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旅、映画、食べ物、哲学?

7都市目:バルセロナ(7)〜アデウ、バルセロナ〜

目を覚ますと、ちょうどよく狭い、白と黒の部屋にいた。わたしはベッドから出らと顔を洗い、それから荷造りをした。名残惜しいが仕方ない。今回の旅では最大級に名残惜しい。

重たいリュックを背負ってフロントに戻った。フロントには誰もいない。しばらく待っていたら奥の食堂からおばさんが出てきた。チェックインの時のおばさんだ。

「チェックアウトです」と告げると、もうお金は払ってあったので、おばさんはにこやかに鍵だけ受け取って、

「良い1日を!」と言った。

「Moltes gracies, adeu!(おおきにありがとうございました、さいなら)」とカタルーニャ語で挨拶をして、わたしはホテルを出た。

すぐに駅へ行ってしまうのも寂しいので、ランブラス通りをうろちょろしていると、市場があった。こりゃ気づかなかった。しかし市場は朝が本番なのでちょうど良い。わたしはリュックを背負った重装備ながら、市場へと入って行ったこと。サンジュゼップ市場(ラ・ボケリアとも)というらしい。

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スペイン人は朝が遅いようで、朝が正念場の市場もまだまだというところだった。あれは確か8:00くらいだったはずだ。それでもやはり野菜や魚介の生々しい香りが漂う市場の空気感は健在で、心躍らせた。日本ではあまり嗅ぐことがない香りだ。築地であってもまだまだ生ぬるい。アジアやヨーロッパの市場はグイグイとくる。あの臭さこそ、生活の証である。

何組か観光客も来ていた。昼になるともっとたくさんいるのだろう。朝食でも食おうかと思ったが、どうにも見当たらない。とはいえ何もせずに市場を去るのはもったいない。わたしは果物屋のジュースを飲むことにして、どこがいいか品定めをして、客が何人かいたところで買うことにした。(ここはカタルーニャなのだから)スペイン語を使うべきか悩んでいたので英語でキウイジュースを買った。氷も何もなく、ひたすらにリアルなキウイ果汁が詰まっていた。これこそ市場の味。飾らないところがいい。フレッシュジュースの鑑という感じだった。しかし、今思うと、どうしてあんなバレンシアのそばまで来ておきながら「Zumo de naranja(オレンジジュース)」にしなかったのか。非常にもったいないことではあるが、こんなもんである。出川哲朗曰く、「これがリアルだから」と。

ランブラス通りへ戻り、通りにあるベンチでジュースを飲んだ。もう、バルセロナを離れるのか。いや、まだわからんぞ、理性なんて吹き飛ばし、直観の赴くままにバルセロナにもう一泊してやろうということになるかもしれぬ。そう思いながらも、心のどこかでバルセロナに、ランブラス通りに別れを告げて、わたしはリセウ駅からサンツ駅へと行った。これでこの地下鉄も最後かと名残惜しく思いながら。

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問題は、マドリード行きのチケットをまだ入手していないことだった。ホテルはとったが切符がない。そんなわけで、わたしは昨日行った切符売り場に並んだ。その時ふと気づいたことがあった。それは昨日はあまり気にかからなかった、隣のブースである。隣のブースには待合室風のベンチがたくさんあった。もしや、当日券以外はここで買うのではないか。どうやら昨日はそれに気づかずにサンツを去ってしまったのではないか。まあ旅とはこんなものだ。

マドリード行きのチケットをユーレイルパスで予約したいんですが」とブースのおじさんにいうと、おじさんは何やらパソコンで調べた挙句に

「13:25のやつがあるよ」と言った。今は朝の九時。電車は一時半。なんと。やはり昨日予約しておけばよかった。もしかするとこれはもう一日バルセロナに泊まれと言う運命の悪戯なのではないか。などとあれこれ考えた上でわたしはチケットを予約した。フランス国鉄よりもちょっとだけ高めの10.55ユーロである。

チケットを受け取り、わたしはブースの裏側に回ったところにあるパン屋に立ち寄って朝食を買うことにした。朝9時30分。ここ数日では最も遅い朝食だった。

「¡Buenos dias! Un croissant y un cafe con leche, por favor.(おはようございます、クロワッサン一つとカフェコンレチェを一つお願いします)」と、わたしはこれから向かうマドリードでの練習とばかりにカスティーリャ語を使ってみた。英語で話しかけられると思っていたのか、店員はちょっと驚きつつ、ちょっと嬉しそうに、

「Vale. €2.50(はい、2エウロ50センティモでございます)」と答えた。旅は言葉じゃない、言葉じゃなくても通じ会えるんだ、などと人は言う。それは70%くらいは真実かもしれない。でもここヨーロッパでは特に、その国の言葉を喋れるだけで、どれだけ外国人への警戒を解いてもらえることか。言葉の力を舐めちゃあいけない。

