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旅、映画、食べ物、哲学?

18都市目:モスクワ(2)〜До встречи!〜

トゥヴェルスカヤ通りの付け根にある革命広場駅から、スモレンスカヤ駅を目指す。相変わらずエスカレーターが深い。ゆったりとした旅なら良いが、アルバート通りでパッと食べて、クレムリンに戻ってきたかったので、これが鬱陶しい。革命広場駅は、装飾が無名の革命戦士増で彩られていることで有名だ。少し急ぎつつ、横目で戦士を見る。駅が大きいので、やはり、難儀する。

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これは違う駅。いつとったんだっけこれ……

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目指すスモレンスカヤ駅は新アルバート通りの最寄りというよりも入り口にあたる駅だった。急いでいるのになぜこの駅を使ったのかというと、そばにロシア外務省があり、これまた一見の価値ある有名なスターリン様式の建物だったからだ。見てみたかった。

駅の豪華さに比べるとやけに庶民的な列車に揺られ、ロシア語アナウンスの聞き取りづらい発音に耳をやる。幸運にも、「スモレンスカヤ」はわりかし聞き取りやすい。余談だが、モスクワの地下鉄の感覚は異常に狭い。だから一本乗り遅れても全然影響がない(だから案内してくれたお兄さんも何食わぬ顔で列車を一本逃していたのかもしれない)。どこかの埼玉あたりの10分おきの電車とは大違いだ。

さて、スモレンスカヤ駅で降りると驚いた。駅構内の装飾がソ連一色だったのである。壁にはモザイク画ではあるがレーニンの肖像があり、エスカレータを出たところの天井には鎌とハンマーだ。頭の中では自然と「インターナショナル」が流れる。なんだここは。というか、やはりこの国はソ連なのではないか? そういう疑念が確信に変わってゆく。おそらくこの駅とソヴェートは何か強いつながりがあるのだろう。だが、その由来についてはよくわからなかった。

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ソヴェート・ロシアではレーニンの前があなたを自撮りする

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駅を出てみるともっとびっくりだ。駅の建物にあるソヴェートの意匠もなかなかだが、それよりも駅舎の向こう側に見える外務省ビルである。本当にそびえ立って、いや、ソヴィエ立っている。まるで映画に出て来る悪の帝国のビルである。この威厳、間違いなく正義側ではないだろう。あまりに圧倒的過ぎて、近寄りがたい。スターリンはなぜかのようなものを立てたのか。いや、あのスターリンだから建てたのだろう。もしかすると、アメリカも当時は高い塔を建てるのがある種ブーム(摩天楼ができたのはソ連でいうスターリン時代だ)だったから、対抗意識なのかもしれない。でもとにかく言えるのは、他のどの国でも見られないものを見たということだ。

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外務省とは反対側に行けば、新アルバート通りである。初めは本当に繁華街があるのかという雰囲気で疑いながら歩いたが、しばらくしてそれは杞憂だったと気づいた。歩みを進めれば、歩行者天国があって、そこにはロシア人や観光客が歩いていた。そろそろ昼の時間である。というか、とっくに過ぎてはいる。

空は晴れてきていた。暑いというほどではないが日差しは強い。静かな街の雰囲気を見るに、なれてしまえば、もしかすると、モスクワはかなり住みやすい街なんじゃないかと思った。なれてしまえば、はかなり重要な前置きではあるが。というのも、モスクワほど慣れにくそうな街はなさそうだからだ。だが慣れれば、地下鉄もあるし、街並みも綺麗だし、静かだし、人は案外根が優しいし、住み良いだろう。

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私たちはガイドブックに載っていたムゥムゥという店に入ることにした。バイキング形式でロシア料理が楽しめる場所で、こういう店は結構ポピュラーらしい。

入るとかなり混んでいる。地下もあるらしいのでまあなんとかなるだろう、と、私たちは列に並んだ。給食のおばさんロシアバージョンみたいな人たちがたくさんいるカウンターで、思い思いのものをもらう。よく分からないので、テキトーにさしたり、レコメンドをもらおうとして、うまく伝わらなかったりしながら、自分の皿を作り上げて行く。その結果は下の写真をご覧あれ。

