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旅、映画、食べ物、哲学?

Fifteenth Night PART2

「PATER PATRIAE」

昼間の夜市を離れて、わたしはテキトーに歩き始めた。

今思うと、あの時はどこか、中国語を使うことに疲れていたように思う。市場のエネルギーはわたしのエネルギーをチャージしてくれたが、結局のところ人と話してみようなどということは、この時、思いつきはしても、実行に移す力が残されていなかった。人に話しかけてみる、ということは、日本では「無駄な人に話しかけない」という都会のルールが、海外では「外国語を使う勇気」が邪魔してなかなかできない。それを超えて、いろいろな人と話すエキサイティングな旅へと自分を導くためには、それなりの量のエネルギーが必要である。残念ながら、わたしはまだそこまでのチャージができていなかった。だからこそ、「ああ、ここは美味しそうな餃子を売ってるな」とか、「ああ、この肉まんはうまそうだな」とか思いながらも、「いや、でもまだ昼食どきではない」というくだらないこと極まりない言い訳を自分で用意してしまっていたのだ。だが、仕方がなかったとも言える。全然知らない言語の場所で、三日間疲れずにやっていただけで上等である。このちょっとした倦怠感を超えたところに、真の自由はあるのだ。

小難しい「自己分析」はさておき、わたしは大通りに出てそれをそのまま直進していた。道の広さといい、交通量といい、いつか訪れたヴェトナム南部のホーチミンシティに似ている。先ほどの市場のあったレトロな雰囲気の地区を離れれば離れるほど、街は近代的な雰囲気になっていった。小綺麗な(といっても、他の台北の建物と比べて、である)アパートのような建物が並び、その一回はおしゃれなパン屋などが入っていた。きっと、開発しているのだろう。

そんな背丈の高い、小綺麗な建物の並ぶ中に、一軒だけ、平屋のバラックのようなものが、まるで開発に抵抗するかのように存在する。この建物は食堂である。餃子やら何やらを出していた。人は結構来ていて、この客数こそが、この建物を開発の魔の手から守ってくれているのだろう。中国の餃子は水餃子が中心だというが、台北では結構焼き餃子も売っている。この店のものも焼き餃子で、プーンと餃子の焼ける匂いがして、食欲をそそった。だが、この店に入って食べるほどの行動力は残されていない。わたしはそこを、まあ後で来れる、と片付け、一本道をひたすら歩いた。結局、その後も行かずじまいだった。次行く時はもしかすると、高層ビルになっているかもしれない。そう思うと、なんと愚かなことをしたんだろう、と今になって後悔してしまう。

さて、しばらく歩くと、右手の方にどでかい公園のようなものが見えた。シュロだかヤシだかの木がすっすっと何本も立っていて、その周りには別の木が植えられている。公園だろうか。公園ならば入ってみたい。なぜだか、公園に行けば、また行動力をチャージできるような気がした。「奇跡を生むのは積極性」という映画「旅情」のセリフが正しいならば、こんなにどの店にも入らずに、ただただ無言で歩くような馬鹿な真似は早く辞めて、もっと入り込んで行かねば面白くない。だから公園に行きたい。そんな、公園に行けば失ってしまった何かをまた手に入れられるような、謎の啓示があったのである。

さて、目的地は決まった。あの謎の公園だ。いや、見当はついていたのだ。わたしは、この「信義安和(シンイーアイフー)」駅の前の駅が「大安(ダーアン)森林公園」だということを知っていたので、この公園はきっと森林公園に違いないと考えていたのである。

ところが、公園に入ってみるとそれは間違いだとわかった。公園に入ったつもりが、目の前に現れたのは、オレンジ色の、でかい、中国の宮殿風の屋根に覆われた建物だったのだ。これは一体なんなのか。建物の前は「広場」という言葉がふさわしいような、かなり広い空間が広がり、そのど真ん中にはすっとポールが立ち、そのポールの先には台湾こと「中華民国」の国旗がはためていた。一体なんだというのだ。わたしはとりあえず中に入ってみることにした。気になったら迷わずに足を向ける。それが今回のルールだ。

階段を登り、建物の中に入ると、まず目についたのは入り口付近の人ごみだった。その人ごみの中心では、白い制服に白いヘルメットの台湾の衛兵が交代式をしていた。なるほど、ここはそういう場所か。そう思いながら交代式から少し目をそらすと、衛兵の後ろには巨大な男の坐像があった。それはまるで、アメリカのワシントンD.C.にあるリンカーン大統領の像のようだった。あれとは違い、その男の像は黒い色をしていて、あごひげではなく口ひげをはやしている。髪の毛は薄く、見えないくらいだ。服装は軍服のようだった。この人物は、もしかすると「蒋介石」かもしれない。

結論から言うと、それは間違いだった。「蒋介石」ではなく、「孫文」だったのである。隣の部屋に入ってみると、そこは孫文記念館で、孫文の生涯と業績についての展示がされていた。

