Play Back

旅、映画、食べ物、哲学?

15都市目:モンサンミッシェル(1)〜異様な城郭〜

朝起きて、パッキングをし、フロントに降りると、昨日のおじさんではなく、ちょっと怖そうなおばさんが座っていた。チェックアウトの手続きを済ませ、

「朝食はどこで食べられますか?」と尋ねると、「あっちよ」とおばさんはフロントの奥の方をぶっきらぼうにさした。向こうに食堂があるらしい。

賢明な読者諸君はお気付きのように(突然のエラリー・クイーン口調)、わたしはいつも朝ごはんをホテルで食べない。なぜなら、ホテルで食べたところでそれはホテルに宿泊している人が食べる朝食で、その街に住んでいる人が食べるものではないからだ。だからできれば外に出たい。もっともヨーロッパまでくれば、日本と同じく朝ごはんなど家で食べる人が多いだろうが、それでもカフェや駅のパン屋のほうがもっと現地人に近いはずだ。それでもこのホテルではホテルの朝食を食うことにしたのは、単純な理由からだった。要するに昨日おじさんと喋って、このホテルが気に入ったのだ。このホテルだったら朝食を食べてもいいな、と思った。それに最後のホテル生活だ。

ダイニングルームには大型テレビがあり、フランスに来て以来ずっとテレビで流れているヒットナンバーが流れている。わたし以外の食事中の人はたったの一人。なんとなく寂しい。ビュッフェ形式なのだが、しかも中身がなんとパンとチーズだけである。これに8ユーロか、と少々残念な気分になったが、わたしの選択だ。わたしはぱっと朝食を済ませ、フロントのおばさんに荷物を置いていいかと尋ねた。

「こっちに来て」とおばさんは、ダイニングのそばにある使われていない部屋を開き、そこにバックパックを置くよう言った。

「これからモンサンミッシェルに行くんです」とわたしはいった。おばさんがなんとなく不機嫌そうだったので払拭したかったのだ。

「あら、そうなの。暑いわよ」おばさんは表情を緩めた。多分眠かっただけである。「帽子をしないと危ないわ」

「じゃあどこかで見つけたら買います」わたしは答えた。帽子は持って来ていたのだが、実はボルドーで無くしてしまったのだ。

「いつまでに帰ってくるの?」とおばさん。

「3時くらいに帰ります」と答えると、キョトンとしている。あ、そうか、ここはヨーロッパだから…「あ、えーっと、15時です」

「あー、なら平気よ。ボンヴォワイヤージュ(良い旅を)」おばさんはいった。わたしは、メルシーと答え、ホテルを出た。

 

バスのチケットカウンターは列はあったもののそこまで混んでいるわけではなく、チケットもどの時間のバスに乗ってもいいというオープンなものだった。事前に調べていた通り、最初のバスは9時半に出る。それまで時間があったので、わたしはバス停の周りを歩くことにした。

昨日通った道を歩くと朝と夜とでは印象がかなり違う。真っ暗だったものが明るく照らされてるから当たり前だが、レンヌという街の建物がそれぞれきちんと見えるのだ。特に昨日は気づかなかったエキゾチックなタイルの建物が良かった。フランスの他の街の例に漏れず、レンヌの人々も朝が遅いようだが、こういう朝の街も良い。カフェにでもやろうかと思ったが、その時間はなかったのでバス停へ戻った。

f:id:LeFlaneur:20180510110024j:plain

バスは二台いた。どちらに乗っても良さそうなので、とりあえず1番のバスに乗り込んだ。ラジオがかかったバスの中は案外ガランとしていた。聞こえてくるのはスペイン語だった。しばらくすると日本人の若者二人組が入って来た。話しかけてみようかとも思ったが、向こうも話したいことがあるだろうし、やめておいた。一人旅だ。最後の一人旅だ。一人を楽しもう。そうこうするうちに他にも日本人グループが乗り込んで来た。今までの道中、ボルドーの学校以外で日本人にあったことがなかった。テロの影響で減ったんだなと思っていたが、唯一モンサンミッシェルだけは違うようだ。モンサンミッシェルアンコールワットマチュピチュ、日本人の憧れの地は未だ変わらない(もっともアンコールワットで日本人をたくさん見かけたというわけではないが)。そうこうするうちにバスが動き始めた。

