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旅、映画、食べ物、哲学?

14都市目:ラ岬〜地の果て〜

目を覚ますと朝だった。まだ7時だ。どうやら熱は出ていない。体の痛みも多少は引いている。わたしはとりあえずパッキングして、ラ岬へ向かう最初のバスに乗ることにした。

チェックアウトをすると、昨日はぶっきらぼうだったホテルのお兄さん=バーの店員=タバコ屋の人は、

「朝食は食べてくかい?」と気さくに聞いてきた。昼のあの時間は忙しすぎたのだろう。わたしは徐々にル・ダービーに愛着が湧いてきた。

「これからラ岬に行くのでその時間はなさそうです。どこからバスが出てるのかわかりますか?」と尋ねると、お兄さんはわざわざ外までついてきて、

「ほら、あの駅前のあそこから出るよ」と教えてくれた。

「メルシー」といって、わたしはバス停に向かったが、途中で大荷物をホテルに預けた方がいいなと思って引き返した。あのバーにそんな場所があるのかは不明だが、ダメ元で聞こう。

「すみません、荷物を預けたくて」とお兄さんに言うと、ついてこい、と言う仕草で、サッカーのボードゲームが並ぶ部屋を抜け、鍵のかかる倉庫を開けた。

「ここに置いておいて」と言うので、わたしは荷物を置き、礼を言い、バス停へ向かった。

バスの時間まではまだあることを確認し、チケットだけ購入して、わたしはカンペール駅に入った。朝食を買ってバスで食べようと思ったからだ。相変わらずミニバゲットのサンドイッチを購入し、飲み物は水にした。昨日のこともあったし、コーヒーでは腹に触るかもしれない。駅を出て、バス停でバゲットを三分の一ほど食うと、バスがやってきた。

挨拶をして切符を渡すと運転手は食事は禁止だと言った。捨てた方がいいかなと思い、引き返そうとすると、いや、食べなければいい、と言うので、袋にパンをしまって、着席した。運転手はなんらかのラジオをつけている。随分と庶民的なバスでよい。

 

バスはカンペールの街を抜け、田舎道に出た。周りには多分大麦なのであろうちょっと滑稽な形の穀物畑が広がる。そとはじりっと暑く、風もあまりない。時折、白い漆喰にねずみ色の屋根の建物が現れ、海が見えるところもあった。これがブルターニュか。どうやら普段からあまり人はいないようだ。時期が悪いのかもしれない。

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バスは途中で何度か停車し、まばらな客を乗せた。高校生たちの足になっているようで、何人か若人たちが乗ったり降りたりしている。まさに日常だ。外は見るからに田園という感じだが、かと思うと突然大きな港町に出たりもする。ちょうどラ岬に到着する直前のバス停はそんな港町だった。ヨットが並び、花が美しく、または白く輝く。老人は海を眺め、子供づれの夫婦が散歩する。降りてみたくなった。だが、そこまでの思い切りが出せず、わたしはバスに乗り続けた。

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ラ岬。そんな珍奇な名前になってしまったのはフランス語の発音のせいだ。文字に起こせばPointe du Raz。英語式に読めばラーズ岬だろうか。その岬は実を言えばフランスの西端ではない。その北にあるコルサン岬が本来の西端だ。しかしラ岬は隔絶した雰囲気があり、知る人ぞ知る観光スポットになっている。この岬に行くことにしたのには大した理由はないが、大西洋が見てみたかったからと、端・岬という言葉にわけのわからないロマンを感じたからだった。

ラ岬のあるバス停には1時間ちょっとでついた。朝なので日差しはそこまできつくはないが、やはり暑い。バスを降りると、観光化に失敗した観光地のようにガランとしたシャッターの降りた店が並んでいる。

お腹は空いていたが、なんとなく気分が悪かった。昨日とは違って吐き気もある。だがもったいないのでわたしはベンチに腰掛けて手に持っていたサンドイッチの残りを頬張った。しかし4分の1まで食べたところで限界を感じて、捨ててしまった。どうしたというのだ。わたしはとりあえずラ岬に向かうことにした。ラ岬に行けばなんとかなりそうな気がしていた。

途中でビジターセンターのようなところで展示をざっと見てから、用を足し、ラ岬があるらしい舗装されていない街の方へ向かった。短い草がわーっと生えていて、太陽を遮るものは何もない。わたしはサングラスを装着し、岬へと向かう一本道を歩いた。

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海が近いというのに、風はさして動かず、ただブルターニュの分厚い熱気が場を覆っていた。フランス東部からスペインに入り、ボルドー、ナントと経てここまでやってきたが、ブルターニュ半島(アルモリカ半島)が一番苦手な暑さだ。観光客が何人か、私の前を歩いていた。大地の果て(フィニステール)という語が連想させる寂しい土地ではなく、もはや観光化されているのかもしれない。

