読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Play Back〜ハードボイルド大学生活〜

ある大学生の日常をハードボイルドなエッセイ調に書く。

Fifteenth Night PART4

食べる 語学 台北2016

「Fifteenth Night」

一畳一間のホテルで休息を取り、外に出てみると、もう真っ暗になっていた。台北の夜は6時に始まる。

この日の夜はジャズバーへ行こうと決めていたが、ジャズの演奏は9時半からで、それまでの間は、昼に行った「臨江街夜市」の真の姿(夜バージョン)を見に行くことにした。お恥ずかしい話だが、台北滞在四日目にして、これが初めての夜市だった。初日は、夜市というには規模が小さい、ホテルのそばの謎の市場で食事をしたし、二日目は站前地下街という駅の地下街で夕食をとった。三日目はといえば、これもまた地下街だった。何もかも台風のせいだ。だが、あれはあれで楽しかったからよしとしよう。

紫色に怪しくライトアップされている台北駅からMRTに乗り、午前中と同じように淡水信義線「象山」行へと乗り込む。目的地はもちろん臨江街観光夜市のある「信義安和」駅だ。

駅から外に出ると、真っ暗である。どうやら朝とは違う出口から出てしまったらしく、どこへ行ったら良いのかわからない。ライトアップされた101が見えたので、そこを基準に来て、頭の中の地図をたどることにした。

ウロウロしているうちに、昼間見かけた繁華街「通化街」にたどり着いた。これは幸先がいい。ネオンで輝き、人で賑わう通化街。夜になると、店員達が店の外に出てきて、何やらバーベキューをしている。それはどこか一家団欒のようで、日本にはない文化だと思った。バーベキューの煙は、わたしの食欲をそそった。こういう時に、「何やってるの?一緒に食べてもいい?」というようなずかずかとした感じになれたらいいのだが、わたしはどうにもそんなことはできない。そんなわけでわたしは通化街をたどって、遂に、臨江街観光夜市にたどり着いた。

そこは相変わらず人でいっぱいだった。昼間はメインストリートから一本外れた道もかなり盛り上がっていたのだが、夜はメインストリートだけにしか人がおらず、どことなく寂しい雰囲気をたたえていた。だが、メインストリートはもうお祭り騒ぎだ。まるで日本の夏祭りのようである。フレッシュな果物のジュースを売る店、ソーセージを焼く店、焼き鳥を焼いている店、かき氷を売る店、そして訳のわからない洋服屋……日本人が年に3日ほどしかできないことを、この国の人たちはよくもまあ毎日できるものだ。

わたしは人混みに揉まれながら、やれ焼き鳥だ、やれ先住民伝統のイノシシ肉ソーセージだ、やれ北京羊肉串だ、と食べ歩きを重ねた。焼き鳥は、まあ、屋台料理だなという感じだったが、北京羊肉串は絶品だった。どうしてわざわざ台湾で、敵国の北京の名前を冠したものを食ってしまったのかというと、匂いがたまらなかったからだ。わたしはトルコ料理に目がない。トルコ料理では肉を焼くときにクミンという、ハンバーグにも使うスパイスを使うことが多いのだが、その匂いがプーンとしてきたのだ。もはや、食うしかない。わたしはクミンの香りが大好きなのである。案の定うまかった。イノシシ肉ソーセージの方はというと、なかなかおもしろい味がした。まずいという意味ではない。うまかった。ただ、独特なのだ。甘い風味があり、そして肉はかなりジューシー。臭みという臭みはなく、少々ワイルド感にはかけたが、食ったことのない味がした。

途中で、「羊肉飯」という文字が看板に書かれた食堂に入った。わたしは羊肉に目がない。臭みが嫌だという人もいるが、わたしはあの香りが好きなのだ。そういうわけで即決でこの店に入った。店に入る前に、メモ帳に「羊肉飯」と書き、店頭にいたおじいさんに見せながら、

「うぉーしゃんやお、じぇーが!(コレタベタイデース)」と主張してみる。するとおじいさんはメモをじーっと見て、

「ah! 你要羊肉飯!(ああ、ヤンローファンが食いたいんじゃな)」とにっこり微笑みながらいった。牛肉麺が「ニューローメン」、魯肉飯が「ルーローファン」だから、「肉」は「ロー」となる。すると、「羊」は「ヤン」というわけになるな。わたしはこくりとうなずき、席に着いた。店内にはどうやら現地人しかいないようだ。

