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ある大学生の日常をエッセイ調にかっこつけて書く。

5都市目:ニーム〜羅馬人どもが夢の跡〜

アヴィニョンから近郊のニームまでは、在来線のTERでたったの30分で着く。ニームアヴィニョンの西にある。TERにはニームよりさらに西の一帯である「オクシタン地方」のマークが描かれており、フランス国鉄SNCF)のオクシタン部門が運行しているようだ。といっても中身は普通のTERであり、新幹線のような二人がけの席が並んでいる。窓からは太陽が燦々と降り注ぎ、かなり暑い。

ニームアヴィニョンの間には、有名なポン・デュ・ギャール(le Pont du Gard)という橋があるという。世界史を学んだ人ならば一度は聞いたことがあるだろう。この橋は、ただの橋ではない。水道橋といって、橋の上に水道管を通し、水源から街まで水を運ぶための橋である。今では利用されていないが、まだその形はしっかりとしている。作られたのは、今からなんと2000年前。そしてそれから600年の間現役だった古代ローマの遺物だ。

本当はこの橋を見たかったのだが、アヴィニョンからバスを使う必要がある。そしてまたバスでニームに移動することになるが、そのバスの本数が必ずしも多くはない。なんだか面倒になって、今回はパスしてしまった。早くニームの町に入っておきたかった。

ニーム駅は、アヴィニョン駅よりも格段にでかく、そして気温も格段に暑かった。私はバックパックを背負い、少し迷いながらなんとか出口のあるフロアーにたどり着き、国鉄のオフィスで明日の列車の予約をした。高速列車TGVを使うには、予約が必要なのである。

喉が乾きそうなので、自販機Selectaでミニッツメイドのオレンジジュースを買って、私は意気揚々と外に出た。太陽が暑い。この町のシンボルは、かつてローマ帝国がこの辺りを治めていた時の円形競技場。駅から歩いてすぐのはず……だったのだが、これがなかなか見当たらない。しばらく道を歩いて見て気づいた。なんと駅の逆の出口から出てしまったのだ。まあこんなものか、と思いながら私は駅に戻った。それにしても暑い。

正しい出口を出ると、広い、公園をそのまま道にしたような格好の遊歩道があった。脇には水が流れ、子供や大人が水に足をつけている。水、それこそローマ帝国の一つの動脈だった。そしてこのニームという街はローマの街が残っていることで有名な町である。水のせせらぎを聞きつつ、わたしは一度、ベンチに腰掛け、ツーリストインフォメーションの場所を確認しておいた。そこにたどり着けば、ホテルリストがある。それに従ってホテルを探そう。

再び遊歩道を歩き始め、突き当たりにある噴水を横目に左に曲がる。街の中心へと伸びる道はそちらにある。と、その時である。目の前に巨大な建物が現れた。それは、いわゆる円形闘技場(コロッセウム)だった。やっと見つけた。闘技場はローマのものよりもかなり保存状態が良さそうで、形も綺麗な円形だ。

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闘技場の周りにはレストランが並び、大規模なテラス席もあるが、どことなく落ち着いた雰囲気だ。夕食はここで食べたいとふと思った。ローマの歴史の名残を感じながら夕食というのはなんとも優雅でよろしいではないか。

闘技場の周りをぐるりと回ると大通りに出る。大通りはアヴィニョンに似た雰囲気で、街路樹が美しく、静かに時が流れている。だが日曜なので閑散としており、アイス屋にならぶ赤や青の毒々しい色の液体をかき混ぜる機械だけが寂しく回っている。時折テラスでは地元民がコーヒーを飲んでいるのが見える。

とにかく大通りをまっすぐ歩いていると、突如ひらけた場所に出る。道を挟んで左側にはガラス張りの建物。そして右側にはローマ帝国時代の神殿と思しきものあった。保存状態がものすごく良くて驚いたが、よく見ると柱が本堂にうもれている。再建されたレプリカだろう。それでも、入り口前の階段にたくさんの人が腰掛けている姿は、歴史がそのまま生きている光景であった。

