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旅、映画、食べ物、哲学?

17都市目:ロンドン(5)〜Hello, Goodbye〜

一歩路地を入る。すると煉瓦造りの通りに出る。産業革命の時代からそのままあり続けているような、レンガのアパートがたくさんある。階段の手すりは鉄製で、これもまた趣がある。こんな場所があるとは知らなかった。正直なところ、テートモダンのあたりの路地裏こそ、真にわたしの知らないロンドンだったようだ。

しばらく歩くと、ふいに煙たい香りがした。そして何やら賑やかだ。なんだろう?良い旅の秘訣は、賑やかなところへ、音楽のなるところへ、食いもんの匂いがするところへ、まるで灯に向かって虫が向かって行くかのごとく突き進むことだ。そうすれば面白い出会いがあるかもしれない。そういうわけで行ってみると、何やら祭りをやっていた。人が楽しそうに行き交い、土色のレンガの街並みに、花やら旗やらが飾られて、屋台では何かを焼いている。太陽の日差しもいい具合だ。そして遠くの方に見えるシャードも風情を出している。古い暮らしと新しい建物が共存しているように見える。

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青空の中歩いて行く。どうやら祭りは地域の祭りのようだ。しかし旅人の悲しい性、遠くからそんな様子を眺める他ない。わたしはそのまままっすぐ歩き、橋を越えて行った。大都会ロンドンにもこんな顔がある。それを見ることができたことは大きな発見であった。

サウスバンクは本当に知らない街である。祭りをやっていた下町風の場所には、海賊船船長フランシス・ドレイク(英国王室御用達海賊)の船が再現され、朽ち果てた教会もある。もしかすると、こちらに残るものの方が、古のロンドンなのかもしれないとも思う。古のロンドンは、茶けたレンガの重なりで、想像力をたくましくすれば、突然ハイド氏が出てきたり、オリバーツイストが走っていたりしそうな雰囲気だ。おもしろい。知っているロンドンの数倍生き生きしている。ドレイクの船だけは、いきいきしていなかったが。

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川沿いに出て見ると、そこは先ほどの19世紀の雰囲気はもはやなく、モダンな雰囲気だ。古い街並みに目をやって見ても、少し先にはシャードがある。以前、京都の街に高いビルを建てることについて問題になったことがあるらしい。同じようなことはどこにでもある。ロンドンはその辺りは節操なくビルを建てまくっている印象がある。だがわたしはそれも好きだ。いやむしろそうした街が好きだ。なぜなら、街の一生が凝縮されているからだ。古い時代の向こうに近未来。それはそれで楽しいではないか。だから、(全く関係のない話ではあるが)日本橋も今の形が案外気に入っていたりする。

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さて、再び古のロンドンに戻り、しばらく歩くと、古のロンドンもどこかへ消え去り、新しい街並みが始まった。川の方には新しい形の建物。そろそろ川の方へ行けば、ロンドンの象徴で19世紀に建てられたタワーブリッジがあるはずだ。わたしは川の方へと足を向けた。

薄暗いところを通ると、奇抜な形のロンドン市庁舎があった。ウッドデッキ風の地面の近くには噴水があり、子供達が遊んでいる。市庁舎の前は市民の憩いの場だった。初めて来るところだ。東京都庁も確か、初めはそういう設計だったらしいが、都庁の中庭は大抵ガランとしている。ロンドン市庁舎の丸っとした感じと比べると、都庁は威圧感が強すぎるのかもしれない。

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このウッドデッキを抜ければ、タワーブリッジだ。かつてロンドンに来た時は対岸にあるロンドン塔から見た程度だった。だからまだ渡ったことがなかった。今日は知らないロンドンを楽しむ日。渡ってやろう、タワーブリッジ

 

タワーブリッジは、「落ちた」で有名なロンドン橋と間違われやすいが、別物である。そもそもタワーブリッジは落ちるどころか、船がやって来ると橋が跳ね橋なのでパターンと上に開く。ロンドン橋はもっと地味な見た目と言われていて、今回の旅でそばに行ってみたが、噂にたがわぬ地味っぷりである。タワーブリッジができたのは19世紀も後半。ロバート・ダウニー・Jr.がホームズを演じた映画『シャーロックホームズ』では建設途中の橋として登場している。最後の戦いの舞台だ。