しばらくすると、羊肉には珍しく淡白な色の薄切り焼き肉がのった丼が来た。肉を一口食べると味は薄い。なるほど、これはソースをかけるやつだなとわたしは判断し、テーブルに乗っていた赤い色の「食べるラー油」に似たソースをぽそっとかけた。

これが失敗だった。ひどく辛い。咳き込むほどに辛い。わたしは米の部分を多めにしながら真っ赤な魔のソースを食べきろうとした。

その時気づいた。丼はつゆだく状態になっており、椀の下の方に肉の旨みがたっぷりの汁が入っていたのだ。あれと絡めて食べればちょうどいい塩加減。やられた。

なんとかして赤いソースを処理し、椀の下にある汁を米と絡めながら食うと、すごくうまい。辛いソースのおかげもあって、食欲は全開で、より一層美味しかった。羊肉の臭みがないのは残念至極だが、まあ仕方がない。うまいからいいじゃないか。わたしは黙々と羊肉飯をかきこんだ。

帰り際に、はじめて、「真好吃(おいしかったです)」と言ってみた。本当に美味しかったし、店に入った時に笑顔で迎えてくれたのが嬉しかったからだ。ずっと一人だと、日本語での会話よりも、むしろ笑顔に飢えてくる。

対応してくれたのはおじいさんの奥さんだったが、すごく喜んでくれた。初めは外国人だと警戒してか、ずっと強張った顔だったものだから、なんとなくこちらも自然に笑顔になった。

外に出ると、月が見えた。折しもこの日は十五夜だった。日本も台湾も、同じ中秋の名月が照らしている。いや、もっと言えばモントリオールも、ハノイも、バンコクも、ホーチミンも、ホイアンも、ロンドンも、パリも、ローマも、ベルリンも、ミュンヘンも、皆同じ空の下、同じ月に照らされている。そう思うと中国語に疲れたなんだと言ってる自分はちっぽけだ。

台湾では中秋節は結構大事にされているようで、ニュースでも、かなり猛烈な台風後だというのに、取り上げていた。

しばらく、何往復も夜市を回った。また来たいと思った。毎往復ごとに雰囲気が変わる。それは、例えば店が開いたり、あるいは閉じたり、人が増えたり、あるいは減ったりするからだ。夜の9時になるとそろそろ下火になるようで、人も減ってゆく。わたしはそのあたりで、またまた愛玉を飲んで、駅へと向かった。そう、ジャズバーへと向かうためだ。

 

台北市MRT淡水信義線の最終駅「象山」駅から徒歩5分くらいのところに、そのジャズバーはある。101のお膝元という感じで、ライトアップされたこの現代台北の象徴がそびえ立っているすぐそばに行けばバーが見つかるはずだ。ただし、入り口はわかりづらい。バーのある建物の裏口のような場所に入り口があるのだから困る。

バーに入ると、演奏はもう始まっていた。どうやらラテンアメリカのジャズ特集らしく、パナマ帽をかぶったボーカルが、スペイン語の歌を歌っている。雰囲気はさながら「マスク」で、アップテンポの音楽が流れる中、ステージのそばでは男女が踊っていた。

いきなりバーに座っていいものかわからず、バーテンに聞いてみるも意思疎通ができず、何とかして思いを伝えると、テキトーに座れという。

バーに座り、メニューを受け取る。が、メニューがよくわからないので、とりあえず、「オールドファッション」を頼んだ。出てきたものを飲んでみると、どうやらウイスキーベースのものらしい。

オールドファッションをちびちびやりながらアップテンポのラテンミュージックを聴く。それは旅のちょっとした疲れを癒す時間でもあった。ただ、店が広いのと、隣の客がかなり酒が回ったまま喋っているのとで、なんとなくミュージシャンとの一体感というものは感じられなかった。だが、エネルギッシュな音楽はわたしのエネルギー源になってくれていたような気がした。踊りたいような気もしたが、そもそも踊り方をよく知らないし、若造が誰か女性を誘うのも場違いな気がしてやめた。わたしはとりあえず、ラテンな酒をと、ダイキリを頼んだ。なかなか通じず大変だったが、最後にはありつけた。

 

