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旅、映画、食べ物、哲学?

8都市目:マドリード(3)〜そうだ、トレド行こう〜

朝起きて、顔を洗う。窓の外では話し声が聞こえる。マドリードの朝か。窓の外は中庭で、住人たちが洗濯物を干したりする。それじゃあわたしも朝食を食べがてら洗濯物を始末してしまおう。

鍵をもらい、オスタルプラダを出たのは確か8:00くらいである。紹介されたコインランドリーはオルダレサ通りの奥の方にあったので、わたしはグランビアとは逆の方向に、まるでサンタクロースのように洗濯物の入った袋を抱えて歩いた。気温は朝だからそんなに暑いわけでもない。しかし道をちょっとデンジャラスな雰囲気があった。怪しげな奴らが道に溜まっている。そうか、夜10時くらいに治安の良さが最高潮に達するマドリードでは、朝の治安が悪いわけだ。謎である。朝夜逆転である。もう日も高いというのに。早起きの悪党を想像するとちょっとだけ微笑ましいが。

きわめつけはランドリーだ。行ってみたが、なんと開店は9時からだ。いや、朝に洗濯しようと思わないのか。そうか、8時はまだ夜なのか。わたしは大荷物を持って朝食を空気にもならなかったので、一度オスタルに戻った。

 

九時に出直すと、道の治安は向上し、ランドリーも空いていた。ところが、九時ではいささか早すぎるらしく、人は全然いない。やり方がわからず色々試していると、奥の扉が開いておばさんがやってきた。英語話せるか、と聞くと、無理と言われたので、拙いスペイン語でなんとか要件を聞き、向こうも身振り手振りで教えてくれる。わたしはグラシアスと言って、洗濯をスタートさせた。

回している間は盗まれることも少ないらしい(乾燥機の途中が危ないという)ので、わたしは近くで見かけたバルに入った。

「¡Buenas dias!(おはようございます)」とバルに入り、わたしはテーブル席に座った。メニューを見ると例のカフェコンレチェとチュロスのセットが2ユーロと安い。ならばと、わたしはバルカウンターまで行ってそれを頼んだ。

スペインの朝食はチュロスらしい。それをココアに浸して食うようだ。朝食には文化が詰まっているから、どんなものかと期待していると、予想以上の太さと長さを持つ2本のチュロスがボーンと出てきた。フォークとナイフが出てきたので、わたしはわざわざチュロスを買って、食った。驚いた。味は塩味だ。日本人の思うあの甘い、ディズニーランド=模擬店方式とは違うわけである。そうか、だからココアをつけるんだ。

結論からいうと、しょっぱいチュロスはあまり良くなかった。というのも、脂っこさが際立ってしまうからだ。甘いとそっちに気がとられるのであまりわからないが、しょっぱいとそのあたりがきつい。そうは行っても、極東のアジア人は少食だと極西のヨーロッパ人に思われたくはないので、全部食らってやった。明日はプラダのおじさんにでも聞いてみよう。

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それからわたしは店を出て、口の中の脂っこさを消し去るべく、アジア系のお姉さんが経営するミニショップでファンタを買って、ランドリーに戻った。客は相変わらずわたしだけ。わたしは洗濯物を取り込み、乾燥機に入れた。三十分の暇つぶしのために、わたしはランドリー内のベンチに座って、この旅最初のブログ(「Dreadful Flight」)を書いた。

ブログを書きながら、これからどうしようかと考えた。プラド美術館再チャレンジか、それともマヨル広場に行くか。シエスタしてみるか。どれも魅力的ではあったが、わたしの中ではどうしても振り払えない思いが増大して行った。そう、

「そうだ、トレド行こう」である。

 

トレドは、西ゴート王国の時代からイベリア半島の中心地になってきたところだ。マドリードからはバスで片道30分。だから勢いで行けてしまう。というか、かつてはマドリードよりも栄えていた都市である。世界史の教科書では、「大翻訳運動」という止んだかよくわからぬイベントの中心地として登場する。が、もっと簡単にいうなら、「キリスト教ユダヤ教イスラームの三つの宗教が共存した街」だ。今のご時世、そんなバカなぁという感じもするし、その時代は特にそんなバカなぁである。どうしてそんなことになったのだろう。

時は711年。南の大陸アフリカ大陸を支配する強大なウマイヤ朝の軍隊が北のイベリア半島に侵攻した。当時イベリア半島を収めていたキリスト教西ゴート王国はこの状況に対処できなかった。718年まで西ゴート王国の残党は抵抗を続けるが、その後は北で勢力を築いたゴート貴族のペラヨ率いるアストゥリアス王国以外が滅亡、ついにイベリア半島の半分以上がイスラーム勢力に抑えられた。その後、ウマイヤ朝は本国アラビアで崩壊し、イベリアには後ウマイヤ朝が成立する。

イスラームは、寛容な宗教だった。特にキリスト教徒とユダヤ教徒は、教えが間違って伝わってしまったけど基本的には同胞であるとして扱われた(啓典の民)。さらにさらに、キリスト教徒たちには徹底的に拒否されたギリシア哲学の取り込みにも積極的だった。だから、イスラーム支配下に置かれたイベリア半島は中世(8世紀から15世紀)においてはヨーロッパの最先端の土地となって行く。科学、宗教、哲学、文化が発展したのである。その中心地こそが他でもないトレドなのだ。トレドにはその当時の建築物が残り、アラブの雰囲気が感じられる…はず。

その後トレドは1085年に北のカスティーリャ王国軍に包囲され、キリスト教諸国に奪回される。とはいっても文化が廃れたわけではない。キリスト教徒もムスリムユダヤ教徒もその他に残り、文化を未来は伝えた。そんな中で、アラビア語の科学書、アラビア語に翻訳されたギリシア哲学の本を、ヨーロッパの共通語であるラテン語に翻訳するという「大翻訳運動」が始まるわけだ。このことで、ヨーロッパの人々は、自分たちが失ってしまっていた文明に再び触れられる下地ができ、ルネサンスの種が蒔かれることになる。つまり、ダヴィンチも、ミケランジェロも、トレドが発展していなければないのだ、とも言える。

だからトレドにはイスラームの香りもユダヤのエッセンスもある。そこに魅力がある。わたしの友人が、私がスペインに行くと言った時に言っていた。「スペインってイスラムキリスト教が混ざり合ってるじゃん。一度見てみたいんだよね。いいなぁ」と。わたしもそれがみたかった。ずっとフランク王国のお膝元であったバルセロナ、17世紀に生まれたマドリードにいるだけじゃ、それは感じられない。こうしたスペイン独特の歴史を奏でる町としてはアルハンブラ宮殿のあるグラナダなどが有名だが、ちと遠い。トレドなら、30分でそうした雰囲気が楽しめるはずだ。

そういうわけで、マドリードの面白そうなスポットは置いておいて、今日はトレドに行こうと、突発的な行動に出てしまうことにした。