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旅、映画、食べ物、哲学?

おやじ 〜プノンペンにて〜

それは、カンボジアの首都プノンペンの名前の由来ともなったワットプノムという寺院から伸びるだだっ広い道を一本入ったところにあった。その店では、エプロンをした「おやじ」がひたすらに屋台に陳列された肉やらつくねやらを串に刺しては少々怪しげな緑がかった灰色の汁で煮込んでいる。お客はやってくるとそのおやじの作業を手伝いながら注文し、時にはおやじの10歳くらいの娘さんが一人前の顔をして手伝っていることもある。

ビールをつまみと一緒にやれるところはないかと探していたら、偶然この「おやじ」の屋台にたどり着いた。そこは閑静な場所で、カンボジア名物の「トゥクトゥク」と呼ばれるバイクが引く人力車のような乗り物の勧誘もない(カンボジアの町、特にシェムリアップに足を踏み入れるや否や「Tuk Tuk, sir!」とドライバー達が声をかけてくる。それがない界隈というのはずいぶん珍しいのだ)。おやじはただ一人、黒いエプロンをイクメンのごとくぶら下げて、ひたすらに串焼きになった食べ物をなる作業をしていた。私はとりあえず、目に入ったイカのような形のものを指して、オーダーした。ビールはあるかいと聞くと、ない、という。隣の店で買ってきてくれ、だそうだ。

 

その日、2月1日はカンボジア滞在の初日であった。今回は友人一人との旅路である。到着が夕方であったので、私たちはドミトリーに荷物を置いたら、夕食を探しがてら、ぶらぶらし始めた。ワットプノムという寺院にも行った。そこでは不思議な、ディープな信仰と出会ったのだが、それはまた今度書くとしよう。

公園のそばでチキンラーメン風の面に何処と無くおでんのような具が入っただしたっぷりのスープをかけたものを食べ、私たちはいよいよ中央市場へと入る。焼き鳥、なます、ドリアンやら何やらがごちゃ混ぜになったジュースを飲んだ後で、やはりここにきたからにはここの酒が飲みたいという話になった。とはいえ私たちはもう満腹、一方のお時間はというとまだ8時を回っておらず、どこかで飲むべしと時が告げているようだった。

さて、「おやじ」である。友人にビールを買ってきてもらうと、前菜のハーブ類ときゅうりとなますを「おやじ」が持ってきた。どうやらソースにディップして食べるらしい。ハーブときゅうりとなますを一気にディップさせるとよりうまかった。ハーブは見た感じはそこら辺の葉っぱみたいなのだが、何かと一緒に食べると不思議な旨味を出してくる。香りが独特で、草らしさもあり、硬いって食えないきつさではなく、強いていうなら、いい意味でワイルド、である。

しばらくして、イカのようなものが茹で上がったらしく、出てきた。ところがそれはイカではなかったのだ。日本で言うところの「鶏皮」に肉もくっついたものだった。独特のコリっとした歯ごたえと肉の旨みがうまく合わさっていた。後味が酸っぱい「アンコールビール」を飲みつつ、「おやじの鶏皮」をかじる。店内は客でいっぱいだ。忙しく駆け回るおやじの娘さんに、おやじに声をかけてはその作業を手伝いながら料理を待つ近所の人々。それはまるで一昔前の光景のようだった。きっとそれはどこの国にもあったであろう、古き良き時代の香りだったのだ。

すると新たな「客」がやってきた。それは物乞いの人である。私たちがいるテーブルにもやってきた、手を合わせながらクメール語で何やら呟く彼に、私たちは動じてしまい、何もできず、ただただ目を合わせまいとしてしまった。他の人たちも同じであった。きっとこの国には結構な数いるのだろう。だが、「おやじ」だけは違った。彼は、手を合わせる男に対して、串焼きを一本取り出し、渡した。私は黙って鶏皮を食べた。ベンヤミンという哲学者は、人のために何かをした人を見た何もしなかった傍観者は、その人によって裁かれると言った。その意味で、私たちは「おやじ」に裁かれたのだった。

別れ際、お代の2ドルを支払い、「オークン(ありがとう)」と一言かけると、おやじはまるで私たちが数年来の客のように肩をポンポンと叩いた。また、ここに来たい、そう思った。

 

結局私たちはおやじの店にもう一度行くことは叶わなかった。そのあたりについてもまたいつか話せたら良いと思っている。だが、その理由は私にとって現在進行形の理由であり、そして私たちは今日、東へと向かう飛行機に乗り、ヴェトナムはハノイに入ろうと(ヴェトナム語の表現では、「ハノイに出る」というのだが)思っている。そんなナウな話はかけない。そんなわけで、次はカンボジアで出会ったもう一人の「おやじ」の話でもしようかなと思っている次第である。