Play Back

旅、映画、食べ物、哲学?

台風の日〜馬勒卡の巻、あるいは本当の旅〜

幸福は災難の内にあることがある。むしろ災難が起こるからこそ、幸福なのかもしれない。

台風16号「馬勒卡」がフィリピン沖に発生したのは、わたしが台北について間もなくのことだった。台風14号の影響がどれほどか、それを不安に思いながら始まった旅だったが、まさかここでもう一つ発生するとは思いもよらなかった。要するに、私は一週間の旅の間に、なんと二つの台風に直撃されるという体験をしたのだ。

1度目の台風は、台北にはたいして爪痕を残さずに過ぎ去った。ただし、台湾の南側にある「高雄」などの都市はかなりの被害を被っており、テレビのニュースでは連日そのことを報じていた。それもそのはず、台風14号「莫蘭蒂」は、台湾南部を直撃したのだ。そして北部は少しかする程度だった。

だが今回の16号「馬勒卡」は違った。台湾北部に直撃するのだ。

どんな有様になっているかと怯えながら朝目覚めたが、窓の外はたいして変わらない台北駅前の街並みが広がっていた。天気は悪い。そして風は少しあるようだ。とりあえず着替えて、朝食のサンドイッチを食い、コーヒーを飲んだ。わたしは少し外を見て回ろうと思った(※良い子は真似しないでね)。

外に出ると、「ああ、台風だな」という感じの生暖かい風が吹いていた。だが雨もひどくはなく、時折やむ。遠出をする気にはなれないが、少し見て回ろう。台北の建物は、二階以降の部分がせり出していて、一階部分には雨風太陽光を防げる回廊のようなものがその代わりに存在するので、こういう日でも雨を防ぎつつある程度までは歩いて行ける。

驚いたのは、前回の台風の時は見られなかったが、今回はわりとシャッターを閉めている店が多かったことだ。もしかすると、今回の台風は尋常ではないのかもしれない。わたしは咄嗟にそう思った。ある程度歩いてみると、やっているのは、一度は行ってみたいと思いながらも入ったことのなかった旨そうな朝食定食屋だけである。それ以外はみなシャッターが下りていた。

公園の方に出ると、風邪のせいで木の葉っぱが随分と落ちていた。そういえば前回の台風の時はこの公園にある博物館に入ったなあ、などと回想に浸りながら、わたしは公園を一周した。

目に焼き付けておきたかったのかもしれない。なにせ、明日には台北を離れるのだ。一週間の間、一人住んでいた台北を、だ。思えば短かった。まだやり残したことだらけだ。例の朝食店にも行っていない。

風が強くなってきたので、わたしは戻ることにして、昼食用にと行きつけになっていたセブンイレブンで「新国民弁当」なる謎の弁当を買って帰った。その弁当には、みんな笑顔で弁当を頬張る学生、工事現場の人、農家のおばさんなどが荒い油絵タッチで描かれていて、妙に「社会主義感」が漂っていた。台湾に社会主義感、など、あっていいはずはないのだが…‥。

少し寝て、起きてみると、外の雨が強くなっている。テレビをつけると、台風情報をやっていたが、「せっかく朝から休みにしたのによう、全然雨風強くないじゃねえの! おかしいぜ、この野郎!」というようなことを言っていそうな市場の屋台のおっさんが写っていた。わたしは新国民弁当を食べた。味はなかなかいける。いや、かなりうまい。鶏肉、夜市で食べた甘い味付けのソーセージ、米、野菜炒め、と中身は至ってシンプルだが、かなりのクオリティーである。

わたしはために貯めてあった洗濯物を、コインランドリーに打ち込むべく上に上がった。前回の台風の時、ホテルの人に教えてもらったから、使いこなせるはずだ。わたしはとりあえず洗濯機に全部ぶちこみ、部屋に戻り、しばらく読書した後、乾燥機に入れるべく上に戻った。だが、乾燥機の使い方がいまいちわからない。この前はホテルの人が全部やってくれたのだ。やり方を見ていたのだが、いまいちわからなかった。はて、困った。そういうわけでわたしは何度か乾燥機を回し、結局生乾きのまま服を持ち帰ることになる。

雨が再び弱まったので、わたしはまた散歩に出かけた(※台風の時は外に出てはいけません)。

行ったことのない界隈に行きたかったので、わたしは足を踏み入れたことのなかった、ホテルのある大通りの左側へと歩いて行ってみた。

やはり多くの店は閉まっている。徐々に感づいたのだが、これは台風のせいなのか、中秋節のせいなのか、実はわからないのだ。中秋節で銀行が閉まっていたくらいだから、後者の可能性も高い。

といっても、石畳や昔の町並みを残している道(大正モダンの雰囲気がある)や、ゴテゴテで派手なおそらくイタリア系の店など、見たことのないものにたくさん出会えてかなり楽しい散歩になった。霧雨のような雨が吹きつけてきたが、蒸し暑いから逆に気持ちいい。最後の最後で、しかも、台風の最中に、本当にやりたかったことをしているような気がした。

