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旅、映画、食べ物、哲学?

7都市目:バルセロナ(3)〜マーレ・ノストゥルム〜

ランブラス通りには相変わらず気持ちの良い風が吹き抜けている。緑が輝き、平和そのものの雰囲気の中、時折スリがウロウロしていた。台の上に立ったピエロが風船で犬を作ったり、彫像に扮した男が道行く人にぎこちなく帽子を取って見せたりしている。楽しい。バルセロナは間違い無く楽しい。わたしはそんなことを思いながら、SEKAI NO OWARIよろしく海を目指した。だが別に仲間と会うためではない、海に会いに行くためだ……などとくだらないことを言ってみる。

「港の見えるコロンブス公園」を抜け、横断歩道を渡ると、「旧港(ポルト・ベル)」が見えてくる。多少は観光化されているようだ。いや、多分に観光化されている。だが観光化されていても港は愉快である。昔から、なんだか好きだった。山梨(内陸)に生まれ、埼玉(内陸)で育ち、ベルリン(内陸)で一年暮らし、東京多摩は国分寺(内陸)に住んでいるわたしには海は縁もゆかりもないはずだが、血筋を辿ればわたしの父方は高松、神戸、横浜、鎌倉、一瞬ニューヨークと移った海の民であるし、母方は今治、もとは宮崎のようで、海を渡る人々だったようだから、これが「血の記憶」とでも言えるものなのかもしれない。

右手には蚤の市、左手にはヨットの船着場があって、ヨットの船着場のところには長い回廊が海の方へと突き出している。その奥には、水族館などの施設なのだろうなと思しきものがたくさんある。その雰囲気はまるでお台場である。ただ、お台場ほどの埋め立てました感が無く、未だやはり、「ここは港なのだ」と思える雰囲気がある。あまりきちんと覚えていないのだが、横浜はこんな感じじゃなかったかと思う。ただ、横浜より確実に、積み重ねてきた歴史が見える。シュロの木にしたって鎌倉にあるような「海辺ならシュロの木だろ」という感じの後付感も無く、やはりここは例えようもないバルセロナの港なのだろう。

おめあての船は、「ゴロンドリーナ」という。どうしてもゴンドラとの兼ね合いで「ゴンドロリーナ」と読んでしまいがちだが、「ゴロンドリーナ」である。ガイドブックの端っこに乗っていたのだが、500円(4ユーロ)くらいで地中海へ出られるという。わたしはチケット売り場を見つけ、英語話せますかと一応断った上で、一枚買った。7ユーロだったので、どうやら値上げしたようだ。にしても安い。ちょうど7月の終わりに納涼船に乗り、2600円だったので、それを考えるとどんなに安いか。

出発まで、15分あるらしい。わたしは出発までの間、港を散歩することにした。

ウッドデッキの回廊が海に張り出ている。その左側にはヨットが大量に着けられていて、右側はゴロンドリーナ号などの発着場になっている。水族館に入る時間はないので、わたしは回廊の上のベンチに腰掛けた。やはり港はいい。心躍る気分になる。カモメが回廊の上を胸を張って歩いている。子供がそれを狙って追いかける。空気は暖かく、雰囲気も温かい。いや、空気の方は暑いくらいだ。

家族連れが多いようだった。夏だし、水族館のそばだし、そりゃそうだろう。そういえば小さい頃は夏が来るたびに江ノ島の水族館に行っていた。新江ノ島水族館が開業したての頃のことである。バルセロナは、スペインの鎌倉か。水族館もビーチもあって、歴史もある。かつて栄華を誇った大都市。カモメは柱の上に乗って、地中海を眺めている。

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15分くらいだったので、発着場に行ってみたが、二つ入り口があってよくわからない。片方は空いていて、もう片方は空いていない。とりあえず空いてる方の受付の人に

