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旅、映画、食べ物、哲学?

まだ死ねない〜ナポリ〜

サンタンジェロ城を一人で見た後、私は三人の友人とナポリへと向かった。

イタリアはこれで3度目になるが、いわゆる南イタリアには一度も行ったことがなかった。ナポリ行きを決めたのはそれが理由である。一人でも行くつもりだったが、なんやかんやで四人になった。

ナポリまでは、ローマはテルミニ駅から列車で一から二時間。振れ幅が大きいのは、鈍行か、急行かの違いだ。私たちは、行きは鈍行、帰りは急行を使ったが、イタリア国鉄に当たるトレニタリアより、イタロを使った方が安くて速そうだ。行きはいかんせん時間がかかった。安くて助かりはしたが、結局3千円ほどであるし、イタロは4000円くらいだからあまり変わらない上にこちらは急行だ。

 

さて、11時23分の電車に乗り込み、着いたのはだいたい13時くらい。天気はお世辞にも最高とは言えないが、雨は降っていない。そんなナポリに降り立って、私たちはまず地下鉄に乗ることにした。

ヨーロッパあるあるなのだが、中央駅は町の中心から離れがちである。そのため中心まで移動しなくてはいけない。ナポリのことは一切知らなかったので、唯一知っている、「スバッカナポリ」という下町の通りと、友人の一人が行きたがっているサンタキアーラ修道院にほど近いダンテ駅で降りることにした。

ナポリは治安が悪いというが、地下鉄は確かに少々ガサガサした雰囲気が漂う。だが、そんな「汚い、危険のナポリ」というイメージを払拭するためか、地下鉄駅は綺麗に改装され、現代アートが飾られていた。

ダンテ駅で降り、地上に出ると、ダンテの彫像が建てられた広場に出た。またはほんのりと排気ガスの香りがして、バイクや車が通りを行き交う。クラクションもなっている。町の外観はススで汚れ、生活感がむき出しである。私は瞬時に、東南アジアを思い出した。ローマのは全然違う街に来たことが実感できた。ここはむしろ、アジアである。

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雑多な通り。ナポリの象徴?

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振り返ればダンテ像

街は熱を帯び、エキサイティングだった。その生命がむき出しで溢れてきていた。ローマよりも、生きている街だ。楽しくなって散歩しそうになったが、まずは昼食である。ナポリに来たらピザを食せ、とマッテオにも言われている。

ところが案外ピザ屋が見つからない。そう思って行ったり来たりしていると、駅前の広場の向かいにピザを食わせる店があった。じっとどうやって頼むのか見ていると、店のおばさんがやってきて、

「どうしたんだい?」とイタリア語だかナポリ語だかで尋ねるので、とりあえず

「Quattro(4)」と答えてみた。

「何を四つ?うちにはお菓子とか…」とか言いながら、おばさんはショーケースを見せた。私たちはピザが食べたいので、

「Vogliamo mangiare pizza(ピザ食べたい)」と伝えた。

「ああ、ピザね!」とおばさんが私たちを中へと誘うので、私たちは奥の席に着いた。

とりあえずもらったメニューを開き、見てみる。正直、ありすぎてよくわからない。ここはオススメ作戦だ、ということで、私はとりあえずおばさんに、

「Che cosa di Napoli?(何がナポリのもの?)」と拙すぎるイタリア語で訪ねた。

ナポリなら…マルゲリータね」とおばさん。発祥の地だから、かなり素朴なものがいきなり出てきた。こうなったら、元祖マルゲリータといこうじゃないか。全会一致だったので

「Quatro Margherite, per favore(マルゲリータ四つお願いします)」

「ビールは?」もうどうにでもなればいい、と全員でビールを頼んだ。

しばらくしてビールが来て、そのあとでマルゲリータが来た。イタリアではピザはシェアではなく一人がホールで食べるらしい。そんなわけで、日本なら分かるようなサイズを一人でいただく。正直ピースだけだとお腹が空くので、こっちの方が性に合う。

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ピッツァ。写真に気を使わない性格が仇となり、指が入っている。ご愛嬌。

ミラノを中心とする北部のピザは生地が薄く、ナポリなど南部は生地が分厚いという。しかし出てきたものは、確かにミラノほど薄くはないが、通常の感じのものだった。ものにやるのだろう。味自体はかなり美味い。トマトソースとチーズがよくあっている。ビールはイタリア名物の、おじさんがビールを飲んでいる絵のビール、「モレッティ」である。マルゲリータはこのビールにもよく合う。

お会計を頼むと、「22だ!」とおじさんが言った。一人で22ユーロだとしたら物価はローマとあまり変わらなそうだ。だが、聞いてみると、四人でピザとビールを頼んで22らしい。これは安い。下町価格だ。

 