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しばらく神殿のあたりにいてから、再びメインストリートに戻る。そのまままっすぐ行くと、そこには小さな公園があった。公園の真ん中にはローマ人の像が立っていて、韓国人と思しき観光客の女性が自撮りをしていた。ローマファンだろうか、話しかけてみようか、などとくだらないことを考えながら、像に近づいて見た。顔を見るとどうやら第十五代目ローマ帝国皇帝のアントニヌス・ピウスである。はたと思い出したのだが、確かアントニヌスの父親はフランス出身であった。ニースだと思い込んでいたが、ニームだったようだ。ローマ帝国の領土拡大政策をストップさせて、安定成長期を築き上げたハドリアヌスの跡を継ぎ、皇帝になったアントニヌスはその路線を維持しつつ、ローマ帝国の黄金期をもり立てた人物だ。地味だが、わたしは好きな皇帝の一人だった。ちなみに阿部寛主演の映画「テルマエロマエ」では、宍戸開が演じている。

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やはりこの街はローマの記憶が刻まれている。わたしはローマ帝国ファンなので気分を上げた。しかし、問題もあった。どうも、ツーリストインフォメーションが見当たらないのだ。神殿のそばだというが、何処なのだろう。わたしは別の道から公会堂方面に歩いて見た。

結論から言うと、ツーリストインフォメーションはその道にあった。だが、これは不親切だなと言う場所にひっそりとある。ツーリストインフォメーションなんだから、駅前とか、わかりやすいところにおいてほしいものだ。わたしは中に入り、ホテルリストをもらって、値段からあたりをつけた。どれも駅に近い。だから、なぜツーリストインフォメーションを駅にも置かないのか。困ったものである。

照りつける日の光の中、わたしは駅へと戻った。神殿、モダンな建物、テラス、アイス屋、レストラン街、コロッセウム。一番安くてコロッセウムの目の前にあるホテルは、「Complet(満員)」。残念無念。さらに駅前の遊歩道に戻り、駅の目の前にあるホテルアヴァロンに入って見る。アヴァロンというとアーサー王伝説に出てくるアーサー王が死に際して赴いた島の名前だが、フランスはおろかローマ帝国とも関係がない。まあいいか、ダメだったら隣のホテルセザール(=カエサル)にでも行こう。入ろうとすると、入り口の目の前でおじさんが掃除をしている。とりあえず声をかけて中に入ると、どうやらそのおじさんがオーナーのようで、わたしの後ろからやってきてカウンターに入った。

「Vous avez une chambre libre?(空いている部屋はありますか?)」

「Oui(はい)」

よかった。また歩かねばならないかと思う時が遠くなる思いだっただろう。宿泊料は60ユーロで、フロントは9時に閉まるらしい。いささか早いがまあいい。オーナーのフランス語の半分くらいしか聞き取れなかったが、なんとなくはわかる。わたしは案内された通りに狭い階段を登り、部屋に入った。ちょうどいい狭さの良い部屋だ。しかも、バルコニーまである。

部屋にはエアコンがあるはずはないので、かなりむわっとしている。扇風機のスイッチをONにして、わたしは汗だくになったシャツを脱いで、しばらく部屋で休憩することにした。テレビをつけてみる。CMでビートルズのAcross the Universeがかかっている。それにしても蒸し暑い。やはり南に来たのだ。わたしはそう実感した。

新しいシャツに着替えて、わたしはフロントで町の地図をもらった。どうやら、鍵は返さなくて良いようだ。

「Bonne journée!(良い1日を!)」と声をかけてくれたので、わたしはそのまま返し、太陽の降り注ぐ遊歩道に戻った。さて、どうしよう。まずは勿論、コロッセウムだ。

行ってみると、値段は10ユーロ。日本円で1300円くらいか。今思えば入っても良さそうだったが、この日は倹約志向だった。10ユーロというと昼食一食分、という判断がなぜか働き、またの機会に行こうと思ってしまった。本当に勿体無いことをしたと思う。あの時は、自分の使った費用の計算をして、初日も二日目も130ユーロ(=15000円)くらい使っていることが明るみに出て、最初の計算の100ユーロを超えていたことに焦っていたのだろう。焦って、大切なものを見逃してしまう。これから直して行かねばならぬのは、そう言った性向だ。

