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旅、映画、食べ物、哲学?

素朴な魅力〜バーリ・イタリアの旅の終わり〜

「カステル・デル=モンテに行くにはどうしたらいいですか? 確か冬はタクシーしかないって」

「そうだね、遠いよ。バーリの町には来たことあるのかい?」

「いえ、初めてですが」

「じゃあ、バーリを見なさい。港もあるし海も綺麗だ。今日は天気もいい」

 

ローマから列車で四時間。美しい畑の風景、そして野を越え山を越え、私たちはイタリア最後の街バーリへやってきた。イタリアの形をブーツに例えることはよくあるが、バーリはブーツのかかとの部分にあたる。もっと正確に言えば、イタリアというのはヒールの高い女性もののブーツに似ているのだが、そのブーツのヒールの付け根の部分がバーリである。

バーリというとあまり知名度は高くない。イタリア人のマッテオにバーリに行くと言ったら、いきなり、「なんで?」と聞かれたほどだ。実は、ナポリの時に少し登場した神聖ローマ帝国皇帝フェデリコ2世関連の史跡が幾つか残り、世界遺産カステル・デル=モンテもその近郊にあるので、そこまで地味な場所ではないのだが。だが、私たちがここに来たのは史跡巡りのためでもなかった。ここが、ギリシアのパトラまでの船の出航地だったからである。つまり、このバーリからパトラまで船に乗ろうという魂胆である。

しかし、列車が到着したのは12時。船の出航は19時30分。七時間ほど時間がある。まあ正直に言うと、バーリという街を見てみたかったので、余裕をもたせたのである。欲張りを言えばカステル・デル=モンテを見てみたかった。これは世にも珍しい8角形の城で、皇帝フェデリコのイスラーム趣味と科学への関心の賜物らしい。天文学の研究のために作られたとも言われている。この城は、ちなみに、カステル・デル=モンテはもちろんイタリアの5チェンティモ硬貨の裏面のデザインにもなっている。

というわけで、駅にある荷物預かり所のおじさんからバーリの地図を入手した後で、聞いてみたわけである。そして冒頭の会話に戻る。まあたしかに、バーリを見てみるのも良さそうである。フェデリコ2世関連の城も、市内にもあるらしい。それに周りの友人たちを付き合わせて慌てさせるのも悪い。そんなわけで、バーリの町歩きが始まった。

 

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バーリ駅前

バーリの駅はバーリ旧市街から少し離れている。駅前のロータリーを超えて、メインストリートとでも言える一本道をまっすぐ歩けば、旧市街のある地区へ着く。だから町歩きの始まりは、その一本道ということになるが、その一本道を歩いてみてまず思ったのは、非常に住みやすそうな街だということだ。ローマやナポリにあったような、治安が悪そうな雰囲気は一切ない(裏道は若干ガサガサしてはいるが)。 まず道が綺麗で、道の脇には南ヨーロッパっぽい木がたくさん生えている。雰囲気はイタリア北部とは大きく異なる。ナポリでも思ったが、南イタリアは若干スペインっぽい雰囲気がある。バーリの場合は、南仏にも近い雰囲気がある。一昨年訪れた南仏のニームは似たような、住みやすそうな、穏やかな空気があった。

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穏やかな一本道を行く

穏やかな風が流れ、子供連れのお母さんが歩いていたり、犬の散歩の人がいたりする。イタリア王国第2代国王ウンベルトの像のそばには子供用の公園。まさに住みやすい街を絵に描いたような街だ。少なくとも、吉祥寺より住みやすそうだ(交通の便はよくないかもしれない)。

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ウンベルト像

公園がある場所を過ぎると、ショッピングストリートになる。カフェが少々あり、ブランドものの店が増える。私には縁がない店も多いが、なんとなく雰囲気がいい。老後に住もうかな、などと考えたくもなる。

