Play Back〜ハードボイルド大学生活〜

ある大学生の日常をハードボイルドなエッセイ調に書く。

サマキマーケットの夜〜シェムリアップにて〜

アンコール遺跡観光の後だから、2月3日のことになる。日本で言えば、節分に当たるのだろうが、カンボジアの街シェムリアップは相変わらずの日差しとトゥクトゥクの喧騒であった。そんな中で、私の友人が体調を崩した。

アンコール遺跡から帰ってきて(その道中、中国人カップル観光客と一言二言会話を交わしたが、まあそのことはいずれ書こうと思う)、友人は「夕食はいらない」とだけ残して眠りについた。そうは言っても私は何かを食べないと、逆にこちらが体調を崩してしまう。そんなわけで私は夕食に出ることにした。

 

はじめは、アンコール遺跡の近くにあるという庶民的なナイトマーケットに行ってみたかったのだが、妙に遠い。トゥクトゥクに乗れば良いのだが、正直値段交渉が面倒である。ホテルのそばに「サマキマーケット」なる市場があるらしいのだが、そこが夜もやっているのかはわからなかった。だから私はフロントに聞いてみるという力技に出ることにし、部屋を後にした。テレビでは日本を舞台にした謎の中国か韓国かタイのドラマを放送していた。

「すみません、一つ伺いたいんですが」と私はフロントのお兄さんに聞いた。にっこりと笑うとニッコリと笑い返してくれる人の良さそうなホテルマンである。

「なんですか?」

「この近くのレストランだったらどこがいいですか?」そう言うと、お兄さんは考え込んだ。

「どんなものがいいんですか? ビュッフェ?」このビュッフェ、という言葉とともに、そばで聞いていたトゥクトゥクドライバーと思しき人がパンフレットを持ってきた。

「お兄さん、このカウランって店がいいですよ。アプサラショーもやってるし……」なるほど。アプサラというのはカンボジアの伝統舞踊のことである。だが一つだけ問題があった。というのも……

「あー、えーっと、そこは昨日行ったんです」

そうなのだ。私はそこに昨日行ってしまった。クレジットカードが使えず、ヒヤヒヤした思い出とともに、私の脳裏にアプサラダンスが浮かんだ。私はその思い出を必死に振りほどき、「えーっとですね、僕はもう少し安い……マーケットで食べられるような……」となんとか路上食堂や屋台料理の食べ物を食べたい旨を伝えようとすることに努めた。トゥクトゥク親父はここで退場し、お兄さんだけが残される。お兄さんはしばらく考えた末、

「ああ、ストリートフードね」と言った。そうか、ストリートフードというのか。どうもあの庶民的な食べ物と、「ストリートフード」という横文字が合わないような気がしたが、私はとりあえず、そうだ、と伝えた。

「じゃあ、サマキマーケットがあります。(地図を出して)ここです。ここからすぐです。でもストリートフードしかないですよ」という。大丈夫。私は東南アジアでストリートフード以外のものを滅多に食べたことがないくらいである。私は「オークン(ありがとう)」と礼を言い、外に出た。お兄さんは一緒についてきて道順を見せてくれた。これから、つかの間の一人旅が始まる。

 

ホテルとサマキマーケットの間には、国道6号線という太い道が横たわっていた。信号なんてあってないようなもんだから、渡るのは難しい。とはいえ、その問題は「去年とった杵柄」が解消してくれた。日はまだ暮れ切っていない。うっすらと太陽が見えて、風が心地よい。広い、車通りの多い、砂だらけの道路の脇を私はひたすらに歩いた。

だが、いつまでたってもつかない。どこを見ても商店か、駐車場があるばかりである。時折小さな食堂があるが、時間が早いせいか、あまり人がいない。その様子はどこか、西部劇に出てくる「しけた街」のようであった。

この道でいいのだろうか、と思いながら、しばらくひたすら道に沿って歩いていると、徐々に路上食堂が増え、最終的には密集している場所にたどり着いた。こじんまりとはしていたが、どうやらここが「サマキ・マーケット」のようだ。

食事時にはまだ早いので、とにかく市場内に入ってみる。するとこんな時間でもしっかり野菜や肉を売っている。地面におばあさんやおじいさんが座り、そこに置かれたザルには血が流れている魚だったり、肉だったり、野菜だったりが無造作に置かれていた。目があうと「安いよ!」というようなことを言ってくるが、こちらが外国人だと気付くと、すぐに興味を失ったように魚や肉の手入れを始める。市場の中心には大きな食堂があり、おじさんたちがそこで晩酌をしながらテレビを見ていた。そこに入ってみたかったが、どこが正面なのかもわからず、結局入れなかった。

