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旅、映画、食べ物、哲学?

14都市目:カンペール(2)〜I'm Down〜

身軽になって街に出たらもう15時になっていた。明らかに昼を食べ逃している。だが何も食わないというのは癪にさわるので、教会前の広場で食べられるところはないかと探した。すると、一軒やっている。隣は観光案内所だ。

未だにヨーロッパの店の入り方を理解していないので、わたしはウェイトレスに「一人だ」と告げた。するとどこでもいいというので、日当たりの良さそうなテラスに座った。これが間違いだった。日当たりが良すぎたのだ。

まあそれはさておき、メニューが渡され、わたしはサラミとよくわからないチーズの入ったガレットと北フランス名物だというシードルをこれまたよくわからないけどやすそうな「ボレ」という呑み方で頼んだ。

激しい日光の中、教会を眺める。教会は空高く尖塔を伸ばしている。それにしてもこの街にはどうしてこんなにも人がいないのか。日曜だからか。まあ日曜だからだろう。日を間違えたようだ。

などと物思いに耽っていたら、ウェイトレスがニコニコしながらプレートにのったガレットとティーカップを持ってきた。なぜお茶?と思ったが、なるほど、たぶん「ボレ」とはティーカップなのだ、と合点がいった。中には紅茶の見まごう紅の液体。わたしは一口飲んでみた。味はヨーロッパ式のえぐみの強いアップルジュースが少しシュワっとした感じ。悪くない。これは飲み過ぎ注意系アルコホールである。

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ガレットの方はナイフを当てるとバリッとしている。香ばしい。そしてよくわからないチーズはかなりきつい香りだ。なかなかハードなものを食べてしまった。わたしはいささかシードルとガレットが合わないなと思いつつ昼食を終えた。たぶんあれはビールの方がいいだろう。

 

会計を済ませ、店を出ると、太陽は未だ激しく、人はいなかった。どうしたら良いのかわからないので、わたしは教会と反対側へ向かうことにした。そっちの方が旧市街らしいからだ。

旧市街の界隈は、美しいピンクやブラウンに塗られた木枠に白の漆喰というヨーロッパの旧市街らしい光景が広がっていた。道の真ん中にはアイス屋と思しき車があり、路上にはギターで哀愁あるメロディを奏でるストリートミュージシャンがいる。

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申し分のない昼下がり。しかし、人がいないのである。まるで放棄された街のように、どこにも人がいない。アイス屋のおじさんとギター弾きのおじいさん以外、人類という人類が消えちまっている。一体何があったというのか。これはこれでノスタルジーを感じなくもないが、人もいない、入る場所もない、そして暑い、では気も滅入ってくる。わたしはのども渇いたことだし、ひとまず教会前の広場に戻ることにした。あそこには大きなカフェがあったはずだ。

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カフェに入り、飲み物を頼む。こういう時は得てしてバカなことをしてしまう。レモネードを頼もうかと思っていたのに、なぜかビールを頼んだのだ。今の俺にはビールが必要なんだ、などと抜かしていた。

さて、レフというやけに濃ゆいビールを飲みながら、わたしは作戦を立てた。日暮れまであとゆうに6時間はある。困った。どうするか。一つの選択肢としてル・ダービーで寝るというのがあったが、それはつまらない。もう一つの選択肢は、地図で見つけた「ブルターニュ博物館」なる博物館に入ってみることだ。この旅で実を言えば一度も博物館の類に入っていないわけだが、そろそろ解禁といこう(そういえばプラド美術館に入ろうとしたことがあったが、混みすぎていて面倒になって帰ったのだった)。

濃いレフを飲みほし、勘定を払い、私はテラスから再び陽のあたる方を歩いた。少々くらっとした。たぶんシードルの酔いが今頃きたのだ。博物館は教会の隣にある施設の中にあった。見た目は重厚な石造り。恐る恐る門をくぐると中庭があった。すると中庭の向こうの方から楽しげな音楽が聞こえてくる。どうやらバグパイプを使ったケルト風の音楽である。ブルターニュの伝統音楽か。見てみたかったが、音楽の流れる方と中庭との間には塀があって入れそうもない。しかたなく、博物館の入口をくぐった。

 

博物館もガラガラだった。ガラガラの割に、多めの従業員がカウンターにいる。私はフランス語でチケットを一枚貰った。

「何歳ですか?」と突如として聞かれて呆然としていたら、向こうは英語に切り替えた。やはり質問の趣旨は年齢であっているようだ。私はフランス語で自分の年齢を答えた。どうやら割引があるようだった。この国では「学割」ではなく「U-30割」のようなものがあるようだ(ただし、ルーヴルは違う。あそこでは年齢はおろか、国際学生証も受け付けない)。

係員の案内に従い、私はローマ時代のものと思しきケルト人の遺物が展示されているコーナーに入った。ところどころに、ケルト人の神秘のシンボル「トリスケル」が描かれている。三つのうずまきがくっついたものだ。ちなみにこういったものはバスク文化にもあり、バスクではくねっと曲がったしずくのような形のものが四つ十字形に配置された「バスク十字」なるものがある。それを角ばらせれば「卍」になる。まじ卍、である。これを裏返せば……というのはこの辺でやめておこう。シンボルには何か魔力が宿る。良くも悪くも。