「Hola!(こんちは!)」と話しかけ、チケットを渡した。すると、

「あー、このチケットはこっちなんだよね」と英語で、隣の入り口を指差しながら答えた。そうだったか。

「Gracies!(ありがとうございます!)」と告げて、隣の入り口が開くのを待った。

徐々に家族連れやお年寄りの団体が集まって来る。気軽に船に乗れるのは良いことだ。日本も見習えばいいのに。なんとなればわたしは船に乗るということが大好きだった。何がいいのか説明はできないが、船の上で風を感じていると、いい具合に自分の中に入って行けるのだ。健全な、開かれた、豊かな形で、である。それになんにせよ、船は男のロマンである。こればっかしは誰にも否定できまい。船はまっすぐ進めば気持ちよく、大きく揺れればスリルとロマンを感じさせてくれる。

目の前には浅黒い肌のサングラスをかけた見るからにラテン系の若いお父さんのいる3人家族がいる。子供はベビーカーに乗っていて、お父さんがそれを押している。お母さんはサングラスをかけたこちらもラテン系な感じの女性だ。家族旅行だろうか、いやそれとも、ちょっとしたお出かけだろうか。3人家族に続いて、わたしは係のヒゲを蓄えたおじさんに「Hola!」と言って、チケットを差し出した。

「Gracies!」というと、

「¡Gracias, buen viaje!(ありがとうございます。良い船旅を)」と返してきた。わたしは笑顔でフェリーに乗り込んだ。フェリーの中には椅子がいくつかあったが、誰も座っていない。太陽を求めるヨーロッパの人たちは、甲板のところに座っているんだろう。わたしは甲板に出て、海が見やすいところに腰掛けた。フェリーに乗り込んでみると、目の前にはコロンブス像が見える。コロンブスに見送られている気分になるが、ものの一時間で周遊して帰ってくるのは少し情けない。船につけられたスペイン王国国旗とカタルーニャ自治州州旗が風ではためいている。風はあるが、甲板には太陽が照りつけており、ジリジリと肌を焼く。数日後、パリで友達に再会した時、「焼けたね」と言われたが、間違いなくこの地中海のカタルーニャの太陽のせいである。

船はじーっとしていて動かず、ただただ暑いばかりである。客は徐々に搭乗し、しばらくして満員になると、ピーット汽笛が鳴った。船は後ろ向きに発信し、港が少しずつ向こうへと離れていった。さらばコロンブス。数分後にまた見えん。そうこうするうちに、バルセロナの町から船は離れていった。ぶおーんという船の音ともに、船体は小刻みに揺れている。目の前の席には先ほどの3人家族がいて、子供に「ほら、コロンブスだよ」というような感じで話しかけている。談笑の声がデッキには溢れ、暖かな雰囲気が形成されていた。気温は、暖かいというより、暑いのだが。

フェリーはバルセロナの港を出て、バルセロナ世界貿易センターのあたりを通ると、船着場のようなところにやってきた。香港の船が見える。錆びついた、巨大な貨物船である。いまでも、大量輸送は船の仕事だ。遥か彼方、香港からも船がやってくる。そう思うと、この船もこのまま地中海を出て、スエズ運河を通ればアジアにまで通じているだなあと少しワクワクした。船の行き先を決めるのはただ、船長の舵取りだけなのだ。可能性はどこまでも広がっている。

フェリーの針路の先には海の色が変わっている部分があった。すぐ下に見える水が緑がかっているのに対し、ある境界線を隔てて向こう側は深いブルーになっていた。そうか、今私たちのいる場所は本物の地中海ではないのだ。この場所の、さらに先にある、あのもっと鮮やかな色の海こそが、地中海なのか。海に国境線はない、などと格好つけていうことは簡単だが、こうみると、やはり海には境界線がある。地中海と、地中海ではないものを隔てている。船長は地中海まで行ってくれるだろうか。目の前にUターンするのだろうか。目の前の3人家族は自撮りをしている。

