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旅、映画、食べ物、哲学?

16都市目:パリ(1)〜再会〜

この度の実質的最後の滞在地パリは、再会の街であった。そもそもパリという街自体、再会の相手だった。今まで巡ってきた街は、リヨンを除けばどこも初めての場所だった。しかしパリは4度目になる。そしてそんな街でわたしは5度にわたる再会の場に立ち会ったのだ。

 

1.パリの「親戚」

ブルターニュの都会レンヌとヨーロッパの都会パリを繋ぐTGVはあの日、遅れに遅れた。その結果、市内と郊外を結ぶRER線で目的地のショワズィ・ル・ロワに辿り着いたのは、日もとっくのとうにくれた9時頃だった。

ショワズィ・ル・ロワなどという、東京で言えば国分寺のようなところまで夜にやってきたのは、そこにわたしが小さいからドイツでお世話になった夫妻が住んでいたからだった。正確にいうと、わたしの家族のベルリンの家の大家さんである。だがわたしはまだ小さかったのでそのような世知辛いことはよくわからない。だからわたしにとってあの人たちは、ヨーロッパの親戚のようなものである。思えばレンヌでフロントのおっさんに聞かれた時、「パリの親戚に会いに行く」と言えばよかったのだ。その方が話も早いだろう。

ショワズィ・ル・ロワ駅には奥さんの方のヒルデガルトが迎えにきてくれている予定だった。メールで遅延の件を伝え、着いてからもメールをする、というまるでSNSのような連絡の仕方をした。わたしはSIMカードのロック解除がめんどくさくてポータブルWi-Fiしかなかったので、電話番号を使ったメッセージを送らなかった。ヒルデガルトはフェイスブックをやっておらず、メッセンジャーも使えなかったので、このようなことになったというわけである。

ところが、互いに互いの場所がわからない。小さな駅だというのになかなか見つからない。心細くなったからか、だんだんショワズィ・ル・ロワという薄暗い街が非常に治安の悪い街のように感じてくる。頼む、来てくれ、と思っていると、向こうの方から金髪のおばあさんがやって来た。かなり老けていたが、ヒルデガルトだった。どうやら駅の裏側にもう一つ改札があったらしい。

「大きくなったわね!驚いたわ…驚いたわ」とヒルデガルトは何度も、「驚いた」と繰り返した。

「会えて嬉しいよ」というと、

「私たちもよ。あなたからフランス語でメールが来た時、嘘だと思ったわ。あなたのお父さんもお母さんもあなたがフランス語ができるって言ってくれなかったから」とヒルデガルトはいう。そう、旅の計画が固まってから、わたしはメールを送ったのだ。会いに行きたい、と……いや、失礼、少し違う。頼むから一晩だけ泊めてくれと書いたのだ、正直に行こう。

スペインに行った話などをしながら、わたしはヒルデガルトの家に向かった。感の鋭い方ならわかるかもしれないが、ヒルデガルトはドイツ人の名前であり、正真正銘ドイツ人である。ではなぜパリにいて、私たちはフランス語で会話しているのかというと、ヒルデガルトの夫がアランというフランス人だからだ。

アパートに着き、部屋に入ると、いい香りがした。アランが料理をしていたようだ。

「ようこそ」とアランは言った。豪勢な料理が並んでいる。わたしは、遅延は自分のせいではないが、なんだか申し訳なくなった。

「ごめん、待たせちゃったかな?」と尋ねると、

「ちょっとね」とアランは真顔で言った。一瞬どきりとしたが、別に気にしている風もなく、これがフランス流なのだろう。実際待たせているんだから、この方がわかりやすくていいかもしれない。わたしは勧められるままに重いリュックを下ろし、席についた。

それから、パテから始まるコースを食べた。ボルドーでも最初はパテだった。パテは良い。とろけるような味がたまらない。それからアラン特製の鳥のソテーが出て来た。ハーブが効いていて非常に美味しかった。食べ終わると、酒盛りである。ヒルデガルトはあまり飲まなかったが、わたしとアランは食事の時からワインを飲んでいた。