大通りに戻ると、おしゃれな本屋を見つけた。わたしは入ってみることにした。中に入ると冷房が気持ちいい。

市場にはその土地の人々の生活が詰まっている。そして書店にはその土地の人々の思考が詰まっている。どれくらいの人が、最近日本の語学書コーナーで、ラテン語の本が増えていることを知っているだろうか。もしかすると、いつの間にやら「英語じゃなくてラテン語を学ぼう」なんてことになっているかもしれない(嘘)。そんな不思議な変化がある一方で、やはりノウハウ本、ハウツー本の類は多い。だが面白いのは、最近では「デキル男の〜」のようなものではなくむしろ、怒りをコントロールしたり、人間関係をより良いものしたりするためのものが増えているような感じがするところである。それはどこかで経済一辺倒ではなく、心の中を見つめようとする動きがあることを表しているのではないだろうか。それでいて、やはりそれは自分で考えたりするものではなく、なんらかのマニュアルによって行うこと、という「他力主義」のようなものは存在しているのだが。

わたしは台湾人の頭の中を少しだけ覗こうと本屋に入った。もちろん、理由はそれだけではない。外国の本屋は魅力的に映る、という理由も大きい。

本屋は駅の本屋に入ったことがあったが、こういう街の本屋は初めてだ。わたしは『走れメロス』の中国版を見てみたり、哲学の概説書の中からお気に入りの哲学者の中国語表記を探してみたり(Bergson:伯格森)した。しかしやはり哲学書のコーナーは少ない。それよりも理数系のものが揃っている。1年前に日本でも文学部廃止の通達が出され、「文系軽視ではないか?」という声が上がったが、それはどの国も似たようなものがあるようだ(とはいっても、日本の本屋の場合理数系の本も少ない気がする)。それと、当たり前といえばそうなのだが、台湾では哲学というと、孔子孟子老子荘子……の世界のようである。そっち関連の本が多い。一瞬驚いたが、むしろこちらの方が健全なのかもしれない。もちろん、概説書程度なら西洋哲学も置かれていた。

だが、何よりも面白かったのは、向こうの日本語学習本だった。台湾人には日本語が上手い人が多いというので、どんな風に学んでいるのか気になって開いて見たのだが、なかなかシュールなのだ。例えば、いわゆる形容動詞の例文が「彼は変な人です」というものだったり、「アイデアは画期的です」という「は/が」の使い分けが微妙におかしかったりしている。ニヤニヤしながら見ていたが、実は私たちが日本で使っている外国語の本も、それを母語とする人からすると、同じように滑稽に見えているのかもしれないと思うと、少しばかり背筋が凍る思い出あった。

さて、しばらくして、わたしは外に出た。幸い雨はまだまだ弱い。入った書店の隣にもまた別の書店があったので、今日は本屋巡りと決めた。

街を歩いているだけじゃよくわからないが、台湾は日本以上にやはり受験の国のようである。受験のための本が溢れ、中国思想の本だって、どこか試験対策っぽい雰囲気が流れる。ただ、日本と違って、英語学習は、「単語をひたすら頭に叩き込む」というよりも、「熟語を叩き込む」という感じなのかなと思った。やはり英語は熟語の言語だから、そういうやり方のほうがいいに決まっている。と、言っても台湾人と日本人の英語力は、経験上はあまり変わらないようにも思われるが。

三件ほど書店をはしごして、「タイムスリップ! 写真で見る台北地図」のような感じの題名の本を買うか買わないか迷った末に買わず、外に出た時には、雨が最高潮に降っていた。先ほどまでの小雨が嘘のように、シャワーのような雨が降っていた。幸い最後に入った本屋がホテルの隣だったので、すぐにホテルへと戻った。三時半のことだ。

その後はしばらく部屋でだらっとし、ホテルの隣にある台湾版ドトールというような「ダンテカフェ」に入ってみることにした。というのも、web雑誌のために記事を書いていたのだが、部屋には机がなくて書きにくかったからである。

ダンテカフェに入り、とりあえずブレンドを頼んで、わたしは席に着いた。内装はもう、サンマルクカフェとあまり変わらない。音楽が流れ、老いも若きも団欒している。最後の最後で、わたしはなぜか、台湾人に慣れたような気がした。

二時間ほどコーヒー一杯で粘り、文章を完成させ、わたしは豪雨の中夕食を食べることにした。最後の夕食だ。メニューはもうあれしかない。そう、「牛肉麵(ニューローミエン)」だ。台風と中秋節の間にも頑張って営業している大衆食堂に入り、拙い中国語でオーダーした。もう少し、もう一週間ここにいたら、もっとスムーズに台湾で生活できるだろうに。わたしは最後の牛肉麵を食べた。やはり最初のやつが一番良かったが、うまい。最初は味がなくて歯ごたえがすごい麵に、独特の香りのスープが変な感じがしていたが、食べ続けていると病みつきになってきた。

かして最後の晩餐が終わった。わたしは最後に、と、台湾ビールを買い、部屋飲みを決行した。台湾の夜の風景が見たかったので、電気を全部消し、カーテンも全開にしながら、わたしはビールを飲んだ。

台北はいい街だった。

もっと台北と心を通わしたかった。

哲学者のベルクソンは「哲学は共感を求める」と言っているが、きっと旅するものが求めるのは、その国との、その街との、そしてその土地の人々との、「共感」なのだろう。そしてそれはなかなかできない。言葉の壁、文化の壁、そして限られた時間という壁。それらに阻まれ、旅する人たちは不満足なまま帰ってくる。だから思うのだろう。また旅に出たい、と。