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ある大学生の日常をエッセイ調にかっこつけて書く。

6都市目:トゥールーズ(3)〜バラ色の意味〜

エスキロル広場をまっすぐ歩くと、トゥールーズに流れるガロンヌ川にたどり着く。川面は日光を受けて輝き、川の向こう岸にはドームのある建物と観覧車が見える。暑さのせいか少しぼやけていて、太陽のせいで真っ暗な影のように見える。

わたしは新しい街に行くと、川を見たくなる。エジプトはナイル川の賜物で、文明は川から始まる。その街に流れる川とは、その街を作り上げたもの。だから川を見つめることが、街を見つめることでもある……などと、格好つけたことを言ってみても、意味がない。わたしが川に行きたいのは、単純に気持ちが良いからだ。川の風、流れる水。街中ではわからない世界の広さを川が教えてくれる。そんな広さを感じながら川辺を歩くのは気持ちが良い。細い川でも水の流れが良い。それを見つめていると、何か答えを与えてくれるような気がする。

川辺の道路から、降り坂を下りて行くと、公園のようになっており、老若男女が川辺の穏やかな時間を楽しんでいる。芝生にはたくさんの人が寝っ転がっている。わたしもやってみたくなって、芝生のところまで行くと、空いている場所に寝っ転がってみた。が、太陽が眩しすぎる。ホテルを急いで出たため、サングラスを置いてきてしまった。仕方がないのでわたしは起き上がって、芝生に腰掛けた態勢でいることにした。

「Bateau! Bateau!(船だー、船だよー!)」

どこからか男の子の声がする。川には観光船がいて、たくさんの観光客を乗せていた。川幅は広く、船が二隻は通れそうだ。あの船はどこまで行くんだろう。船は、あの小さい子にとっても、ロマンの塊なのだろうか。船は男のロマンだ。

わたしはふとバンコクのことを思い出した。かつてバンコクに行った時、友達がダウンして、わたし一人で歩いていたことがある。あの時わたしは川の船着場を見つけ、舟に乗った。どこに行くのかもわからない舟だった。時間はたっぷりある、どこにでも行けばいい。きっとなんとかなるだろう。そう踏んでいた。しかし、行き先は対岸にあるワットアルンという寺院だった。少しがっかりしたが、川を渡るときは気持ちがよく、寺院も良い雰囲気だった。

また乗ろうか。だが、今は倹約中。節約が、何か成長を促してくれるんじゃないかと貧乏旅行をしてみたが、思い返すと、節約が明らかに制約にもなっている。わたしは乗らなかった。ただ、川を見つめて時間を潰した。

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夏の川辺は笑顔が絶えない。わたしは立ち上がり、ひとり坂を登って街へと戻った。時間はまだまだある。わたしはもう一度ローマ通りの方へと向かった。

相変わらず賑わっている。入るべき店があるわけでもないので、ストリートミュージシャンの音楽を聴いたり、路地に入ってみたりした。路地裏には、何やら博物館があった。だが、閉館時間が近い。入るのはやめて、道という名の博物館にい続けることにした。

五時くらいになって、もう一度ホテルに戻ることにした。パソコンが無事かどうか確認しておきたかったからだ。エスキロル広場を川の反対方向に、アルザスロレーヌ通りという歩行者天国風の通りを進んだ。レンガ色のオーギュスタン美術館が道の隣にはある。道の真ん中には平たい円柱型のベンチがあり、並木がある。ローマ通りのように、ここもトゥールーズ人の生活の中心なのだろう。途中でベンチに座ったりしながら街を歩くと、ゆったりとしたトゥールーズの空気感を感じた。するとキャピトル広場が目の前に現れた。

先ほどは気づかなかったが、キャピトル広場の地面にはオクシタン十字が描かれている。こうやって街を歩くとわかる。ここは間違いなくパリとは違う場所なのだと。ここはトゥールーズオクシタニアの首都である。

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オクシタン十字架。カタリ派結集の象徴であり、ラングドックの紋章。https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Creu_occitana_amb_fons.svgより。

なんとなくまだ歩き足りない気がして違う道に入ってみた。しばらく歩くと小規模な広場がある。それを超えると、再び川辺についた。対岸への橋に近い場所で、眼下に先ほどまでいた岸が見える。上から見ると、川はより輝いていた。男女がゆっくりと散歩し、街が生きている。そろそろ、ホテルに戻ってもいいなと思った。

キャピトル広場を通り、ウィルソン広場まで引き返し、ジャンジョレス大通りをまっすぐ進んで、わたしは例のホテルに戻った。相変わらずホテルにオーナーの姿はない。喫煙席のような臭いの二階へ上り、真っ暗な廊下から部屋に入った。相変わらず臭いが、何もとられたいなさそうだ。案外悪くないホテルかもしれない。

ベットに座ったが、ベッドもかなり臭く、仮眠しようという気分にはならない。かと言って何もすることもないので、明日のバルセロナの情報収集などをして時間を潰した。

 