「飲めることをお父さんは知ってるのかしら?」とヒルデガルトは冗談めかしていう。

「もう21だよ、お父さんとも飲んでる」とわたしは言った。この感じ、やはり親戚だ。

父からアランはワインに詳しいと聞かされていたので、ボルドーで友人のために買ったワインを品評してもらった。産地は知らなかったようだが、ボルドー産なら間違いない、というようなことを言っていた。わたしは自分の旅のことを話しながら、後で考えれば引くぐらいの量のコニャックを飲んでいた。

それから、わたしの「部屋」に案内してもらった。なんと別棟のアパート一室だった。この夫婦、かなりの金持ちだ。その部屋はアランが音楽を聴くための部屋らしい。凄まじい。水もたくさん完備されていて、キッチンも付いている。まるで一週間泊まるみたいだ。この夜だけなのに、大げさな歓待に、やはり親戚だなと思った。

わたしの性質上よくあることだが、また明日ねとアランとヒルデガルトが外に出た瞬間に酔いが回って来た。身体レヴェルでつよがりなのかもしれない。テレビでもつけようと思ったが、電波は入っておらず、仕方ないなと思っているうちにソファで寝てしまった。

 

寝落ちから30分ほどで起きて、シャワーを浴び、水を飲んで寝たので、朝起きた時はベッドである。窓の外を見て驚いた。そこには朝の爽やかな空気の中、流れ行くセーヌ川があった。昨日の夜、アランに見せてもらってはいたが、朝になると美しかった。周りでは工事をやっていたが、これもまた良い。わたしはしばらく川を眺めていた。

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朝食を作る手伝いをしようかと電話をしたら、いらないと言われ、しばらくしてやって来たヒルデガルトと共に昨日夕食を食べた部屋に行った。さすがフランス、朝ごはんはパンとコーヒーである。だがやけにたくさんのジャムがあった。しかも、ドイツ人のおかげか、ボルドーの家と違ってカビていない。

朝食後は、ヒルデガルトにショワズィ・ル・ロワを紹介してもらった。ここは再開発地区で、低所得者用の家が建てられており、時に治安が良くないこともあるという。かくいうヒルデガルトの家も泥棒にやられているらしい。穏やかそうに見えるが、どこにでも何かしらがあるものだ。はたから見れば、小さな、フランス版ベッドタウンという感じだ。

それからヒルデガルトの家でアランの作った昼食を…ということになっていたのだが、気づけばパリ市内にとっておいたアパルトマンの仲介の人と会う時間が迫っていた。

 

2.二股はオニオンとクスクスの味

五分ほど遅れて、アパルトマンに滑り込んだ。なぜかヒルデガルトも来てくれた。わたしは久しぶりに聞くきちんとした敬語の日本語に戸惑いながら、アパルトマンの使い方を仲介業者のおじさんから聞いた。ドアの開け方、ゴミ箱の種類、ゴミ箱のあるは部屋に閉じ込められない方法…案外いろいろあるものだ。Airbnbなどだったらもっとガサツなんだろうか、などと思いながら、説明を聞き、ヒルデガルトを見送って、アパルトマンまでヒルデガルトが勝ってくれた生活用水を運んだ後で、自分のベッドを選び、一眠りした。

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起きて、アパルトマンから15分ほど先にあるスーパーに行った。この日は、夜9時くらいに共同生活をする友達がパリに来ることになっていた。わたしはウェルカムディナーとして、ボルドーワインとクスクスを約束していたので、材料を買いにスーパーまで来たというわけである。クスクス、トマトソース、日本では入手しづらい「メルゲーズ」というアラブ風牛肉ソーセージ、鶏肉、明日の朝のための卵などを買って、フランスではエコバッグ以外だと袋を買わされるのだということを学んだ。

部屋に戻り、料理に取り掛かる。肉の旨みを引き出そうと、テキトーにじっくりグツグツ煮ているとスマートフォンに連絡が入った。今夜来る友達ではない。別の友達がまた別件でパリに入ったのだ。この友達とも実は会う約束をしていた。

 