会計を済ませ、私たちはスバッカ・ナポリに戻った。相変わらず猥雑である。路地裏にはスーツケースがたたき売りされていたり、ショーウィンドウに変なマネキンがあったりと、もはやヨーロッパとは思えない光景が繰り広げられている。有名な、路地で洗濯物を干す光景は、あいにくの天気のせいで見ることはできなかったが、その生活感は伝わってくる。この町は面白い。

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ナポリの裏道

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人生を悟った顔である

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ナポリの裏道

 しばらく歩いて、サンタキアーラ修道院にたどり着いた。ごちゃごちゃ下町の中に突如大きな建物があらわれる感じだった。近くには子供が遊べる公園もある。その公園を横目に教会の敷地に入ると、どうやら入場料がいるらしい。国際学生証で割り引いてもらい、中に入った。

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教会の中庭の回廊はタイルで装飾されており、そのタイルには素朴な絵が描かれていた。ローマのゴテゴテっとした絵画芸術とは違う、いい意味で田舎臭い絵である。農民や漁師、猟師の生活が可愛らしいタッチで描かれている。回廊に囲まれた中庭の遊歩道にもタイルが貼られており、独特の美しさがある。中庭にはおそらくオレンジの木が植えられ、身をつけていた。こうやってみると、ああそういえば、ナポリはしばらくアラゴン王家の支配下にあったんだよな、と思い出す。

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独特な雰囲気の中庭。穏やかである。

しばらく東ローマ帝国の領土であった南イタリアは、ルッジェーロ率いるヴァイキング(ノルマン人)に征服され、シチリアとともにノルマン人の王家を頂いた。その末裔が、神聖ローマ皇帝ローマ帝国の後継者を名乗るが、領土のほとんどはドイツ)でもあったフェデリコ2世である。彼はドイツよりもイタリアの当地に関心を持ち、また、最古の大学をナポリに開くなど当時にしてはかなり開明的すぎたため、ローマ教皇庁と反目し、度々破門された。そんなフェデリコの死後にもノルマン王朝はナポリにありつづけたが、教皇庁は彼らを潰そうと考え、フランス王家の分家アンジュー家に征服させた。その結果、南イタリアアンジュー家支配下に入ったが、シチリアではこれに対する抵抗運動が起こり(シチリアの晩鐘事件)、アンジュー家を追放、現在のバルセロナ一帯(カタルーニャ地方)を治めていたアラゴン王家を国王とした。その結果、ナポリはアンジューの支配下にとどまることになった。だが、その100年後、アラゴン王家はナポリの征服を成し遂げ、それ以降南イタリアアラゴンの治める土地となる。

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そのためか、どことなく、ナポリ修道院や芸術には、スペインの香りがする(気がする)。例えば、修道院内にある博物館にはたくさんの聖像が飾られていたが、その独特の雰囲気たるや、ローマではあまりみないものである。人の肌の色でしっかりとなられ、まるで蝋人形のような姿の像。同じようなものをスペインでもみたような気がする。ナポリの町並みそれ自体も、どことなくアラゴン王国の中心地バルセロナのそれに似ている。特に色合いである。独特の暖色を使っているのだ。ただナポリの方が黒っぽい気もする。詳しく調べたわけではないのでなんともいえないが、関係あるのかもしれない。

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ナポリの街並み

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バルセロナの街並み。ご参考までに。色合いが少し似ている気がする。

だが、それだけではない。ナポリにはやはり、「ネアポリス」としての、古代から引き継ぐものもある。この町はイタリアで最古級を誇る古い町だ。かつてギリシア人が栄華を極めた頃、地中海沿いに築いた植民市だったのだ。南イタリアはそんな入植地が多く、人呼んで「大ギリシア(マグナ・グラエキア)」と呼ばれた。修道院の下には遺跡が眠っている。これは古代ローマ時代のテルマエ(公衆浴場)だ。なんとなく、ローマで見る建材とは違う、もっと白いものを使っているように見える。ローマ時代もナポリは栄えた。この辺で有名な都市といえばウェスウィオス火山の噴火で一夜にして埋まってしまったポンペイだが、ナポリもそれ以上に発展したのである。

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こういうところに来るとワクワクしてしまうのは男の子の性か。

ナポリは兎にも角にもそんな色々な歴史を引き受けているわけだ。ギリシア、ローマ、ノルマン、フランス、スペイン、そしてイタリア。おかげで非常に独特な雰囲気を湛えている。博物館と修道院はそれをありありと見せてくれていた。

修道院を見たあと、世界最古の大学を横目に見てから、海とコーヒーを求めて歩くことにした。世界最古の大学は文学哲学部を見つけたのだが、中に入ることは叶わなかった。本キャンパスは向かい側にあったらしいがどうやら見逃したみたいだ。少し残念。というのも、この大学は先述の通り皇帝フェデリコ二世によるものだからである。

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"フェデリコ2世大学 人文学・哲学部"

