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ある大学生の日常をエッセイ調にかっこつけて書く。

6都市目:トゥールーズ(1)〜バラ色のやばい街〜

朝、バルコニーでしばらくニームの街を眺めた後で、私はトゥールーズへ向かうことにした。街歩きが片想いなら、去り際が大事である。次の街が待っている。階下に降りると、オーナーの奥さんと思しき人が座っていた。

「Merci, au revoir!(ありがとうございました、それでは)」と声をかけると、奥さんは笑顔で、

「Merci, bonne journée!(ありがとうございました。良い1日を!)」と答えた。

ホテルから駅までは1分とかからない。駅に着くとパン屋でパンとコーヒーを買い、目当てのTGVに乗り込んだ。ここ三日間の習慣になって来ている。朝起きて、駅に行き、パンとコーヒーを買う。慌しい朝だが、それでも続くと愛おしい生活である。

トゥールーズニームから西へと進んだ山がちなところにある。この街は「オクシタニア Occitanie」地方の中心地だ。日本では石鹸やら何やら売っている店の名前「ロクシタン」で有名だ。ちなみにあれは、l'occitane en provenceというが、オクシタンとプロヴァンスは全く違う地域なので、変な感じである。フランスでも見かけた店だから、きっと何か理由があるのだろう。

オクシタニアの、オクとは、オック語のことだ。そんな言語、聞いたことない人の方が多いだろう。これは、フランス革命まではフランスの南半分では普通に使われていた言語で、今話題のカタルーニャ語に近いとされている。そのため、この地域は古よりフランス王国に反抗する土地でもあった。フランスとは違うという意識があった。

 

時は11世紀。この土地は、カタリ派と呼ばれる人々の人口が多かった。カタリ派とは、当時のキリスト教の主流派(のちのカトリック。中心はローマ教皇庁)とは違う考えを持つキリスト教徒たちだ。彼らは、ローマ教皇庁の教えと対立しつつ力を伸ばしてきた古の異端グノーシス派に似た思想を持つ。彼らによると、この世界を作った神(創造主=デミウルゴス)は実は悪魔(サタン)だという。そのためこの世界は悪に染まっている。だからこの世界には救いはなく、悪に染まって生き、死んだらまたこの悪の世界に転生する。そこから離れるためには、厳しい修行の生活を送り、現世の世界から離れるしかない。カタリ派は、現世の世界の一切を堕落と切り捨てた。

カタリ派ローマ教皇庁に従わず、教皇庁は何度もカタリ派の人々を改心させようと迫ったが、無駄だった。これに対し、教皇庁はついにカタリ派を異端であるとし、禁止した。それでもオクシタニアの人々は改心を拒む。膠着状態が続くが、ついに教皇インノケンティウス三世の治世に教皇使節をオクシタニアに派遣。インノケンティウスは腐敗した教皇庁を綱紀粛正し、教皇庁に従わぬ勢力は力を持って制することも辞さない強硬派として知られている。その土地の領主の統治権を剥奪して、次々に破門した。しかし、この使節は暗殺されてしまう。それはカタリ派の仕業だけではなかった。

時の教皇フランス王国と近い立場にあり、フランス王国国王はフィリップ2世オーギュスト(尊厳王)というフランス王国の拡大に努めた人間だった。これに危機感を覚えたのが、南フランス一帯(=オクシタニア)を治めるトゥールーズ伯爵レーモン6世だ。共にフランス王国に敵対するイングランドリチャード一世ライオンハート獅子心王)と同盟を結び、フィリップオーギュストに対抗する構えを見せた。さらに、教皇庁の使節暗殺にも一枚噛んでいると言われる。それは、教皇庁フランス王国の影響下に入ることを嫌ったためであった。

この一件は、教皇インノケンティウス三世を怒らせた。教皇は、異端認定され禁止された人々を武力鎮圧することは「聖戦」であるとし、ヨーロッパ中の諸侯たちに十字軍結成の大号令を下した。世に言う、「アルビジョア十字軍」結成である。初めインノケンティウスはフィリップ二世に派兵を求めたが、イングランドとのいざこざもあり、フランス王国は断念。その代わり、シモン・ド・モンフォール が大将として参戦することになる。教皇庁及びフランス王国に反発するレーモン六世だったが、ここでは十字軍側につくことにした。十字軍は初め地中海にほど近いベジエを攻撃、占領し、住民を虐殺した。さらにカタリ派の中心地ラングドック地方(中心都市はトゥールーズ)に向けて進軍し、城塞都市カルカソンヌ世界遺産)を包囲。カルカソンヌが落ちると、住民は追放された。カルカソンヌ陥落の知らせは南仏に行き渡り、各地は降伏。十字軍は勝利を収めたと思われた。