次のセクションに行くと墓のようなものがたくさんあった。どうやら名士か騎士の墓だ。ご本人をかたどった石の彫刻が蓋の部分にかたどられている。このセクションでは、よくわからないがブルターニュキリスト教化を描いているようだ。進んでいけばいくほど、時代が下る。大して内容は分からなかったが、それはそれで面白かった。途中から18世紀の邸宅の模型が始まるや、19世紀の美しいアールヌーヴォーの家も現れる。だが、それでもやはりブルターニュらしく、必ずどこかにトリスケルやケルト模様があるのだ。伝統衣装とその着方の図を見たり、隠し階段のようになった螺旋階段を上ったり、19世紀になって観光開発されたブルターニュの「そうだ、カンペール行こう」「いま再びのブレストへ」「うまし、うるわしレンヌ」的なポスターを眺めているうちに、私はこの街に来て以来体にのしかかっていた疲れが引くのを感じた。

なんとなく満足した私は博物館をあとにした。日差しは相変わらず強かった。私は中庭のベンチに腰掛けて、塀の向こう側から聞こえてくるケルト音楽を聴いていた。たぶんあちら側でなんらかの祭りをやっているのだろう。博物館の人に聞けばよかったが、若干フランス語疲れがあった。私は教会に入ることにした。

巨大な教会の巨大な門をくぐり、中に入ると、落ち着いた石造りの世界が始まる。なんとなくイングランドの教会に似ていた。さすがは小ブリテン。ゆっくりしようかと思ったが、教会の窓の向こうから聴こえる音楽が私を呼んでいる。祭りなら、行くしかない。祭りがあればいつも行ってきたではないか。テロの直後だろうと構わずに、スペイン人に胴上げされたじゃないか。なぜこんな静かな場所にいるのか。そんな心の声に押され、私は教会を出た。

 

祭りの場所に入るには、川沿いの道に回り込む必要があった。すると仰々しい教会の塀の向こう側の人垣が見えた。異邦人が入っていいかわからないが、私はふらりと中に入ってみた。

入ってみると席はまばらながら、今までカンペールで見たなかでもっとも大量の人がいる。そうか、ここにいたのだ。私は観客席の外からステージを見た。どうやらケルト音楽には変わらないが、スコットランドかな何かからのゲストだったようだ。そして次に控えるのはなぜかオスマン帝国精鋭部隊イェニチェリ姿のメフテル楽団だった。彼らはカンペールの人と談笑しながらクレープを食べていた。そのクレープ、どこから……?と思って探すと、一角にテントがあり、おばちゃん達がクレープをせっせと焼いている。なんだかわからないが、教会主催のお祭りのようだ。ビールも売っている。ありだ。ここでクレープとビールを……

そう思った時だった。体にズーンと重みがかかり、ちょっとした気持ちの悪さを感じた。頭もガンガンと痛む。頭痛はずっとあったが、気にしないできた。だが少し気持ち悪いのはまずい。だが私はあえてそれを我慢し、ステージを鑑賞した。スコットランドの軽快な音楽を聴きながら手拍子を打った。だが、徐々に限界を感じた。これは帰るほかない。ホテルで一眠りして、起きてからまた来よう。私は祭りの会場を抜け出した。

 

ル・ダービーの部屋で目をさますと、体が動かない。背中、足が痛み、小刻みに震えている。そして若干吐き気がする。時刻は18時。もう夕飯だというのに。私はとりあえずもう一眠りすることにした。

しかし19時になっても状況は変わらなかった。テレビをつけて「メランション氏、反マクロン陣営結成」というニュースを見ながら、謎の冷や汗に悩まされるまでになった。水がないので、仕方なく水道水を飲み、トイレに入る。その繰り返しをしながら、ついにこれはやられたなと思った。昨日のタルタルステーキか?今日のチーズか?いや、はたまた熱中症か?疲れか?たぶん熱中症と疲れだろう。私はこのままではまずい、とリュックサックの中の薬袋を探った。ところが、見当たらないのである。どこかに置いてきたか。このような時に。

「薬袋を置いて行っていたわよ。送ってあげるから住所を教えて」

ケータイをつけると、そこにはそんな文言のホストマザーからのメッセージが来ていた。もはや笑うしかない。私は国際郵便で申し訳ないなと思いつつ、自宅の住所を送った。状況が面白くなってくると、気分はマシになった。今日は休むしかない。これは天からの「休め」という啓示に違いないのだ。

思えばこの20日くらいで、東京からモスクワ、モスクワからパリ、パリからストラスブールストラスブールからディジョンディジョンからリヨン、リヨンからアヴィニョンアヴィニョンからニームニームからトゥールーズトゥールーズからバルセロナバルセロナからマドリード、1日トレドに行って、マドリードからビルボ、ビルボからイルン、イルンからボルドーボルドーでは一週間みっちりフランス語、ボルドーを出たらナント、そして現在はカンペール、ととんでもない距離をほぼ休まずに走破したのだ。疲れも出るはずだ。何せほとんどのところは一泊しかしていない。たまには休むことも必要だ。本当はボルドーで休むはずが、予想以上に脳に負担がかかってしまった。だからここカンペールで休むのだ。

それにしても……日曜日は恐ろしい。人がいないと元気も出ない。私は窓の外を眺めた。徐々に日が落ちていた。日も短くなった。それからは、狭いトイレにすわり、ドアを開き、トイレの目の前にあるテレビでやっているダイアナ妃の映画を見て過ごした。なんとかして明日には体力を回復させ、明日こそ、ラ岬へ行くんだ。私は早めに寝ることにした。