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船は、地中海の方へとまっすぐ進んだ。やはり、ここまできたんだ、地中海まで行ってもらわねば困る。ぐーっと船は進み、青の境界線を乗り越えた。するとどうだろう。今までは穏やかだった海が突然大波を立て始め、船は大きく揺れた。「ふーっ」と誰かが歓声を上げた。船はぐらりぐらりと横に揺れる。これが地中海なのか。何故だろう、心躍る気がした。船は揺れる方が楽しい。

しばらく波に揺られながら地中海を航行したゴロンドリーナ号は、緑色の安全地帯に引き返した。海風が気持ち良い。徐々にフェリーがバルセロナの港へと戻って行くと、言葉は分からないが、おそらく、「ただいまー」みたいなことを前にいる女の子が言った。するとカメラを下げた女性がやってきて、アルバムのようなものを見せた。実は船で航海している途中、この人がそれぞれの写真を撮っていたのだ。新手の物売りかと思って少し警戒してしまったが、このタイミングで売るようだ。どうやらゴロンドリーナ号御用達のカメラマンのようで、もっとオープンに接すればよかったと思った。が、買わなかった。なにせ私はリュック一つ。アルバムは大きすぎた。

船が港に着き、わたしは他の人たちとぞろぞろと下船した。前に駿河湾のフェリーに乗ったことがあるが、その時と同じく、船に乗る前よりも地面が硬く感じられた。グイッと抵抗を感じるのだ。船を降りた足で、先ほど横目に見えた蚤の市に行くことにした。

蚤の市には、アンティークの陶器や、パイプ、古いバッジ、軍隊の帽子まで売っていた。日用品、というよりは、マニア向けのニッチな掘り出し物という感がする。もしくは、観光向けだ。軍隊関係のものが結構見受けられるが、スペインで軍のアンティークというと、フランコ独裁政権を思い起こさせられて、これはタブーになっているものではないのかとなんとも奇妙な気持ちになった。

蚤の市は大した大きさではなく、少し歩けば外に出てしまう。わたしはそれからまた地中海の方へと向かった。港の階段に腰掛けて、海を見た。青の境界線のこちら側は、実に穏やかな海だ。歴史のことを考えた。地中海は歴史の舞台だ。今の中東から始まったこのあたりの歴史の波が地中海にやってくるのは、海の貿易に優れたフェニキア人がやってきた時。のチュニジアを拠点に、フェニキア人はカルタゴという国を立て、地中海を支配した。だが、その支配も長くは続かない。イタリアを統一したローマ帝国が海に進出し、フェニキア人のカルタゴと第一〜三次ポエニ戦争が勃発。地中海はローマの海になった。「マーレ・ノストゥルム MARE NOSTRVM(我々の海)」。ローマ人はこの海をそう呼んだ。盛者必衰。ローマが滅びると、北アフリカイスラーム系海賊がこの海を支配するようになる。そのあと台頭するのは、はるばるデンマークからやってきたヴァイキング神聖ローマ帝国や、フランス王家、ジェノヴァ共和国も海を争った。そして、それからバルセロナを首都とするアラゴン連合王国アラゴン亡き後は、スペイン王国の海となり、最後には英国がこの海を握る。今はこの海が、キリスト教世界とイスラーム世界を分けている。アラブの春の後はたくさんのボートピープルが北上したという。数奇な運命にのまれ、この海ではたくさんの血が流れた。それでも海は静かだ。海がこれほどまでの歴史を見つめているのは、地中海を置いて他にないのではないか。そのようなことを思いながら、わたしは海を見た。まるで戦いの姿が、歴史が、見えるようだった。しばらくして、中国人観光客が自撮りを始めた。平和になった。この平和が続けば良い。海鳥も浮かんでいる。

しばらく海を眺めた後で、ランブラス通りに戻ることにした。コロンブス像のそばにある地下鉄ドラゴネス駅から中心駅バルセロナサンツ駅に向かおうと思ったのだ。明日、マドリードへ向かうための列車のチケットが欲しかった。