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旅、映画、食べ物、哲学?

16都市目:パリ(3)〜Comme le temps passe〜

パリのアパルトマンを出た後は、哲学科としては外せない、パスカルの故郷「クレルモン=フェラン」へ行く予定だった。しかし、パリのアパルトマンで、皆気が変わってしまった。パリは五日では回れないのだ。さらにパリは魅力的だった。だから、私たちはパリの別のホテルに移ることにした。そのホテルは、なんの因果か、哲学者と同じ名前のヴォルテール駅にあった。

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ヴォルテール駅は、来たことがなかったが、それなりの賑わいをみせていた。朝のお供パン屋もしっかりあるし、安食の王道ケバブ屋もある。パリの複雑怪奇なメトロの路線のせいで若干不便な立地ではあったが、ナシヨン駅か、レピュブリック駅まで行けばなんとかなるし、その気になれば、(かつて悪名高い政治犯収容所のあった)バスティーユ広場やマレ地区などの観光的要所まで行ける距離だ。

少々苦労しながらたどり着くと、ホテルのフロントのお兄さんはハイテンションで、楽しそうに働いていた。このお兄さん、昼間限定である。夜になると打って変わって、紳士的なおじさんがいる。1ヶ月もヨーロッパを旅していると慣れてくる展開である。小さいホテルでも、シフト制なのだ。このホテルを拠点に、私たちは最後の三日間を過ごした。このホテルも、愛着があった。

 

このホテルを拠点としたパリの旅の一番の思い出は、ジャズクラブである。

私は旅先でジャズクラブに行くことがある。ホーチミン市のクラブはホーチミン市に行くたびに行ったものだし、台北でも一軒行った。ヨーロッパでは初めてであったが、私たちはネットの力を利用して、マレ地区にあるクラブを探し当てた。庶民的で良さそうな雰囲気だったから、そこにした。本来は、同行者二人がクラシック好きだったので、オペラ座にでも行こうと思っていたのだが、夏休み中で閉まっていた。それでも、やはりあのクラブに行けたのだから、ある意味幸運だった。なんと、二日連続で行ってしまったくらいだ。

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あのホテルでの生活は、たいてい、朝起きて、みんなでパン屋に行くことから始まった。アパルトマンと同じように、クロワッサンを買い、エスプレッソやカフェオレをつけて、部屋に戻って朝食会兼作戦会議だ。

初日は割と無為に1日が過ぎていった。というのも、オルセー再トライをしてみたところ、閑散としていたので、「昨日はあんなに込んでいたのに今日はガラ空きだ!俺たちはパリに勝利した」などと言って、入り口まで勇み足で行ったら、なんと定休日という失態を犯したからだ。そこで1日の予定は狂った。だが、だからこそ、面白い1日でもあった。何も予定がないというのは、旅においては本当は宝物のような日なのだ。無為に過ごす時ほど良い旅ができるときはない。

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ルーヴルのあたりを歩き、パレロワイヤルでぶらぶらした。そこらじゅうの路地は、見るからにパリという雰囲気である。小さな劇場があり、パリジャン・パリジエンヌが歩く。そしてなによりも、程よく汚い。パリの魅力は、誰がなんと言おうと、汚いところにある。汚さは、悪いものではない。その街の歴史を物語るものである。パリの生活感を伝えてくれるものである。そのあとでレンタサイクルのVélib'に乗ろうとしたところ、私のクレジットカードしか認識されず、私一人で自転車に乗り、そのあとで落ち合うことになった。ついてみると二人はおらず、あとであった際に待たせたと思って謝ったら、向こうも待たせたと思って謝るという面白い状況ができ上がった。待ち合わせ場所はパリ大学(ソルボンヌ)の学生街カルチェラタン。私たちはそのまま歩き、サルトル兄貴やカミュ兄さん、ボーヴォワール姉さん、レヴィ=ストロースの兄貴が通ったというカフェ・ドゥ・フロールでコーヒーを一杯(高かった…)飲んだ。給仕は映画に出てくる給仕のような格好で、胸を張って歩いている。これがカフェ・ドゥ・フロールか。雰囲気はいいが、少々お高く止まりすぎだ。思えば日本の喫茶店も、学生運動の頃は学生の溜まり場だったものが、今や少々オシャレスポットになってしまっている。そんなものだ。それから川を渡って、みんなで食べる初めての外での夕食を済ませた。タルタルステーキ、牛のたたき、やはり外食も良い。流れるように1日は過ぎ、不思議な満足感があった。即興の旅である。そして、それから、例のジャズクラブへと向かった。

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ジャズクラブは先述の通りマレ地区にある。マレとは泥のことである。だが泥臭くはない。貴族文化が華やいでいたという。ユダヤ人地区でもあったらしい。そんなこともあり、今でも開放的な雰囲気で、今やゲイ文化の場所でもある。夕食もマレ地区だったが、店を探して彷徨うと、男性カップルで賑わう店なども目にしたほどだ。マレ地区の最寄駅はサンポール駅。ジャズクラブはそのすぐそばにある。

