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旅、映画、食べ物、哲学?

14都市目:カンペール(1)〜Jamais le Dimanche〜

まだ真っ暗い早朝にホテルをチェックインし、坂道を下りて、ナントに名残惜しさを残しながらトラムの駅に着いた時、わたしは衝撃の事実を知った。なんと、今日は日曜日なのである。キリスト教圏の日曜日は恐ろしい。あらゆるものが閉まってしまう。日本にだって休日運転はあるが、そんなのかわいいもんだ。そう、乗ろうとしていたトラム(昨日わたしにしては珍しく駅で確認していた)は日曜日には来ないのである。そして次のトラムは1時間後であり、バスの時間に間に合うはずはなかった。

いきなり危機的状況に襲われた。ただ、治安の悪そうな界隈のホテルでの宿泊、宿泊者リストから消えた自分の名前、未曾有のテロ事件、祭り前夜のせいで聖母マリアなみにホテルが取れない状況……といろいろなことに見舞われてきた今回の旅だ。朝早くても対応策を考える脳はすぐに動いた。しかし、タクシーを拾えるわけでもなさそうだし、なかなかのピンチである。導き出した答えは、かなり奇想天外なものだった。そう、なんとかして数分前に行ってしまったトラムを追いかけるというものである(今思えば、ホテルに戻ってタクシーを頼めばよかったのだ)。

そういうわけでトラムの駅をひとつ踏破したわけだが、途中で、ああこれは無理だなと思い始めた。まあしかたあるまい。バス代はもったいないが、これで間に合わなければ、神の啓示だ。そう、ナントにとどまりなさい、という運命の定めなのである。わたしはおとなしく隣駅コメルス駅でトラムを待った。

そういう、謎の悟りを開いた時に限って、間に合うもので、そのトラムに乗っていたら、ギリギリでバスに間に合ってしまった。まあ、これはこれでありだ。わたしは走ってバスターミナルへ行き、目指すバスに乗った。案の定わたしが最後の乗客である。申し訳ないと思いつつ、席に着いた。すぐにバスのエンジンがかかり、北へと進み始めた。目指すはブルターニュの半島の西の端、カンペール。朝日も登り始めたところである。

バスはヴァンヌという街を経由してカンペールへと向かった。とは言ってもヴァンヌはほぼトイレ休憩。わたしは駅のポールでいつもの「パリジャン」とエスプレッソを購入した。ボルドーからナントに行くときはよくわからないコンビニ風の店で食べたので、こういうスタイルは懐かしい気がした。

 

よくわからない穀物の畑を抜けて、白壁に鼠色の屋根の家が並ぶ世界に入る。ブルターニュ様式というやつである。ブルターニュ。つまるところはリトルブリテン。そう、英国のほとんどを占める「グレートブリテン島」が大きなブリテンで、ブルターニュが小さなブリテンというわけだ。かつてサクソン人たちに追われた大ブリテン島ケルト系住民がブルターニュにやって来た。それから、この土地でケルト文化を守った。ケルト文化とは、アイルランドウェールズスコットランドに今も残る文化だ。リバーダンスにバグパイプ、魔術師マーリンやダンブルドア先生の元になったドルイドの司祭たち。それがケルトだ。ちなみにブルターニュに住み着いた人々の他に、大ブリテン島に残った人もいるが、サクソン人と戦った彼らの首領の名前をご存知の方も多いはずだ。彼の名前はアーサー。そう、剣を引き抜いて王になったアーサー王である。関係ないが、引き抜いた剣はエクスカリバーではない。最初に使っていた剣が割と早めにパリッと折れてしまって、湖の乙女からもらうのがエクスカリバーだ。

フランス王国の前身である西フランク王国の侵攻を打ち破ったブルターニュは、その後も独立を保ち続けた。大ブリテン島イングランドと大陸側のフランス王国両国を利用し、利用され、何とか生き抜いた。最後のブルターニュ公アンヌは結婚政策を通じて、何とかブルターニュの特権を認めさせたという。フランス革命のせいでその特権は剥奪され、ブルターニュは革命政府と戦った。だが最後には敗れ、その後も独立闘争は続く。今ではかなり下火になっているようだ。

 

バスが到着したのはカンペール駅の目の前だった。見るからに田舎の駅というような感じの駅舎は強い日差しに照らされている。私は人の流れに従って駅の前を横切るあまり舗装されていない道路を歩いた。視界の先にある看板は、バスク地方で目にしたっきり一週間はごぶさただった二言語表記だ。建物はブルターニュ風に白い壁に鼠色の屋根、というところが多いようだ。

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そろそろ昼だというのにあまり人気がない。太陽は一箇所からではなく、全体から照らしてくるようで、体力が奪われる。10kg以上のリュックが肩に食い込み、歩みを進めるほどにぐっと足に力がかかる。なんだか幸先がよくなかった。

しばらくすると川に出た。川にはたくさんの花が飾られていた。川沿いに大きな教会が見える。間違いない。そこが街の中心部だ。たぶんそこに行けば観光案内所があるだろう。私は一路案内所を目指した。カンペールブルターニュブルターニュといえばそば粉で出来たクレープの一種「ガレット」。昼食はそれだ。噂によるとブルターニュのクレープは安いらしいではないか。

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教会前の大広場には観光客らしき人がまばらにいて、かつてアヴィニョンで見たような観光列車(実際は車)もいた。だがなんとなく活気がない。まあ気にせず、観光案内所でホテルを見つけるのが先決だ。それに……私にはもう一つやりたいことがあった。