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ショッピングストリート

そのショッピングストリートをひたすら進んでいくと、目の前を大きな通りが横切る。その大きな通りを渡って左へ向かえば、なにやら威風堂々とした建物が現れる。これは何かの展示場らしく、ゴッホの展示があった(中には入っていないが)。この展示場の手前でまた左に折れると、すぐ右手には青い海が広がっていた。アドリア海だ。ヨットや船がいくつかつけられていて、陸続きの所を見渡せば、古い砦がそびえ立つ。後ろを振り向けば、幾つかのテラスがあって、観光客が食事をしている。やはりここにも穏やかな海風が吹いている。とりわけ海は美しい光景だ。日差しは眩しいし、かなり暑いが、ゆっくりしていたくなるような場所だ。時間の流れも、おのずと、ゆったりしている。だが、お腹が空いた。

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展示場。この建物もどことなくバルセロナを思い出させる。

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アドリア海。向こうに見えるのが海を守る砦だ。


というわけで、シーフードが食える場所を探すことにした。なぜシーフードか。それはマッテオに「バーリになにがある」と聞いた所、苦し紛れに、「シーフードは美味しいはず」と言っていたからである。まあ、そりゃそうだろう。海沿いの街で、船も出ているのだから、シーフードがまずいはずがない。そんなわけで、もう私達の腹はシーフードしか受け入れない腹になってしまったのだ。

だが、案外店を見つけるのが難しい。街は穏やかで、空気がゆっくりしていて、町歩きも楽しいが、いかんせん開いている店が少ないのである。別に日曜というわけでもないのだが、どうしたものか。もしかすると、南ヨーロッパではよくあることだが、昼食の時間が昼の2時から、などといった具合なのかもしれない。しかし腹が空いてしまったものは仕方ないし、観光もしたい。そんなわけで、元来た道を戻り、別の場所で店を探した所、一件、プーリア州(バーリのある州)名物を出す店を見つけた。

 

その店のウェイターはとても愛想が良かった。行動がゆっくりしているので、呼ぼうとしてもなかなか来ないという難点はあったが、それはむしろこちらの問題である。郷にいれば郷に従え。バーリにはバーリの時間感覚とスピードがあるのである。そうしたものに体を慣らすのも、一つ、旅の目的である。

ワインはメンバー六人で白一本をシェアし、料理はそれぞれ頼むことにした。私はどれがどれやらよくわからなくなったので、ウェイターに聞いてみた。すると、幾つか紹介してくれたが、とりあえずリゾットを頼むことにした。この料理が、すごかった。素朴な皿の上に、魚介のリゾットが素朴に乗せられてきたわけだが、食ってみると、びっくりするくらいうまい。魚介出汁がきいており、絶妙な塩味が食欲をそそる。バーリ、本格的に住みたくなってくる。

 

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フェデリコの城

ほろ酔いで、うまい料理も食べ、ご機嫌なムードで、城に向かった。フェデリコ2世の城だ。公園を抜けると、そこに星形稜堡(五稜郭みたいなやつ)に似ている様式の堅固な城塞が現れる。ただ、稜堡式は、銃器が使われるようになった後のものなので、フェデリコがやりかねないとはいえ、さすがにのちのものかもしれない。城の堀には不思議な唐辛子の形の現代アートが並ぶ。アートはともかく、ここにフェデリコが住んでいたのか……と感慨にふけっていたら、通りがかりのお兄さんが、

「今日は無料で入れるから入っていきなよ。今は一週間の間イタリアの博物館が全部無料なんだ」と教えてくれた。なるほど、と私は一つ合点がいった。

一人でサンタンジェロ城に登った時のこと、受付へ行ったら、カウンターに大量のチケットが山積みにされ、チケットを買おうとしたら、

「持っていきな」というようなことを言われたのである。私はそのチケットを取り、ゲートを抜けた。ずいぶん雑な無料開放デーだと思ったが、イタリア全土でやっていたとは(そう思えばなぜナポリ修道院は金をとったのだろう、とも思うが、あれはおそらく修道院が経営していたのだろう)。

バーリではさすがにチケット山積みはなかったが、確かに無料だった。中に入ると、城郭らしい風景が目の前に飛び込んできた。日本の城と同じく、門から入ると、次の門は正面ではなく、側面にある。わざと入りにくくしているのだ。第二の門をくぐると、中はフェデリコ2世当時の部屋があった。彼はノルマン人(平たく言えばヴァイキング)の末裔だが、その部屋もノルマン様式だった。