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黒い飲み物はクヴァースというジュースで、ロシア名物らしいので頼んで見た。味はまあまあだ。正直友人からおすそ分けしてもらったビールの方がうまい。でも多分これを毎日飲んだら中毒になりそうだ。白いスープはキノコのスープである。これは期待を裏切らない味で、絶品である。真ん中の串焼き肉はシャシュルィク。すごくうまい。ディルが効いている。肉の串焼きには昔から目がないのだ。そして最後に残る皿は多分ビーツのサラダ。これが曲者だった。味が素材のままなのだ。酸っぱいのを期待していたが、これだけではかなりきつい。まあいろいろあったが、全体的によかったと思う。

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外に出ると天候が少し悪くなっていた。私たちは少しぶらぶらすることにした。新アルバート通りは観光地になっていて、土産物屋がたくさんあった。ロシアの観光客はほとんどか中国人のようで、団体客がたくさんいた。たくさんいすぎてなかなか大変そうだった。多分日本人も、かつてはパリなどで同じようなことをしていたんだろう。

お土産物は大体が、ソヴェートグッズである。鑑賞のバッジ、赤軍の帽子、ヴォッカのショットグラスにはソ連の紋章……もはやネタにしているところが面白い。そんなグッズに混じって、プーチン商品も多い。日本ではカレンダーが販売されていたのを見たが、モスクワはそれだけではない。マグカップ、マグネット、いろいろなものにプーチンがある。そんなラインナップの中にたまにヴェトナムの英雄ホーおじさんをみかけたりすると少し嬉しくなる。

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土産物を見ていると、店員が、中国語で話しかけて来る。やはり、多いのだろう。日本人だというと、そうか、とちょっとホッとした顔で笑う。そんなもんだろうか。まあ、もし日本人が押し寄せていたら、韓国人だといえば落ち着いた気分にもなろう。

結局何も買いはしなかったが、なんとなく面白かった。やはりここはもはや社会主義国ソ連ではない。だが、社会主義と資本主義の区切りなんて、今やそんなに明確なのだろうか。分からない問題である。決めなくても良い。ただロシアにはロシアの文化があり、ヴェトナムにはヴェトナムの文化があるのである。

道をさらに歩くと、謎の軍人の壁画があった。誰だろう。勲章がたくさんあるからきっと有名な軍人なはずだ。だが名前も書いていないし分からない。ただわかるのは、それはレーニンでも、スターリンでも、フルシチョフでも、ブレジネフでも、ゴルバチョフでも、エリツィンでも、メドヴェージェフでも、プーチンでもないということだ。これはオシャレなんだろうか。オシャレにしてはロシア的すぎる。

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と、ぶらぶらしていたわけだが、少し時間が危なくなってきたことに気づいた。ロシアはホテルを決めていなければビザが取れない。ビザがなければきちんと出国はできないだろう。だから、今日の飛行機に乗り遅れるわけにはいかない。チアトラーリナヤ駅まで歩こうと思っていたが、ロシアはデカい。モスクワもデカい。なかなかたどり着かない。これはまずいなと思っていると、雨まで降ってきた。悪いことは重なる。

雨を防ぎながら極寒の中を歩くと、駅が見えてきた。あんなに歩いたのに、それは隣駅のアルバート駅だった。

 

それからは、何も面白いことは起きない。チアトラーリナヤ駅まで出て、それから、ベラルースキー駅に行き、そこからアエロエクスプレスでシェレメチェボ空港へと戻るだけだ。空港でシャシュルィクを夕飯として食い、ロシアビールを飲んだ。誰も空港の料理だがうまかった。でもそれだけのことだ。

旅はあっけなく終わった。1ヶ月に渡る、長くて短い旅である。思えばロシアに始まり、ロシアに終わった旅だった。ロシアを経由してパリに入り、フランス東部を通り、スペインへ渡り、テロをかいくぐり、祭りを満喫し、フランスへ戻り、フランス語を学び、ブルターニュへ行き、パリへ向かい、「親戚」宅に泊まり、アパルトマンに住み、ロンドンに行ってみたりして、そしてジャズバーに通い…ロシアへと戻った。ほとんどは一人旅だった。今思えばよくもまあ一人でやっていたものだと思う。そんなひとり旅の余韻が抜けない中、一緒に暮らした二人もよく一緒にいてくれたと思う。この旅は、私の人生に刻まれるだろう。全てを忘れてしまっても、必ず心の中にあるだろう。いや、この旅の経験が、私を作っているが故に、私に溶け込むだろう。これがこれからどのやうになるのか分からない。だが、きっと次の旅、次の人生に何かを残してくれるに違いない。いろいろなことが、ありすぎたほどあったからである。

旅はきっと終わらない。