問題は、先ほど連絡をよこした友達(仮にHさんとしよう)がいる駅(パリ・リヨン駅)が、わたしのアパルトマンがあるボージラール駅から30分かかるということだった。さらに、アパルトマンからボージラール駅は15分はかかるから、総計45分はかかるのである。そして、肉がいい具合になるのに時間がかかりすぎた。だから往復で2時間はかかる。さらに、食事の約束をしていたから4時間くらいかかることになるが、友達(こちらはSくんとIさんとしておこう)がアパルトマンに着くのを考えると、どう考えてもギリギリ間に合うか間に合わないかというところなのである。家を出たのはなんやかんや夜の8時くらいだった。これが間違いだったのだ。

治安のあまりよろしくないリヨン駅で、待ち合わせをして見ると、Hさんは一家郎党ひきつれてパリに来ていたようで、なんの風の吹き回しか、一家団欒の場で夕食を共にすることになった。というか、ご馳走になった。Hさんのお父さんはエチオピアにいたことがあるらしく、そのあれこれは面白かった。結局どんな仕事をしているのかは掴めなかったが、途上国を中心に飛び回っているような印象を受けた。それに、家族の会話というのも久々に聞いた気がする。日本語はボルドーでも話したが(といっても一週間はごぶさただったわけだが)、家族の会話はなかった。なんとなくくすぐったいような、心地のいいような気がした。

と、やけに美味しいオニオングラタンスープを飲みながら楽しい夜を過ごしていると、スマートフォンの通知が来た。SくんとIさんがパリのシャルルドゴール空港についたようである。あの空港はパリ市内から結構遠いから平気だ、と思いつつ、Hさんのお父さんに勧められるままチーズのテイクアウトをして、一足先にレストランを出た。だがふと、もうついているかもしれないという虫の知らせ(?)を感じ、早足でメトロに乗った。

途中走ったりしながら、なんとかアパルトマンにたどり着き、エレベーターのボタンを押すと、なんと降って来たエレベーターからは、SくんとIさんが出てきた。やっちまった、一足遅かったようだ…

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二人が笑って許してくれたこともあり、わたしはお詫びにと作り置きのクスクスとテイクアウトしたチーズ、それからボルドーのワインでもてなした。SくんとIさんとは、ベルクソンというフランスの哲学者の本を一緒に読んでいて、その会合の後で夕飯を食べたりしていたが、パリでやると不思議な懐かしさと新鮮さを感じたものだった。そして思ったものである。「二股はするもんじゃないな」と。

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3. スピーディーガイドと留学生

翌日になっても再会の嵐は止まらない。この日は朝からフランス人の友達と会うことになっていた。この男との関係は少々入り組んでいる。

まず、わたしにはモントリオールでロナンという友達ができた。彼はパリ出身で、わたしがフランスに来る少し前に、日本に二人の友達エクトルとユーゴーとやってきた。その時、わたしは会いにゆき、一緒に日本酒を引っ掛けたわけだ。そしてパリで会おうと3人と約束した。

そしてパリについて、ロナンに連絡を取ると、運悪く彼はモントリオールにわたしが到着した次の日に旅立つらしく、会うことができなかった。同じ頃、エクトルから連絡があり、彼とは会えると聞いた。せっかくだから、パリが初めての友人を案内してくれないか、とわたしは頼んだ。かくして、わたしは一度しか会ったことのないエクトルと再会することになったのである。

 

少々待ち合わせに難儀しながらエクトルに会うと、どうやらこの後用事があるらしく、早足だ。加えて、少し前までサンフランシスコにいたらしく、英語も速い。しかし、パリのアパルトマンのあたりから、アンヴァリッド、エクトルが日本でもずっと紹介したいと言っていた「フランス一美しい橋」アレクサンドル三世橋を通ってコンコルドからフランス国民議会、反対側に回ってマドレーヌ寺院、日本人街の界隈を通ってオペラ座ルーヴル美術館、川を渡ってカルチェラタンのあたりを歩きながら左手にノートルダムを眺め、カルチェラタンの中心地サンミシェルまで歩いたおかげで、パリの土地勘がついた。まあ、外国語処理能力が追いつかず、サンミシェルに着いた時には、

