Play Back

旅、映画、食べ物、哲学?

旅することは動き続けることではない PART5

「旅することは動き続けることではない」

台湾は、「親日国」で知られる。どういう風の吹き回しかはわからないが、台湾の方々は、東アジアの海に浮かぶ優柔不断で調子に乗りやすいしょうもないあのJで始まる島国のことを、それなりに認めてくれているらしいのだ。

わたしはその辺の事情も知りたかったので、「西門町(シーメンディン)」に向かった。そこは日本好きの若者が集まると噂の場所であった。前日の夜、日本語をしゃべるおっさんと電車内で話したせいか、無性に誰かと交流したくなっていたのも一つの理由かもしれない。

それにしてもこの日は動きすぎている。今日のお前はどうかしてるぜ、と自分に語りかけたいほどだ。灼熱の中、「中正紀念堂」へ行き、一度台北駅に戻ってから、慶康街というシャレオツスポットへ。そのあとは名前が面白いという理由だけで、台北郊外のエネルギッシュな街「三重」へと向かった。そして、そう、そして今、地下鉄を使って「西門町」へ向かう。「西門町」は、台北の左端を流れる淡水河の右岸の南部地域にあり、左岸の北部地域にあった三重からはわりかし遠い。

西門町についたとき、日はもう暮れかかっていた。夕日の三歩手前くらいの空の下、わたしは若者街に繰り出した。

 

西門町の雰囲気は確かに他の地区とは違った。とにかく人がたくさんいて、街の雰囲気は秋葉原やら原宿やら渋谷の路地やら上野やら中野やらを混在させたような形になっていた。台湾の街というよりも、日本の街である。かおりも、駅前地区の臭豆腐やらなにやらの匂いではなく、クレープの匂いがしてくる。軒を連ねる店ではTシャツやフィギュアを売っている。

そうは言ってもわたしは日本のアニメを全く知らないし、ゲームもマリオくらいしか知らない。漫画は読むが、『聖☆おにいさん』『チェーザレ』『テルマエ・ロマエ』『プリニウス』『ヒストリエ』……と違う意味でのオタク系漫画(歴史オタク、である)しか読まない。だから店に入ってもどうすることもできないし、別に入りたいとも思わなかった。そんなんだから交流らしい交流なんてものもできるはずはない。

そんな状態のまま、わたしは自分の足、そして目元のあたりから押し寄せてくる疲れを感じていた。このままでは持たない。何か甘いものが欲しい。今回の旅で初めて感じた欲求だった。わたしは「台湾旅行でスイーツまで食べたら女子旅になってしまう」という悲しすぎるジレンマを抱えつつ、スイーツ屋を見て回った。せっかくだから、かき氷にマンゴーソースをかけたものを食いたかったが、どうやら一人で食べきれる代物ではなさそうだ。だが、マンゴーソースをかけたかき氷(芒果冰、とか言ったと思う)のことを考え続けた結果、自家製サブリミナル効果のせいでマンゴーが欲しくなってしまった。だからわたしはマンゴー専門店に入り、フレッシュなマンゴージュース(芒果汁)を飲んだ。これはなかなかうまかった。確かに喉の渇きを潤すことはできたし、糖分のおかげで幾らか疲れは和らいだと思う。

外に出ると、ストリートミュージシャンが何か音楽を奏でていた。現代風の曲で、きっと愛を語っているんだろう。何を言っているかわからなかったが、ふと聞いていたくなった。わたしはそばにあったベンチに腰掛けた。座ると疲れがどっと押し寄せてくる。

 

どうしてこんなにも今日は歩いたんだろう。今日の旅のあり方は、質の代わりに量を追い求めるような代物だった気がする。とにかくいろいろなところへ行き、いろいろなものを見る。だが、深いつながりを作りはしない。わたしがよくやってしまっていたやつだ。今回の台湾ではそれをやらないようにしたかったのだ。それなのにどうしてだろう? 太陽は沈み始め、空はオレンジ色、ストリートミュージシャンの歌声が響いている。

あせり。そう、その三文字に尽きるだろう。明日は台風がやってくる。そして明後日には台湾を離れねばならない。台湾という国に馴染み始めたという段階で、するっと帰ってしまうのが嫌だった。だから焦っていた。なんでも見てやりたかったのだ。それはいつも、少ない日程の中でとにかくいろいろなところを歩き回る心情と同じだった。だが、それだけではない。おそらくわたしはうちへ内へと入っていたのだろう。初日はとにかく中国語を使おうとしていたが、今や店に入るのも最低限だ。元が「内向的」というふうに分類されるであろうパーソナリティーを持つわたしだから、うちに入ってしまうのも速い。だがそれではつまらない。冒険するために台北に来た。これで終われるか。そういう気持ちが多分、またもわたしを焦らせているのだろう。悪循環である。だが、始まってしまったら抜け出せぬのが悪循環でもある。

 

わたしはその後、西門町をぶらつき、一駅先の「龍山(ロンシャン)寺」に降り立った。そこには、ディープと言われる市場があるらしかった。蛇の肉を喰わせるらしい。そんなところに行けば疲れもとれるかもしれないと思った。だが、日本の商店街と同じ作りになっていたその市場は、日本の商店街と同じく客が少なかった。しかも、中秋節のせいか、家族連れが多い。わたしはなんとなく入りづらく、ちょっとした孤独感を感じてしまった。旅の疲れの中では、ちょっとしたことで心が揺り動かされる。

わたしはここじゃダメなんだと思い、一番賑わっているという「士林市場」に向かうことにした。それは北部にあって、かなり遠かったが、わたしはそこに向かった。案の定そこはものすごいエネルギーに満ちていた。ありえないくらいの人が集まり、歩くこともままならない。わたしはそのエネルギッシュさに触れて一度元気を取り戻した。そして地下にある食堂で、日本で一度食べて、台湾でも食べたいなと思っていた「担仔麺」をついに食した。うまかったし、ビールにあった。それから市場に戻ってマンゴーを値切ったりした。だがしばらくすると、なんとなく疲れが戻ってきて、わたしはMRTに乗ってホテルへと戻った。帰ってきて、すぐに寝てしまった。

 

動き続けることは旅することではない。まして、動き続けることは生き生きしたことではない。旅とは生き生きした中で進まなければつまらない。だから時には休み、ほんの小さな喜びを探すことに集中することが必要なのかもしれない。