笑顔でありがとうと交わし、わたしはベンチでカフェコンレチェと甘いクロワッサンを食べた。この、カフェコンレチェはうまかった。はじめて試したが、気に入った。カプチーノのような感じなのだが、カプチーノより濃厚で、言葉で説明するのは難しいが、身も心も温めてくれる感じの味がする。その後のスペイン旅行の朝のお供となった。

そのあと、友達にメッセージを送ったりなどしながらこれから駅の外に出るのかどうか考えた。出たい気もするが、リュックを背負って、この前のディジョンのようなことは御免である。そうだ、コインロッカーを見つければいい。調べてみると案の定コインロッカーはある。さて、バルセロナにお別れを言おう。行き先は、今回の旅で親しくなったガウディ師匠のグエル公園か、カサミラか、それかかつてのアラゴン王国の宮殿だ。

 

結局選んだのは宮殿だった。グエル公園は少々遠く、行き方が複雑そうだったから却下、となるとやはりカサミラよりも宮殿に行きたい。なんとそこでコロンブスとイザベラ女王が会見したと言うのだから見たいに決まっている。

コインロッカーは空港の荷物検査のようなことをしてから、預けるシステムだった。こうしておけば、日本だって、どこぞの大統領が来日してもコインロッカーを使い続けられるのに。バルセロナは傍目には、他国のテロなんて御構い無しのゆるい警備に見えたが、締めるとこは締めているようだ。

身軽になって、地下鉄に乗り込む。今考えてみれば明らかに遠回りな、サンツ駅→エスパニヤ駅→ウルキナオナ駅と乗り換えて、目的のジャウマプリメ駅に向かうルートをとった。何せ乗り納めだ。

駅を出ると、滞在中はちょっとしか立ち寄っていない旧市街の街並みに出た。ゴティック地区というそうだ。色はあいもかわらずパエリヤみたいな黄土色、そこら中に蔦のような形の街灯がつる下がっている。やっぱり、わたしはバルセロナの街が好きである。しかし、宮殿は見当たらない。

ここかなと思って行ってみると広場である。宮殿の前っぽさもあるが、どうやら市庁舎か何かのようだ。もしかすると博物館かもしれない。入ろうかとも思ったが、宮殿に行きたいのでやめることにした。時間がそんなにあるわけでもない。人だかりの雰囲気を楽しみつつ、路地に入った。すると古くからありそうな飲み屋や服屋が軒を連ねている。宮殿ではないが、見ているだけで十分に楽しかった。それに、ゴティック地区の街並みは見ていて心躍るものがある。石畳の狭い道の横から迫る背の高い黄土色の建物。そしてつる下がっている街灯。わたしは夢中になって歩いた。

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しばらくすると別の広場が現れた。今度は誰かの像がある。フランスとは違ってテラス席の店はあまり見ないが、それでの街のごみごみとした賑やかさが心にしみてくる。ガヤガヤとした街は、わたしの心に今朝方からなんとなく突っかかっているものを満たしてくれた。それはバルセロナをさる寂しさでもあったし、日本でやり残してしまったことへの気持ちでもあった。

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迷路のようなゴティック地区が目の前で開けたと思うと、それはランブラス通りだった。これもまた、運命の導きだ。ランブラス。ここからわたしのバルセロナの旅は始まり、そしてここで終わる。わたしはランブラス沿いにゴティック地区を歩くことにした。ホテルがあるのとは逆側の道だ。すると、大きな教会が現れた。大聖堂(カテドラル)だ。サグラダファミリアと違って、「完成済み」のこの教会は、いかにも教会らしい形をしていた。これはこれで良い。広場は人で溢れ、楽しそうな声が聞こえた。教会の近くを歩いていると、ガウディやピカソに関する美術館があった。ガウディ師匠とここで再会するとは。これも運命の導きである。もはや宮殿などどうでも良かったので入ろうかと思ったが、まだ歩きたい気持ちもあったので散歩を継続することにした。

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わたしが足を踏み入れたのは、再びゴティック地区の奥だった。先ほど歩いたようなグネグネ曲がった黄土色の古い町の迷路である。生ハム屋さんやアンティークショップがそこにはある。そうした界隈をうろうろしていると、ドンドンという太鼓の音が聞こえた。そしてシュプレヒコールが聞こえた。デモのようだ。今のヨーロッパで騒がしい方へ行くのは賢明ではないが、少し近くへ行って見た。するとゴティック地区にしては広い道を女性団体が隊列を組み、横断幕を掲げている。女性の権利の関係の何かだろうなと思った。

