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旅、映画、食べ物、哲学?

旅することは動き続けることではない PART2

「タイペイ・ダック、あるいは変わらぬもの」

台北駅へと引き返したわたしは、一つの疑念に心惑わされていた。それは、両替ができるかもしれないただ一つの希望の光である「三越」も、中秋節で休みなのではないか、ということだ。三越といえば、日系企業。さすがに休みということはなかろう。しかし万が一ということはある。

駅から出て、急ぎ足で、見慣れた街を歩く。三越台北駅の巨大な駅舎の目の前にある。目印は日本でもおなじみのライオン像である。

案の定、デパートは空いていた。中に入るとブオッと冷房の空気が体に当たる。そして化粧品と香水の匂い。まさかこの旅でデパートに入るとは思ってもみなかったが、背に腹は変えられない。わたしは両替する場所を探した。それは案外簡単に見つかった。インフォメーションセンターの隣にあったのだ。わたしは一万円を取り出し、カウンターに近づいた。するとどうだろう、カウンターの丸顔の女性はすぐに日本語で、「両替いたします」と声をかけてきたのである。

わたしは、はい、と答えて、一万円札を手渡した。だが、ふとわたしは、一万塩分も必要ないんじゃないかと思い、「すみません、五千円分だけ両替できますか?」と聞いてみた。すると女性は、「お釣りが出ません」と答えた。しかたあるまい。これもまた運命だ。わたしは一万円分両替してもらった。

両替をしたら、なんだか疲れてしまい、わたしは一旦ホテルに戻った。そこでしばらく無音テレビの映像をぼーっと見た。台風14号莫蘭蒂の影響はまだ凄まじく、南部の大都市高雄では浸水しているようだ。浸水した街で、十五夜のバーベキューを健気に行う一家の映像が放送されていた。一方で、台風16号馬勒卡が台湾に近づいている。どうやら速度は遅くなっているようで、襲来はこの日の夜か、次の日になりそうであった。できれば夜のうちに去って欲しかったが、それは無理な相談のようだ。まあ先のことで悩んでも仕方ない。今日という日を楽しもう。お腹が空いたので、昼食を食べがてら「慶康街」に行ってみようと、ホテルを出た。

 

その町は、「台北の代官山」という触れ込みだった。わたしの叔母の触れ込みだ。だが生憎わたしは東京の代官山に行ったことすらない。とにかく、おしゃれな、ナウいところなのだろう。そういうところが好きなわけではないが、行ってみるのもアリだと思ったのである。いろいろ行ってみたが、そういう若者たちのスポットを見ていない。見てみたいと思ったのだ。もしかすると、そこに行けば日本に興味がある人たちがいて、会話ができたり、中国語を教わったりできるんじゃないか、という淡い期待もあった。人間的な繋がりに、少しだけ飢えていたのかもしれない。

再び「東門(ドンメン)」駅に降り立ち、わたしは「慶康街」へと向かった。秋は明らかに他の駅と雰囲気が違った。「CNNテレビ」にも注目されたというかき氷展の宣伝がでかでかと掲げられて、街の香りもなんだか甘ったるい。今までの八角の香りが漂うアジアの町の香りとは打って変わっている。

街並みもかなり違う。マンゴーフレーバーのかき氷を各地で売っており、くだんのCNNの店にはものすごい行列があった。そういえば、慶康街を勧めてくれた叔母はこの店に行ったと言っていたような気がする。

だが、これは男一人旅だ。ワイルドさが売りである。そんなマンゴーのかき氷などに行ってたまるか。こんな若者のトレンドが集まってそうな場所にも普通の人の普通の生活を見出すのが、男の仕事だ……

などと言いながら、正直、Tシャツにジーパンという出で立ちだったため、シャレオツな服装の若者だらけのかなり周りからは浮いていて、早く今まで通りの大衆的な空間に戻りたかったという動機があったことは隠せまい。

老舗の牛肉麺の店、かき氷屋、などいろいろな店があるが、如何にもこうにも入りづらい。客がみんなシャレオツなのだ。こういうところに来たからには、テレビで紹介されそうな綺麗めの店に入るほかないのか。わたしは半ば諦め気味で、慶康街を歩き回った。

