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旅、映画、食べ物、哲学?

さよならハノイ、また会おう

ハノイに到着した時、私の体調は最悪だった。

カンボジアシェムリアップは楽しい思い出だったが、あそこでなんらかのバクテリアの野郎が、私の胃腸に侵入してきやがったのである。いつ、何をしている時に入ってきたのかはわからないが、とにかく胃腸がチクチクと痛み続けること三日間、私は苦しみ続けた。

面白いのは、何もあの腹痛は、動けないとか、下痢や嘔吐を続けるといった類のものではなかったことである。とにかくちくっとする。普通に歩いていた刹那、一番上の腹筋と二番目の腹筋の間あたりにぐさりと何かを刺されたような痛みが走る。そうなると、歩くことはできるが、嫌な気分になる。ハノイ滞在中はそんなことを繰り返していた。治ってきたかと思うと激痛が走り、治らないなと思っているとやんだりする。あの気まぐれのバクテリアは、困ったものだ。寝たきりになるぐらいの痛みならば、むしろ色々諦めがつくが、耐えられる程度だというのもまた腹立たしい。

そんなこんなだったので、わたしはハノイの地酒「ビアハノイ」との再会も果たせなかったし、ハロン湾ツアーでも、立ち上がると痛みが走る、座ると治る、というようなことを繰り返していた。痛みに耐えながら、知り合ったシンガポール人の家族と話し、痛みに耐えながら、あまりに人工的で毒々しいライトアップを受けた鍾乳洞を見学した。痛みに耐えながら、タニシとトマトとシソのにゅうめん(案外いける)を食べ、痛みに耐えながら魚介たっぷりのラーメンを食った。

f:id:LeFlaneur:20170412172942j:plainタニシとトマトとシソのにゅうめん(ブン)。一瞬グロいが、うまい。タニシがコリコリである。

 

f:id:LeFlaneur:20170412173042j:plain魚介ラーメン。スープは旨みたっぷり。汁をすすってる時だけは胃腸痛も引いた。

 

 

そして、痛みのハノイの日々は、最終日に至って、最大級の痛みを用意していた。低気圧の影響か、強烈な頭痛が襲ったのである。頭がガンガンする。ガンガンしすぎて、胃腸などどうでもよくなる。が、頭痛が少し治れば、胃腸痛が復活する。いたちごっこである。そんな状況の中で、ミイラ化したホーチミン主席と対面し、フォーを食った。友人も同じような状況で、「このままこんな感じだったら、とりあえず電車でフエまで行ったら(電車は予約してしまっていた)、その後はホーチミンLCCで行って、ホテルに引きこもろう」という超ネガティヴな計画を立てたほどであった。

頭痛、胃腸炎、そして耳をつんざくバイクのクラクション。クラクラしながら私たちは、ヴェトナムコーヒーを飲んだ。するとどうだろう、ゆっくりしているうちに、まずは頭痛が、ついで胃腸痛が消えてゆくではないか。科学的に見れば、ヴェトナムコーヒーのあの甘くてドロッとした感じが解決してくれたのはきっと頭痛だけである。胃腸炎のほうは、この日から飲み始めた正露丸のおかげだろう(なぜこの日からかというと、バクテリア性胃腸炎の場合、正露丸で下痢を止めるよりも、ふんばって出したほうがいい、という情報を得たからである。決して、薬による治療を嫌がったわけではない、念のため)。だが、多分それだけではない。私たちがコーヒーを飲んだのは、去年ハノイを訪れた際のホテルのそばで、見覚えのある界隈だったのだ。そのせいか心もなんとなく落ち着いていた。

ハノイは、大好きな街だった。だから、最後の最後であの体調が治ってよかった。すっかり元気になった私は、心も軽やかに湖の方へと向かい、最後のハノイの景色を目に刻み込んだ。ちょうど「旧正月(テッ)」のころだったもんだから、若い男女がアオザイ姿で写真を撮っている。

f:id:LeFlaneur:20170412174056j:plainヴェトナム(李朝大越)初代国王リータイトーの前で写真を撮る人たち

夕暮れの公園を歩いていると、剣の舞をしている女性がいる。そういえば去年も見たなあ、などと思いながら友人と話していると、突如おばあさんがやってきて、

「あれはヒップホップよ。あなたたちはやるの? ヒップホップ」と流量な英語で言ってきた。明らかにヒップホップではなく剣の舞だが、私たちはともかく「No」と答えた。若干警戒しつつ、おばあさんの話を聞く。

「どこから来たの? 韓国?」とおばあさん。

「日本です、ニャッバーン」

「あら、そうなの。ゴクサンテンプルにはいった?」おばあさんはなおも喋る。ゴクサンテップルというのは、ハノイの象徴ホアンキエム湖のど真ん中にある寺院で、中には亀が祀られている。去年行ったので、

「行きましたよ」と言っておく。

「あそこには亀が祀られているの」とおばあさんは言った。それにしても英語がうまい。外国人相手に練習したかったのかもしれない。

「俺は亀を飼ってます」と友人が言った。

「あら!」とおばあさんは無邪気に笑う。

「バントーイ・コォ・ズア(彼は亀を飼っている)」私はヴェトナム語の小さな辞書を開きながら言ってみた。おばあさんが英語の練習なら、私だってヴェトナム語の練習だ、というわけである。

「あら」とおばあさんは、ヴェトナム語ね、という表情をし、「バントーイ・コォ・モッ・コン・ズア」と添削して見せた。私はリピートした。おばあさんは嬉しそうに、ベンチに座っているおばさんを指差し、

「あの人に挨拶するときは、チャオ・コよ」と言った。そしておじさんを指し、「あっちは、チャオ・オン」という。そう、ヴェトナム語では二人称が相手の年齢によって違うのである。そしておばあさんは自分を指し、「わたしには、チャオ・バ。ほら、(見事な白髪を指す)わたしはグランド・マザーだから。あそこにグランドマザーがたくさんいるわね。そのときは、チャオ・カッ・バ」

ヴェトナム語の挨拶は基本「シンチャオ」というふうに習うが、それだけではまだまだ片言だという。こうした二人称を覚え、相手にあった表現をして、やっと一人前だ。

「いつまでいるの?」とおばあさん。

「今夜の電車でフエに向かいます」と私たちは言った。そして、「チャオ・カッ・バ!」といって、別れた。最終日に限って、いい出会いが待っている。だからこそ、また来たくなってしまう。ハノイにはそんな力があるのかもしれない。私は頭痛も胃腸痛も全部忘れていた。いまはただ、またハノイに行こう、と決意するだけだった。