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Play Back〜ハードボイルド大学生活〜

ある大学生の日常をハードボイルドなエッセイ調に書く。

One on One

思えば、小学生の頃だったと思う。

当時の僕はなぜだかイギリスブームで(ハリーポッターやシャーロックホームズやアガサクリスティー、ドクターフーのせいだと思う)、とにかくイギリスのものだと言われればなんでも受容していた。大河ドラマの「篤姫」で生麦事件薩摩藩士にイギリス人が殺傷される事件、冷静に見れば、明らかにイギリス人側に非がある)をみて憤り、威風堂々を聞き、英語もブリティッシュな発音に憧れて、発音の真似事をしていた(そのせいで、今やブリティッシュな発音しかできなくなった)ときだった。

推理小説も、ファンタジー小説も(ハリーポッターナルニア国物語鏡の国のアリスライラの冒険指輪物語は小学生には分厚くて小さすぎた)イギリスを極め、イギリス国王をノルマンコンクェストのウィリアム1世征服王からエリザベス2世女王陛下まで暗記した時、次に進む道は一つしか残されていなかった。イギリスの音楽である。そうはいっても、うちがクラシック好きだったこともあり、ホルストエルガーはいくつか聞いていた(さっきも威風堂々のことを書いた)。では、他にどんな音楽かと言われればもう、ロックである。そうはいっても、母が好きだったクィーンは、小学生にはちょいとロックしすぎていた。丁度良い塩梅で、耳馴染みもあるもの、そうやってたどり着いたのがThe Beatlesであった、という次第である。

はじめはこんな具合に、くだらなすぎる理由で触れたわけだ。だが、赤盤、青盤から聞き始め、それを何周も何周もしているうちに、もっと聞きたいと思い始めた。そんな折、ニュースが流れる。The Beatlesの全アルバムがリマスター版になって再発売されるらしい! 僕は父親に頼み込み、クリスマスプレゼントにそのCDボックスをもらった。その頃から、僕はthe Beatlesを聞いていた。あまり聞かなかった時期ももちろんあったが、不思議なことに、少し聞いていないと、また戻って来たくなる魅力がthe Beatlesにはあったようである。

そうはいっても、the Beatlesなどこのご時世、古い音楽になっている。カナダに行った時なんか、カナダ人に「the Beatlesが好きなんだ」といえば、「クラシックだね」と言われ、同居人のイタリア人に「the Beatlesをよく聞くよ」といえば、「ああ、クラシックね。俺はあんまり好きじゃない」などと言われるほどである。高校時代の友人はボーカロイドが好きな人が多かったし、そうでなくても、ゆずや、いきものがかりBump of ChickenSEKAI NO OWARIの名前は出ても、the Beatlesとなるとみんな「ああ、英語でやるやつね」程度の感想しかない(不思議とQueen知名度がある)。高校の時、一人だけthe Beatlesがわかる友達がいたが、クラスがバラバラになってからはそんなに話さなかった。

 

それが、である。大学に入るとなぜだか、周りにうじゃうじゃと、わいたかのようにthe Beatlesファンがいる。面白いもんだな、と思ったし、周りのほうが明らかに詳しい。海賊版を漁る友人、コピーバンドをやる友人と、ありとあらゆるのがいる。そんな環境の変化で、またちゃんと聞こう、と僕の推定第四次the Beatlesブームが始まった次第であった。

月日を経て聞いてみると、趣味趣向も変わっているようで、小・中学性の頃は退屈だと思っていた初期作品(Please Please Me、With the Beatles、Hard Days Night、Beatles for sale)が気に入っていることに気づいた。もしかすると、最後の方のアルバムはかつて何周も何周も聞いていたため、逆におざなりにしていた初期アルバムが新鮮に聞こえたのかもしれない。だが、それ以上に、ギターの音が心揺さぶり、ハモりがカラッと響いたからだと思う。

そんなこんなで、旅先には初期作品だけを入れた古いiPodを持って行くのが慣例となった。イタリアでも、タイでも、カナダでも、台湾でも、ヴェトナムでも、カンボジアでも、若かりし日のthe Beatlesは旅のお供だった(途中から、the Animalsというthe Beatlesの同世代バンドも気に入って、旅のお供に新バンドが加わっている)。なぜだろう、初期のthe Beatlesの曲は、どの国の風景にもあっていた。あっていた、というか、風景に色を与えてくれていた。

 

そんな矢先、あるニュースが届く。

2016年度のNHK紅白歌合戦で、the Beatlesの一員だったポール・マッカートニーのビデオメッセージが移され、なんと、来日すると宣言したのだ。これは大ニュースだった。とはいえ、僕は諸事情により、お金を節約しなければいけなかった。しかも、ポールマッカートニーといえば大スターで、そう簡単にチケットは取れない。その上、僕はライヴというものに行ったことがなく、むしろCDでいいじゃん、とすら思っていた(だって、the Beatlesはどう頑張っても、もう存在しないからだ)。そういうわけで、僕は抽選に登録しなかったのだが、冬休みが終わって友達に会うと、みんな抽選に参加している。その中には、一昨年のポール来日に駆けつけた奴もいた。話を聞いていると、だんだん行きたくなってくる。そして結局、半ば煽られる形で抽選に登録したのだ。どうせ抽選には落ちるだろう、と少しばかり思いつつ。