この店の入り口は狭い。入るとお姉さんがフロントにいる。声をかけると、いろいろ説明がある。初日は、「ドリンクだけ、先に選んでくださいね」とのことで、要するにワンドリンクオーダー制だった。そこに、チャージも含まれているらしい。悪くない。支払うと、38と書かれたしゃれたシールをくれる。店の名前と同じだ。

「これをつけていれば、外に出てもいいわ」と姉さんはいう。要するに、シールを貼っていれば、出入り自由なのだ。なかなか乙なことをする。そして、私たちは地下へと続く階段に案内された。気分はハードボイルドである。

階段を降りると、カーテンがあり、カーテンを押しのけて中に入ると、レンガを基調とした小さなライブハウスがあった。ステージにはピアノが置かれている。私たちはまずそれを横見に、客席の奥の奥にあるバーカウンターで自分の注文した飲み物をもらった。何を飲んだかは、なぜだろう、全く覚えていない。確かカクテルだったはずだ。

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しばらく待っていると、音楽が始まる。好みのスタンダード多めな選曲だった。曲に合わせて、ホーチミン市のジャズクラブで出会った大阪出身のおじさんの真似をして体をやらせてみる。なかなか良い。音楽は身体でノる方が楽しい。ミュージシャンはどうやらフランス人ではないらしい。時々フランス語を話してウケをとるがほとんどは英語である。小さいライヴハウスというのもあって、空気には一体感があった。かつて台北で入ったジャズクラブはデカすぎて、一体感があまりなかった。芸術の場は、少なくとも私にとっては小さければ小さいほど良いように思われる。

面白かったのは、その場でセッションが始まったことである。たぶん、客席にもミュージシャンがいて、その人たちも演奏に加わるという夜なのだろう。これは初体験だった。私も何か弾けたらいいが……残念ながら、息も絶え絶えのヴァイオリンと、右手だけのピアノしかできない。

もっと音楽を堪能したかったが、パリの夜道の治安が良く分からなかったので、少々早めに退散することになった。これもまた、翌日も来るきっかけとなったわけである。案の定、サンポールからバスティーユ広場、そしてヴォルテールまでの道のりは、地下鉄の閑散とした怖さよりいくらかマシであった。若干ガサガサした感じはあったが、音楽に酔いしれる我々にはまあ問題ないレヴェルだった。

 

翌日は三度目の正直でオルセー美術館に入った。正直なところ、ルーヴル美術館よりも好きであった。印象派の絵画はあまり好きではないのだが、かつて駅舎だったという建物も含めて、オルセー美術館には独特の良い雰囲気がある。ゴロゴロと有名なものがあるのはルーヴルと変わらないが、あのこじんまりしたところに置いてあるのが良い。ルーヴルは少し大きすぎて、独特の雰囲気は分散し、散逸してしまうのだ。

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この日は、オルセーの後、「ソロ活動」という名の単独行動の日になった。友人の内一人は音楽博物館へ、もう一人はカルチエ・ラタンへ向かった。私は移民街巡りをすることにした。その話は次回の投稿で書こうと思う。結果から言うと、楽しいそぞろ歩きであった。私たちはソロ活動の後で、落ち合い、アンファン・ルージュという市場で夕食を食った。レバノン料理である。結局私にとってはこの日は移民文化の日になったわけである。

 

ジャズクラブのお姉さんは我々を覚えていてくれた。今日はドリンクオーダー制ではなく、チャージを払う、というか、その日の演奏のチケットを買うというシステムだった。要するに今日はセッションナイトではなく、コンサートなのだ。

早めに来たこともあり、なかなかいい席が取れて、そこで酒をやりながら音楽を聴いた。あまり好みの演奏ではなく、少々眠くなってしまったが、たまにスタンダードナンバーもはさまって、その間は楽しんでいた。客には日本人留学生らしき二人組の女性もいた。少々恥ずかしく、こちらは会話を慎んでしまった。そのせいもあり、向こうの話がよく聞こえてきた。フランスに来ていろいろ買い物をしているらしい。カナダに行った時、日本人メンバーがたくさん買い物していたのを思い出した。私は旅先は旅先を散歩するだけで満足してしまうので、滅多なことでは買い物をしない。どういう感覚なのか、わからない。こちらの方が日本よりも関税の関係で安いらしいが、元が高いのだから高いではないか。まあ、いろいろな感覚があるし、あって良い。私は昨日の演奏の方が好きだし、一緒にいた友人は今日の演奏の方が好きらしい。いろいろある。

この日は少し遅くまでいてから、昨日歩いた道を帰った。バスティーユ広場の露店で、友人二人がチュロスを買った。私は買うのも面倒だったので、寄生虫のように人のチュロスのおこぼれをもらった。チュロス、そういえばマドリードの朝食だったなあ。そんなことを思いながら、バスティーユ広場に目をやると、月がぼやけていて綺麗だった。ふと、そうか、明日はパリを去るのだなと思った。そして、そのあとは、あっという間に東京だ。一ヶ月にわたる旅が終わる。一ヶ月もいれば、さすがにホームシックの一つもあるかと思ったが、全くなかった。むしろ、まだ、帰りたくない。まだまだ、帰りたくなんてないのだ……

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