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旅、映画、食べ物、哲学?

15都市目:レンヌ(2)〜黄昏の暑く温かい街〜

車通りの多い駅前の通りを歩き、途中で右に曲がると、明らかに新市街だなという雰囲気の通りに出た。一応、ホテルのおじさんナビに従って歩いている。その道には、おじさんが言ったように中華料理屋などもあり、なんとなく、移民街を形成しているようだった。どことなく雰囲気はわたしが6歳の時を過ごしたベルリンの街に近い雰囲気だった。ロンドンにも似たところがある。治安が悪そうな感じもするし、悪くなさそうな感じもする、なんの変哲もないヨーロッパの街並みである。だが人気のないカンペール、住みたい街ランキング上位のナントを経てこういうところに来てみると、少しばかり懐かしさを感じた。

夕刻になり、暑さはだいぶ引いた。ボルドーにせよ、レンヌにせよ、暑いことは暑いが、夕刻になると過ごしやすくなる。ヨーロッパの良いところはそこだ。スペインもそうだった。まあ、アジアの夜になってもじとっとしている感じも気に入ってしまえばなかなか良いところもある。ちなみに意外かもしれないが、モントリオールの夜は日にもよるが、じとっとしていることが結構あった。あの場にいた誰よりも夜一人で街をうろついていたんだから間違いない。

さて、夕刻の新市街をずっと歩くと、細い川に出た。川沿いの柵は花で飾られている。どうやら、ブルターニュでは川沿いの柵を花で飾る風習があるみたいだ。なかなかいい風習である。細い川を細い橋を伝って渡れば、その先にあるのは旧市街。と言ってもレンヌについては何も知らないので、先ほどのおじさんの話から推測するに、戦争で焼けなかった場所、であろう。何も知らないのはそれはそれで楽しい。この前カンボジアに行った時、あえて何もしらべずに、ただ引き回されるままアンコール遺跡を回ったが、純粋な目と心で遺跡を感じられたものである。もっとも、知識のおかげで世界により豊かな彩りが与えられることもあるから、どちらが良いと言い切ることはできないが。

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 橋を渡ると、旧市街らしい綺麗な街並みが広がっていた。カンペールよりカラフルで、洗練されている。通りの名前を書いたおしゃれなプレートは二言語表示でブルターニュ固有のブレイズ語(ブルトン語)が書かれている。一応ネットでいろいろと調べたのだが、あまり馴染みのない言語体系の言語であるだけにすぐ忘れてしまうし、ブルターニュの街では、フランス語しか聞こえない。アルザスでは時たまアルザス語が聞こえた。オック語はオクシタンには消えてしまっていた。カタルーニャでは看板からテレビ、会話に至るまでカタルーニャ語が溢れていた。バスク語バスク地方でたまにおじいさんが話していた。だがブレイズ語は看板でしか見にしない。オック語と同じように消えているのだろうか。あとでフロントのおじさんに聞いてみよう。

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しばらく歩くと、オペラ座があった。あまり人はいなかったが、風が気持ちよく吹いていた。わたしはベンチに座って風を感じることにした。夕暮れの太陽が見えた。風はブルターニュの旗とフランス共和国の旗をはためかせている。これで一人旅が終わる。はじめは長いと思っていた。三週間も一人でふらつくなどしたことなかったからだ。だがこうしてみるとものすごく早かった。その上、ものすごく忙しかった。三週間という期間は体感でまるで一週間だった。わたしはどことなく寂しい気持ちになった。おもしろいことだ。というのも、明日からは賑やかな日が始まるのである。それなのに、一人の日々の終わりが寂しい。このまま、英国にでも、アイルランドにでも行ってしまえるのではないか。そんな、よくわからぬ願望が沸いてくる。今この時が愛おしいだけだろう。

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そろそろ移動して夕食でも食おうと思った。美しい街並みを風に吹かれながら歩くと、市議会の建物があった。市議会前には大きな広場があって、散歩している人が何人かいる。レンヌ。情報ゼロだったが、いいところだ。だけど……もしかしたら何日かしたら飽きてしまうのかもしれないなとも思った。住むのには良いかもしれない。

広場の近くのなぜかペニーレインと名付けられたバーを通り過ぎ、狭い路地に入ると食事出来る店が集まった区画があった。狭いところに細っこい、古い様式の建物が密集していて、テラスがぐちゃっと集まっている。少しだけ、リヨンのメルシエール通りに似ている。あそこは部署んという大衆食堂が集まっている場所だ。もちろんあの通りと比べれば、レンヌのこの通りの大きさは比べ物にならないくらい小さい。後で知ったがこの通りは「サン=ジョルジュ通り」というらしい。食事はここでするとしよう。

どの店が良いのかわからないので何周かしてみた。するとここにあるのはフランス料理の類だけでなく、ギリシア料理やイタリア料理もあるということがわかった。ブルターニュ最後の夜なのだから、ガレットリヴェンジといこう。わたしは幾つかあるクレープリ(クレープ屋)を見比べ、どれが安く、どれがトラディショナルかを探った。男のクレープ屋巡りである。目線は可愛いものに目がくらむ女子の目ではない。獲物を探す野獣の目である。