だが、これに恐怖を覚えたのが、レーモン六世だ。十字軍指導者シモン・ド・モンフォールが南仏で力を伸ばし始めたことに危機感を覚えたのである。初めは教皇庁フランス王国に自分の地位を守ってもらおうと働きかけるが、信用されるはずもなく、ついには破門を言い渡された。背水の陣となったレーモンは、義兄弟であったフランスの南、現在のバルセロナを中心とするカタルーニャを本拠地とするアラゴン連合王国のペラ2世を味方につけ、反十字軍の戦いの狼煙を上げた。トゥールーズに立てこもるレーモンを十字軍は包囲。しかしトゥールーズの守りは堅く、落とせない。ところがそんなさなかに、ペラ2世が戦死してしまう。後ろ盾を失ったトゥールーズ伯爵にかつてほどの力はなかった。レーモン六世は息子と共にイングランドに亡命し、戦争はひとまず集結した。

しかし、トゥールーズの戦の歴史はまだ続く。トゥールーズ伯爵に変わってモンフォール家がついたオクシタンでは、その支配に不満を持つものが増えていた。「モンフォール家に変わって、俺がまた彼の地を治める!」レーモン6世とその息子レーモンはイングランドを脱出、一路南仏へと向かう。村人、かつての家臣たちは二人を歓迎し、オクシタン側の反撃が始まった。人心を掴むレーモンの軍隊はトゥールーズに入り、モンフォール軍に対する籠城戦を開始する。そのさなかシモン・ド・モンフォールは戦死。その後レーモン6世が死ぬと息子がレーモン7世としてトゥールーズ伯の地位につき、ついにカルカソンヌを奪回した。シモンの息子アモーリは街を捨て、逃走。南仏は再びトゥールーズ伯領となった。さらに、教会との和解にも成功している。

アモーリはフランスへと逃げ延びると、フィリップ2世の息子で当時国王として即位していたルイ8世聖王に南仏で書くとした領土の割譲を宣言する。要するに、ルイ8世は父の成し遂げなかった南仏を進行する大義名分を得たということだった。大量の軍勢でフランス軍は南仏を攻撃。戦いは小競り合いが続いたが、南仏は戦争に疲弊していた。レーモン7世は和睦を結び、屈辱的ながら、自分の娘をルイ8世の弟アルフォンソに嫁がせた。だがもちろん、それで諦めたわけではない。フランス王国に反発するイングランドや諸侯たちと同盟を組んで、反乱を決行。しかしこれは失敗に終わる。レーモンが失意のうちに病で無くなると、ここに独立したオクシタニアは滅亡。フランス王国支配下に入ったのだった。

 

 ニームからトゥールーズまでの列車は海岸線を通った。南仏の田園地帯を抜け、大学都市のモンペリエを過ぎると、右に湖、左に地中海という壮大な風景の広がる場所を抜けて行く。午前中のまだ眠そうな太陽が、水に光を反射させ、幻想的な雰囲気を作り出す。もしかすると、この区間はフランス一美しい車窓が望めるんじゃないか、と思えるくらいである。アルビジョア十字軍遠征の際に住民が大虐殺されたベジエまでくると、水の世界は、徐々に山の世界に変わる。ローマ時代に南仏の首都となったナルボンヌ、世界遺産にもなり、アルビジョア十字軍の戦いにおいて十字軍側の勝利と大敗北を物語った城塞都市カルカソンヌを抜け、おめあてのトゥールーズにたどり着いた。

トゥールーズはフランス第五の街と言われている。だから、リヨンを除けば、久しぶりの大都市だ。しかもリヨンはある程度は勝手知ったる街だったので、今回は初の見知らぬ大都市だった。風の噂で聞いたことだが、トゥールーズの駅前はかなりやばいらしい。世界で一番古い職業の方々が務める界隈が広がっていて、ハイになるお薬もあるという。面倒なので、私は地下鉄で市内中心部へと向かうことにした。が、その前に、列車の予約をしておこう。

明日はついにフランスを離れ、カタルーニャバルセロナへと入る。初スペインというと、怒られかねないので、「初カタルーニャ」「初イベリア半島」「初ピレネー山脈越え」だ。期待と不安が入り混じった気分だ。むわっと暑くてちょっとばかり治安の悪そうな駅のチケット売り場でチケットを手配した。アジア系の職員がいたり、売り場が長蛇の列だったりするのを見ると、やはりここは大都市なのだなと実感する(リヨンでは予約不要のTERを使ったので長蛇の列は意外と初体験)。チケットを見ると、はっきりと「BARCELONA SANTZ」の文字。そして、「SNCF(フランス国鉄)」の他に、「renfe(スペイン国鉄)」のマークが付いている。ついに来た。明日は、イベリア半島だ。

地下鉄に乗ろうと地下鉄売り場まで降りて行くと、封鎖されている。表示を見てみると、どうやら工事中らしい。これは困った。バスを探してみたが、よく分からない。わたしは、えい、こうなったら、と歩くことを決意した。できるだけ大通りを探し、街の中心部へと伸びるジャン・ジョレス通りをまっすぐ歩いた。ここの空気は乾いている。しかも日差しもきつい。そして相変わらずリュックは重い。面白いことに、ディジョンの時よりも軽く感じるのは、慣れてきているからなのだろう。歩いてみると以外と治安も悪くはなさそうだ。ただ、確かに、他の街に比べてわい雑な雰囲気は確かに存在する。

