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旅、映画、食べ物、哲学?

7都市目:バルセロナ(6)〜一人前のパエジャ〜

ランブラス通りに戻ってきた私はそのままランブラスを歩いてホテル方面へと向かった。ランブラス通りは区画ごとにテーマがあるようで、カタルーニャ広場のそばはおみやげ物屋が多い。カタルーニャ広場にいた人たちが多いせいか、人がすごくたくさんいる。そしてしばらく歩くと、向かって右側にトルコ料理の店が乱立するようになり、ランブラス通りにも料理屋のテラスが増える。ここが、私の最寄駅「リセウ駅」のある界隈だ。そんなもんだから、リセウに着いた時はいきなり目の前に「レイ・デ・イスタンブールイスタンブールの王)」などといった店が現れたもんだから驚いたのを覚えている。そして、海に近づくと、大道芸人とアーティストの世界になる。

土産物を遠目に見つつ、レストランを探したが、やはりホテルの人に聞くのが早そうだった。ランブラスの雰囲気を楽しみながら進み、トルコ料理屋のある路地、私のホテルがある「オスピタル通り」に入った。

「Hola(こんばんは)」とフロントの人に声をかけた。「一つ質問があるんですが」

「いいですよ」と女性は答えた。

「このあたりでおいしいスペイン料理屋はありますか?」と尋ねた瞬間私は「ああ、スペイン料理じゃなくて、カタルーニャ料理というんだった」と思ったが、まあ仕方がない。スペインに来たんだ。

「そうね……」と女性は少し悩んだ後で、「ホテルを出て、ランブラスとは反対側に進んで、二つ‥‥ううん、三つ目の角で曲がって。そうすると、とてもおいしい店があるわ」と答えた。ランブラスと逆方向というのは意外だったが(旧市街はランブラスの向こう側だからだ)、私はありがとうと言って外に出た。

空は薄暗くなりつつあった。もう7時半すぎだ。スペインの夕食タイムは8時からだというから、実はちょうど良い。私は言われた通り、明らかに猥雑そうな道を歩き、いわれた角で曲がろうとした。するとである。路地の奥の方にレストランらしきものが見えるのだが、その手前に酔った男が座っていて、その男がなにやらドイツ語で喚いているのだ。さらに路地の向こうから大きな声で歌う声が聞こえる。それも、みんなで歌っているというよりも明らかに一人で歌っている声だ。これは、やばい通りに入りつつあるのかもしれないと感じた。まさに、「I have a BAD feeling about this」。私はためらった。これで怖気付いて行かないのか、それとも行ってみるのか。安全か、冒険か。私はこの旅では怖気付かないようにしたいと思っていたので非常に迷った。だが、明らかにやばい匂いがした。

その時だ。ドイツ人の酔っ払いがなにやら叫んだ。こちらを見ていたかはわからない。だが、「Hut(帽子)」のような単語が耳に残った。私は帽子をかぶっていたので、ああ、これはやめよう。やばいところにわざわざ入る必要はない、なんとなれば、危機管理も身につけるべき徳なのだから、と心に言い聞かせ、その場を立ち去った。

さて、危機は去った。ところが、問題は残る。夕食の場所だ。フロントに戻って、「怖くて入れまちぇんでちた」などとダサいことはいいたくない。自分の足で開拓するほかない。ガイドブックを取りに行くのも、また一つの恥であるから、完全に自分の足で稼ごうではないか。

というわけで、私はあてもないのでランブラスに戻った。しかし夜の料金はどこも高い。そうだ、昼食べたところか、その近くの店に行けばいいじゃないか、と私は再びレイアール広場に行った。夜になるとストリートミュージシャン(厳密にはストリート(道)ではないので、プラサミュージシャン)がいて、棕櫚の木も風になびいていい感じである。昼を食べた店は超満員で、しかも並んでいるのでやめた。隣の店に入ろうかと思ったが、どうやら飲み屋である。私は食事がしたいのだ。広場には結構客引きをしている店があったが、客引きのいるところで食うのはなんとなく嫌だし、ぼったくりのようなものに会うのは嫌だった。せっかくバルセロナを好きになったのに、そんな終わり方は嫌だ。と思いながらウロウロしても、どうしようもない。日は落ちてゆく。初めての国で夜中にあまり歩きたくない。さきほどの路地の一件もあって、少しだけ警戒心が戻りつつあった。