さて、コロッセウムを外から眺めながら、神殿へ向かう。神殿の正式名称は「Maison Carrée」で、「正方形堂」とでも訳せるだろう。そこは5ユーロだった。公会堂に入ってみると、係員の人が何やら、「シネマ・オンリー」と言っている。よくわからないがコロッセウムに入らないという選択をしたこともあって、なんとなくどこかに入りたかったのでとりあえず買うと、「10分後から入場です」という。きっとこの街に関する映画の上映をやるのだろう。わたしは近くのアイス屋で水を買った。本当にニームにはびっくりするほどたくさんのアイス屋がある。需要があるのはわかる。なにせあんなに暑いのだ。何も防ぐものがない上に、ローマ時代の景観に配慮してか建物や地面が白っぽいものだから、太陽の光が上からも、下からも来る。サングラスは欠かせない。

指定された時間に行くと、神殿の階段の上に列ができている。しばらくしてチケットのチェックがあり、中に入った。神殿の中は完全に劇場だった。なるほど、これは神殿観光ではないですよ、という意味での「シネマオンリー」か。わたしは腰をかけた。このニームという町の歴史についてのちょっとした紹介映画のようだ。

‥‥と、日本のビジターセンターのイメージでいたのが間違いであった。この映画、かなり良くできている。変なゆるキャラが、「ようこそ、ニームへ!」というのかと思いきや、いきなり神殿で祈る男が登場する。何かの儀式のようだ。そして、話は過去へと遡ってゆく……

 

ニームの歴史は、紀元前1世紀に始まる。

当時ローマに突きつけられていた問題は、ローマの北、今のドイツにいたゲルマン人の動きだった。ゲルマン人が突如西へと移動をし始めたのである。そのせいで影響を受けたのが、今のフランスに住んでいたケルト人だった。ケルト人からのSOSと、ローマ人の危機意識から、ローマは派兵することに決定。さらにローマは、これを機に、ライン川を防衛する代わりにフランスを自らの範囲内に入れることも狙っていた。ケルト人という、困ったときはSOSをするが、いざとなると敵対する民族がすぐ目と鼻の先のフランスにいるのが嫌だったからだ。その司令官として白羽の矢が立ったのは、当時ローマの中央政治に大きく関わっていたガイウス・ユリウス・カエサルだった。

ニームのある、当時の「ガリア・トランスアルピーナ(アルプスの向こう側のガリア)」はローマの支配下にはなかったが、ニームの首長はいち早くローマへの帰順を示した。映画でもそのシーンは出てくる。カエサルから直々にブレスレットを与えられるのである。ニームは泉の神を信仰する場であり、ニームケルト人たちはそれを誇りにしていた。映画の中では、神のお告げによって、ローマ側につくことを決めていた。ニームラテン語名は「ネマウスス」。泉の神の名前から取られているという。

カエサルケルト人部族の兵士と共に破竹の勢いで北へと登り、ゲルマン人をなんとかライン川の向こう側に押し込んだ。しかしこの戦争はこれだけでは終わらず、ゲルマン人の侵攻、さらにはローマ軍駐留を不名誉と捉えるケルト人部族による反乱、現在のイギリス(ブリタンニア)からの侵攻など多くの局面を経てゆく。ガリア戦争と呼ばれるこの戦争のクライマックスとも言えるのが、ケルト人の首長ウェルキンゲトリクスが起こした反乱だ。ウェルキンゲトリクスはフランス中のケルト人に、「ローマと戦え」という呼びかけを行い、かなりの部族がローマから離反、危機的状況に陥った。しかもこのとき将軍カエサルはイタリアに戻っていたのだ。カエサルはそのまま引き返し、一度は敗戦するものの、その後アレシア包囲戦に勝利し、反乱を鎮圧。これ以降フランスはローマ帝国支配下に入る。このときも、ニームはローマ側についた。