この建物は、「國父記念館(グォーフージーニエングァン)」という名前だった。国父とは、孫文のことである。孫文というのは、中国がまだ清朝だった頃に日本などの留学し、「清朝を倒して民主制国家を立ち上げる」という一種の「夢」にとりつかれ、仲間たちと革命を決行し、ついには成功させ、「中華民国」を立ち上げた男である。それゆえに、中華民国の系譜を引く台湾では「國父(グォーフー)」と呼ばれているようだ。そんな孫文の業績と人生を、この記念館では紹介し、さらには、その孫文の「夢」がいかにして実現されているのかを紹介していた。孫文は、「孫中山(スン・チョンサン。間違っても「ソンなかやま」と呼んではいけない。元サッカー選手みたいになる。日本語の名前も持っており、「高野長雄」というらしい)」という方がむしろ一般的のようである。

展示室に入ると、右手に大きな石板があり、そこには中華民国の「国民政府建国大綱」という、いわばマニフェストのようなものが刻まれていた。これはもちろん孫文が書いている。そこには、「この革命で、我々国民政府は、「三民主義」と「五権憲法」をもとに中華民国を成立させる」というような文言が書かれていた。その横には孫文の母親の写真などが並び、しばらく歩くと「いかにして中華民国国旗ができたのか」というような展示もある。そして、世界史を学んできた人にとっては少し感動的な、孫文が発行していた「民報」の第一号が展示されていた。

ここを回っていると、「夢」にかけた孫文の情熱が伝わってきて、台湾政府の思惑通りなのか、孫文にかなり好感が湧くようになってくる。そもそも、世界史の授業で出てきた孫文もかっこよかった記憶がある。夢にかけ、幾多の困難を超え、中華民国が成立したらしたで、分裂していこうとする中国をまとめようとしつつ、最後には「革命未だならず」の一言だけを残して死んでいった。その姿は理想に燃えつつも現実を直視し、最善を尽くしながらも現実の前に倒れ、強い心を持ちながらも、どこか切なさを感じさせた。そんな一人の男のいきざまというようなものを、よく分からない言語の展示(日本語もあったが、あえてあまり見なかった)を見ながら、思い出すことができた。

隣の展示室では、孫文の外交を描いていたが、その辺は(難しすぎて)よく分からず(ただ、下関条約の全文が読める形で展示されていたのは面白かった)、その先にあった中華民国の現在の姿の展示へと歩いて行った。そこは、「三民主義」、つまり、孫文の理想であり夢でもあり実現されるべきものである考え方を中心に展示されていた。

三民主義」とは、「民族」「民主」「民生」の三つのことを重視することを言う。「民主」のコーナーには、日本の投票所では考えられないくらいの厳重な投票所を模擬体験できる場所があった。そして「民生(人々の生活)」のコーナーには、バスや、電車網についての展示があった。面白かったのは「民族」だ。民族主義というと、第二次世界大戦後の世界に住む私たちは、なんとなくネガティヴな風に聞いてしまう。だが、そこの展示では違うことを言っていた。台湾は多民族国家だ。先住民、客家、日本統治時代以前からいたその他の漢民族内省人)、中華民国統治に切り替わってからやってきた人々(外省人)……。現代の民族主義とは、そのどれかを重視するのではなく、それぞれが共生することを目指すのだという。だから、(と展示はいう)台湾には、中国語のチャンネル、台湾語のチャンネルの他に、客家チャンネル、原住民チャンネルがあるのだという。なるほど。まあこれについてはカナダの話も含めて、またいつかこのブログで語りたいと思うが、なんとなく、台湾の「理想」というものを見たような気がした。

一通り展示室を回り、外に出た。初めにやってきた孫文像のある入り口とは違うところだった。わたしはバルコニーにあった椅子に座り、地図を開いた。地図上では「建設中」となっているスタジアムが、実際にはもう出来ていた。しばらくぼーっとしていたが、なんとなく歩き始めたい気分になったので、国父記念館をぐるりと外から一周してみようと思った。

少し歩くと、バルコニー部分で、若者たちがダンスをしている。やはり台湾の若者はダンスをしているようだ。こんなところでもやってのけるというのは面白い。中華民国の理想を見せつけようとする台湾政府の思惑(わたしはまんまと引っかかった)とは裏腹に、若者らにとってはあそこは格好のステージなのだ。思えばヴェトナムでも、「統一公園」という名前の公園の、ホー・チ・ミン像の前でデートをしたり、健康器具で体を鍛えている人たちがいた。そう、それでいいのだ。それぐらいがいいのだ。イエス・キリストは神殿の前で商売をしている人を叱責し、露店を破壊したというが、それは意味のないことだ。現に教会の前は市場になっていることが多い。理想や信仰というものは、生活とともにあるからこそ、生きた理想や信仰になる。最後に判断するのは、人々なのだ。ある意味、それこそが、「民族・民生・民主」なのかもしれない。

公園にはバリエーション豊かな格好の孫文像が並んでいる。握手しているか、手を振っているだけのホーチミン、犬を散歩しているだけの西郷隆盛とは大違いだ。まあ、その辺はいいだろう。

わたしは公園の部分にやってきた。緑がいっぱいだった。ヤシの木があり、池があった。池には台北101が映っている。なんとなく、自然と人工物、昔の台湾と今の台湾が共存しているような場所だった。わたしはとりあえず、ぼーっとしながら公園を歩いた。しばらく歩くと、わたしはお腹が空いていることに気づいた。そうだ。あの市場に戻るんだ。そして何かを食おう。わたしはそう思い、市場へと戻っていった。