Play Back

旅、映画、食べ物、哲学?

3都市目:リヨン〜リベンジするは我にあり〜

ブルゴーニュ地方からリヨンのあるローヌ・アルプ地方までは在来線TERで行けば良い。所要時間は2時間だから、すぐについてしまう。

リヨンというと、フランス第二の都市とも言われる都会である。その歴史は古代ローマまで遡る。フランスの地がローマ帝国の「ガリア地方」と呼ばれていた時、ガリア地方は三つに分かれていたのだが、ルグドゥヌムことリヨンはそのうちの一つ「ガリア・ルドゥグネンシス州」の州都であった。この州は今のパリも含んでいるため、このころはルテシアことパリよりも大都市だったのだろう。リヨンはローマ帝国亡き後も反映し、そして現在に至る。

街には二つの川が流れ、「山がちなエリア」、「真ん中」、「駅のあるエリア」の三つに分けられると思う。「山がちなエリア」は旧市街も旧市街で、古い建物が残り、ローマ時代の遺跡もある。それに夜には山のてっぺんからはリヨンの夜景が楽しめる。「真ん中エリア」は、リヨンの市街地という感じで、旧市街ほどの古さではないが、日本人の感覚としてはやはり古い街である。広い道、ルイ十四世の像のある広場、そしてレストラン街に、スイスのジュネーヴを思わせるでかくて漕ぎれない建物……美しいヨーロッパの街という感じだ。そして「駅のあるエリア」を見ると、驚く。そこは別世界であり、高層ビルが立ち並ぶ、新市街なのだ。

実を言うと、リヨンは初めてではなかった。一昨年、私は大学の友人5人とフランスを訪れたことがあり、その際に立ち寄ったのが、パリとリヨンだったからである。一昨年は「山がちなエリア」のてっぺんにあるユースホステルに泊まった。夜景、夕焼け、そして朝焼けが素晴らしい場所だったと記憶している。だが、今回はそこまで行くのはやめた。なぜなら、ディジョンの町歩きで疲れ切ってしまっていたからだ。背中が痛いし、足にも負荷がかかっている。私はとにかくホテルに泊まりたかった。そもそもリヨンでの滞在は予定外だったこともある。

列車が駅に着くと、私は大手チェーンのホテルibisを探すことにした。ホテルを探す元気がないし、ユースのようなドミトリーではなく、個室でゆっくりとしたかった。それに、外はずいぶん暑い。パリ→ストラスブールディジョン→リヨンとやってきたが、気温がここにきてグッと上がったと感じた。だから、衣替えをして、パッキングを見直す必要がある。そうなれば、個室の方が都合がいい。ちょっと値ははるが、ibisなら耐えられるくらいだと信じた。

ところが、駅周辺の新市街は初めてだったということもあり、私はだいぶ迷ってしまった。それもそのはず。ホテルのある通りはなんと、高架下の狭い通路を行く道であり、道に見えなかったのだ。そのことを理解し、高架下を通り抜け、新宿西口の都庁周辺にも似た風情の街を歩いていると、ibisはあった。70ユーロ。昨日のホテルは57ユーロ(これでもだいぶ高い)。日本円にすると8000円くらい。非常に高い。だが、時には仕方ない。何しろ疲れていた。私は倹約旅など忘れちまえとibisに部屋を取った。

ibisはパリの空港にあったものに泊まっていたので、部屋に入るとなんだか懐かしい雰囲気だった。私はテレビをつけた。ドキュメンタリー調の番組をやっている。余談だが、私にとってテレビと旅は切っても切り離せない。なぜなら、テレビはその国を映す鏡でもあるからだ。街を見ているだけではわからないことがわかってくる。例えば、ヴェトナムのテレビではたまに外国の映画をやっているが、実はこれは字幕でも吹き替えでもない。なんと、同時通訳なのだ。だからどんなに緊迫したシーンでも、どんなイケメンも、どんな美女も、みんな同じトーンの女性の声になっている。ヴェトナムにはそんな事情がある。これはテレビを見なければわからなかったことでもあると思う。ちなみにフランスで、私が大好きだった番組は、France 2で平日の23時くらいからやっているバラエティだ。ゲストたちが、「曲に合わせて口パクしろ!」とか「この商品をお題に合わせて紹介しろ!」とか「ジェスチャーで伝言ゲーム!」とかいう無理難題系めちゃくちゃゲームに挑む超くだらない番組である。確かこれは、リヨンで見つけたんだったと思う。