20分くらい歩くと、目の前に広場が現れた。トマ・ウィルソン大統領広場というらしい。そういえば同じ名前の公園がディジョンにもあった。第一次世界大戦中のアメリカ大統領で、国際連盟を提唱しておきながら、議会の反対にあってアメリカを加盟させられなかった大統領として有名だが、フランスでは大人気みたいだ。広場の真ん中には例によってメリーゴーラウンド。繁華街になっている。フランスに語学研修をしに行っていた友人のFくんから聞いたファストフード店Quickもある。今日の昼はここでいいか。そう思いつつ、私はさらに足を進め、中心部へと向かった。目的があった。それは、ツーリストインフォメーションを探し、ホテルを見つけることだった。

前日にニームで苦労していたので、苦労するとはわかっていたが、これが大変だった。広場で見つけた表示に従って、別の広場にやってきたはいいが、全くわからない。広場にはオレンジジュースを売る人がいて、いいな、うまそうだな、と思いながらも、やはりツーリストインフォメーションが見当たらないのでオレンジジュースはお預けだ。別のところか、と思い、その広場を超えて先に進むと、より大きな広場が現れた。トゥールーズ名物の真っ赤な建物が取り囲んでいる。有名なキャピトル広場だ。偶然見つけたのは嬉しいが、しかし、ツーリトインフォメーションが見当たらない。人に聞けばいいのだが、暑いし、荷物が重いしで、外国語を話す元気があまりない。ひとまずキャピトル広場の裏の広場に戻って椅子に座ると、子供達が噴水で遊んでいる。いい光景だな、と思い、ちらりとその横を見たら、古い塔の端に人だかりがある。なんと、それがツーリストインフォメーションだった。まったく、フランスの観光案内所はどうしてこうもわかりづらいのか。

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A4サイズにプリントアウトされたホテルリストを受け取り、ツーリストインフォメーションのそばのベンチに腰掛けた。見てみると34ユーロのホテルがある。ヨーロッパにしては格安だ。ランクを表す星が付いていないが、まあ良しとしよう。私は駅まで引き返し、そのホテルを当たることにした。

ジャン・ジャレス通りを遡り、少し路地に入ると、人通りが少なくなる。こんなところでも、建物は真っ赤である。レンガのせいなのだが、これが所以でトゥールーズはバラ色の街と言われることもある。美しいといえば美しいが、素朴な雰囲気もある。

ホテルのある通りはリケ通りというらしい。どこだろうと探していると、上半身裸のむきむきな男が毛布をはたいている。なんとなくやばい界隈に来た感じを感じ取りながら、ここでないといいなと思いつつ、街の表示を見てみると「Rue Riquet(リケ通り)」とある。これはやらかしたな。引き返そうかと思っていると、上半身裸の男が話しかけて来た。

「英語話せますか?」

普段なら無視するのだが、人もおらず、無視する機運を失っていた。

「ええ、少し」

「俺たちは路上で生活しています。もしよかったら、あなたがそうしたいならいくらか恵んでくれませんか?」男はやけに論理的かつ丁寧に笑顔でいう。その雰囲気もあったのか、私は少し悩んでしまった。

「2ユーロでも1ユーロでも構わないんです」彼はいう。わたしは、仕方ない、と1ユーロを渡した。その男は素直に喜び、一緒に暮らしているのであろう人たちとその喜びを噛み締めあっていた。わたしのしたことはよくないことかもしれないが、だがあんな雰囲気だと…難しい。とにかく言えるのは、わたしはやばい界隈に来てしまったということだ。そしてそんな出来事のせいで引き返すタイミングを失って、目当てにしていたホテルに入った。

ホテルに入るとロビーには人がいない。やはりやばいところなのかもしれない。だが、観光客のホテルリストに載ってるんだ、信じよう。わたしは呼び鈴を鳴らした。すると初老の男性がやって来た。

「空いてる部屋はありますか?」と聞いてみる。

「もちろんです。テレビ付きとテレビなしはどちらがよろしいですか?」とおじさんはしゃがれ声でいう。こうなったらもうテレビ無しで行こう。わたしはテレビなしを選んだ。34ユーロを払い、階段を上がると、なんとなく懐かしい匂いがする。確か幼馴染の家や、カラオケや、バンド練習用のスタジオの匂いだ。タバコである。もろそうで狭くて暗い廊下を歩くと、部屋があった。廊下が昼間なのに真っ暗なので、鍵を開けるのも一苦労だ。

扉を開けると、窓がない、ガランとしたタバコ臭い部屋に赤いベッドと、むき出しの水道と、ビデがある。トイレがむき出してあると監獄さながらだが、ビデなので、もしかすると、いわゆる「連れ込み宿」なのかもしれない。だがもうここに泊まるしかない。トイレと風呂は共同。なんならトイレをむき出しにして欲しかった。わたしは、「まいったな」と思いつつ、「まあこれも経験だ」と諦めた。人生、受け入れることが肝要だ。

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この薄暗く、臭い部屋にいつまでもいても仕方あるまい。わたしはリュックを念のため、ベッドの足にチェーンでグルグルとくくりつけ、外に繰り出すことにした。時間はもう三時。昼食時じゃないが、昼を買っていないので、食べに行こう。

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