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旅、映画、食べ物、哲学?

7都市目:バルセロナ(5)〜ガウディとカタルーニャ広場、生命の街〜

ガウディは好きではなかった。あの、グエル公園にあるような、うねうねと曲がった土色の壁に斑点、そこに謎のトカゲ、というあの感じが苦手であった。だから、建築家ガウディの生まれた街バルセロナに行こうと決めた時も彼の作品をめぐるということはあまり考えていなかった。

それでも、サグラダファミリアに行こうと思ったのは、150年の時を経てもまだ建築中という強烈な属性に惹かれたのと、サグラダファミリアに行ってみたいと言っていた人がいたのを思い出し、その人に写真を送りたいと思っていたこと、そしてやはり実物を見てみたいと思ったことからだった。少し話はずれるが、以前、私はミケランジェロの「最後の審判」が大嫌いだった。というのも、レオナルド好きだった私にとって、あのような解剖学も何もかも無視した肉襦袢のような筋肉で覆われた人たちがいる絵は許せなかったのだ。しかし、実際にバチカン市国システィーナ礼拝堂であの絵を見た時は驚愕させられた。肉襦袢も全部計算だったようで、あの場で見ると、あの中にある人々が浮き上がって実体化しているようだった。それ以来、私はあの絵が好きになった。同じように、ガウディも実際に見たら全く違うのだろうと予期していたのである。

 

最寄りのリセウ駅からパッサイグダグラシア駅、そしてサグラダファミリア駅へ向かった。もう慣れたもんだ、と言いたいところだが、間違ったところで降りたり、ゴタゴタの連続であった。どうにかこうにかサグラダファミリア駅にたどり着き、駅から出ると、あれ、サグラダファミリアが見えないぞ、となった。それもそのはず、駅はサグラダファミリアに隣接しており、出口からパッと出ると真後ろに例の教会はあるのだ。振り向くと、驚いた。巨大なのだ。とにかく巨大な構造物がどーんとそびえ立っている。これが、サグラダファミリアか。そう、思った。

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そうはいってもこのままではよくわからないので、横断歩道を渡って向こう側にある公園から一度眺めることにした。その公園にはお土産物屋台、というよりもアイスクリームを売る屋台がたくさんあり、周りでは大道芸人が芸を披露している。やっぱり「父の家の前で商売をするな」というイエスの教えをヨーロッパの人たちが真に受けなくてよかった 。文化を作り、教会に命を与えるのは、こういう人たちなのだから。

公園に渡って、他の観光客とともにサグラダファミリアと対面してみると、その迫力に圧倒された。まるで、生えているようだ。巨大な木がズドーンと目の前に生えているようである。これが、アールヌーヴォー。なんだか木やらサラマンダーやらをくっつけた気色の悪い芸術だと思っていたが、目の前にすると全く違う。生命を失った建築物に、生命力を与えるのが、アール・ヌーヴォーだったのだ。そして、ガウディだったのだ。そして教会に宿り、教会を150年間育ててきたガウディの生命力は見ているこちらの心を満たし、ゾワゾワさせた。好きになったといえば単純だが、それだけではない、むしろ「サグラダファミリアをやっと知った」とでも言えるような感覚が湧いてきた。

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一周してみよう。とりあえず一周だ。わたしはサグラダファミリアの建物に沿って歩いた。すると面白いことに気づいた。先ほど見ていた部分は、割とトラディショナルなスタイルで作られているのに対し、少し歩くと痛々しく釘のようなものがむき出しになった部分が現れ、その後に出てくる正門は、まるで教会自体が溶け落ちて行くかのように、葉っぱと生き物、そして聖人の像で覆われている。四辺が四辺とも違う顔を持っている。どことなく、カンボジアのバイヨン遺跡のことを思い出した。ところどころ崩れ、ところどころ森林に飲み込まれ、ところどころ見事に残っている。わたしはそこでその遺跡の生命を感じた。サグラダファミリアもやはり、生きていたのだ。

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その後わたしは、少し離れたところからもう一周した。何周しても新しいものが見える。やっとガウディが称えられる意味を理解しつつあった。うまくいえないが、ガウディの作品を見ることは、呼吸する建築物を見ることなのだろう。どの建築物もきっと呼吸があって、生きている。ところが、ガウディは目に見えてその生命力が見える。そこに、ほかとの違いがあり、かつて感じた気色の悪さがあり、今感じているその素晴らしさがあるのだ。伝わらなかったら申し訳ない。だがもし伝わらなかったなら、バルセロナに行って欲しい。そうすればあなたもガウディを知ることができる。