 

モンサンミッシェル修道院である。見た目が城みたいに見えるのにはそれなりの理由があるが、初めは修道院で今も修道院だ。最初にあの辺鄙なところに教会を建てたのはオベールという司教だった。そこにはちょっと面白いエピソードがある。

オベール司教は夢の中で大天使ミカエル(武装した戦う天使で、天使長)が「ノルマンディーの湿地帯の岩山にわたしを祀る教会を建てなさい」というのを聞いた。だが、オベール司教は、「大天使ミカエルともあろうお方がわたしのような一回の司教の夢に出てくるわけない。きっとこれは悪魔の誘惑に違いない」と考え、黙殺する。ミカエルはそれからもオベール司教の夢枕に立ち続け、修道院を建てなさい、と言い続けたが、オベール司教は無視を決め込んだ。ついに、ミカエルの顔も3度まで、怒ったミカエルは夢の中でオベールの脳天を強く押し、修道院をたてよと命令した。オベール司教はその夜雷が頭に当たるという悪夢を見た。朝目覚めたオベール司教が頭に触れると、なんと穴が空いている。ここに至ってオベール司教は本物のお告げだったと理解し、最初の教会を建てたのである。かくして生まれたモンサンミッシェル(「聖なるミカエルの山」)は徐々に巨大化した。次々と聖堂が作られ、修道士の家もできた。

そのころ、今のフランス北部ノルマンディー地方、西部アキテーヌ地方、そしてグレートブリテン島の南半分を治めるイングランド王国が、いわば自分の上司に当たるパリを中心としたフランス王国と敵対していた。この二つの国は幾度となく戦火を交えて来たが、1337年にイングランド王がフランス王の位を要求したことから始まるいわゆる「英仏百年戦争」が起こると、ノルマンディーの端っこにある海に浮かぶモンサンミッシェルは戦略上の要所として考えられ、要塞化した。モンサンミッシェルが、一見城塞に見えるのはそのためだろう。

カレーを除くフランス領からのイングランド軍撤退で1453年に百年戦争終結すると、モンサンミッシェルは再び修道院に戻る。ところが1789年のバスティーユ監獄襲撃に始まるフランス革命の中で、莫大な財産を持ちながら納税義務をおわない修道院は憎悪の対象になり、全フランスの全修道院が閉鎖の憂き目にあった。モンサンミッシェルも例に漏れず、閉鎖され、放棄された。その後、この島の役割は監獄になった。海の上に浮かぶ要塞状の監獄。いわばアルカトラズ、アズカバンである。しかし、ロマン主義の19世紀が始まると、かつての修道院の姿を取り戻したいという動きが始まる。とくに作家ヴィクトル・ユーゴーモンサンミッシェルを褒め称えた。1863年ユーゴーとは政治的に敵対していたフランス皇帝ナポレオン3世ユーゴーの熱い文章を通じてモンサンミッシェルの再興を望み、モンサンミッシェルは再興された。そして現在もこの地には修道院があり、修道士が暮らしている。もちろん、フランス随一の観光地でもある。

 

 モンサンミッシェルはノルマンディー県にあるが、ブルターニュ地方との間にあるため、レンヌから行く場合、ほぼブルターニュ地方の光景が広がることになる。チープな例えをすれば、江ノ島藤沢市にあるが、藤沢市鎌倉市の間にあるので、鎌倉駅から江ノ電で行く場合、結局鎌倉市をずっと通ることになる、という状況と同じである。要するに、バスの窓の向こうに見えるのは、大麦畑と白と鼠色の建物群なのである。飽きたとは言わないが、ずっとブルターニュにいたのだなと改めて思う。