しばらく経って抽選結果が出ると、なんと受かっている。しかも、チケットをもらってみるとアリーナ席である。かくして、僕はポール・マッカートニーの東京ドームライヴに行くことになったのだった。

 

あの日のことを、音楽評論家のようにいうことはできない。the Beatlesは聞いていても、ポールのもう一つのバンドthe Wingsに関しては、007の主題歌「死ぬのは奴らだ(Live and let die)」しか知らない始末で、ろくにセットリストがこうだなんていうこともできない。生でポールを見たのも初めてだから、今年のポールがどうこうということもできない。ただ言えるのは、幻のようだったということだけだ。

ポールのライヴは遅刻がいつものことだそうで、僕が席に着いたのも開演の18:30ちょうどくらいだった。アリーナ席とはいえ、舞台からは遠いので、よく舞台の見えない席だった。しばらくBGMとして流れてくるアレンジされたポールマッカートニーやthe Beatlesの曲に体を小刻みに揺らしていると、隣に座っている初老のおじさんが声をかけてきた。髪型はQueenブライアン・メイに似ていて、彼女はかなり年下だ。

「一度目の抽選でこの席だったんですか?」なんとまあ、テクニカルな質問である。とりあえず僕は、はい、と答えた。どうやら、おじさんの友人の中には、誤解も抽選したのに三回席の人がいるらしい。やはり、本物のファンは違う、と僕は自分の微妙な立ち位置を思って不安な気分になった。

「あなたぐらいの年でもポールマッカートニーやビートルズが好きになるんですね」とおじさんは言う。僕はまた、「はい」と答え、the Betalesが好きなんです、とwingsを聞いたことのないことをうまくごまかした。

「生でポールを見るのは初めて?」

「はい。」実は初めてのライヴだなんて言えない。

「ポールだとね、やっぱりthe Beatlesはこうだったのかな、っていうのがわかりますよ。リンゴはもうダメだね(笑)」リンゴというのは、the Beatlesのドラマーで、四人いたメンバーのうちもっとも「地味」と言われ、そして今でも生き残っているメンバーである。僕はリンゴが結構好きだし、カラオケでも、音域の関係でよく歌う。

「見た目も随分変わっちゃいましたからね」僕は答えた。リンゴは、昔は他のメンバーと同じくらいの髪の長さだったが、今や角刈り状態で、サングラスもかけており、なんとなくいかつくなってしまったのである。

「そうだね(笑)。髪の毛は伸ばしておいてほしいよね‥‥」

そのとき、会場がざわつき始め、アリーナは総立ちとなった。僕もとりあえずたち、ブライアン・メイも彼女と一緒に立ち上がった。すると遥か彼方の銀河系、ではなく、遥か彼方のステージにギターを持ったポール・マッカートニーが現れ、Hard Days Nightを歌い始めた。アリーナ席で、僕みたいな、そこそこのファンが盛り上がれるのか不安だったが、始まってしまうと、もう周りにのまれ、一体化してしまった。手を叩き、体を揺らし、ポールが手を振れば、こっちも手を振る、という次第である。

それにしても、こんなに不思議なことはなかった。ヴェトナムで、カナダで、イタリアで、小さな白いiPodから聞こえてきた音楽が、爆音で流れ、あの声の主がいま、ここで、自分の声で歌っていて、その声が聞こえている。「クラシックだね」と言われた音楽に、老若男女がダンスし、声を揃えて歌っている。いままで、the Beatlesは、一人で聞くものだった。それが、こうも、たくさんの人を巻き込むものだったとは。

そう、それでいて、きっと、ポールが歌を歌うたびに、この一つの東京ドームに集った五万人以上の人々の胸に蘇るものは、きっと違うのだろう。僕の前の席に立っていた一段は、ライヴが始まるまでは、ごく普通のおじさんおばさんだった。だが、始まると、まるで昔に戻ったように、踊り狂っている。しかも、テレビで見たことがあるような、ちょっと古いダンスの仕方で。音楽は時を超える、いや、音楽が時なのかもしれないと思った。平成の人は平成のやり方で、昭和の人は昭和のやり方で、それぞれの人がそれぞれの思い出とともに、目の前にいるポール・マッカートニーと一つになったのだ。

ライヴは3時間にわたり、ポールも3時間歌い続けた。僕らアリーナ席の住人は基本的に立ちっぱなしで、三時間一つになっていた。それだけに、ライヴが終わり、ポールが舞台からいなくなり、会場がパッと明るくなった時、僕たちはなんだか、幻を見ていたような気分になった。「終わっちゃった」という気持ちもあったが、それ以上に、一体なんだったんだろう、という気分があった。それは、悪い意味ではない。子供の頃ディズニーランドで遊び倒し、夜もふけて、そして舞浜駅から電車に乗った時の、「あれ、なんだったんだろう」という感覚である。僕は気の抜けた風船のような面持ちで電車に揺られ、多摩地方へと帰宅した。

 

「全然違うでしょ?」と隣のブライアン・メイが、ライヴの終わりに言ったのを思い出した。

「全然違います!」と僕は確か答えた。それはたしかに、CDでは得られない経験だった。だが、CDがなければ得られない経験だった。そうか、みんながライヴはいいっていうのは、こういうことだったんだな、と気づいた。