「I know this place...parce que...」と英語とフランス語が入り乱れる始末であったが(その後フランス語で話そうかと言われたが、丁重にお断りした)。

話したいことはもっとあったし、1ヶ月くらいパリにいたのに全く掴めないフランスのカフェの入り方など教えて欲しかったが、エクトルは風のように去っていった。この午前の時間を割いてくれただけ、ありがたかったのだ。

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その日の午後は、カルチェラタンの界隈を歩き、ノートルダム寺院の中を見た。ノートルダムは派手なステンドグラスに、ろうそくを模した照明、と内装がすこしヤボな感じも否めなかった。私はむしろストラスブールの大聖堂のように、石がむき出しで自然光の者の方が良い。その方が何か宿っているように思うからだ。寺院とは一種のステージだと思う。観客席に座るオーディエンスに、いかに神の存在感を見せるか、である。敬虔な人には怒られるだろうが、神の宿る雰囲気のない寺院は、まず需要がないであろう。最近は教会などを訪れる際はそういう視点で見ているのだが、ノートルダムはその点派手すぎる気がした。

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そのあと、哲学者ベルクソンの碑を巡礼すべくパンテオンに向かった。パンテオンは思いの外面白かった。パンテオンは、要するに古代ローマ時代に築かれた、ローマにあるすべての神々を祀る「万神殿(パンテオン)」のパクリなのであるが、フランスのパンテオンにはフランスのパンテオンらしさが滲み出ている。というのも、フレンチパンテオンフランス革命の最中に立てられることになったのだ。フランス革命の指導者の一人ミラボーが革命の最中に病死し、その遺骸を埋葬する先としてパンテオンは作られたのである。その際、それではいろいろな人をそこに埋葬しよう、ということで、フランス革命の思想的指導者であったルソーやヴォルテールなどを埋葬し、フランスの偉人を祀る場所になった。つまりパンテオンはローマのパンテオンのパクリである以前に、ロンドンの、偉人(ニュートンダーウィンシェイクスピアホーキング博士など)がたくさん埋葬されているウェストミンスター寺院のパクリだった。だが、ローマンパンテオン古代ローマの宗教の、ウェストミンスター寺院英国国教会の寺院であるように、パリのパンテオンは一種の「フランス共和国教」とでも言えるようなものの寺院だった。フランス革命時に行われた、キリスト教ジームからの脱却と「理性信仰」を掲げる共和国の寺院だった。その寺院に、理性の限界と弊害を強く説いたベルクソンが祀られているのは面白いことである。私たちがパンテオンから外に出ると雨が降っていた。この日は夕食のこともあるから、家に帰ることになった。

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「アンリ・ベルクソンに捧ぐ。この哲学者の著作と生涯はフランスと人類の思索に誇りを与えた。」



その翌日はルーヴルに行き、皆で古代の素晴らしい遺物を使った豪華な大喜利をした。そしてその日の夜は、再会のパリ、最後の再会があった。アパルトマンのメンバーでやってきたベルクソン読書会に来てくれていた後輩がちょうどパリに留学していたのだ。だから、ホームパーティを開くことにしたというわけである。

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世界最古のセルフィー。これはテストに出る。

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世界最古の小林幸子ヒエログリフに「ラスボス」とある。

 

時間にルーズなのは毎度のことながら、ルーヴルに行ったこともあり、約束の時間には間に合わず、客人が来てからも鶏肉を焼き続ける始末だったが、楽しい時間を過ごした。わたしは小汚い格好をした男性旅行者なので経験がなかったが、女性はフランスではかなり狙われるという話を聞いた。ヨーロッパは、特にラテン系の国々はやはり男女の違いがかなり色濃いのかもしれない。でもなんにせよ、旅の最中に会うときは、それぞれの体験を聞かせあう機会が貴重である。それぞれが背負って来たものを、見せ合う。なかなか面白い事だと思う。

しかし、わたしは長居できなかった。後の二人は後輩と夜まで飲み明かしていたのだが、わたしは早く寝なければいけない理由があった。それはこの日の夜、衝動的に、次の早朝発のロンドン行きの列車のチケットを購入してしまったからである。