「ラホイ、ラホイ、ラホイ!」と叫び、そのあと何やら言っている。ラホイとはスペインの首相で保守系の政治家だ。彼に対する何かの抗議のようだ。フランコ独裁政権が倒れてからまだ40年ほど。スペイン、特にバルセロナの政治意識は高いみたいだ。

わたしはその場をそっと離れ、さらに道を進んだ。すると突如として道がひらけ、大通りに出た。その通りはどことなく見覚えがあるような気がした。昨日歩いた界隈にやって来たのかもしれない。ふと横を見ると、ぐにゃっと曲がった感じの黄土色の建物にたくさんの鉄球がくっついている。

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ガウディ師匠ではなさそうだが、バルセロナのアールヌヴォー系界隈が始まったのだろうか。あれはなんの建物だろう、と思いつつ、さらに道を行くと、通りの向こう側に、何やら不思議な形をした建物があった。鉄球がたくさん張り付いた建物も十分不思議だが、それ以上に鮮やかな色で、建物もグネングネン曲がっている。もしや、ガウディ師匠だろうか。わたしはよくわからないので近づいて見ることにした。

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それは、カタルーニャ音楽堂というコンサートホールだった。にしては狭いところに立っている。ちなみに、後で知ったがこれはガウディ師匠の作品ではない。ムンタネー師匠というカタルーニャ19世紀の芸術復興運動の立役者のものらしい。世界遺産にもなっているという。

面白いのはチケット売り場である。色とりどりのタイルが貼られた柱に丸い穴が空いていて、そこがチケットカウンターになっている。無味乾燥なチケットカウンターとは違う。こういう細部にこだわるところが良い。よくできている。

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それにしても漂ってくるエキゾチックさはなんなのだろうか。確かに、かつてイベリア半島イスラーム勢力の支配下にあった。だが、バルセロナはその支配を脱しているし、イスラームとの折衷建築であるムデハル様式とはまた違った趣がある。といろいろ考えたのだが、一つ思い当たるのは、かつてバルセロナを中心としたアラゴン王国シチリアを支配していたことだ。あそこは南のイスラーム世界、北のキリスト教世界の交差点にある。行ったことはないが、シチリア旅行をした人の写真は見た。棕櫚がたくさん生えていて、建物の感じも不思議なエキゾチックさをたたえている。どこかバルセロナに似ている。とはいっても、バルセロナバルセロナらしさもやはりある。いや、もう理屈で考えるのはよそう。バルセロナの空気をたたえた建築物に、わたしは良さを感じているのだ。そのわけのわからないエキゾチックさに、である。

この中はどうなっているんだろう。いつか来た時はここでコンサートを聴いてみたいなと思いつつ、しばらく眺めていたら、電車の時間まで結構逼迫してることに気づいた。そろそろ地下鉄の駅を探して、サンツ駅に戻らねば。まあ、逃したら逃したで、10.55ユーロは損になるが、そうしたらバルセロナにもう1日とどまれってことなんだろう。少し心の余裕を持って、近くにあったウルキナオナ駅に入り、サンツ駅を目指した。今度こそ、最後の地下鉄ということになる。

 

サンツ駅についたのは13:00。発車時刻は13:25。なかなかのピンチである。急いでコインロッカーからリュックを取り出し、プラットフォームを探した。プラッフォームの前には荷物検査ような機械が2台並んでおり、その目の前には警備員が立っていた。どうやらスペイン国鉄renfeの高速鉄道AVEはかなり強烈なチェックをするらしい。そういえば、21世紀の頭にスペインでは高速鉄道を狙ったテロが起こったのだ。そのせいか、かなりピリピリしていた……とはいっても、ピリピリしていたのは置かれている器具だけだった。係員はゆるゆるそのもので、形だけというような感じである。四人組の軍人が徘徊しているフランスと比べると、スペインは随分とゆるい。まあゆるい方が平和で良いのだ。

荷物検査後、検札を通る。ユーレイルパスに不備があったので、「ああ、ここで記入してくれればいいよ」とゆるく対応され、書き直した。髭の検札のおじさんは、それを見てから、

「ありがとう。それじゃあ¡Buen viaje!(良い旅を)」と楽しそうに言った。スペイン、早くもはまりそうである。

「¡Gracias!(ありがとう!)」とわたしは言い、エスカレーターで地下にあるプラットフォームに降りた。バルセロナマドリードなどの大きな駅では、地下にプラットフォームが集中している。

さて、これでバルセロナともお別れだ。電車にもどうやら間に合ってしまったようだし、これにてAdeu Barcelona(さいなら、バルセロナ)である。わたしは心の奥底で、バルセロナにいつかもう一度来ようと思っていることに気がついていた。だから、Aviat, Barcelona(ほなまたな、バルセロナ)が正しかったのかもしれない。