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旅、映画、食べ物、哲学?

2都市目:ディジョン〜Carry that Weight〜

5時半頃にホテルをチェックアウトして、ホテル・ル・クレベールを出ると、案の定空は真っ暗、そして小雨が降っていた。コートのボタンを留め、トラム乗り場に行ってみたはいいが、乗り方がよくわからない。トラムを待っている女性に聞いてみて、なんとかチケットを手にすると、目当てのトラムに乗り込んだ。こんなに暗いのに、治安はそれなりに良さそうである。また来るときは、もう少し長く滞在してみたい、観光というよりも暮らしてみたいと思えるような街だった。だが、今回はもうお別れである。

中央駅(Gare Centre)でジュースを買い、列車に乗る時には、徐々に日が昇り始めているところだった。約二時間ほどの旅だ。着くのは8時15分くらい。朝食はディジョンで何か温かいものを食べよう。などと考えているうちに高速列車TGVは南西に向かって動き始めた。車窓を見ると、どこまでも続く緑の畑が見える。パリからストラスブールへの列車でも見えたのだが、フランスのこの辺りの風景は、広大な田園とその真ん中に見えるちょっとした村でできている。その村の真ん中には必ず高い尖塔のある小さな教会が見えた。村の真ん中に教会、小規模な家の集まり、そしてそれを取り囲む田園。その構図は歴史の資料集で紹介されるヨーロッパの都市の特徴そのものであり、なるほど、一緒くたにヨーロッパと言われてるのはここなんだなと思った。それにしても、こういう村の暮らしはどうなっているんだろう。みんな知り合いなのだろうか。スーパーはないのだろうか。あるいはもう進出してきているのだろうか。外の世界を夢見ているのだろうか……私はこの村の住人ではなく、列車の中にいる。そんなことすら不思議に思えてくる……

列車は国境の街ストラスブールからアルザスの土地を南西へと抜け、スイスの隣に位置するフランシュ・コンテを通過して、ブドウ畑が広がるブルゴーニュ地方へと入った。目的のディジョンはこの地方の中心都市である。この地にはかつて、ブルゴーニュ公国と呼ばれる独立国家があった。少し今回も歴史に思いを馳せてみよう。

 

時は紀元476年。イタリア半島よりも西のヨーロッパを勢力圏としていた「西ローマ帝国」が滅亡した。この国は、かつて北は現在の英国、西はモロッコポルトガル、南はエジプト、東はシリア・トルコまでを支配したローマ帝国が東西に分裂してできた片割れである。強大な帝国が分裂し、その西部分が滅亡した理由はさまざまあるが、その一つの理由は、ゲルマン人と呼ばれる今のドイツに住んでいた民族が大挙して西ローマ帝国領内に押し寄せて、勝手に国を作ったからだった。そんな中でできた国にブルグント王国がある。これは今のフランスの東部一帯を支配する王国だ。そしてこの「ブルグント」、フランス語読みにすると他ならぬ「ブルゴーニュ」になる。このブルグント王国は始めこそ力を持ったものの、フランスの北部を中心に勢力を拡大していた大国フランク王国に敗れ、滅亡。その後フランク王国が弱体化すると、その領土内では幾つかの小国が争うようになるが、現在ブルゴーニュと言われる地方はフランス王の支配下に入った。とはいえ、フランス王が直接支配するにはいかんせんブルゴーニュは遠い。そこでフランス王はそこに公爵を派遣し、支配させた。かくして「ブルゴーニュ公国」が整理するのである。ところがこれがフランスにとっては痛手となった。それは特に、フランス王国の王家がカペー家からヴァロワ家に変わり、ブルゴーニュ公爵の地位もヴァロワ家になってからのことである。

ブルゴーニュ地方の北には先ほども紹介したフランシュ・コンテやアルザスがあるが、そのさらに北にはフランドル地方がある。今のベルギーだ。ここは当時、毛織り物、とどのつまりは服やカーペットなどの生産で有名だった。ヨーロッパは寒いので、こういった商品は売れる。そのため、フランドル地方は経済の中心となっていた。時のフランス王の弟でブルゴーニュ公爵となったフィリップ豪胆公はフランドルを支配するフランドル伯爵家の女性と結婚し、なんとこの地方を手に入れてしまう。フランス王国としては、国王家の人間がフランドルを手にしたのはありがたい話のはずだったが、問題はその後である。