その後、フランス(ガリア)をカエサルが平定すると、カエサルはローマの政治体制の改革に挑んでゆく。カエサルの改革とは、貴族の集まりである元老院が力を握る政治にメスを入れるものであり、そのなかでフランス(ガリア)の首長を元老院議員にするという政策もあった。彼の改革は元老院の反感を買い、フランス平定後すぐに保守派軍人ポンペイウスとの内戦が始まる。これをカエサルはなんとか切り抜け、さらなる改革を推し進めてゆくことになるが、反感を抱く議員数名に暗殺される。後を継いだオクタウィアヌスは、カエサルの一番の部下アントニウスとの権力闘争に勝利し、紀元前27年、ついに元老院から「アウグストゥス(尊厳ある者)」という名前をもらい、さらに最高権力者である「皇帝」となり、カエサルの改革を完成させた。

さて、カエサルのフランス平定でカエサル側として戦ったネマウスス、つまりニームの街は、後継者アウグストゥスの手によって、「コローニア・アウグスタ・ネマウスス」として改称され、退役軍人たちが入植した。この街は、当時の南フランスであるガリア・ナルボネンシスの中心地として栄えることとなる。かつての泉の神を祀るところには巨大な塔が建てられた。そして、神殿が建てられ、ローマ式のコロッセウムも建造され、この街は急速にローマ風の都市に脱皮する。それゆえ、「フランス最古のローマ都市」と呼ばれているようだ。映画は、そんなネマウススの祭りに、かつての族長の子孫が市長として参加するところで終わっていた。

映画では描かれていなかったが、このニームのフルウィウス家は、その約150年後、皇帝を輩出することになる。これが先ほど述べたアントニヌス帝だ。彼はもともと軍人、元老院議員だったが、先代のハドリアヌスの後継者に選ばれ(紆余曲折あるが、その辺は漫画のテルマエ・ロマエを読んでいただければ、と)、皇帝になった。ハドリアヌスは対外戦争よりも国境防衛を重視したため、ハドリアヌスの前の代の皇帝で戦争がうまかったトラヤヌスの路線を気に入っていた元老院に嫌われていた。就任してすぐにトラヤヌス元老院議員4人を暗殺したせいもあるだろう。アントニヌスはそんなハドリアヌス帝の業績を元老院議員に認めさせるという大技を成し遂げ、「慈悲深い人(ピウス)」と呼ばれた。そんな皇帝も、ニームの街がなければ生まれなかったのだ。

 

 映画が終わり、私は神殿の外に出た。よくできた映画だったので、なんとなくいい気分である。それから地図に書かれている「ディアナの神殿」に行ってみることにした。先ほど立ち寄ったアントニヌスの公園からさらに歩く必要があったが、映画では泉で祈るケルト人のシーンがたくさん出てきていて、ディアナの神殿の方にその泉があるらしかったので是非行きたくなったのだ。

公園まで行くと、目的地のディアナの神殿があるより大きな公園まで、水路沿いの道があった。水路沿いに並木道がある雰囲気は、どことなく、カンボジアシェムリアップにも似ていなくはない。先ほどまで照りつける太陽を直に受けるような道にいたせいか、この道は見違えるほど気持ちがいい。太陽が緑に照りつけ、並木道は緑に輝いている。水路の水に反射した太陽は、この道がまるで本当に泉の精霊のいる場所に誘ってくれるようで幻想的だ。ここをゆっくりと歩いていると、やはりニームは、「泉の神」を祀る「水の町」なのだなと感じた。

それだけではない。この街は「公園の町」でもある。この水路沿いの道だって、駅前の遊歩道だって、どことなく公園を想起させる。それは気持ちの良い緑と、水のせせらぎだけではなく、道を歩く人の穏やかな表情と、遊ぶ子供達の笑顔のおかげだ。

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しばらく歩くと大きな噴水が現れる。それを超えると、大きな公園が出てくる。フランスではよく見るのだが、公園の門はやけに豪奢で、まるで宮殿のようだ。何か入場料でも取られるのかと身構えたが、無料だった。公園の砂利の広場には、案の定、メリーゴーラウンド。出店も出ていた。そこは、最近ではあまり触れることもなくなった、夏の記憶を宿していた。夏の香りがあった。楽しく、切ない夏の香りが。