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まだまだかかりそうです

 

わたしはその後、サグラダファミリアの前にある公園のベンチに腰掛けた。今後のことを考えるためと、休むためだった。緑は相変わらず美しく、公園には熱気があった。広場には巨大なシャボン玉製造機を持つおじさんがいて、フーッと息を吹いて巨大なシャボン玉を作っている。それを見ている子供は何度もそれを壊し、おじさんはまた作る。公園の中にはなぜか、ヴェトナム名物自転車式人力車「シクロ」のようなものが走っている。わたしの隣にはタバコをふかす「カスティーリャ人」の若者二人組がいる。それを含めて、サグラダファミリアは生きている。

しばらくすると女性がやってきて、隣の二人に話しかけた。どうやら観光関係の調査のようだ。わたしはそっとその場を離れたが、あそこに座り続けていたらもっと面白いことがあったかもしれないなとも思った。あの、トゥールーズのおばあさんとの出会いのように。

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 地図によれば、サグラダファミリアの公園からぐーっとまっすぐ歩けばカタルーニャ広場に出られるはずだった。カタルーニャ広場というと、港まで続く我らがランブラス通りの起点である。初スペイン出始めは少し緊張していたが、ここまでくればもはやそのようなことはない。町歩きもお手の物である。

わたしはもう、バルセロナという町の虜になっていた。まず面白いのは街並みである。パリやロンドン、あるいはベルリンのようなヨーロッパの街並みは、四角い建物の連続である。そこにこそ、西洋的な美しさがある。ところがバルセロナはちがう。緑と黄色と茶色を混ぜたような不思議で素朴な色の建物(わたしはなぜかこの色が好きだ。落ち着くのだ)が、ぐにゃりと脈を打っている。サグラダファミリアで感じた、あの生命力が、よく見てみれば街の至る所にある。バルセロナは街の建築それ自体が鼓動し、生きている。そしてもちろん、そこにいる人たちも、しっかりと生きていて、温かいコラソン(ハート)を持っている。そして、その温かさは、カタルーニャを思えばとんでもないほど熱くなる。わたしの滞在時は、軽いデモくらいしか見なかったが、10月の投票、その後の騒動を見るとやはり熱い心を持っている。持っているからこそ、州論も二分するわけだ。

街を歩いていた時、あることに気がついた。脈打つ街並みを作り出しているいくつかのアパートのバルコニーに、青地に「Si!」と書かれた旗と、黄色の地に朱色の線が四つ、その線の付け根には青の三角形があり、そこに白い星が描かれた旗が掲げられていたのだ。もちろん、「Si(YES)」とは、「Independència(独立)」にたいする「Si(YES)」である。そして、黄色の地に朱色の四つの線はカタルーニャの象徴である。あの時は思わず、「本当なんだ」と思ったが、今では「やはり本当だったんだ」と、思う。

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迷いつつ、黄土色の街を歩く。何年か店がある。さて夕食はどうしよう。少々足も疲れ、お腹もすいてきたところだが、ホテルのお姉さんに聞こうと思った。そのためには、八時くらいまでには戻らねば。それにしても雰囲気の良い街である。わたしの好きな作家沢木耕太郎は「バルセロナはわたしにとって老人と少年の街だった」と書いているが、確かにお年寄りが多く、そのおかげか街に風格がある。若者の姿があまり見えないのはきっと、バルセロナがスペイン第二の経済都市として繁栄しているためだろう。街自体は活気があったし、でかかった。しかし、それだけではなく、やはり温かみのようなものもあった。建物の雰囲気が醸し出す全体的な空気が気に入った。