当時、フランス王国イングランド王国との百年戦争を遂行中だった。フランス国王は精神を錯乱、側近たちはそんな宮廷の中で権力争い。フランスに勝ち目はなかった。そしてそんな宮廷の中で権力争いをしていたうちの一人がブルゴーニュ公爵だった。間のゴタゴタは端折るが、なんとフィリップの次の公爵ジャンはイングランドと同盟したのである。経済の中心を手に入れ、裕福なブルゴーニュ公国が、フランス王国を見限り、イングランドと同盟する。フランス王国はこのことにより、かなりの痛手を被った。一方のブルゴーニュ公国は、ジャンの次の代のフィリップ善良公の時代に最盛期を迎え、フランドル地方ではファン・エイクなどの画家が活躍し、宮廷では優美な騎士道物語と言われる物語や音楽が流行った。食文化もかなり進み、上質なワイン、エスカルゴ(かたつむり)料理、そしてマスタードが生まれた。フィリップ公爵はしたたかな外交を行い、イングランド不利と見るやフランスに傾いたが、独立国家としての体裁は保ったままだった。次の王シャルル突進公は領土拡大を求め、近隣諸国との戦争を繰り返した。その前に立ちはだかったのが、百年戦争イングランドになんとか勝利したフランス王国だった。百年戦争の英雄シャルル七世の子、ルイ十一世は巧みな外交と陰謀戦略によってシャルルと対峙、ついにシャルルが戦死すると、ブルゴーニュを手に入れ、晴れてこの地もフランス王国のものとなった。そして、今に至るわけだ。

 

ディジョンに到着すると、私はトイレを済ませ、街の中心に出ることにした。外に出るとかなり寒い。パリやストラスブールよりも寒い気がした。アルプスが近いためか、それとも、単純に朝だからなのか。10kgのリュックを背負って、街の中心へと伸びる一本道を歩く。道の真ん中にはトラムが走っていて、街の色は明るいベージュである。しばらく歩くと公園が見えてきて、公園の目の前には由来のよくわからぬ大きな凱旋門風の門があった。門のそばに朝食を食べられそうなところは幾つかあったが、とりあえず街の見物だ、と門を超えてみたり、有名らしい緑の尖塔が美しい教会の方に行ってみたりしたが、いかんせん朝8時なので人がいない。いいかげん朝食を食べよう。私はそう思い直して、凱旋門側のカフェに入った。後々知るが、この、リアルなクマの顔がトレードマークの「コロンブス・カフェ」はチェーン店である。

「ボンジュール」と挨拶をし、陳列棚を見る。何かパンが食べたい。するとクロックムッシューに目が止まった。パリで会うはずだったRくんの友達のHくんに日本であった時のことだ。「フランスに行くんなら、クロックムッシューを試すといいぜ。クロックっていうのは、なんていうか、その、むしゃっと食べること。ムッシューはムッシュー(旦那)。わかるだろ? カリカリのパンの上にハム、その上にはチーズが乗ってて、すげーうまいんだ」と、彼はオススメしてくれた。そうだ、いまこそクロックムッシューを食う時だ。わたしはクロックムッシューとカフェ・オ・レをオーダーした。フランスの朝といえば、カフェ・オ・レと聞いたことがあったからだ。店員のお姉さんは、「あいよ」と頷き、クロックムッシューを電子レンジに入れた。それから、「コーヒーの大きさはどうなさいますか?」と私に聞きながら、カップの大きさを見せる。とりあえず、クラシックってやつにしておいた。そうこうするうちにクロックムッシューとカフェ・オ・レが出来上がった。800円くらい。安くはないが、高すぎでもない。私は肌寒いテラス席へと向かった。

クロックムッシューは電子レンジで温めたやつだったが、中がとろっとしていて美味しかった。カフェ・オ・レも朝にぴったりのまろやかな味である。テラス席は始めは客が1人だけだったが、徐々に増えてきた。フランス人の朝はどうやら遅いみたいである。しばらく肌寒さと朝食のあたたかさのギャップを楽しみながら時間を過ごした。人通りが増えるのを待つという意味もあった。

