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Play Back〜ハードボイルド大学生活〜

ある大学生の日常をハードボイルドなエッセイ調に書く。

旅することは動き続けることではない PART3

「フィールドワーク」

行天宮というのは、「関帝廟」の一種である。といわれても、「関帝廟」ってなんだろう? 関帝廟というのは、三国志で有名な関羽を武功と商売の神として祀る神社だ。関東に住む日本人にとっては、横浜中華街にある「関帝廟」が有名だろう。あそこもまた、関羽を祀っているというわけである。古代ローマ(皇帝は死後に神格化された。しかもそれは別にそこまで異常なことではなかった)や日本(豊臣秀吉徳川家康は神になっているし、各家の先祖も神にしてしまう)と同じく、台湾などの中華文化圏では死んだ人間を神として崇める風習があるようだ。新井白石は、

「神とは人間のことだ。日本では普通に尊敬する人物のことを「加美(かみ)」と呼ぶ。今も昔も同じ言い方である。これは「尊尚」の意味だと考えられる。現在、字をあてる段になって、「神(かみ)」と「上(かみ)」の違いが生まれた」

と言っている。本当は「神」と「上」は別の語源を持っているらしいので、この論は誤りだそうだ。だが世界各地に人を神にする信仰が残っているのも事実。もしかすると、人間を神と捉えるやり方は、人間にとってかなり自然なやり方だったのかもしれない。旧日本軍のとあるパイロットを神として崇める地区が台湾にはあるそうだ。

まあ、そんな堅苦しい話は放っておいて、わたしは行天宮にやってきた。行天宮は、台北の北の地域にある。五日目に至って台北という町がどんな風に構成されているかわかってきたのだが、行天宮の界隈に入ったことがなかった。

 

台北はだいたい北部(主に松山新店線以北)、中部(主に板南線沿線)、南部(主に淡水信義線沿線)の3つに分けられる。西のはじには「淡水河」が流れていて、それが台北中心部と郊外部を分けている。

南部は、淡水河の隣から順番に、「龍山寺(ロンシャン)」を中心とした下町エリア、「西門町(シーメンディン)」という若者スポット、その隣は我らが2畳一間のホテルがある官庁街・博物館・台北駅があるごちゃっとしたエリア、次が「慶康街」と「中正記念堂」のあるエリア、そして国父記念館と臨江街夜市のあるエリア、そして台北101やらジャズバーのある再開発エリアがある。この辺りは西の端にある若者エリアと下町エリア以外は回ったことになる。

一方の北部はというと、淡水河の隣から順番に、故宮博物院や士林観光夜市のある士林地区、行天宮などがある地区、それより東側は全体を「松山空港」が占めている。この中で行ったことのなかったと、それが行天宮のエリアだった。だからここにやって来たわけだ。(なお、台北の中部は結局あまり行かずじまいだった。松山空港から台北駅へと向かう電車の乗り換え駅「忠孝復興駅」や、ジャズバーを探したときに迷い込んだ界隈、あとは国父記念館も中部に属しているようだ)行ったことながないなら、制覇してみたい。それが男のロマンである。それに、宗教の場には、その土地の人間性がどことなく現れる。それを見てみたかった。一歩でも、近づいて見たいのだ。

 

わたしは「慶康街」のある「東門(ドンメン)」駅から、初めて乗る「中和新蘆線」に乗り込み、目的地のある「行天宮(シンティエンコン)」駅へと向かった。

降りてみると、意外と遠い出口から出たようだ。まあいいだろう。天気もいいし、昼食もうまかった。まだまだ、1時半。一日はまだまだある。

だが、やはり灼熱である。雲一つない天気は、すなわち、遮るものが一つもない焼き討ちのような天気を意味している。日差しに圧倒されながら歩いていると、不思議な日本風の建造物群を見つけた。今回の旅のモットーは、「考えるな、行動しよう(初出)」である。だから、わたしは気になるものがあれば行くことにしている。こうなったら行ってみるしかない。

結論から言うと、そこはおそらく、葬儀場であった。ズカズカ入るわけにもいかず、外から見ただけだったが、その敷地は異様にでかかった。そういえば、中国の宗教ではどのように葬儀を執り行うのだろう? 日本だったら火葬だし、西欧であれば土葬が主流。こちらではどうなっているのだろう。ふと気になったが、知るすべもないので、わたしはその巨大な葬儀場に沿って歩き、行天宮の方へと向かった。

途中、喉が渇いたのでコンビニに寄った。五日目となるともう、台湾のコンビにも慣れたもんだ。言葉は分からないが、流れがわかってくる。まず、「ニーハオ」といって商品をレジに置く。店員がピッとやって、何やら聞いてくる。だいたい、「袋はご利用ですか?」か「ポイントカードはお持ちですか?」である。わたしはとりあえず首を横に振る。すると店員が値段を言う。聞き取れないから、モニターを見るか、値段を覚えている商品だったら、それをおもむろに出す。弁当を買うと、そのあとでかならず「あたためますか?」と聞かれる。そして、コンビニの流れは終わりだ。日本とだいたい同じ。無機質で、機械的な空間である。心躍るものではないが、中国語に疲れた旅人にとってはちょっぴり優しい。

買ったのは、赤いパッケージの烏龍茶だ。台湾に来てから、昼はこの烏龍茶、夜は台湾ビールというパターンになってきている。それだけこの烏龍茶はうまいのである。初日に発見したやつだ。日本でもぜひ出して欲しいと思う。大抵25元。日本円にすれば100円だ。烏龍茶の名産地なだけあって、香り高く、程よい苦味でうまい。