 

人だかりがある店があったので、わたしはとりあえずそこのメニューを見た。英語版だ。それに店員もすごく浅黒くて、一瞬インド人に見える。ここはやめておこうかと思っていたら、店員が声をかけてきた。

「一人か?」と店員が言うから、そうだ、というと、こっちへ来いという。ぜひに及ばず。なにかしら食べたいし、私はもう流れに任せることにした。

テラス席は満員なのに、店内はガラガラである。これはまずいかもしれない。と、警戒心全開でテーブルにつき、置かれたメニューを開いた。パエジャ(パエリア)がある。だが、私は知っていた。パエジャは地元の人は昼に食べるものであり、パーティ食だから一人で食うものではない。しかしこの店は一人前を売っている。これはよくない。きっとよくないパエジャに違いない。なぜ入ってしまったのか。だが、もう時すでに遅しである。しかも、パエジャ以外の料理はよくわからないときていやがる。

私はブスッとした顔の店員を呼び、まずワインはグラスで頼めるかどうか尋ね、オーケーだったので、赤のハウスワインを頼んだ。それから、おすすめは?と尋ねた。

「おすすめ? そりゃもうパエジャだよ」と店先にいた人とは対照的に色白のウェイターは言う。ますます良くない。

「どのパエジャがいいんですか?」ととりあえず聞くと、

「海鮮だ」という。海鮮は17ユーロ、鶏肉は10ユーロ。フランスの物価からするとバカやすいが、私は一応やすい鶏肉にすることにした。実はバレンシアで生まれたパエジャはもともと鳥やウサギなどの山の幸を入れていたという逸話を聞いていたこともあった。店員はブスッとした顔でうなずき、去っていった。忙しそうである。

しばらくして、店員が白ワインを持ってきて注ごうとしたので、私は赤だと訂正した。店員は不服そうに赤に直した。今思うと、それは彼がテキトーだったのではなく、オーダーが鶏肉だったからじゃないかと思う。店員は再び立ち去った。ここは大丈夫だろうか。私は少し深呼吸をした。これで値段を吊り上げてきたらどうしたものか。

すると店員がこちらに向かってやってきて、ブスッとした顔で、

「聞きたいんだけど」と言う。「君は中国人? 日本人?」

突然の質問に少し驚いたが、「日本人」と答えた。

「ああ、日本人か。気になってたんだ」と店員はいった。「日本人の女の子はグア……えーっと可愛いよな」

相変わらずブスッとしていたが、全然悪気はなさそうだ。そういう顔なのか、私がよくわからないアジア人だからなのかだろう。私は自分が申し訳なくなった。一度は心を許した街に、変なバリアを張ってしまった。私は笑って、「でもスペイン人だって……」と冗談めかしてみた。

「いや、だめだ。ここの女は……だめだ」と店員はいうと、しばらく何か考えた顔をした、「Arigatogozams」と言った。ありがとうということだ。

「日本語うまいね」と私は言った。

「Cuteって日本語でなんていうの?」と店員は尋ねた。誰か狙っているのだろうか。

「かわいい、だよ」と私は言った。浸透している言葉なのか、店員はハッとした表情だった。

「Arigatogozams」店員はまた立ち去っていった。普通にいいやつじゃないか。私は警戒していた自分をあざ笑いながら赤ワインを飲んだ。

しばらくして、店員がパエジャを持ってきた。いい香りがする。量も適度に多い。わたしは彼に習い、

「Gracies(カタルーニャ:おおきに)」と伝えた。店員は「De nada(西:どういたしまして)」と答えた。いちおう、カタルーニャ語のつもりなんだけどなあ。

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レモンを絞り、フォークでパエジャをつついて口に入れた。店員のキャラが面白いのでまずくてもいいかくらいに思っていたが、パエジャは予想を裏切ってきた。うまいのである。鶏肉の出汁が良く利いていて、うまい。お焦げな感じは全くないので、お焦げ系パエジャが好きな人はあまり好きではないかもしれないが、私はあの水分多めのパエジャもなかなか好きだ。香りがよく立っている。次に肉を食べてみると、骨つきで、身はジューシーで柔らかい。正直に言って私の人生の中で最高のパエジャだった。ここにきて、私の警戒心は本当に馬鹿げたものだったことがわかった。あとはぼったくられないかどうかだか、正直ぼったくられてもいいとも思った。