しばらくして、私は再びメインの道を歩いてみた。人通りは以前まばらだったが、体があったまったこともあって、気分は好調だった。建物はベージュ、屋根は紺っぽい。その屋根から赤い煙突がちょこっと頭を出している。そんな建物がディジョンには並んでいた。そして空気はあいからわずキーンと冷え込んでいた。時折、古そうな木と漆喰の建物がある。だが、ストラスブールのそれとは雰囲気が違う。何が違うのかは説明しづらいのだが、おそらく屋根の作りに違いがあるようだ。それに、ディジョンの建物の方がずっと背が低い。ずっと歩いて行くと、ウィルソン公園という公園に突き当たった。私はそこで少し休むことにした。それは、あまりに荷物が重かったからである。私のリュックは全てを詰め込んだため、10kgもある。それを背負って街歩きはさすがにきついのだ。しばらく公園のベンチに座って、体力の回復を待った。

 

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案内板を見ると、どうやらこの公園から伸びる道を行けば、ブルゴーニュ公爵の住んでいた宮殿に行けるらしい。私はひとまずそこに行くことを目標とし、重い荷物をまた担いで、道を進んだ。途中で巨大な教会にいきあたったり、劇場の前に着いたりしたが、徐々に、荷物の重さに私の精神は蝕まれていった。

しばらく歩くと、地面が突如大理石になった。そこは紛れもなく、公爵の宮殿の前の広場だった。噴水があり、昼に近づき風も気持ちよく、空は真っ青だった。私は宮殿の前にある石でできた椅子に腰掛け、ひとまず荷物を置いた。中に入ろうと思ったが、こういうところはこの大荷物では入れないだろう。私は断念し、外側からその歴史を感じることにした。宮殿から突き出たタワー、そしてこの美しい広場全体が、在りし日の公国の栄華を物語っている。私はふと、芭蕉の「夏草や つわものどもが ゆめのあと」という歌を思い出した。これは東北地方に君臨した奥州藤原氏の都平泉が廃墟となっているのを見て歌った歌だ。正直、ディジョンには全くふさわしくない。なにせ、未だにここまで美しいのである。だが、この土地がかつてはフランスから独立せんばかりの勢いだったことと比べて、日本での「ディジョン」の無名さはなんということだろう。パリ、マルセイユ、リヨン……最近ではストラスブール知名度を獲得してきているが、ディジョンなど誰が知ろうか。歴史とは気まぐれだ。

そんなことを思っていると、家族連れのおじさんがフランス語で、「!£*™(‡°·フォト?」と聞きながらスマートフォンを差し出してきた。写真を撮ってくれということか。わたしは「ウイ(はい)」と答え、写真を撮った。「ボンジョルネ(良い1日を)」と家族全員が言ってくれたので、私も「ボンジョルネ」と返した。気持ちの良いところだ………そう、このリュックさえなければ。

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リュックを背負い、昼食場所を探しながら町歩きを続けることにした。昼食場所と言えば聞こえがいいが、名高いブルゴーニュワインが飲みたい、という魂胆である。相変わらず重いが、仕方あるまい。しばらく歩き、私は街の中心のようなところに出た。先ほどと違って、人でごった返している。真ん中にはメリーゴーラウンド、それを取り囲むのは古い木と漆喰の建物。メリーゴーラウンドはストラスブールの広場にもあったから、不思議なもんだなあと思った。

広場の周りには幾つかレストランがある。だが、朝ごはんにはまだ早い。私はとりわけ人にいる方を目指して歩いた。すると、大道芸人の音が聞こえ、狭い道にさらに人がたくさんいる。どうしたものかと思っていたら、そこはなんと、市場であった。市場があったら入れ。それが私の旅の掟。リュックは重く、私の肩に食い込んでいるが、私は市場に入った。

