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旅、映画、食べ物、哲学?

一瞬の北京

この、明らかにクレイジーと言える旅程は、完全に私の気の迷いから発したに過ぎない。常々夢想してきた「男の子の夢」ともいえようものを実現させてみただけだ。つまり、ヨーロッパを旅した後に、「ああ、帰りたくないなぁ、このまま東南アジアにでもいってしまいたい」と思うことがあるが、それをそのまま旅程に組み込んでみたのである。バカそのもの。正直、実現したとなると、私の小さい脳みそではキャパオーバーである。

さて、どんな旅程なのか説明してみよう。まず、北京経由でローマへと向かう。北京ではもちろん市内に出ることを忘れない。ローマで先にポーランド旅行をしていた友人たちと会い、そのまま、ナポリやバーリなどを回ってから船でギリシアに渡る。アテネで過ごした後、友人たちと別れ、一人でブルガリアのソフィアを経由して、トルコのイスタンブルへと行く。そこで別の友人二人と会う。そしてしばらく過ごしたら、モスクワ経由で一路バンコクへと向かうのだ。友人とはバンコクでお別れ、そして、バンコクから列車でタイ東北部ノンカーイへ向かって、ラオスに入国。そのあとでラオスの首都ヴィエンチャンからヴェトナムのハノイへ行き、ここがゴールとなる。ちなみに今私は、タイの列車の車中。旅ももう終盤戦だ。

正直にいうと体はわりと疲れている。そして、友人との出会いと別れを繰り返したために、なんだか今までは感じなかった寂しさであふれている。なんとかそれを振り切って、自分自身に向かう姿勢を取り戻したいものだ。タイの寺院でも、悟れるようにと合掌してきた。

 


それでは字数もまだそんなに多くないので、北京の話でもしようと思う。人と行った旅の話をするのはあまり得意ではなく、今までも避けてきたが、やってみよう。だからつまり、北京には同行者がいたのだ。

私は諸事情あって、第一陣のポーランド旅行には参加できず、同じく参加できなかった友人と二人でエアチャイナで北京に赴いた。着いたのはもう夜で、初めはトランジットホテルを無料で使おうと思ったのだが、手続きができず、空港で寝ることにしていた。

そこでトラブルが起きたとすれば、わりと当然のことである。だが最初の難関は、なんと羽田空港だったのだ。


私がイーチケットを見せると、係員が、

「イタリアから出るチケットはありますか」と尋ねる。今までそんなこと聞かれた覚えがなかったが、

「いえ。陸路でわたるので」と答えた。

「それではバスか列車のチケットは?」と係官。そんなものあるはずない。というか、そもそも、3ヶ月以内にイスタンブルからモスクワへ向かうチケットがあるはずだから、必然的にイタリア出国はわかるはずではないか?

「ありません。」私はふと船のチケットのスクリーンショットが友人から送られてきたのに気づき、それを見せた。

「英語で書かれたものは?」

「ありません」

「イタリアの入国の条件がイタリア出国のチケットを持っていることなので…」

「でもイスタンブルから出ます」

と、なんとか無理押しをしてみる。係員は何やら上司に確認し、オーケーということになった。しかし、色々と登録する段になって、

「日本への帰りのチケットがありませんよね?これはバンコク行きです」というではないか。バンコクの後、ハノイ初の日本行きチケットがあるはずである。そういうと、係員は「ああ」と登録し始めた。どうやら、私の旅程がクレイジー過ぎて、良識ある係員には理解できなかったらしい。まあ仕方がない。私自身もわりと理解しかねているのだから。

 


とまあそんなこんなで北京首都国際空港である。入国する前に寝てしまおうと考えていたが、義務づけられている指紋登録でまごついていたら、あれよあれよと言う間に入国してしまい、バゲージクレームがこの日の寝床となった。

ターンテーブルのまわるガガガガーという音で目を覚まし、私たちは市内へと向かった。両替をしてもらうと、なんと60元も手数料を取られた。両替所のお姉さんはそのことを教えてくれていたのだが、眠い頭だった私はテキトーに頷いてしまったのだ。ようするに、完全に私のミスである。今日はどうやらツイてないらしい。

 


空港から市内までは、電車でいける。かの有名な天安門まで行くならば、だいたい一時間弱かかる。北京市内の入り口となる東直門まで行き、それから地下鉄に乗り換えるというわけだ。地下鉄はもちろんソ連式。つまり、ホームがあり、そこに柱がいくつかあって、両サイドに列車がつく。