市場の外に出ると、肉を焼く店、バイク客相手にひたすら炊いた米を売る三人娘、麺だか粥だかよくわからないものを調理するおばあさん、などいろいろな店がひしめきあっている。やはりこちらの方が賑わっているようで、家族総出で席に座って食べている人たちもいた。私はとりあえずなんか買おうと、肉を焼いているおじさんのところへ行った。というのも、その店はバーベキュウのごとく鉄板で肉を焼き、ひときわその煙で目立っていたのである。

「チョムリアップスオー(コンニチハ)」と私はおじさんに声をかけた。「英語話せますか?」

「アー」とおじさんは言うと、隣のおばあさんにバトンタッチする。東南アジアではよくある光景である。おばあさんは眼力鋭くこちらを見つめた。私はとりあえず鉄板で焼いているものを指して、

「これはいくら?」と尋ねた。おばあさんは間髪入れずに、

「2ドルだよ」という。ここでもドルか。カンボジアでは「リエル」という自国の通貨とともにアメリカドルも流通していて、これが旅行者の金銭感覚を狂わせてゆく。私は時に、去年の夏カナダに語学研修に行っていたため、下手に「ドル感覚」ができてしまっており、かなり苦しめられた。

「じゃあ、これをください」

おばさんはよくわからない、腸のようなものに何かが詰まった肉をぶつ切りにし、焼き始めた。これは一体なんだろう。そう思いながら見ているうちに、それはいい焼き具合になり、ぼかぼかとお弁当箱のようなものに入れられた。おばさんは慣れた手つきでそれに輪ゴムをかけ、袋に入れた。「まいどあり!」

私は、「オークン(アリガトゴザイマス)」と手を合わせ、にっこりと笑った。するとおばさんもにっこりと笑った。

 

問題は、その肉を食べるところがないということである。そして肉だけでは多分厳しいというのも一つの問題。そこで私は入ったときから気になっていた、なんだかよくわからない麺料理を出している店に行ってみた。

だがそこには中国人観光客が大量で群がっており、席がなくなりそうであった。どうしよう、と見ていると、観光客たちはすぐに別のところに移動した。私はよしきたと、店を切り盛りするおばあさんに、指差し注文して、席に着いた(「チョムリアップスオー! アー」と初めて、「ン」と言いながら料理を指差し、「ムーイ(1つ)」という。何か聞かれたらとりあえず頷いておく。そうしたら何かしら出てくるだろうという魂胆である)。斜め前には多分同い年くらいの若い女性が座っていて、こちらを興味ありげに見ていた。観光客が気になるようである。まあ、仕方あるまい。

しばらくすると、その女性よりも年長の若い女性がやってきた。彼女は流暢な英語を話し始めた。

「ここの麺を食べたいのね? なら手伝うわよ」

「ありがとう。じゃあ、一つくれと伝えてください」どうやらおばあさんが、私のあまりにボディーランゲージすぎる注文に不安を覚えたようで英語の出来る女性をよこしたようだ。

「えーっとね」まだわからないのか、というように彼女は厳しい顔をした。「クマーエとカリーとどっちがいいの?」

なるほど。ここの麺には種類があるようだ。そういえば最初の注文の時、おばあさんが何やら聞いてきたのを覚えている。私はテキトーに頷いたのだった。そりゃ、不安にもなるだろう。私は「クマーエ」が「カンボジア風」という意味だということを思い出して、「クマーエで」といった。

しばらくすると女の人が「クマーエ麺」を持ってきた。店員なのか、それとも客なのか。両方なのか。彼女の所属はわからないが、私はとにかく「助けてくれてありがとう」と礼を言った。すると女性は、「そこにハーヴがあるから」といってどこかに消えた。私は彼女の遺言に従い、草をそのまま摘み取ってきたような見た目の薬味のハーヴを箱から取り出して、無造作に麺のボウルに入れた。

「ちがう!」と声をあげたのは、斜め前の女性である。私がキョトンとしていると、ボウルのハーヴをとって、彼女は一枚一枚葉っぱをちぎって私のボウルに入れた。そうか、そういうことだったのか。これで長年の疑問が解消されたのだ。東南アジアに行くと、草がそのまま入っていることがあるが、どうしたらいいのかわからなかった。葉っぱだけ摘むのが正解なのである。

「オークン(アリガトー)」と私はいい、ハーヴを摘んで、入れた。いざ、と食べようとすると、女性はまた「ちがう!」という。

「見てて。こうやって、まぜるの」と彼女は一本の箸を右手に、もう一本を左手に持ち、それらを麺に突き刺し、持ち上げて、おろした。汁をあえるように、混ぜてゆく。するとハーヴやら何やらがどんどん混ざってゆく。