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この城は想像以上に面白かった。人が少ないというのもあるのだろうが、なんとなく当時を思わせる風情もあった。その一方で、真ん中に謎の現代アートが置かれたりしていて、ヨーロッパらしさもある(アヴィニョンでも教皇宮殿の目の前にジャコメッティの作品に似た針金人間がいたし、モン・サン=ミッシェルも頂上には不思議な像が置かれていた)。建物の中は博物館になっており、この城のことだけでなく、バーリの歴史の古さも伝えていた。城の地下には、ビザンツ帝国ローマ帝国の後継国家で、今の東欧・中東・エジプト・リビアを収めていたが、ユスティニアヌス帝の時に南イタリアも併合した)時代とみられる遺構があったし、近隣で発掘されたものも展示されていた。ローマのよりも少しグロテスクさがあるものがおおい。ナポリでも似たようなものを見たが、もしかすると、それはギリシアのものなのかもしれない。なんとなれば、この地域はギリシア人の入植地「大ギリシア(マグナ・グラエキア)」があったのだから。

城の上の階に登れば、この地域の陶器が展示されていた。その陶器は、昼食の時に出てきた素朴な焼き物に似ていた。どうやらあれは伝統ある皿だったようだ。目の粗い焼き物に、太い青でちょっとした装飾を入れる。ありきたりな言い方をすれば、普段使いできそうな代物である。しかしだからこそ、良さがある。台北でかつて見た玉を繊細に掘り出した器も美しいが、生活からは切り離されている。どちらかといえば、バーリの陶器は、民芸であろう。バーリという街の美しさも、この陶器に似ているような気がする。つまり、この街の見どころと言えば城や港だが、他にと言われれば難しい。だがこの街には確かに強い魅力がある。「ここに住んでみたい!」と思わせる何かである。それは街自体の美しさ、そこに住む人など色々な要因によるが、とにかく、心惹かれるのである。

陶器の展示エリアをさらに奥に進むと、フェデリコのころに宴会場になった大きな部屋があった。やはり何も装飾がないとガランとしている。だが、ガランとしているが故に、過去の息吹がある。窓が面白く、大きな円形の窓が幾つかあり、その窓の周りに装飾があった。窓の外を眺めると、何やら正教会のような雰囲気の教会がそびえ立っていた。それを見たとき、この教会の中に入ってみたい、とおもった。

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部屋を出て階段を降りると、

「チャオ」と警備員のおばさんが声をかけてきた。「大きな部屋は見た?」

「はい。E bella(綺麗でした)」と私は答えた。ここの人は本当に愛想がいい。

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外側から見るとイスラームの影響も見え隠れする。

 

そのあとは教会に行ってみたのだが、その教会の門は閉ざされていた。何かやっているのかもしれない。だがその教会の前の広場はまるで映画や舞台のセットのようで面白かった。路地は、いわゆる美しい路地であり、程よく生活感もあった。途中で撮影隊がやってきたり、警官と軍隊がやってきたりと、ちょっと慌ただしくもあったが、こぢんまりとしていい路地である。

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この教会の中はどのようになっていたのだろう

 

しばらくはそのあたりを歩いたが、出航の二時間前までにはチェックインをしなければいけない関係で、バーリともお別れの時間となった。来た道を引き返し、荷物置き場へ戻ると、

「バーリは美しかったろう?」とおじさんが声をかけてきた。

「Bari e bello(バーリは美しいです)」と答えると、

「海はいったか?」と聞く。

「ええ」

「港は?」

「見ました」

「旧市街は?」

「城に行きました」

そんなたわいもない会話をして、その場を後にした。

駅構内にあるスーパーで、食料を買う。船と言っても豪華クルーズではない。食堂はあるが多分高いだろう。それに、船の上で酒盛りをしてみたい。そういうわけで、サラミや生ハム、パンを仕入れ、ビールやワインを買った。計量しておかなければいけないパンの買い方に戸惑ったが、どうにかこうにかうまくいった。

さて、次の目的地は港だ。あとは、ゆっくりと、暮れかけた夕日でも見ながら港の方へ行き、もう少しそのあたりで食料を買い足そう。まだ時間も余裕がある。だが念のためにまずはチェックインしてしまおう……

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17時を回り、日は傾いている。夕暮れのバーリも美しい。

ところが、ことはうまく進まなかったのである。(つづく)