あまり気にしていなかったのだが、北京は恐ろしく寒いところだった。しかも、テレビで見たとおり、空気が悪い。もちろん、気まずいという意味ではない。本当の本当に空気が悪いのだ。窓の外から見えたところによると、この日のPM2.5予報は橙色警報。何が一番高いかは知らないが、想像でわかる。

目的地の天安門で降りると、辺り一面ベージュ色だった。太陽は、すでに登っているが、なぜだか夕焼けの色である。メガネ使用者なので私はマスクが嫌いだがこの日は流石につけることにした。しかし、やはり異国の香りは嗅いでみたい。恐る恐るマスクを外し、くんくんとやる。少し香ばしい匂いがした。

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天安門の前には検問があり、荷物チェックが必要になる。実は、地下鉄も同様だ。非常に面倒だが、徐々に慣れた。実はタイの地下鉄も、ガバガバではあるが検問があったし、イスタンブルではバザールなどにあった。そういう時代なのである。そりゃ羽田で陸路入国を突っ込まれるはずだ。

天安門は想像以上にでかかった。向かいには全人代。かつて金閣寺を初めて見たときと同じ心地がする。「実物だ!」というやつだ。劇場で芸能人を見た時も同じである。あの浮き足立つような、それでいて、知っていたものと本物の違いに驚くような。それ以上でもそれ以下でもないと言って仕舞えばそうだが、やはりきてみてよかったなぁと思える。

天安門の後は、歩いて繁華街の王府井に行こうかと思っていたのだが、やめた。時間もないし、寒いし、空気が悪いからだ。

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地下鉄に乗り、隣駅で降りる。ガラガラの商業施設を通り抜けて、どうにかこうにか外に出ると、空は相変わらずくすんでいる。太陽も、もう8時過ぎているのにもかかわらず、やっぱり夕日色だ。

しかし王府井はあまり活気がなかった。どうしたものかとさまよい歩くと、しばらくして包子屋を見つけた。事前に、私と違って情報戦に長けた同行者が調べてくれたところである。見つけたのは偶然だった。

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店に入り、やすそうな肉まんみたいなやつを二つ頼んだ。となりの厨房から直接受け取って、頬張る。うまい。だが少しばかり小さい。この肉まんだけで北京を終わらせるわけにはいかない。なんとなれば、今日一時のフライトで私たちはローマへ向かうのだから。

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そこで向かったのはとなりに見えた麺屋である。しかし、手数料事件、そして理由のわからない消失事件によって私はあまり金がなかった。そこで残念ながら面ではなく、おかゆを食うことにした。肉のやつがあったので

「我想要这个(これが欲しい)」

というと、

「没有(ないよ)」といって、何やらトレーの上のものを指差す。これならあるわけか。では、と、私はよくわからない黄色いおかゆと卵と漬物を頼んだ。これで所持金はほぼ消えた。

おかゆはウリだった。優しい味である。これに、やけにうまい卵と、やけにうまいピリ辛漬物を合わせると、完璧な味になる。北京、なかなかいい。私はかなりちょろいので、北京に住みたくなってきた。

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店を出て、私たちは王府井を散歩しつつ、次の次の駅である建国門を目指した。そうすれば地下鉄の費用が節約できるからだ。

王府井の界隈はかなり近代的になっており、高層ビルもたくさんあった。たかそうなホテル、かなりたかそうなホテル、ものすごくたかそうなホテルなどがあった。それでいて、近くには古き良き時代の胡同と呼ばれる路地がある。それはどこか北京の「発展」の流れを見せているようだった。

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また、よくわからないのだが、何かの日のようで、国旗を持った人たちがかなりの数いた。また、義勇兵、みたいな言葉をつけた老人たちがいて、愛国歌のようなものを流していることもあった。あとで知ったが、全人代が開幕したそうで、もしかするとそれと関係あるのかもしれない。

時間の制約があるが、Wi-Fiはないという状況下での散歩は少々ハラハラしたが、さすが中華帝国の都、碁盤の目なので案外なんとかなった。それどころか、北京を眺めると、時代の流れ、そして今など、様々な情景が見えてきた。しかしそれはまだまだ本物ではないのだろう。もっとよくみてみたいと思った。

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そういうわけで、北京編は終わる。トランジットらしく時間は短い。しかしあっさりとしていたとは言えない。むしろなんだか濃厚だった。中国人の見方も変わった。皆かなり気配りをする人々だった。別に、最初の印象が悪かったわけではないが、改めて、愛着が湧いたということである。

さて、次はローマということになるが。いつ更新することになるのか。旅の途中か、はたまた日本でか。それはまだわからない。

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