つかの間の贅沢の後、わたしは帰宅の途に着いた。終電の時間もバッチリ調べた。これで平気だ。バーを出ると、空は晴れて、月の明かりがよく見えた。

MRTに乗り込む。客数は夜中なので少ない。しばらく電車に乗っていると、一人のおじさんが入ってきて、わたしに何やら声をかけてきた。どうやらわたしの隣の席にレシートが落ちていたようなのだ。わたしのものではないので、とりあえず首を振るが、まだ何やら言う。全くわからない。わたしは、

「うぉーぶぅほあいすゅえ、はんゆー(中国語シャベレマセーン)」

と言った。すると、しゃべっとるやないかい、という顔をおじさんがしたので、これはまずいぞ、と、

「I'm foreigner(スミマセン、ワタシ外国人)」と英語で伝えた。するとおじさんは、ハッとして、

「So you are nether Chinese nor Taiwanese (アナタハ中国人デモ台湾人デモナインデスカ)」

よく、わたしは現地人に間違えられる。到着双方中国語で話しかけられたし、故宮にいくためにバス停に並んでいた時もそうだった。しかたない。そういう星のもとに生まれたのだ。

「No (はい、違います)」

するとおじさんはこういう。

「Then...(それじゃ……)」

日本人だというと何か危ないことに巻き込まれるかもしれない。一瞬そう思ったが、おじさんに下心はなさそうだったし、わたしは日本人だと言った。するとおじさんは再びハッとした表情になり、

「日本の方ですか!」

話を聞くと、日本語を四年間勉強していたという。今はコリア語をやっているらしい。

「学生さんですか?」とおじさんは流暢な日本語で尋ねた。本人曰く日本語は全然ダメらしい。「日本語は曖昧だから難しい」と言っていた。わたしの経験上、日本語がうまいですねと聞いて、全然、と答え、日本語は曖昧で難しい、という人はたいてい日本語がかなりうまい。答え方まで知っているのだから。

「ええ。」

「一人で台北に来たんですか?」

「はい、一人です」

「危なくないですか?」これには驚いた。というのも、台北はかなり安全だったから、市民の人も安全だと思っているに違いないと踏んでいたからだ。

「いえ、今のところ平気です。人は優しいし、食べ物もおいしいし、とてもいいところです」そう、率直に感想を言うと、おじさんは嬉しそうだった。

「今日は、中秋節です」とおじさんは言う。「中国では、月を見るお祭りです」

「日本もそうですよ」とわたしは言った。

「そうですか。日本では何かやるんですか?」

「はい。日本では団子を食べます。団子の形が、月に似ているからです」

「台湾では……」おじさんは言った。「 みんなもう月は見ません。今はみんなバーベキューをします」

そうか。夜市に行った時に店の人たちがみんなでバーベキューしていたのは、中秋節のお祭りだったのか。それは知らなかった。やはり、現地に住む人に話を聞いてみないとわからないことってあるな。わたしはそうしみじみと思った。

「日本でオススメの場所はありますか?」とおじさんが尋ねた。わたしのオススメの場所というと、上野や大久保、荻窪などだが、ちょっとマイナーすぎる気もしたし、上野のアメ横の界隈はむしろ台湾っぽいのでやめた。

「京都に行けば、古い町並みが残っています」結局わたしは当たり障りのないことを言った。

「古い町並みといえば、萩が良かったです」とおじさんは言う。申し訳ないことをした。萩なんて、わたしも行ったことがない。京都ではなく、正直に上野と言うべきだった。

「台北のオススメの場所はどこですか?」と逆に聞いてみると、京都と答えた報い、「故宮博物院」と「士林観光夜市」というかなり有名どころを紹介された。と言っても、士林には行っていなかったのでいい情報にはなった。

「士林は夜になるとたくさんの人たちがやってきて、とても賑やかな場所です」とおじさんは言った。そういうところに行ってみるのもありかもしれないと思った。

そのあと、わたしはオススメの食べ物を聞いてみたが、悲しいかな、おじさんが考えてくれている間に電車は台北駅に到着してしまった。わたしは、「ありがとうございました」と礼を言って、駅に降りた。

 

思えば不思議な日だった。昼の夜市、国父記念館、ジャズバー探し、そして夜本番の夜市、ラテン音楽で賑やかなジャズバー、それからプチ国際交流。いろんなことがあった。これこそまさに旅。こんな1日になったのはもしかすると、それは十五夜のおかげかもしれない……などと感傷的なことを思いつつ、今日1日で日本で両替した一万円分の軍資金がすっかり消えたことに気がついた。