しばらくバルセロナの街を彷徨い歩いていると、「凱旋門アルク・ダ・トゥリウンフ)」が現れた。黄土色とオレンジ色のコントラストはなぜか、テレビか何かで見たインドの凱旋門を思い出させた。インドの凱旋門は白いから、まったく思い出す要素はないのだが、どことなく東洋的なものを感じたのかもしれない。周りにある棕櫚の気のせいかもしれない。そう考えてみると、バルセロナの黄土色の建物から感じる「生命力」のようなものは、おそらく、エスニックな感じと通じているのかもしれないと思った。純ヨーロッパではない、どことなくスパイスの香りを感じてしまいそうな雰囲気だ。フランスを旅していた時には感じなかったものだ。バルセロナは、アジアから最も遠いヨーロッパということになるけれど、それでも、アジアとヨーロッパの中間の空気感があった。暑さも、植物も、街の雰囲気も、色使いもそうだった。そう、今思うと、私はあの街のエキゾチックさに心惹かれていたのかもしれない。

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そろそろ夕刻も近いので、凱旋門はくぐらずに、凱旋門前の大道芸などを横目に見ながら、横道に逸れた。その道を行けば、「カタルーニャ広場」につくという。まだ1日しかいないから当然だが、カタルーニャ広場は駅名の「Plaça de Catalunya」としてしか知らない。実物を見たことはないのでぜひ行ってみたかった。バルセロナ一帯のカタルーニャという名前を冠した広場とは全体どんなところなんだろう。

と、勇み足で歩いてみたが、バルセロナは広いらしい。なかなかたどり着かない。少々疲れていたので、私は道の途中にあった公園のベンチに腰掛けることにした。それにしてもバルセロナは「公園の街」と言ってもいいくらい公園がある。大通りの中央分離帯は遊歩道になっているし(イメージとしては鎌倉の鶴岡八幡宮前の大通りのような感じである)、街の中を占める木の数も多い。といっても、ベルリンのようなボンボンと公園が乱立している感じではなく、建物の雰囲気も合わせて、公園や並木が街と同化していると言ったほうが正確だ。先ほどから何度も恐縮だが、「生命力のある街」としか言いようのない、他に類を見ない雰囲気がある。だから、「バルセロナはどうでしたか?」と聞かれると思わず、「緑が綺麗でしたね」と言ってしまう。そして「建物が面白かったです」と付け加えるのだ。それだけ緑が街と一体化している。

私が腰を下ろしたのは、「ウルキナオナ広場」というところで、お年寄りも若者も、座ってゆっくりしている場所だった。バルセロナの良いところは、日本の街の小さな公園と違って、どの公園もしっかりと使われているというところだ。やはり、人あっての公園である。せっかく公園に座ったので、wifiは持っていたが、あえてケータイは使わず、地図を見たり、道を歩く人をぼーっと眺めたりすることにした。ポケットwifiは便利だが、時にケータイを見がちにさせてしまう。せっかく旅という「人生の修行」をしているのに、それではよくない。風を感じ、周りと打ち解けるには、ケータイは邪魔でしかないものだ。と、諭したくなるほど、使ってしまっていたのも確かであった。情報収集、ホテルの予約と何かと便利だったのだ。

しばらく静かに座っていたら、足の疲れも治ってきた。私は再び立ち上がり、公園を抜け、先ほどの道を歩いた。すると、すぐに「カタルーニャ広場」は目の前に現れた。確かにこの広場はでかい。周りを大きな建物が取り囲み、タイルで敷き詰められた謎の幾何学模様がある円形の広場には驚くほどたくさんの人たちが夕涼みをしつつ、楽しんでいる。横断歩道を渡ると、サグラダファミリアぶりに見た物売りの人がいて、怪しげな人もいて、そして子供達が鳩を追いかけて遊んでいた。もちろん、お年寄り、恋人たちも健在である。観光客、地元の人、大道芸人でひしめき合い、黒人も白人もムスリムもクリスチャンもそこにはいた。これが、カタルーニャ広場か。気分も上がってきた。楽しい場所の匂いがする。

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バルセロナで流行っているのだろうか、ここにもシャボン玉作りおじさんがいる。巨大なシャボン玉を作っては、子供に潰され、作っては潰される。そんないたちごっこの中に、平和な日々の楽しさが詰まっている。笑い声、話し声が充満したカタルーニャ広場は、大して長くいたわけではないが(一人でいてもうろうろするだけだったので)、お気に入りの場所になった。

そして、広場の雑踏を抜けると、すぐに新しい雑踏が現れる。それは、あの「ランブラス通り」である。ついにここまでやってきたわけだ。というか、帰ってきたわけだ。さて、夕食を探すとしよう。