私がカンペールにやってきたのは、ブルターニュ文化の中心部に行きたいからだけではない。私の本来の目的はカンペールから30分ほどバスに乗るといけるというラ岬(Point du Raz)を目指すことだった。そこまで行くと、大西洋が望める。要するに最果ての地である。そこまで行くバスがいつでるのかを聞き、ホテルを予約したら、今日のうちに行ってしまって、大西洋の夕暮れを望みたいものだ。

Bonjour(こんにちは)」と案内所の男にいうと、彼は楽しそうに

Bonjour」と返した。観光案内所は落ち着く。

「ホテルリストはありますか?」と聞くと、ホテルリストはないが、ここから予約できる、という。それからは自動的に進む。値段はいくらがいいか?30ユーロくらいまでかな、駅のそばがいいか?明日すぐに移動できそうだから駅のそばがいいな……そんなやり取りをして、案内所の男が導き出したのは「ル・ダービー」というフランスらしからぬホテルだった。結局39ユーロなのでさして安くはないが、フランスのシングルルームにしてはまずまずだろう。

「それと、ラ岬に行きたいんですが」と私は切り出した。すると案内所の男は、ちょっと待ってね、というようなポーズをとり、何やら大量の黄色いパンフレットを持ってきた。どうやらバスの時刻表のようだ。

「バスは普段……」と説明し始めたところで、私のフランス語聞き取り能力の限界を超えた。だが、なんとなく聞き取れたのは、「日曜日」と「バスがない」だった。はっとした。今日は日曜日なのだ。一人で一ヶ月近く旅していると曜日感覚が消える。それでもヨーロッパの魔の日、日曜日は確かに今日だった。なるほど。

「ありがとうございました」と私は大量の黄色いパンフレットを受けとり、わざわざホテルのある駅前まで戻ることにした。しかたない。中心部のホテルは高そうだった。それにしてもリュックが重い。いつも重いが今日は一段と重い。子泣き爺でも背負っているのではあるまいか。私は川沿いのベンチで休憩することにした。そして時刻表を見た。

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「日曜日」の項目にはバツがついている。やはり、日曜日にバスは出ていないようだ。くそ、やられた。だがそんなことでくよくよしてはいられない。今日はカンペールの日なのだ。私はそう自分を慰め、リュックをよいしょと背負い、駅前に向かった。

 

カンペールの駅前はやけに治安が悪そうだった。案の定ホテル・ル・ダービーに行く道すがら、何やらわめいている男がいた。男の前を早足で通ると、何やら言っている。どうやら私に話しかけているようだ。私はフランス語がわからないふりをして立ち去ったが後ろの方で物騒な音が聞こえる。こんな太陽が輝いているというのに、面倒な街に来てしまったのか。

ル・ダービーもル・ダービーである。ホテルとは名ばかり、一階はバーとタバコ屋が一体化している。ホテルの従業員=バーの店員=タバコ屋の店員なのでやけに忙しそうである。

「ホテルをさっき予約したものです」というと、タバコ屋の店員のおにいさん=バーの店員=ホテルのフロントの人は、

「先に料金をください」といい、「まだ清掃中なのであと10分くらいその辺りで待っていてもらえます?」といった。わたしは料金をわたし、椅子に座った。その時、心に余裕を持って昼食を取っておけばよかったのだ。だが、そうはしなかった。それが運の尽きだった。

いつまでたっても何も言われない。挙句に先ほどのヤバそうな男がバーに入店してくる。どうやらバーの人たちからも煙たがられているようで途中で追い出される。だんだんそうした人間観察も悪くないな、と思ってきたが、それにしても何も言われない。12時だった時計の針は13時を差し始める。途中で店員がやってきたが、

「ホテルの部屋を待ってるんです」と言って断ってしまった。そこで何かしら飲み食いすればよかったのに、なぜだか、今日の昼は街中でクレープを食べるという思いがそれを邪魔した。というか、それならリュックだけ預ければよかったのである。だが、頭の回転が悪い時は、やはり何も思いつかぬものなのだ。

徐々に、もしや鍵など渡されず、勝手に入るシステムなのではないか、と私は思いはじめた。どうやら部屋は二階にあるようなので、私は勝手に階段を登り、ホテル部分に入ってみた。が、聞こえてくる掃除機の音は、清掃中を表していた。

何度も上がったり下りたりしていると、上の階でおばあさんと出会った。

「部屋の鍵をまだ渡されてなくて…」というと、おばあさんは、ついてきな、と私を下に誘導した。とりあえずついて行く他ない。するとおばあさんはバーの方に行って、

「ほら、そこのお兄さんに鍵」といとも簡単に鍵を手に入れてしまった。そうか、こちらから聞けばよかったのだ、というどっとした疲れとともに、おばあさんがこのル・ダービーのドンなのだという驚きを感じた。

おばあさんは部屋まで案内してくれた。なぜだか手にはリモコンがある。どうやらこのホテルでは鍵と一緒にリモコンをくれるらしい。従業員がテレビを勝手に見るのを防いでいるのだろうか。おばあさんはニッコリと微笑み、部屋を後にした。

はじめはとんでもないホテルだと思ったが、案外良いかもしれない。窓の外は絶景とは言い難い駅の風景。しかも先ほどの喚きおじさんが喚いている。部屋には謎の仏頭の絵。変な空間である。私は一度ベッドに腰を下ろし、案内所でもらった地図を見た。今日はカンペールを歩く日だ。

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