一本道には緩やかな登りくだりがあった。雑草なのかなんなのかわからない草が脇に生えていて、そこにはなんの虫かはわからないが鳴く虫がいた。じりー、じりーと何やら主張している。8月も終わる。もう、秋に近づいている。最初の上り坂を終えると、次は下り坂だ。向こうの方にもう一度上り坂があるのが見え、そしてその先に大きな塔が建っていた。事前に何か知ってここまで来たわけではないので、あの塔の正体については知らない。だがきっとなんらかの施設か、灯台であろう。

 

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汗だくになりながら塔までたどり着くと、予想以上にがっしりとしていた。ツアーガイドの話を盗み聞きしたところでは、かつては軍隊の施設だったらしい。通りで馬鹿でかいアンテナが付いているわけだ。何かを傍受していたのかもしれない。中は一部が解放され、休憩所になっていた。しかしこんなところで休憩するのなら、海を見ながら休憩したい。私は岬の先端を目指した。

砦の向こうは、地面が岩盤になっている。そして巨大なマリア像が鎮座している。かつて航海する人たちにとっての守り神的存在だった……と説明書きに書いてあった。まるでバルセロナでは地中海をコロンブスが見下ろしていたように、聖母マリアが大西洋を見つめている。日本では宗像大社厳島神社が海の守り神だった。コロンブスはちょっと違うが、人は海というどうにもならないものに対峙するにあたって、何かの加護を必要とするのかもしれない。

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マリア像の向こうには岬がある。朝早いというのに、びっくりするほど人がいる。それでも、その岬には何かがあった。大西洋に突き出すその姿には荘厳なものがある。そして岬のさらに向こうには一人佇む灯台がある。何も知らなければ、確かにこれはフィニステール(地の果て)に見えるだろう。

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岩盤の上を歩く。ここまで来ると風もあるが、穏やかだ。地図で見るような尖って張り出した岬が大西洋に向かって突き出ている。岩盤の上にはいくつもの石を積み上げたものがある。きっと古代の神秘云々ではなく、ただただ観光客のおふざけだろう。それでも、石を積み上げたものが何百とあるのだから、何か意味があるようにも見えてくる。私はとりあえず海を眺める場所を探した。先端の方には人がたくさんいたので、付け根あたりを選んだ。

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絶壁に腰をかけると、チープなサスペンス番組を思い出す。そんな想念を追い払い、海の向こうを見つめた。この海の先には去年行ったモントリオールの街もある。モントリオールを作ったのはフランス人なのだ。そう思うと、地球はやはりつながっているのだと思う。それでも地の果てと呼ばれるここにきたのは、何かを置いてくるためだったような気もする。ここに来れば何かを清算できるような気もした。おそらく、かつてカニ族と呼ばれた北海道の最果てを目指す若者たちは、きっと何かを清算したかったに違いない。しかしこうやってどん詰まりを前にし、海を眺めていると、不思議なことに、心に浮かんでいるであろうあらゆることが、波の音に打ち消され、海へと吸収されてしまうのだ。海は全ての思考と想念を奪い去る。海は惜しみなく奪う。海を見ているうちに、わたしは何もかもすっかり空っぽになった。

日本の哲学者西田幾多郎は海を見ながら物思いにふけっていたという。「世界とは不思議なものだ」と海を見つめて行ったということを聞いたことがある。だが、それは考えに考えたというより、全てを海に飲み込まれての感想ではないだろうか。海とはインスピレーションの母ではない。海は見ていると全てを奪い去るのだ。海は海でしかなく、海の前に人は人でしかない。いや人も海に飲み込まれる。などと、やけに難解なことを言ってみたが、要するにわたしは大西洋を前にただ座ることしかできなかったわけだ。だがそれは心地よくもあった。

数十分は海と対峙していた。隣にもしゃもしゃっと生えた草からはじいー、じいーという虫の音が聞こえる。そろそろ岬の先端に行こうという気になったわたしは、岩盤を慎重に歩んだ。岬の先端には観光客がたくさんいたが、面白いことに皆海を見つめながら呆然としていた。中には自撮りする人もいないではないが、皆静かだった。海がそうさせたのだ。わたしはなぜかその姿に満足し、しばらく灯台を眺めてから、引き返すことにした。かれこれ1時間はここにいたことになる。お腹も空いた。最後に、わたしは石を三つばかり拾い、岩盤の上に積み上げた。ささやかな、奉納である。

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帰り道に見た奇岩

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