「これがカンボジアンスタイルってことだね」と私が言うと、彼女は何も言わなかった。後で気づいたが、これはヴェトナミーズスタイルでもあったのである。

「辛いのは好き?」と彼女がいい、好きだと答えると、彼女は何やらからそうなものを取り出した。私はとりあえずかけ、また、あえた。それから、今度こそいざ、と口に運ぶ。なんだかわからないけれど美味しかった。スープは暖かいわけではないが、正直気温が気温なので、これくらいでちょうどいい。麺に乗っていた鶏肉とナッツが麺とハーヴに絡んで独特の風味を醸し出し、うまい。

「どこから来たの?」と彼女は言う。旅先では必須の質問項目である。

「日本だよ」

「ここにはどれくらいいるの?」

「昨日のバスで着いて、明日の夜行バスでプノンペンに戻る。だからカンボジアには五日間かな」去年聞かれた時、自分の滞在予定がいまいちうろ覚えだったため、今回はしっかりと覚えてきたのである。会話の種になる。が、会話が弾むわけでもなく、少しの間の若干気まずい沈黙。そこでわたしは「この国が好きだ。人は優しいし、食事もうまい」と率直な感想をつけくわえた。すると彼女はにっこりと笑った。

しばらく私たちは無言で麺を食った。隣の席で店主のおばあさんが何やらからかっているらしく、彼女はこっちを見てはクスッと笑う。なんだかよくわからないが私も笑って見せた。

「名前は?」と私が尋ねた。そういえば旅先で名前の交換をしたことがなかったことに気づいたからである。東南アジアの人は名前から何からどんどん聞くと聞いていたが、実はそうでもないらしく(列車で乗り合わせたハオさんもそうだった)、少し戸惑った様子で、

「タイホーよ」と答えた。「あなたは?」

「Sだ」というと、タイホーちゃんはリピートした。カンボジア人も、ヴェトナム人も、「Sh」の音が苦手である。私の名前にも入っているから言いづらそうである。

「いい名前ね。うん、とってもいい名前だと思うよ」と彼女は言った。

「タイホーもいい名前だ」などと、私は名前の意味も知らないのに、調子に乗って、映画の主人公気取りで言ってみた。若干、いや、わりと恥ずかしかったので、もう一生やるまいと心に決めた。

「一人旅なの?」と彼女が言うので、私は事情を説明した。友人と一緒だが、彼は今疲れて寝ているよ、と。そういえば奴は今どうしているだろうか。

とそんな時、店主のおばあさんがこっちにやってきた。私はおばあさんの方を見て、

「チュガイン(ウマイデ〜ス)」と言ってみた。するとおばあさんは、外国人がカンボジア語をしゃべった衝撃を噛み締めた後で、笑顔で、

「チュガイン?(あらおいしいの?)」といった。タイホーちゃんはそれを見て、

「へぇ、カンボジア語が喋れるのね」とニッコリと笑顔を浮かべて言った。

「めちゃめちゃ少しだけだけどね」と私は言った。おばあさんとタイホーちゃんは顔を見合わせて笑った。

しばらくして、タイホーちゃんは、「じゃあ、私は行くね。バイバイ」と言って会計を済ませ、一人バイクにまたがって街の中心部の方へと消えていった。もう少しいろいろ聞いてみたり、カンボジア語を習ってみてもよかったな、と思った。しかし儘ならぬのが旅である。彼女とはもう会うこともないのだろう。

私もすぐに麺を食べ終わったが、まだ肉を食べていないことに気づいた。路上食堂だし、隣のものを食べても構わないだろう。私はそう判断し、謎のソーセージというかタラコというか、よくわからない肉を食べた。食べてもよくわからなかったが、調理後数十分が経っているとは思えないほどの美味しさである。暖かいし、肉の味付けもいい。私はばくばくと肉を喰らって、おばあさんに会計を頼んだ。

「オークン・チラン!(アリガトゴザイマス!)」といって手をあわせると、おばあさんは嬉しそうに手を合わせ、

「オークン・チラン!(あら、ありがとうねー)」と返してくれた。

 

サマキマーケットの夜は、まさに「私がしたかった」旅の夜だった。そこにはその土地に住む人がいて、そんな人たちの笑顔がある。文化の違いなどといったものを乗り越えて、笑顔で通じ合う。言葉をかわすことで、相手のことを少しだけわかりあったような気になる。そこにこそ、旅の一つの喜びがあるからである。出会いは偶然だが、それを良いものにできるかどうかは自分自身に姿勢にかかっている。サマキマーケット、そして南北鉄道。私は時にこの二つの場所で、それを学んだ気がしている。

f:id:LeFlaneur:20170228001747j:plainサマキマーケットと私の泊まったホテルがある「国道6号線」。真ん中に写っている緑色の壺は「ゴミ箱」である。そしてその左上が「トゥクトゥク」だ。