しばらくバスが進むと渋滞につかまった。渋滞が多いとは聞いていたが、時間的にあと少しというところで渋滞に捕まると、「がんばってくれ!」と思う。と、ふと窓の外を見ると、湿地帯らしい草の生えた高台の敷地の向こう側に、まるで合成画像かのように城塞が浮かんでいるように見えた。あれが、モンサンミッシェルか。正直言うと、その光景は異様以外のなんでもなかった。まるで人目を欺くためにクオリティーの高い非現実的な絵が海の前にばーんと置かれているようなのだ。

しばらくのストップの後、バスは再び動き始め、モンサンミッシェルの敷地内に入った。バスから降りて、また別のシャトルバスに乗る必要があるらしい。わたしは誘導されるがままにシャトルバスの方へと向かった。

ところが、朝早いというのにシャトルバス待ちの列はびっくりするほど長い。始めはじっと待っていたが、徐々にこのあとすし詰めのバスに詰め込まれるのが嫌になって来てしまった。しかも、向こうの方に見える幻影のようなモンサンミッシェルの方へと歩く人も何人かいたのだ。それなら歩いてもいいんじゃないか。そう思って看板を見ると、「40min」とある。それくらいなら歩くのも悪くないなと思った。バスで連れていかれるより、自分の足で一歩一歩近づく方が楽しそうでもある。ただパリ行きの電車の関係で時間が限られていたので迷いどころでもある。だが最終的に、わたしは列を離脱し、歩く巡礼者とともにモンサンミッシェルを目指すこととした。でもその前に、自然の呼び声に従って、手洗いに行っておいた。

 

歩道を湿地帯を貫くように走っている。大きなザックを背負った旅行者たちがひたすら歩く姿はなかなか勇壮なものを感じさせたが、中には犬の散歩をしているような人もいて、聖俗合わせもっているモンサンミッシェルの姿を垣間見た気もした。日光降り注ぐ湿地帯からはなんとも言えない野性味溢れる香りがする。そしてその湿地帯の奥には例の合成写真のようなモンサンミッシェルがぼんやりと見えているのである。

f:id:LeFlaneur:20180516113728j:plain

しばらく舗装された砂利道を歩くと、道は突然獣道に変わり、大麦畑と湿地帯の芝生の間を進むことになる。当たり前ではあるが眼前のモンサンミッシェルは徐々に大きくなる。そして始めは異様と感じたリアリティの欠如した姿に、リアリティが吹き込まれて行くのが感じられる。やはり歩いてよかったのだ。歩かなければこの感覚はなかった。暑くて暑くてたまらないが、これは必要犠牲である。わたしはそう思いつつ、モンサンミッシェルに目を釘付けにされながら前へと進んだ。道は、果たして道と言っていいのかわからないようなものになったが、そんなの関係ねえ、だ。モンサンミッシェルは今や合成画像ではなく、湿地帯に一人たたずむ孤高の山だった。

f:id:LeFlaneur:20180516114034j:plain

f:id:LeFlaneur:20180516113839j:plain

 

獣道を抜けると、最近改装された橋が登場する。わたしが大学一年の時フランス語の教材で読まされたのがこの橋の建設だった。今までの橋だと土を堆積してしまい、モンサンミッシェルと陸地をつなぐ砂州が生まれてしまうらしい。それを避けるため、新しいものにしたという。それはともかく、ここまでくればシャトルバスと同じルートだ。馬車も、厩舎の匂いを漂わせながら走っている。ついに、あのモンサンミッシェルまで来ちまったというわけだ。もはや、モンサンミッシェルは現実感を帯びて私の前にそびえ立っていた。

f:id:LeFlaneur:20180516114256j:plain

f:id:LeFlaneur:20180516114212j:plain