パエジャを頬張っていると、先ほどの店員がやってきて、

「どう?」と聞いてきたので、わたしは

「うまいよ。¡Qué rico!」と答えた。店員は相変わらずブスッとした感じだが、どことなく嬉しそうに、

「¿Muy rico?(すごくうまいか?)」と尋ねた。

「Sí, sí(ああ、うまいよ)」と私はもう一度答え、「えーっと、どうやっていえばいいのかな、美味しいって……」

「Muy ricoだよ」いや、そうではないのだ。私が聞きたいのは……

「あの、カタルーニャ語では」

「ああ、Mol bonだよ」店員は少し驚いた感じていった。カタルーニャ語を質問する人は少ないのだろうか。あんなに街中に沢山書いてあって、観光客は誰も気にもならないのだろうか。少し寂しい気もする。

「Mol bon!(めっちゃうまい)」そういうと、店員は

「Gracies(おおきにな)」と答えた。

最後にコーヒーを頼み、さっぱりした後で会計をした。全くぼったくられていなかった。わたしはチップとして少しだけ加算した上で席を立った。例の店員は忙しそうにどこかに行ってしまった。少し残念だが、私はそのままレイアール広場を後にして、ホテルへと急いだ。夜の帳が下りていて、ランブラスではヨーロッパの観光地恒例の光る独楽を飛ばす人たちがいる。

 

ホテルに戻ると客が来ているようで、フロントに列ができていた。私は列の最後尾で待っていたが、どうも先に進まない。フロントのお姉さんは私に気付くと手招きした。

「番号は?」まるでテストするようである。まあ、テストされて仕方がない。ならこちらも期待の上をいってやらねば。

「クワトロ・トレセ(413)」

「Quatro treze, muy bien(413ね。正解よ)」フロントのお姉さんはにっこりと笑って鍵を渡した。

「水を買えるところはありますか?」と尋ねたら、食堂があると指をさした。私は礼を言って「Bona nit!(おやすみなさい)」とカタルーニャ語で残して食堂に入った。しかし水は売り切れていたので、仕方なく部屋に戻った。

テレビをつけると、サッカーをやっている。バルセロナといえば、バルサ。ステレオタイプだが、ステレオタイプ通りの番組である。テンションの高い実況が、「メッシ、ネイマール、ゴーーーーーウ、ゴーーーーーーーーーーーーウ」と得点を喜んでいた。かつて、バルサの「カンプ・ノウ」スタジアムだけが、カタルーニャ語の使用を認められていたらしい。バルセロナのサッカーが強いのはそうした背景がある。サッカーでレアルマドリードに勝つことは、スペイン王国に勝つことであった。ドイツも、イタリアも、サッカーが強いヨーロッパの国は、どこも戦国時代並みの分裂からの統一を経験している。サッカーは地元の声でもある……らしい。日本も江戸時代がそのまま続いてサッカーだけ取り入れていたら、Jリーグはすごかったのかもしれない。特に「FC薩摩vsFC長州」とか、「FC薩摩vsFC会津」なんて激しそうだ。

などと馬鹿げたことを考えつつ、私は1日ぶりのシャワーを浴びた。

バルセロナは最高の街だった。もっとバルセロナにいたいと強く思った。正直、もう一泊する手もなくはない。それこそが自由旅行であり、そのためにホテルも何も予約していないのだ。だからバルセロナに何泊もして、そのままフランス語を勉強するためにコースを予約しているボルドーに行くという手だってある。とは言っても、バスク地方も見てみたいし、マドリード、ひいては南の方も見たい。ボルドーまでのタイムリミットがあと四日だった。バルセロナにいたい気持ちは非常に大きかったが、交通の便のいいマドリードに二日泊まる方が行動の可能性は広がる。悩みに悩んだ末、私は延泊をやめ、マドリードにしようと決めた。そしてホテル探しの面倒さから解放されるように、安いホテルをネットで探した。なんと二日泊まって7000円ほどのところがある。私はそこの予約を入れた。後払いだし、もし明日、気が変わってバルセロナにい続けたくなったらやめれば良い。

こうして、長い長い1日が終わった。