しばらく灼熱の中を歩き、わたしは行天宮にたどり着いた。行天宮前のバス停は木造で、風情を醸し出している。一般の人が集うというより、もはや観光地化しているのかもしれなかった。「飲食禁止」とでかでかと掲げられていたため、わたしは烏龍茶を手に持っていたビニール袋に入れて、警備員に守られた入り口から行天宮に入った。

 

中は日本の神社と同じような空気感があったが、建物はやはり中華風だった。ウスターソースに似た感じの、ヴェトナムでも嗅いだ、あのお香の香りが漂い、社殿は竜宮城のように装飾で彩られている。入ったものの、どうしたらよいか全くわからないので、渡場前にいたおばあさんについていった。

おばあさんはまず手を洗った。日本の神社でも、本来は清めるために手を洗い、口をゆすぐ。伊勢神宮などでは未だにやっていて、少し前に「お伊勢参り」をしたとき、同じことをした。行天宮では、思い切り水道だったが、わたしは蛇口をひねって手を洗った。なるほど。どこも同じのようだ。思えばカトリックでは、聖水に手を浸し、十字を切る。水というものは独特の神秘性を持っているのかもしれない。ほら、古代ギリシアの哲学者タレースはこんなことを言っている。「ἀρχη δε των παντων ὑδωρ(万物の根源は水である)」と。

と、ここでおばあさんを見失った。周りを見回すと、手を洗った人は皆、なにやら給湯器のようなところでお湯を紙袋に入れて飲んでいる。よくわからないが、もしかすると口をすすぐ代わりなのかもしれない。面白い信仰手段だ(のちに、同じものを空港で発見し、わたしの両親に聞いてみたところ、昔は日本にも紙にお湯を入れて飲むところが結構あったらしく、別に宗教的な何かではないことが判明する)。

わたしはとりあえずお湯を紙袋に入れて飲み、なんとなく神聖な気分に浸りつつ、他の人たちと一緒に本殿の中へ入った。

観光地化しているかと思ったが、祈る人たちもかなりいた。あたりはお香の煙で充満し、人々はそれぞれが本殿の奥の方か、入り口側を向いてひざまづいて、祈りを捧げていた。どうやら両方に神がいるらしい。しばらくその様子を見ていると、人々はまずひざまづき、ブツブツと何やら願いことなのかお経なのかよくわからないが、言葉を唱え、次に手を合わせてそれを上に突き上げ、それからお辞儀をし、その動作を3回ほど繰り返し、おもむろに立ち上がって、祈りを終えていた。

祈りにはパターンがある。

かつてモスクに行ったことがあるが、あそこでも順序に従って何かをしている。前でクルアーンを読み上げる人がいて、周りにいる人たちは立ち上がり、座り、お辞儀をし、もう一度立ち上がる。それがなんども続き、祈りは終わる。キリスト教だってそうだ。カトリックの祈りはまるでコールアンドレスポンスだし、プロテスタントだって、祈りの形式というものがある。神道では、「二礼、二拍手、一礼」で参拝する。それは形式に合わせることで、他の人と一体化できるからかもしれないし、祈り以外のことに集中しないためかもしれないし(初めのうちはパターンばかり気になって仕方ないだろうが、慣れれば逆に集中できるのではないか)、非日常の空間を演出するためかもしれない。わからない。きっといろいろな理由があって、あるいは、いろいろな「なんとなく」が重なって、人々は形式の中で神に祈るのだろう。あるいは、形式に神が宿るのかもしれない。「はじめに言葉があった。そして言葉は神と共にあった。そして言葉は神であった」言葉は、形式ともいえる。

またも堅苦しい話になってしまった。

 

行天宮のすぐ外には、吉林通りという通りがある。そこの界隈の地下には、「占い横丁」なるところがあって、占い師がたくさんいる。だが、バックパック一つの男一人旅に、占いなんてものは必要ない。自分の足で、未来を切り開くのだ。

とはいっても、そんな怪しい界隈、ちょいと見てみたくなるのも事実。わたしはとりあえず占い横丁を見てみた。入ってみると大したことはない、数件の占い屋がちょこちょこっとあるだけだった。わたしは地上に戻り、吉林通りをうろつくことにした。

吉林通りはまるで日本の昭和のような街並みだった。それも、昭和初期だ。看板が並び、広い道を車が走る。時間帯のせいか、かなり閑散としていて寂しげだったが、そのノスタルジックな雰囲気は面白かった。

一歩裏通りへと入ると、市場が広がっていた。花を売っているらしく、たくさん花が軒先にあった。台湾に来てから花屋を始めてみたかもしれない。狭い道をトラックが亜走り、花以外にも、竜眼などを売る人々もいる。ここでは随分とゆっくりと時間が流れているようだった。市場の入り口にある赤いぼんぼりが、青い空に映えて美しい。わたしは気分良く町歩きをした。

さて、次はどこに行こう。ここもいいが、もう少し人と関わりたい。一人旅をすると人を求めるようになる。だが、占いをするつもりはない。わたしは若者スポットの「西門町」に行こうかと思ったが、そのそばには、蛇の肉を喰わせるというディープな夜市があるらしいので、それならもう少し日が落ちてから行ったほうがいいだろう。とりあえず、わたしは行天宮駅に降り、路線図を見た。するとある言葉が目に飛び込んできた。それは、「中和新蘆線」に「東門」とは逆方向に乗って、淡水河を超えたところにあるという地名だった。

その地名は、「三重」という名前であった。