ツルッとした市庁舎の前を通り過ぎ、橋を渡る。やはり大きな橋で、タワーブリッジの名前にふさわしいタワーが立っているので、どことなく門に見える。ふと川の方を見れば、先ほどまで歩いて来たロンドンの街並みが見えた。このロンドンの旅もそろそろ終わりに差し掛かっているようだ。人生の終わりには、思い出が走馬灯のように思い出されるというが、旅の終わりもそういうことがある。なんて、キザなセリフと言ってみたが、要するに橋からさっきまで歩いて来た道が見えた、それだけのことだ。

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タワーブリッジを渡りきると、かつて監獄として悪名を轟かせたロンドン塔がある。有名なのはイングランド王ヘンリー八世が、二番目の妻アン・ブーリンを処刑した事件だろう。実は、このヘンリー八世の最初の妻カタリナが産んだ娘メアリーは、女王になった時に、アンの産んだエリザベス王女をロンドン塔に幽閉している。この王女はのちのエリザベス1世になり、英国の黄金時代を築くことになる。この牢獄はそんな歴史に彩られている。今では立派な観光地だ。余談だが、このロンドン塔のそばのフィッシュアンドチップスはうまかった。あの時は、ソースもつけていたからだ。

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ロンドン塔はかつて行ったことがあった。それにそろそろ駅へ向かわねばならない。わたしはロンドン塔を素通りし、ロンドン塔そばの駅から地下鉄に乗ることにした。

 

しかし、そのまままっすぐ駅まで帰るのはつまらない。寄り道はするものだ。わたしは、だから、天下の大泥棒大英博物館のあるブルームズベリー地区で降りた。途中で電車がわからない理由で止まるというアクシデントがあったがなんとかなった。バルセロナのテロ以来、その辺りは少し過敏になってしまうが、車内放送を聞いていたであろうイギリス人たちが、イギリス人特有のすました笑いをしていたので、問題はないはずだった。そして問題はなかったのだ。

うろ覚えで大英博物館に向かおうとしたが、案の定迷った。ロンドンの都会という雰囲気の場所をうろつき、街の喧騒を感じ、わたしは歩いた。案外迷ってる時の方が面白かったりするものである。そして、目的地の大英博物館が見えて来ると少々寂しくなった。小学校の頃、英国に憧れていた。多分ハリーポッターやホームズ、ポワロのせいだろう。その頃は、このアカデミックな雰囲気のブルームズベリー地区に住むのが夢だった。面白いものだ。また大英博物館に入ってロゼッタストーンくらい拝んでこようか。いや、やめておこう。入ったらきっとあれもこれも観たくなって出られなくなるから。

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大英博物館の向かいの公園に腰かけた。日は徐々に傾きつつある。ロンドンの旅は終わる。本当にあっというま、というか自業自得である。大都市ロンドンを1日で回ろうとしたのが誤りだったのだ。そして、もっと言えば、本当にぐるっと回ってしまったことが誤りだったのだ。

君が「イエス」と言って、僕は「ノー」という

君は「ストップ!」というけど、僕は「ゴーゴーゴー!」

なんてこった

君が「グッバイ」と言って、僕は「ハロー」という

もっとロンドンにいたい。だが1日は過ぎてしまう。なんとなく切ない気持ちで、私は公園で遊ぶことも達を見ていた。もう1日いることができるとしたら、私はロンドンで何をしていただろうか。このままパブか何かで食事をし、ホテルに帰り、「ドクターフー」か何か英国のドラマでも見ながら、スーパー「テスコ」で買ったビールでも飲んでいるんだろうか。そう想像して見ると、「いいなあ、やりたいなあ」と思う。だが私には帰る家があるのだ。しかもその家は東京の実家ではない。パリにある我らがヴォージラールの家だ。お土産でも買って、帰ろう。友人二人もきっと、モン・サン・ミシェルから帰ってくる頃だ。私は公園のベンチを後にし、今度こそ、ロンドンからパリへと向かう列車の発着駅、今回の旅のスタート地点であるセント・パンクラス駅へと戻ることにした。

 

ロンドンは思い出の街だった。小学校、高校、大学。一度ずつ訪れた街だ。物価は高いし、人はどことなくシャイだし、それに都会だが、素敵な街だ。私の中の住みたい街ランキングには常に上位ランクインする。 次行く時は、もっといよう。次行く時は生活してみよう。行きつけのパブを作り、ロンドンを拠点に英国もいろいろ回ろう。そんなことを思った。そして、旅全体が最終章の後半に差し掛かることをどことなく感じた。とにかく、Goodbye London, I'm sure that I will come back here someday.

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