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旅、映画、食べ物、哲学?

15都市目:レンヌ(1)〜知らない街〜

ラ岬から戻るともう一時だった。わたしは駅でユーレイルパスをケチって28ユーロのレンヌ行の切符を買った。なぜかと言えば、レンヌからパリまでユーレイルパスを使うとして、そのあとパリで合流する友人とロンドンとクレルモン=フェランに行こうと思っていたから、計算の帳尻を合わせたのだ。実を言えばクレルモン=フェランには結局行かなかったから逆に1日分余ったまま日本に戻る羽目になったのだが。

それからル・ダービーで荷物をとった。それでお別れというのも寂しいし、時間も時間だから昼食を食べた。クロックムッシュだ。思えばパリに住んでいる友人が日本に来た時、このクロックムッシュをやけに推していた。

「いいか、パリに行くんなら、クロックムッシュを食べるんだ。すごくうまい。クロックっていうのは、かぶりつく時の音、ムッシュはミスターだ。いい名前だろ?」

そんなわけでわたしは在仏中2度目のクロックムッシュをくった。胃の調子が悪かった直後に食うもんではないが、まあこれで死んだらそれはそれでいい。かぶりつく時の音などと言いながら、おフランスムッシュはナイフとフォークでお上品にいただくようだ。2度目のクロックムッシュは、ディジョンのコーヒーチェーンのものより格段にうまかった。カンペール。色々あったが、ラ岬もクロックムッシュも満足だ。大ブリテン島の作家シェイクスピアもこんなことを言っていた。

「All is well that end is well(終わりよければすべてよし)」

旅ももうわずかだが、All izz well(きっとうまーくいく)。そろそろ、カンペールともお別れの時である。今度は祭りの時に行きたいものだ。

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酷暑のカンペールから内陸のレンヌへ向かう電車からは、ブルターニュらしい風景が見えた。例の不恰好な大麦の畑、白壁にねずみ色の屋根の家々。暑さと気持ち悪さでどうでもよく見えていたが、体調を持ち直してみれば、美しい田園風景だ。

レンヌという街はブルターニュの政治と経済の中心である。かつてはナントがその役割を持っていたが、偶然か必然か、フランス共和国政府はナントをブルターニュ地方から引き離し、ロワールアトランティック県に編入してしまったので、レンヌがナントの代わりになった。レンヌも古い町だそうで、かつてはポーランド国王か何かが住んでいたとか住んでいないとか。実をいうとこの街についてはよく知らないのだ。

というのもレンヌに行くことにしたのはこの日の朝なのだ。それまでは行くつもりもなかった。本当はノルマンディー地方の古都(といってもいわゆるノルマンディー上陸作戦で街はほぼ焼けた)カーンへ行こうと思っていたが、アクセスが悪く、面倒になったのである。それに、レンヌまで行けば、明日の朝にはバスに乗ってモンサンミッシェルに行けるということを知ったのも大きかった。

電車に乗りながら、わたしは例によってホテルサイトで良さそうな駅前のアトランティックホテルなるホテルを予約した。あとはもう、着くまで田園風景を眺めるだけだ。

 

レンヌの駅に着くと、カンペール異常なのではないかという酷暑だった。さすがブルターニュの中心地だけあって駅はものすごく大きい。だが所々で工事をやっていて、TERが到着して大量の乗客がホームに降り立ったというのにエスカレーターは停止しており、私たちは一つしかない階段に殺到した。暑い上にすごい人だ。だがなんとなく、カンペール無人感に打ちのめされていたわたしにとっては、気分の良さを感じた。

駅構内も工事中で、冷房が効いておらず、ひどく暑い。ブルターニュはフランスの北部に位置する。てっきり涼しいところだと思っていた。だが多分メキシコ暖流か何かの影響でものすごく暑い。ブルターニュはフランス位置暑いと言っても過言ではないと思う。わたしは汗だくになりながら、ともかく駅を出ようと別の階段を降りた。工事の影響でどうやら地下鉄は止まっているらしい。まあ、ホテルは駅のそばだから関係ないのだが。

駅を出ると、「うわあ都会だな」と心の中でつぶやいた。車通りが多く、アスファルトヒートアイランド現象を起こしている。建物の高さは高く、どれも新しい。今まで訪れたフランスのどの都市とも違う都会感がある。強いて言うならトゥールーズやリヨンに近いが、トゥールーズやリヨンほどの大都会ではなく、ストラスブールのような由緒正しさがない。ナントのような綺麗さはなく、ボルドーのような統一感がない。駅にそって若干の坂道になっており、道路を渡り、少し坂道を登れば、わたしが旅の拠点としたアトランティックホテルがある。38ユーロ。すごく安くはないが、フランスのシングルルームにしては安い。見た目は洒落たところのない細長い四角い建物だった。