公園には大きな池のようなものがあって、その池を越えた向こう側は小高くなっている。この辺りがネマウススの町の神聖な領域だったのだろう。そんな池の隣に、ローマ時代のものと思しき遺跡がある。間違いない。これがディアナの神殿だ。柵で囲われてはいるが、別に入場料も何もなく、見れるようだ。私は神殿に少しだけ一礼をして、神殿の遺跡に入った。

大部分が崩れ、草も伸びているディアナ神殿は、今にも崩れ落ちそうだったが、それでいて、どこか美しかった。今手にその威厳はある。そこには月の女神ディアナが宿っていそうな雰囲気がどことなくあった。中に入ると、薄暗く、ちょうどカンボジアのバイヨン遺跡で感じたような、静謐な神聖さを感じた。目をつぶって数分間座ってみたいという衝動に駆られたが、どうも場所がない。表に出れば、遺跡の以降に子供たちが座っている。かつてカンボジアの記事で書いたが、やはり遺跡であってもこれくらいの方が、生き生きとしたものを感じる。いくら、遺跡が死んでいようと、人がいて、馴染んでいるということが、遺跡を生かすのだ。私は再び遺跡の中に入ってみた。子供連れの父親が、何やら子供と話しながら、手をつないで廊下を歩いている。歴史と未来が交差していた。

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ディアナの神殿でしばらくゆっくりした後、かつて泉の神を祀っていたという場所で、今は古代ローマ時代に建てられた「トゥーラ・マグナ(大塔)」の方に行くことにした。池の周りにある階段を登り、それからは小高くなった丘を登って行く。途中で違う方向に行ってしまったが、なんとかたどり着いてみると、これがものすごかった。石でできた塔がそびえ立っている。今のものは再建されたものらしいが、それにしてもローマ人が2000年前にこんなにも高い塔を立てたというのはすごい。もちろん、彼らに技術があったのは知っている。だがそれにしても、あのそびえ立つ高い塔を見ると、圧倒されてしまう。初めは登るつもりはなかったが、登りたいと思うようになった。

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入場料は3ユーロ。映画より安い。これはもしかするとニームの穴場スポットかもしれぬ。塔の中には螺旋階段があり、少し前には家族連れがいた。そびえ立つ塔の何処までも続く螺旋階段。燃えてくる。わたしは早速登り始めた。塔は薄暗く、なんとなく冒険している気分になる。階段は徐々に狭くなってゆき、身の回りは徐々に古代中世の雰囲気になってゆく。段も徐々に急になり、最後にはまるで登山である。

登りきると、明るい場所にたどり着いた。ついに展望台なのだ。展望台、とは言ってもスカイツリーや東京タワーとは違う。なにせ古代の塔である。全面石造りだ。人が横並びにやっと二列入れる程度の幅の展望台には、何人かの観光客がいた。子供連れの男性が、目の前に広がる街を子供に見せていた。前の列の人が譲ってくれたので、風景がよく見えるところに出る。

思わず息をのんだ。森のようになっている、池のある先ほどの「フォンテーヌ公園」を挟んで向こう側に、一面赤い屋根とベージュの建物がずらりと並んでいた。それこそ、ニームの街であった。空は青く、日は降り注ぎ、街は素朴な色。

「アレーナ(コロッセウム)どこー?」と隣の家族の娘が言った。

「そうだなぁ、えーっと」と父親は困惑しながら、街をながめまわす。

「ほら、そこにパノラママップがあるわよ」と母親は、展望台に設置された地図を見つけ、それからコロッセウムの方を指差した。

一瞬見えなかったので、わたしも目を凝らしてみてみる。すると、建物たちに埋もれるような感じで、ちょっとだけコロッセウムのてっぺんが頭を出している。写真を貼るので皆さんも探してみていただけたら、と思う。

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再び階段を降り、塔の中に入る。塔の歴史の展示があったので読んでみた。この塔はアウグストゥス帝によるネマウススの植民の頃に建てられたという。この場所には泉の神の聖域があった。不思議なことに、この塔建立の由来は明らかではないらしい。ロマンがある。そしてこれはその後中世に再建されるが、このロマンある不思議な塔は人々の想像力を掻き立て続けた。かのノストラダムスヴィクトル・ユーゴーもこの塔について文を残しているという。