二つくらいの候補があったが、歩いているうちに、ある店に書かれた「サーモンのクレープ」が無性に食べたくなってしまった。そういうわけでその店に入ろうということで、随分と年季の入った感じの店内に足を踏み入れ、アジア系の店員に声をかけた。

「こんばんは」

「あ、はい、いらっしゃいませ。テラスしか空いてないんですが……」まあよい。というか、こんなに気持ちのいい天気の日にテラスで悪いわけがない。

「構いませんよ」わたしはそう言ってテラス席に腰掛けた。随分混んでいるようで、メニューが来るのに結構な時間がかかった。頼んだのはもちろんサーモンだ。よく考えればレンヌは内陸だし、川もしょぼいのだが、たぶんホテルの「アトランティック」という名前のせいで無性に魚が食べたくなってしまっていた。それでサーモンというわけだ。それに、この店はムール貝も美味しいらしく、たくさんの人がムール貝を食っていた。もうムール貝は売り切れていたので頼むことはできなかったが。

ところが、である。サーモンのガレットはあまり美味しいものではなかった。というのも、塩辛いサーモンがちょこっとでかいガレットに乗っかっているだけなのだ。本当のことを言うと、もっといろいろのったやつもあったのだが、少しケチってしまった。そうするとやはり、いろいろ入っているやつにすればよかった。せめてマッシュルームつきにしておけば……と後悔したが、まあそれが人生だ。わたしはカップに入った渋めのシードルを飲みつつ、サン=ジョルジュ通りのテラス街の雰囲気を楽しむことにした。飲み食いする人々のしゃべり声、ナイフとフォークがさらに当たる音、ビールやワインの匂い、太陽が落ちそうで落ちない空。最高だった。

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サーモンを食べ終えると、わたしは珍しくデザートを食おうと思った。このサーモンでレンヌの夜をしめるわけにはいかない。わたしは一番安かったチョコレートのクレープとエスプレッソを頼んだ。ふと隣の席に座っている老夫婦とめがあった。にっこり笑うと、おじいさんの方が、

「君は何してるんだい?」と聞いてきた。突然そう聞かれると困る。それが表情に出ていたようで、おじいさんは慌てて、「留学かい?それとも旅行?」と尋ねた。

「旅行です。いままでフランスとスペインを回りました」とわたしは答えた。「あなたたちは?」

「私たちも旅行よ」とおばあさんが言う。

「どちらからですか?」

「ドイツさ」おじいさんは言った。聞いてみると、ドイツのハンブルクから車でレンヌまで来たらしい。目的地は南仏だが、予定には時間があるので、ドライブしているらしい。

「フランスのドライバーは本当にクレイジーさ」とおじいさんはいう。「曲がるときにあいつらはウィンカーも出さん。窓から手を出して、曲がるぞってサインもしない。突然曲がりやがるんだ」

おじいさんは文句を言いつつなんとなく楽しそうだったが、わたしもニヤリをしてしまった。そういえばボルドーでドイツ人の同居人と話した時も、いつの間にか「日独防ラテン系協定」が結ばれ、延々とフランス人やスペイン人の不真面目さをディスる会が始まったからだ。わたしはそこまでラテンのノリが嫌いじゃないし、さして何も思わないが、いや、愛すればこそか、楽しくディスりに参加したものだ。ここでもまさか同じようなことが始まるとは思わなかった。

「じゃあ、フランスでドライブするのは大変なんですね」と言うと、

「ほんとよ、すごく大変だったわ。渋滞もすごいし」とおばあさんは目を開く。

モンサンミッシェルにはいったかね?」とおじいさん。

「まだなんです。明日バスで行こうかなと」

「渋滞がすごいから気をつけてね」おばあさんはいった。どうやらここに来るまでの間に渋滞につかまって大変だったようだ。

「駐車するのも大変だったよ」おじいさんは顔をしかめた。

「どこに泊まっているんですか?」とわたしは尋ねた。楽しかったので、ホテルが近ければどこかしらでちょっと飲みたいような気もしたからだ。聞いてみると旧市街の方で、大きなホテルのようだった。少し遠い。

ウェイトレスがエスプレッソとクレープを持ってきた。わたしが「メルシー」と言うと、

「フランス語できるのね?」とおばあさんが言った。

「ほんの少しです」わたしはおきまりのセリフを言う。本当は「ほんの少し」よりできないはずだ。

「ドイツ語は?」とおじいさん。

「アイン・ビッシェン(ちょっとだけ)。大学でやったんです」と言い、「あと実は子供の頃ドイツに住んでたんですよ」と付け加えた。

「ドイツのどこ?」おばあさんが尋ねた。

「ベルリンです」というと、ドイツ人と話すとよく起こる、「ああ、ベルリンね」的な時間が流れ、

「Dann, sprachen wir Deutch(じゃあドイツ語で話そうじゃないか)」とおじいさんが真面目そうな顔で言った。もう慣れているが、ドイツ人が真面目そうな顔をするときはからかっている時である。