七時くらいになって、わたしは外に出ることにした。フランスのレストランが開く時間だ。そろそろカスレを食いに行こう。

外はまだ明るい。フランスの夏の日没は九時だ。あまり治安が良くなさそうなので、九時にホテルに戻ってこれれば良い。そう思いながら、わたしはエスキロル広場を目指した。

この時間ともなると、レストランPère Léonも混んでいる。相変わらずどうしたらいいのかわからないので、店内に入り、一人ですと告げたが、ウェイターが来る様子もないので、テラス席に勝手に座った。中に何人か人がいたはずなのに、テラス席のあたりは一人のウェイターが回している。隣の席の赤ちゃんが皿を割ったり、新規の客の応対をしたり、それに応対するだけでも目が回りそうだ。わたしのところにはなかなか来ない。どうしたら良いかわからずずっとウェイターを見ていると、やっと気づいたようで、メニューを持ってきた。

カスレは20ユーロ。仕方ない。このための倹約だ。昨日までならワインでも頼んだろうが、今日のわたしは節約の鬼。水で結構だ。また大変な時間をかけてウェイターを呼び出し、注文を伝えた。はじめはぶっきらぼうだったが、単純に忙しいのだろう。笑顔を見せたら自然な笑顔で応対してくれた。

まるで最後の晩餐のイエスのようにパンと水だけでアペロしながら、目の前にあるバス停の人間模様を見ていた。先ほど話しかけてきた青い服の女性は、別の青い服の人と話している。市営のボランティアか何かなんだろう。明日には老人が座っていて、隣に座っているノースリーブの女性に少しずつにじり寄っている。日本じゃ犯罪である。

「ボナペティ(召し上がれ)」とウェイターがカスレを持ってきた。カスレというのは、カッソールという土鍋で焼き上げるからカスレらしい。だからわたしのオーダーしたものも、土鍋に入っている。一人分とは思えない量の素朴な色のカスレを、わざわざ取り皿に入れて食べる。一口食べて見て驚いた。ものすごくうまい。ちょっと塩辛いなと思うくらいの塩加減、そしてよく聞いた鴨肉の出汁。白インゲン豆はホクホクで、鴨のコンフィはほろほろで、オクシタニアでしか作られていないソーセージは濃厚、スプーンが止まらない。

と、調子に乗って食べていると、3分の2くらい食ったところで満腹になる。くるしいが、アジア人と思って舐められちゃ困る。それにうまいのである。この辺でしか作られていないという特別なソーセージも、鴨肉のコンフィも、だし汁も。わたしは懸命に食べきった。

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「デザートはいかがですか?」と店員が尋ねてきた。

「いえ、もうお腹いっぱいなので、コーヒーをください」とわたしは伝えた。たいていのコーヒーにはクッキーが付いており、デザートということにもできるし、コーヒーを頼むのは常套手段だ。だが今回は、本気でお腹がいっぱいだった。

しかし不思議なもので、エスプレッソコーヒーを飲むとパンパンの腹も落ち着きを取り戻す。わたしはクッキーもちゃっかり食べて、大満足のうちにトゥールーズの1日を終えた。最近面倒でチップというものを払っていなかったが(安心してほしい、ヨーロッパでは平気なのだ)、今回ばかしは少し払って、店を出た。

帰りがけにキャピトル広場に行くと、日はもう暮れかけていて、いわゆる「マジックアワー」の時間帯であった。夜の紺と夕暮れの赤が混ざり合い、空は薄い紫色に染まっている。わたしは日が落ちる前にホテルに着きたかったので少し焦っていたが、広場を見たときハッとした。薄紫色の空とトゥールーズのレンガが合わさると、確かに「バラ色」になっていたのである。トゥールーズは「バラ色の街」と呼ばれる。今になって、バラ色の意味がわかった。

街にはそれぞれ、最も美しくなる瞬間があると思う。それは一昨年、去年くらいからの持論であり、例えば、ローマは夜、台北も夜、バンコクは日の落ち始めた頃のオレンジ色の夕暮れ、ヴェトナムの街は朝になる。それはその街が最も美しく、最もうまくその個性を発揮しているときだ。トゥールーズは夕暮れだろう。バンコクとは違って薄い紫色の夕暮れだ。

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さて、ホテルに戻ると、太陽は落ちようとしていた。案の定何事もなく臭い部屋に入り、寝ることにした。シャワーもどこにあるのかよくわからないし、1日ぐらいシャワーを浴びなくても生きて行けるだろうと踏んで、すぐに寝ることに決めた。歯を磨き、なぜだか蛇口から出てくる七、八十度はありそうな熱湯(おそらく別室のシャワーと連動している。ストラスブールでも自分の部屋のシャワーと連動して、大変だった)でなんとか口をゆすぎ、顔はウェットティッシュで拭うと、貴重品袋から明日の列車のチケットを取り出した。

「TOULOUSE MATABIAU→BARCELONA SANTZ」

ついに、ピレネー山脈を超えるのだ。ついに、初めての、そしてわたしの家族の中でも初の「スペイン」入りをするのだ。胸を躍らせながら、わたしはタバコ臭いベッドに入り、眠った。

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