ありがとう、と受付の人に言って、わたしは外に出た。なかなか楽しい体験ができた。ヨーロッパの日暮れは夜の9時なので、まだまだ明るい。わたしは公園を散歩することにした。遊ぶ子供たち、熱く手を握り歩くカップルたち、寄り添って歩く老夫婦、そしてわたしのように一人で歩く人。この公園は人生でいっぱいだった。そして、それをローマの遺跡が見守る。こんなに良いところが他にあるだろうか。わたしは半日にしてニームという街が気に入った。

遺跡や公園だけではない。コロッセウムの周りの街並みは、今まで行ったどの街とも違う雰囲気があった。例えるなら、三谷幸喜の「マジックアワー」の町の雰囲気だ。まるでセットのような、美しく綺麗な町。道は大理石でできていて、建物はベージュ。店は日曜日なので軒並み閉まっているが空気感が良い。広場に出ると、どんなに小さな広場でもテラスが並んでいて、客が談笑しながら食べている。

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夕食はコロッセウムの目の前にある店で食べることになった。肉続きだったので、魚が食べたくなっていた。そしてその店ではサーモンを売っていた。だから、そこを選んだわけだ。

フランスの店の入り方というのは難しい。いまだに何が正解なのかわからない。店の中まで入って声をかけることが多いが、正直わからない。この時はウェイターの人に話しかけて見たら、ウェイターは忙しそうな顔をしながら席に案内した。

この時はフランス語にあまり自信がなく、使う元気もあまりなかったので、「英語は話せますか?」と聞いてみる。微妙そうである。まあ日本だってこんなもんだろう。何とかしてサーモンとビールを頼んだ。サーモンはこの日のオススメだったがメニューに載っていないので少々焦った。

8時半くらいになると、徐々に日が落ち始めた。日本語で言う「夕暮れ」とは、時刻が違いすぎて妙である。むしろこれは、まさしく、「黄昏」と言うべきだろう。そんな黄昏時のオレンジ色の光が古のコロッセウムに差し込んでいる。その風景はどことなく物悲しく、時代の流れを感じさせた。

サーモンは程よく脂が乗っていてうまかった。あいも変わらずフランス名物のフレンチフライがくっついてくるのには参ったが、ビールのつまみと思えば悪くない。アジア人が少なかったし、フランス語のできない外国人と認識されてしまったせいか、あまりウェイターが来てくれない。食後のコーヒーを頼むにも、会計を渡すにも。忙しさだけではなく、あきらかに「がいじん」として対応されている雰囲気があった。身から出た錆なのだが、少しだけ寂しかった。これからはもっとフランス語を使おう、これからはもっと愛想の良い表情でいよう、そう思った。

穏やかな風に吹かれながら、日の落ちかけた道を歩いてホテルへと向かった。途中の売店で水を買う。笑顔で挨拶をすると、なんでこいつは笑顔なんだと言う顔をされる。難しい。笑顔に頼るしかないのは、言葉ができないからだ。イタリア、カンボジアと、現地の言葉に頼る必要はないんじゃないかと言う結論に至ったが、ここに来てそれを撤回せざるを得なくなった。やはり、言語は大事なのだ。

ホテルに戻るとオーナーがいたので、挨拶をした。オーナーはにっこりと笑って挨拶を返した。少し気を取り直すことができた気がする。部屋に帰って、バルコニーに出て見た。目の前には駅があって、電車が行き来している。電車の音以外は静けさそのもの。。またいつか、この街に来たいと思った。もっとこの街のことを知りたくなった。そして、もっとこの街の人と交流したかった。時に冷たくされ、時に惚れ込み、そして再会を望む。旅とは、街に対する片想いなのかもしれない。

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これは翌朝のバルコニー

 

……などと馬鹿げたことを思っていないでもう寝よう。明日は朝の列車でフランス最後の街トゥールーズに出発だ。