少し、外れたところを歩くと、何軒か大衆食堂があった。観光客などはなから狙っていないようなボロくて無機質で少しだけ汚い店。ほとんどの店先には、鳥の丸焼きが吊るされていた。そして、注文するカウンターあたりには人が群がる。やはりあるのだ。どんなところにも、人の生活はあるもんだ。わたしはそのうちのどれかに入りたいと思った。だが、体が疲れていてなかなか入ろうという気にならない。一旦通り過ぎてしまった。

だが、その界隈から遠ざかるほどに、わたしの脳裏に鳥の丸焼きが浮かんで離れない。絶対に後悔する、絶対にあの鳥を食えばよかったと思う……そんな心の声が聞こえてくる。わたしは引き返して、勇気を振り絞り、割と混雑していたとある大衆食堂に入った。

わたしの前に、台湾人のおばちゃんが並んでいて、何やら弁当を頼んでいた。弁当の中身を見ると、どうやら鳥を焼いたものを込めにのっけたもののようだ。

おばちゃんの注文が終わり、店を切り盛りする夫婦の視線がこちらに向いた。わたしはとりあえず、拙い

「うぉーしゃんやお(クダサイ)」

を発動し、おばちゃんの買った弁当を指差した。だが、店の女主人は、まだ何やら聞いてくる。何を聞かれているのかわからないので首をかしげると、女主人は店先につる下がってるいろんな種類の鳥を指差し始めた。なるほど。鳥の種類が選べるのか。わたしは一番でかい、一番グロテスクな格好で渡る下がっている鳥を指差した。どうやら鴨らしい。

金を支払い、わたしは奥の方のテーブルについた。この界隈に外国人がくるのは珍しいようだ。女主人はわたしの様子を見て、「まずいわね、あたし英語も日本語も喋れないわよ」という笑みを浮かべていた。客層も常連の台湾人ばかり、という感じで、本当に大衆的な店、という感じがする。なんとなく、おしゃれに変わってゆく街の中に残る、変わらない生活文化の空間に紛れ込んだような気がして、わたしは嬉しい気分になった。これで食事もうまければ、最高だろう。

食事が来るのを待っていると、おっさんがやってきて、何も言わずにわたしの座っている席の左前に座った。こういう相席文化はいい。知らない人と、言葉を使わずとも家族になれるようだ。おっさんはすぐに立ち上がり、そばにあったジャーから何やらお茶のようなものを紙コップにそそぎ、近くにあった鍋からスープを紙のお椀に注いで、テーブルに置いた。なるほど。そういうサーヴィスがあるのか。わたしはさっと立ち上がり、おっさんがやったように、スープとお茶を注いだ。スープはかき玉のスープで、コーンが入っていた。ほんのりした甘さと卵。味は標準だったが、暖かかった。お茶の方はというと、なぜか甘茶である。だが甘さはそこまできつくなく、悪くはなかった。わたしはあまりお茶に砂糖を入れない(紅茶でも)が、そこまでひどいものではない。

しばらくして、これまた紙製の、弁当箱のようなプレートが運ばれてきた。真ん中には白米、その周りには野菜炒めと、例の鴨肉がボンとおかれ、漬物もあった。早速肉をパクリと食べてみる。なかなかうまい。皮はパリパリで、中はホクホクしていて、鴨の香りがほんのりとする。米と一緒に食べるととてもうまい。表現するのが難しいが、すごくうまかった。羊肉飯を超えて、台北滞在中に食べた最もうまい料理にランクインされるくらいの味だった。さすが、店先に吊るしておくだけのことはある。

あっという間にペロリとわたしは弁当を平らげ、締めにもう一度甘茶を飲んだ。左隣のおっさんは出て行く時に会計をしていたが、わたしはもう会計を済ましていたため、そのまま出て行った。出際に店主のおばさんとおじさんに、「はおちー、しえしえ(オイシカッタデス、アリガトゴザマス)」と告げた。告げたくなるくらいのうまさだったからだ。するとおばさんはいままで、わたしを外国人だと警戒していた顔を少しほころばせて、「謝謝!(ありがとね)」と答えた。うまい料理はやはり、人の心をつなぐようだ。それもこれも、この古そうな店がずっと変わらずにいてくれたからだろう。

灼熱の外へと出て、わたしはそろそろ「慶康街」を出て行こうと思った。昼食も済ませたことだし、これ以上はもういいだろうとふと思ったのである。次の目的地は、珍しく決めていた。それは、「行天宮」という場所であった。