海はその大学の先にあるはずだった。しかし海に近づいたところで、港町らしく、コンテナをつける場所が見えるだけで、海本体は見えない。こういう港の光景を見るのも楽しいが、やはりナポリといえば海が見たい。後で知ったのだが、有名な、ウェスウィオス火山をバックに海とズラーっと街が見える光景はどうやらもっと先に行った公園から出ないと見られないらしい。港の向こうにウェスウィオス火山は見えたが、曇天のせいで、てっぺんは見えない。ナポリを見てから死ね、とはいうが、どうやらまだ死ねないようだ。やはりあれを見ないと死ぬ気にはならない。

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てっぺんが隠れている……

しばらく交通量が多く排気ガスの匂いで立ち込めた、アジアと見まごう雰囲気の道を歩くと、先に煤けた色の古い城が見えた。これも確か名所だったはず。ナポリからローマへ向かう列車のタイムリミットは近づいていたが、とりあえず城を見ておこうと、そちらへ向かう。

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かなり古そうだ

 

途中で友人の一人が両替をしていると、おっさんと綺麗なお姉さんのカップルが何やら話しかけてくる。

「E bella, no? Napoli e bella.(綺麗だろ? ナポリは美しいんだ)」とおっさんが言う。すかさずこちらも、

「Si, Napoli e molta bella!(はい。ナポリはすごく美しいです)」と返す。

「Chino?(中国人か?)」とおっさん。この人と話して何やら良からぬことに巻き込まれやしないか。少々警戒しながら、

「Siamo giapponese! (日本人だよ)」と答える。何やら話す二人。

「Parlai Italiano?(イタリア語はなすのか?)」とおっさんり

「Un poco(少しだけ)」

「English OK?(英語平気?)」とおっさん。これは間違いなくイタリア語で会話が始まるやつだ。英語はと聴きながら、英語では話さない。ヴェトナムでもそうだった。

「Napolitano?(ナポリ語は?)」ナポリ語! 存在は知っていたがまだ使っていると知らなかった。確かフニクリフニクラがナポリ語だったはずだが、それ以上のことは知らない。ナポリの人はなんとなくローマよりも柔らかい話し方をしていて、これが訛りなのかと思っていたが、ひょっとするとナポリ語なのかもしれない。興味深い。興味深いが、

「No(無理です)」

するとおっさんは何やらいう。わからないのでとぼけていると、自分のケータイを見せながら、

「Chino! No giapponese! (中国のやつだ。日本のじゃない!)」という。なぜ突然煽ってきたのだろう、と思い、覗き込むとサムスンである。おいおい、

Samsung e coreano(サムスンは韓国製だよ)」

これにおっさん、驚愕の顔を見せ、

「No chino? Coreano?(中国のやつじゃねえのか? 韓国なのか?)」という。そうだそうだと頷くと、おっさんは新しい発見をお姉さんに話し始めた。可愛いとこあるじゃないか。

おっさんはしばらくして自分の靴を指して中国製だと豪語した。正直、私にはそれがどこ製なのかはわからなかったが、靴の類はあり得るので、そうだなそうだなと頷いておいた。後で知ったのだが、このころイタリアは中国の推し進める「一帯一路政策」の仲間入りを果たし、親中路線を明確化していた。もしかすると、関わりあるのかもしれない。

一通り話した後で、おっさんは突然自分の財布を指差した。もしかすると、これは金よこせということなのだろうか。まずいな、と思ってると、財布を尻ポケットに入れ、

「気をつけろよ、スリが多い」的なことを言った。なんだ、結局ただのいいおっさんじゃねえか。

 

チャオといって別れ、私たちは最後にカフェに入ることにした。なぜカフェか。詳細は知らなかったが、友人のマッテオによれば、ナポリのコーヒーはスペシャルらしい。スタイルが違うのかと尋ねたが、別にそうではないという。じゃあ何が違うんだ。これは飲んでみなければ、というわけでナポリコーヒーを飲むことにしたのだった。

カフェでエスプレッソを頼み、外にある完全防寒テラスに入る。しばらくして出てきたのはなんの変哲も無いエスプレッソだった。しかし飲んでみると、確かにうまい。苦味もさることながら、香りがよく立っている。調べてみたら、淹れ方が普通のエスプレッソとは異なるらしい。これは、実際に飲み比べないとわからない違いであった。

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そんなこんなで時間である。私たちのナポリの旅もこれでおしまい。再びローマへと戻る時が来た。一つ言えるのは、この街がかなり気に入ったということだ。もう一度、きちんと訪れてみよう、そう思った。まだまだみるべきものも残っている。美しい広場、宮殿、そしてそうそう、ウェスウィオス火山と海もまだ満喫できていない。ナポリを見てから死ね、というならば、私にはまだ生きる理由が残されているわけだ。まだ死ねない。ナポリを見るまでは。もっときちんと見るまでは。

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イタロ。こちらの方が国営トレニタリアより安い

 

 

……とはいっても、見たからといって死ぬ気にはならないだろうな。

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さらばナポリ。必ず戻る。