魚、肉、野菜、そしてワインスタンド。活気と生臭さで満ち溢れている。最高だ。だが、一つ問題がある。リュックが重いのだ。無理して歩いたためか、徐々に頭痛までし始めていた。良い市場なのに楽しめない。私は休むことにして、市場から一度出た。が、座る場所が見当たらない。階段があればいい。だが階段もない。私は歩き回った末、ベンチを見つけて、座った。ひとまずの休憩である。負荷がかかっているせいか、太もももパンパンだ。

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しかし、座っていると、どうしても市場に行きたくなってくる。私は、回復した、と判断し、また街の中心へと向かった。だが、重いせいなのか、逆に「ワインスタンドに入ってみよう」とか、「何が売られているか見てみよう」とかいったことを考えられない。ワインスタンドの椅子は高く、リュックをどこに置けば良いのだろう、と考えてやめてしまった。だが、もはや限界だったため、私は地元民で賑わうカフェに入った。

注文の仕方がよくわからないので、店内にいるおばさんに、「一人です」と告げる。するとおばさんは警戒した感じで、「何が欲しいの?」と聞いてきた。私はとりあえず思いつきに任せて、「コーヒー」と答え、適当なところに座った。あまり余裕がなかった。しばらくしてコーヒーが出てきたので、私はコーヒーを飲んだ。フランスでコーヒーと言えば、エスプレッソのことだ。小さいカップに濃厚なコーヒーが入っている。

観察していると、どうやらおばさんに注文し、椅子に座るのが流れらしい。あるいは、外側の席に陣取ってしまうのが正しいようだ。するともう一人のおばさんがオーダーを取りに来る。なるほど。何事も慣れである。ストラスブールにはカフェがあまりなかったから、練習ができなかった。

しばらくして、私はこの店を出たが、うまいレストランを探す気力もなく、とにかく駅の方へと向かった。だが、ブルゴーニュに来てブルゴーニュワインを飲まずに別の都市に移るわけにはいかない。そう、ディジョンに泊まるつもりはなかったのだ。とりあえず、今日のうちに南のアヴィニョンへと移るつもりだった。それもこれも、フランスを抜けてスペイン入りを果たすためである。今思えば、泊まっておけばよかったとも思う。なんにせよ、もうディジョンとはお別れだった。私はワインを飲むべしと目に付いた賑わっていそうな店に入った。

「いらっしゃいませ。テラスにいたしますか、それとも店内ですか?」とウェイターが言うので、わたしはテラスを選んだ。哲学の世界では「外的」と訳される「extérieur」が「テラス席」を意味するということに若干面白さを感じながら。「外的善」は「テラス席の良さ」である。いいではないか。

メニューを開けてみて驚いた。割と高いのだ。これはまずい。名物のエスカルゴでも食べようかと思ったが、エスカルゴ12個ではお腹が空いてしまう。私は次点で一番安かったムール貝のワイン蒸しと、ブルゴーニュワインで一番安かったピノ・ノワールを頼んだ。ワインはすぐに運ばれてきた。フルーティーでまろやかでおいしい。フランスワインの渋みの強いイメージとはだいぶ違った。やはり、現地で飲めてよかった。しばらくしてムール貝が運ばれてきたが、これがえげつない量である。店員同士の会話を解釈するに、きっとこれは一人分ではないのだろう。だが、頼んだんだ。もう意地でも食ってやる。私はムール貝の鍋に突っ込んでくる蜂やハエたちと格闘しつつ、うまいワイン片手にムール貝との戦いを始めた。とはいえ、相手は貝。実を言うと案外簡単に食べ終わってしまった。問題は付け合せのポテトだったが、それもなんとかなった。食後にコーヒーを頼み、アヴィニョンまでの行き方をスマートフォンで検索した。

すると、である。どうやらアヴィニョンまでの列車は出ていない。必ずリヨン乗り換えである。どう調べても、そうなる。今のリュックを背負って歩いて疲弊した体には、それは非常に面倒だった。しかもアヴィニョンという街を知らないので、ホテルも取らねばならないかと思うと気が遠くなった。それなら‥‥‥リヨンに泊まれば良い。リヨンは一昨年行った町である。また行けばいいじゃないか。しかも、ディジョンからリヨンの列車は、予約料なしで乗れるTERだった。私は行き先を急遽変更し、リヨンへ行くことを決めた。

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