そして現在時刻は午前(台湾風に言えば「上午」)10時くらい。全くもって夜ではない。だから、やっているかもわからないのである。

とにかくわたしは街に出た。街は道幅が広く、日本でも見かけそうな建物がたくさんある。もしかすると、ハズレの駅で降りてしまったかもしれない。人もいないし、日本の牛丼チェーンばかりが目に入る。だがここで引き返すのも癪にさわるので、わたしは大通りから一本外れてみることにした。

するとどうだろう、栄えてはいないが、台湾の古い風景を残していそうな場所が出てきた。電線がズズッと伸び、露天が立っている。その前では人々が何やら黄色い紙を燃している。そこには人々の生活があった。なかなか面白そうだ。わたしは歩いて回ることにする。

紙を燃やす行事はずいぶんいろいろなところで行われていて、店の前、祠の前、あらゆるところで燃やしている。祠、そう、台湾を語る上でこれは逃せないだろう。台北の街を歩いていると、突如派手な建物が現れ、そこが祠になっている。いつかハノイを旅した時に嗅いだウスターソースに少しだけ似た匂いのお香が漂い、中では人々がひざまづいて祈る。決まってそこの入り口のあたりには何やら情報の流れる電光掲示板があり、太鼓やシンバルのような楽器の音と歌声のCDが流れている。日本で中国の信仰が見れるところといえば横浜中華街の「関帝廟」と「天后宮」だろうが、観光地化されてしまっているあそこでは絶対に見ることのできない猥雑さが、台北の祠(というか神社というか、廟というべきなのか、なんといっていいのかよくわからない)にはある。きっと紙を燃やす行事も、この祠を中心に行われている信仰と関わりがあるのだろう。一瞬何をしているのか聞いてみようかと思ったが、中国語疲れか、やめてしまった。

建物は大抵が三、四階建てで、かなり古い。窓には格子がはめ込まれ、煤けている。建物の幅は日本と比べてかなり狭く、びっしりと、そこそこの高さの建物が並んでいる光景は異様である。どの建物も縦書きの看板を掲げていて、何やら商店のようだ。さすが「台北101/世貿中心」駅の一駅前の駅だけあって、101も良く見える。古めかしい建物郡の先に近代的な101がすっと立っている様子は、まるで台北の歴史を一気に見つめているようで、感慨深かった。映画「K-20 怪人二十面相伝」で描かれる、敗戦しなかった日本の首都東京が、猥雑な下町と高層ビルの立ち並ぶ中心部に分かれているあの光景に、少なからず似ている。(タイのバンコクも似たところがあった)

しばらく歩いていると、再び大通りに出た。だがそれは先程の通りではなく、別の大通りだった。そこはそこそこ人通りがあり、「食放題」や「足の舞」などといった、わけのわからない日本語の看板も趣深く掲げられていた(実はこの通りに出る前の下町風の通りにも、「可愛い」みたいな名前の店があった。この辺りは珍妙な日本語で溢れているようだ)。この通りは、「通化街」という。まるで間違って発音してしまった「中華街」みたいな名前だ。この通りを横切り、再び下町風の界隈を歩いていると、突如として身の回りの人口が5倍に膨れ上がった。

そう、そここそ、わたしがガイドブックでちらっと見かけた「臨江街観光夜市」だったのである。それも、昼の姿だ。雨がシトシト降り始めたが、たくさんの人が押し寄せていた。メインストリートでは道のど真ん中でおじいさんおばあさんが何やら果物を売っている。一瞬売っていたゼリーを買おうかと思ったが、いくらか忘れたが非常に高い。そのせいか誰も買っていないのでやめた。ピーナッツを売る人、ジャガイモを売る人、とにかくいろいろな物を売る人がそこにいり混じる。朝の買い物にやってきた台北マダム達、おっさん達がそこに群がる。エネルギッシュとはこのことか。わたしは流れに流れるように歩いた。

メインストリートから少し曲がれば食堂(なのか?)街があり、ずらりと屋台が並び、そこで買ったものを食堂のような場所で食べている人がいる。その場所とは逆方向にメインストリートを横切り、メインストリートを平行に走る通りに出ると、そこにはやはり祠があって、人々が紙を焼いている。その信仰の場の隣では肉まんを売る店がたくさんあるんだから面白い。

買い食いして歩けばもっと良かったのだが、きっとどこか疲れていたのと、昨日は台北駅周辺にしかいなくて行動力が鈍っていたせいもあり、なぜか市場を見て回るだけで満足してしまっていた。わたしは「食事にはまだ早いんだ」と勝手な言い訳をし、とにかくこの市場を歩き回って、店の商品をたまに見たりして、いわゆる「露店を冷やかす」という行為をして回った。

すると雨が強くなってきた。わたしは傘をさしていたが、人ごみの中で傘をさし続けるのが億劫になってきて、カッパを着ることにした。とりあえず市場から離れると、良さそうな公園があった。わたしは公園の椅子に座り、カッパに着替え、再び市場へと向かった。

台湾の人はあまりカッパを着ない。それは昨日の台風「体験」で感づいてはいた。みんな傘なのだ。わたしはその理由はよくわからなかったが、カッパを着て市場を歩き回るとそれがよくわかった。というのも、カッパを着るとものすごく体温で暑くなり、汗を大量にかき、正直言って雨に濡れているよりもびしょ濡れになるのである。わたしは即刻カッパを脱いで行動することにした。

この市場は非常に楽しかった。食べ歩きはしていないが、歩いているだけでそのエネルギーに圧倒される。特に少しだけ疲れの出始める「四日目」のスタートにはもってこいだった。わたしはメインストリートを直進し、さらなるでかい通りに出ると、昼食までの時間を、散歩しながら潰そう、とそのでかい通りを歩くことにした。そう、昼食は絶対この市場でとってやろうと思ったのだ。

そしてその時間つぶしに過ぎないはずの散歩は、別の面白い場所への道しるべとなっていたのである……。