「えーっと、ナイン、ドイチュ・イスト・ツー・シュヴェア・フュア・ミッヒ(だめ、ドイツ語、ハ、オレニ、トッテ、メチャ難シイ)」とわたしは答えた。

「Gut(できるじゃないか)」おじいさんは言った。

「これが限界ですよ」わたしは英語で言った。

「これからどうするの?」とおばさんが尋ねた。「明日モンサンミッシェルに行ったあとは」

「パリで友達と合流するつもりです」わたしは言った。言いつつ、そうか、友達と合流するんだなと実感した。おじいさんとおばあさんは会計を済ませ、ホテルに帰って行った。最後に、

「グーテ・ライゼ(ヨイ、旅)」と伝えると、おじいさんとおばあさんはにっこり笑って

「Du auch(君にもね)」と言った。

コーヒーとクレープは美味しかった。クレープはチョコレートがサラーッとかかっただけのものだったが、モチっとしたクレープは作りたてで、チョコレートの味も絶妙、この食べ物に早く気付けばよかったと思った。そしていつもデザート代わりに食べているコーヒー受けの菓子もうまかった。ル・ダービーでも出てきたのだが、いわゆるサブレである。ブルターニュ名物なのだ。鎌倉の鳩サブレより分厚く、モコっとしているが、バターが効いていてうまかった。終わり良ければすべて良し。わたしは満足して、会計を済ませてから、もう日の落ちたレンヌの新市街を少し歩いた。

ホテルのおじさんが紹介してくれたレストラン街は、少しハードルの高そうな感じだった。それにあまり人もいない。サン=ジョルジュ通りで食事をして正解だったかもしれない。わたしは駅まで歩き、それからホテルを目指した。

 

「どうだった?」とおじさんが尋ねるので、

「レンヌ気に入りましたよ」と答えた。おじさんは満足げな表情だ。

「ところでレンヌ、っていうかブルターニュについて一つ質問なんですが」とわたしは切り出した。

「なんだい?」

「ブレイズ語の標識を結構見たんですけど、ブルターニュに来てブレイズ語を聞いたことがないんです。その……誰がブレイズ語を話してるんですか?」とわたしは尋ねた。

「あー、なるほどね」とおじさんはいい、「ブレイズ語は学校で習うんだ。高校(リセ)の時にね」

「じゃあおじさんも話せるんですか?」わたしは聞いてみた。

「あーいや、そりゃ俺もやったけどさ、今は覚えてないな。使わないんだよ、全然。だからそうだな、ラテン語みたいな感じだ。学校でやるけど、みんな忘れるだろ?」とおじさんは早口で言った。ラテン語古代ローマの言語で、その後カトリック教会を中心に使われ続け、学問の言葉として残った。日本で言えば漢文のようなものだ。確かに日本でも高校になれば漢文を習うが、日常で「我、将ニ大学ヘ之カントス」などと言うわけもない。

「ってことはもう話している人はいない……?」と尋ねると、

「いや、いなくはないと思うよ。でもみんながみんな話せるわけじゃないんだ。日本にも地域語はある?」と尋ね返してきた。わたしはとっさに、

「ええ、北と南にあります」と答えた。我ながらよく思い出したと思うが、北はアイヌ語、南はいわゆるウチナーグチ(沖縄語)や宮古語である。沖縄方言とはいうが、別の言語と言えるほど異なっているらしいということをどこかで読んだことがあったのである。アイヌ語に至っては日本語と系統が違う。

「で、日本人はみんな喋れる?」とおじさん。

「いや、しゃべれないです」

「それとおなじさ。ブレイズ語をみんな話せるわけじゃないんだ」なんとなく論点がずれている気もしたが、まあ気にすまい。わたしは気を取り直し、

「ブレイズ語の挨拶を教えてください。すごく興味があるんです」と言った。

「たしか……デイ・マットって言ったはずだけど……ごめんちょっとまって」とおじさんは何やら調べ始めた。本当に全然覚えていないらしい。まあそんなものだろう。わたしも小学校に韓国人の講師が来た時、幾つか韓国語を習った記憶があるが、ほぼ覚えてはいない。

「うん、やっぱりデイ・マット」おじさんは言った。使えそうもないが、いい機会なので、ありがとうなどいろいろと聞いてみた。おじさんは全部インターネット先生に頼りながら見つけ出し、メモに書いてくれた。

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「Thrugalez(ありがとう)」わたしは教わったばかりの表現を使い、「おやすみはなんていうんです?」と尋ねた。

「えーっとね、Noz vat」

「じゃあ、Noz vat」わたしはそう言って、部屋に引き上げた。おじさんはにっこり笑い、

「Noz vat」と返した。

レンヌは予想以上にいい街だった。わたしはそんな感慨を覚えつつ、スマートフォンで明日の夕方のTGVのチケットを購入した。明日は忙しい。朝早くにモンサンミッシェル、昼には戻ってきて、パリへ向かうのだ。