小さな扉を開けると、小さなフロントがあり、メガネをかけた、黒いTシャツの中年のおじさんが座っていた。

「ボンジュール」と声をかけると、おじさんは楽しそうに、

「ボンジュール」と返してきた。

「部屋を予約したんですが」とフランス語で伝え、名前を告げると、すぐに見つかった。

「フランス語、ちょっとできるんだ?」とおじさんが言うので、

「ほんのちょっとだけですけどね」と苦笑いし、鍵を受け取った。幸先が良さそうだ。おじさんはいい人みたいである。

狭い階段を登り、部屋に着いた。部屋はさっぱりしていてちょうどいい広さだった。思えば、一人のホテル暮らしはこれで終わりだ。明日の今頃はパリの知り合いの家にいるし、そのあとは友人と共同生活をしている。旅が終わるわけではないが寂しいものだ。旅はどんなに長引かせても、終わりが寂しい。困ったものだ。これでは一生ホテル暮らしをしないといけないではないか、などと馬鹿なことを思いつつ、しばらく冷房をかけながらぼーっとテレビを見ていた。すると突然ケータイがぶーっとなった。何事かと電源をつけると、日本上空を北朝鮮のミサイルが通過したという。そういう時期だった。今から半年前は、そういう状況だったのだ。某御仁の言葉を借りるなら、みんなJアラートのせいで「早起きが習慣になって」いたのである。そしてその朝早い時間帯は、フランスでは夕刻なのだ。

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わたしは日本で起きていることなんてあまり関係ない気分でもあり、そろそろ行こうかと思っていたが、なんとびっくり、フランスのチャンネルも北朝鮮のミサイル発射を報じ始めた。世界を揺るがす大ニュースのようだ。しかしわたしにとっての大事件は、今の空腹状態と、レンヌを歩かねばならないという事態である。わたしは立ち上がり、テレビを消して、フロントに降りた。

 

「レンヌの地図とかってありますか?」とフロントのおじさんに聞くと、おじさんはもちろんと広げて見せた。

「レンヌのことよく知らないんですけど、レンヌのいいとこってどこですかね?」と尋ねると、おじさんは嬉しそうに、

「ここがアトランティックホテル。この辺りの駅前の地区は新市街なんだ。第二次世界大戦中に全部壊されて、1950年代に再建したのさ。それで駅の反対側にずーっと歩いていけば、旧市街。ここがオペラ座で、ここが市庁舎。この辺りは由緒ある建物が多いよ。ここにいくといい」と解説してくれた。早口のフランス語について行くのは大変だったのだが。

「なるほど。じゃあおいしいレストランはどの辺にありますか?」とわたしは本命の質問をした。

「おいしいレストランは……そうだな、安いところなら、新市街の駅の辺りにあるよ。それと旧市街の方にはトラディショナルなものがある。あと……君は中国人?日本人?」

「日本人です」

「この辺に行けば中華料理もあるし、和食もある」おじさんは言った。わたしは少し笑って、

「レンヌまで来て和食は食べたくないので、こっちに行こうかな」とおじさんが最初に教えてくれた界隈を指差した。

「ま、そうだよね。一応言ってみただけ。それじゃあ、まずこっちから歩いて、戻って来がてらレストランを探したらいいんじゃないかな」とおじさんは親切にも歩き方のコースまで決めてくれた。

「ありがとうございます。それと明日……」と言いかけるとおじさんは、

モンサンミッシェル?」とわたしの言いたかったことを引き取った。どうやらテレパシーの使い手のようだ。

「ええ、そうです」

「いやね、日本人はみんなモンサンミッシェルに行くから」とおじさんは言う。そう言われると行く気が減退してくるが、一生に一度は行きたいのだから、行くしかない。

「バスはどこから出ますか?」

「バスは駅のすぐ隣、ここから出るよ。最初のバスは9時だ」おじさんは言った。「そのあとは日本に帰るのかい?」

「いや、パリにいる友達のところに行きます」本当のことを言うと、友達というよりも保護者のようなもので、ベルリンに住んでいた時の大家さん一家の家だ。ドイツ人とフランス人の夫婦で、わたしの祖母くらいの年齢だろう。でもいろいろ説明するのが面倒なので、友達と言っておいた。

「なんで友達もモンサンミッシェルに来ないの?」とおじさんは尋ねる。いや、それはずいぶん高齢だし、パリに住んでいるものだから、そんなにモンサンミッシェルに来たいとは思わないのではないか、と思いつつ、

「もう行ったことあるからだよ」と答えた。

「でもモンサンミッシェルは何度行ってもいい」とおじさんは言う。「ごめん、単純に好奇心で聞いてるだけなんだ」

「そうだなあ……でも来ないんです」とわたしははぐらかす。

「忙しいのかな」とおじさん。明らかに忙しくはないだろうが、

「忙しいでしょうね」ということにしておいた。にしても、このおじさん、なかなか楽しい人である。わたしはちょっといい気分に浸りながら、ホテルを出た。