テレビを見ながら、明日の列車の予定を考えていると、ふと、帽子をどこかに落としたことに気づいた。多分ロビーだ。でも、正直もうヨレヨレで、かなり黒ずんでいたので、よしとしよう。どこかで買えばいい。私はそう思い、ベッドに倒れこんだ。明日は朝9時20分のTER(在来線。ユーレイルパスで無料になる)に乗って、アヴィニョンへ向かおう。それからは、それから次第。だが、アヴィニョンはあまり交通の便が良くないので、宿泊はもっといい場所に行ったほうがよさそうだ。今回のディジョンでの一件を考えれば、アヴィニョン観光は二時間。それでも、ただ列車で移動するだけの旅よりは、少しでも街を見て、風を感じたほうがいいに決まっている……とまあ、あれこれ考えているうちに、私は眠りに落ちてしまった。

 

起きると、18時くらいだ。フランスのレストランが開くのは7時から。本番は8時からだという。街を観光するのも面倒だったから、とりあえず夕飯を食べに行くとして、30分くらいは部屋にいてもバチは当たらない。

リヨンは美食の街として名高い。フォアグラが名産で、イタリア由来の独特の食文化があるらしい。そして、パリのビストロとは少し違った、大衆食堂ブションで出す料理が有名だという。全部伝聞調なのは、実を言うとまだ知らないからだ。一昨年来た時は、あいにくの日曜日であり、店が軒並み閉まっていた上に、どこにブションがあるのかよくわからず、適当なブラッスリー(レストラン)に入ったのだ。しかも、そこで食べた鴨料理マグレ・ド・カナルは「とろけるように柔らかい」という前情報とは違い、わりかし硬くて、しかも味がなかった。あの旅では食に関してハズレを引き続けていたが、リヨンよ、お前もか!(Et tu, Lugdunum!)と思ったのを記憶している。

と、なれば、である。今回は、リヨンをリベンジしてやろうではないか。リヨンの本当の力を見せてもらおう。正直、ホテル代、昼のムール貝と浪費しすぎな感はあるが、リヨンにいるのだ。真骨頂を見せてもらおう。私は闘志をみなぎらせ、ベッドから起き上がり、ガイドブックでレストラン街を探した。ホテルのある「駅のあるエリア」から川を一つ越えて「真ん中エリア」の奥に行かねばならない。地下鉄もあるが、ええい、ここは歩いてやろう。案外いけそうだ。私は珍しく計画を練ったうえで、外に飛び出した。日は傾きかけており、眩しい。サングラスを出すべきだったと後悔した。

レストラン街までの道のりは、案外難しくはなかった。というのも、ホテル沿いの道を川までだーっと歩き、途中の橋を渡り、それから目の前の大通りをバーっと歩けば、すぐ左にレストランのあるメルシエール通り。日中と違って日が陰ると風が気持ち良い。川辺は特に良くて、ゆっくり歩きたくなった。そういえば、大学の後輩がここに住んでいたという話を聞いた。随分いいところにいたもんだ……だが、まだリヴェンジを果たしていない。散歩は食後だ。私は勇み足でレストラン街を目指した。

レストラン街は見てすぐにわかる雰囲気を持っていた。狭い路地にずらりとテラスが並び、人々が食べている。少し早めに着きすぎたので、行ったり来たりを繰り返してみたが、一人、また一人と客が入る。値段は大抵一皿19ユーロくらい。だいたい2000円か。それにワインを入れると、少し高くなるだろう。小さな路地でフォークとナイフの音、人々の話し声が反響している。この街は生きていると感じられる風景だ。周りの路地も見てみたが、やはりここが一番だった。

しばらくうろついて、私はリヴェンジマッチにふさわしい店を探した。値段、客の入り含めて一番良いのはどこか。白羽の矢が立ったのは、メルシエール通りと別の通りのT字路にある紫色のモダンな装飾の店だった。看板にはしっかりとBouchon(ブション)と書かれている。しかも、テラスでは店員と常連が楽しそうに話しているではないか。

フランス語で話すということにハードルを感じていた私は、一瞬ためらいを感じつつも、この店しかない、と店に飛び込んだ。

「Bonsoir, une personne(こんばんは、一名です)」

すると髭面の若い店員は、中か外かと聞いてくる。あの雰囲気を味わいたいので、私は外を所望した。店員の言われるまま席に着くと、しばらくして、女性の店員がやってきた。フランス語だったのでわかりづらかったが、どうやら予約が入っているらしい。仕方ない。私は流れに身を任せ、店内で食べることにした。

この店のこの日のオススメは、なんと、一昨年リヨンで失敗した「マグレ・ド・カナル」だった。これはもう、運命だ。注文を取りに来た若い女性の店員に私は早速マグレ・ド・カナルを注文した。喉が渇いていたので、飲み物はビールである。

「焼き方は?」と聞かれたので、とりあえず覚えていた語彙を使ってみた。

「あー、ロゼ」ロゼとは、ピンク色のこと。だから肉がピンク色になるくらい、という意味だったと思う。

白を基調とした店内は小さく、客の入りもまばらだったが、アットホームな空間だった。二階席もありそうな雰囲気で、行き来する人がいる。部屋の奥にはバーのようなものがあって、そこで酒を出しているようだ。作り自体はカフェと変わらないが、なんとなく人を落ち着かせる空気感が流れている。

しばらくして、先ほどの髭面の店員がマグレ・ド・カナルを運んできた。鴨肉に珍しく白いソースがかかっている。付け合せはフランス名物のフレンチフライ(フリット)。店員の「Bon appétit(召し上がれ)」という言葉とともに、リヴェンジマッチが始まった。

肉を切ってみる。ものすごく柔らかいというわけではないが、柔らかい。口に運ぶ。白いソースが絡んで、とてもうまい。これは間違いない。リヴェンジマッチに勝利したのである。私は大事にマグレ・ド・カナルを食べた。このマグレ・ド・カナル、フランス料理にしては珍しく、あまり大量には出てこない代物だからだ。それにしてもうまい。臭みのない鴨肉と、バター風味のソースがうまく合っている。

食べ終わって満足し、店の外を見ていると、若い女性の店員が、

「食べ終わりましたか? いかがでした?」と聞いてきた。私は、

「C'était très bien(とてもよかったです)」といった。très bon(とてもおいしい)と言おうとして、いつも言い間違えてしまう。私は、「parfet(完璧でした)」と付け加えた。

「デザートはよろしいですか?」と聞いてきたので、私は、

「じゃあ、コーヒーをお願いします」と答えた。今日は腹の余裕はあったが、懐の余裕があるか不安だったからだ。

店員はエスプレッソコーヒーを持ってくると、おもむろにペンを取り出し、

「会計はテーブルではなく、あちらのバーで行います。コーヒーが終わりましたら、テーブル番号を向こうで教えてください」といって、紙でできたテーブルクロスに「9」と書いた。

「わかりました」私はそう言って、うなづいた。

ヨーロッパではテーブル会計が普通だ。こんな会計は初めてである。なるほど。やっぱりリヨンの食文化は、他の街とは違うのか。私は、面白いな、と思いながら、濃厚なエスプレッソコーヒーを飲んだ。美味しいけど少し重いヨーロッパ料理を食べた後は、エスプレッソに限る。口の中がさっぱりして、胃が動き出すのが感じられるからだ。私にとってのデザートである。

しばらく食休みをして、私は恐る恐るバーのところへ向かった。

「L'addition, s'il vous plaît, eh, table numéro neuf(お会計お願いします。えーっと、テーブル番号9番です)」

おそらく店長なのであろうサバサバした感じの女性が、

「parfet(完璧ですね)」とにっこり笑いながら言い、会計を出した。26.50ユーロ。チップはいらないと何かに書いてあったので、ちょうどの金額を払い、Merci(ごちそうさまでした)と礼を言って外に出た。外はまだ明るい。

 

その後は、川沿いを歩き、それから一昨年行ったパン屋と公園を探してみた。結局見つからなかったが、一昨年行った広場には行き着いた。真ん中にはルイ十四世の騎馬像がある。フランスで20時は夕暮れ時なので、広場も夕焼けに包まれていた。リヨンはもういいかと思っていたが、なんの巡り合わせか、来てみてよかった。一昨年の旅の記憶と、今年のリベンジ。リヨンの街は祝福してくれているようだ。広場を抜け、大通りを歩こうと横断歩道を待っていると、一昨年泊まったユースホステルのある山が夕焼けに染まっている姿が見えた。今度来るときは、この街で何をするんだろう。私はそんなことを思いながら、大通りを歩き、川を渡って、ホテルへと向かった。

f:id:LeFlaneur:20170915231309j:plain

明日は、ついに南仏のアヴィニョンへ出発だ。