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旅、映画、食べ物、哲学?

Italia Bella Ciao!〜地中海航路 その1〜

祖父は船会社を営んでいた。そのせいか、船の旅というものに漠然とした憧れがある。船はすごい。この地球の七割が海だというから、船を使えば脚を使う以上にどこまでも世界を巡ることができる。

船体験は今年の3月までは、3度ほどあった。まずは伊勢の方から静岡まで行くフェリー。家族を置いて、甲板から遠ざかる陸地や、途中に見える灯台などを見ていたものだった。次は一人で乗ったタイの渡し船。あの時は友人が体調不良でホテルに戻ったので、一人、見つけた船に乗り込み、「このままどこへ行ってしまっても文句は言うまい。たどり着いたところが目的地だ」などと、旅人ぶっていたところ、対岸についたというすっとぼけたエピソードとともに記憶されている。3度目は、バルセロナで乗った「地中海クルーズ」だ。あの時も一人だったが、このクルーズは要するに、バルセロナの港からスタートして、地中海の方まで行き、Uターンして、またバルセロナへ戻るというコースを取っていた。観光船ではあったが、なかなか楽しい経験でもあった。

そして、今回である。わたしはバーリからギリシアのパトラ港まで約十六時間ほどの航路に挑もうとしていた。安い船で雑魚寝。一応寝袋も用意した。これはなかなか面白いかもしれない。そんなことを思いつつ、船に乗り込もうとしたわけだが、実は船に乗る前に一騒動起きている。

 

チェックインは出航の二時間前の17時半にしなければならなかった。ところが、地図に書いてあった港に行っても、出航場所がわからなかったのだ。これはかなりまずい。だが、時刻はまだ17時。余裕は30分ある。そう思ってネット検索にかけてみたところ、船着場は駅からかなり遠いところにあるものだった。昔モロッコに行こうと思って、タンジェという町のことを調べたら、町に近いオールドポートと、町から遠いニューポートがあった。おそらくバーリも二つあるということなのだ。仕方ない。行くのかない。私たちはひたすら港へと向かうことにした。オールドポートから海を横目に、砦がある方へと向かう。砦を越えればニューポートだ。遠いとは行っても歩いて15分ほど。状況はそこまで悪くはない…はずだった。

しかし、ついてみると、まずどこに行けばいいのかわからない。警備員に聞くと、なにやら大きな建物を指差すので、とりあえずそこに行ってみる。建物は閑散としている。なんだこれは。しかし進むしかない。保安検査場があったので、そこの係員に予約の紙を見せる。

アルバニアに行くのか?」とおじさん。

「いや、ギリシアです」

ギリシア? それはここじゃない。あっちだ。左に五百メートル」

なんだって?! 結局ここじゃないのか。これは本格的にまずい展開になってきた。私たちはとりあえずおじさんのさした方向に向かった。徐々にスピードを上げながら、船着場を探す。しかしそれらしきものは見当たらない。もしや、このまま船に乗れずじまいとなるのではないか。そんな不安が現実のものとなりつつある感触を感じていた時、夕日が沈む方角に大きな船が見えた。船に書かれた文字は「Piraeus」。アテネ近郊の港だ。よし、ギリシア行!駆け足で近づいて行くと、オフィスのようなものも見えてくる。

そこから猛ダッシュでオフィスのようなものに駆け込んだ。ぜいぜい言いながら、なんとか手続きを済ませたのは17時28分。本当に滑り込みセーフであった。

だが、目当ての船探しも難しかった。係員のお姉さんが何メートル先に云々のようなことを言っていたが、距離で言われたところで船がありすぎてよくわからない。それで警備員に聞いたり、トラックだらけのところを通ったりと、茨の道を超えてどうにかこうにか船に乗り込んだわけだ。夕日は沈みかけ、いわゆるマジックアワーだった。この美しい世界から船出をする。そんな感傷に浸るには、息を切らしすぎてはいたが、イタリアとの別れにふさわしいには違いない光景だった。

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針路は東

船に乗り込んだ時、異国へ行くのだと気づかされた。まず船にはギリシアの旗が掲げられている。つまり、この船の「旗国」はギリシアということになる。国際法上この船はギリシアの管轄を受けるわけだ。そして、乗員はギリシア人らしい。顔の雰囲気がかなり違う。イタリアは縦長だが、ギリシアは少々横長、そして言うなればギリシア彫刻みたいな顔をしている。もちろん、「グラッツィエ(grazie:ありがとう)」というと少しキョトンとされるが、ギリシア語で「エフハリスト(ευχαριστο:ありがとう)」といえば、にっこりとしてくれる。客もギリシアの人が多かった。おそらく、イタリアへやってきて、帰るのだろう。

エスカレーターを乗り継いでデッキのある階に出ると、そこには真っ赤な絨毯が敷かれたロビーがあった。意外と高級そうだ。ちょっと残念、などと思いながら、乗務員にぺらぺらのチケットを見せると、あなたがたはこっち、とロビーの真横の映写室のような雰囲気の部屋に通された。部屋はリクライニングできる椅子が並べられており、スクリーンのない映画館のようだ。なんとなく薄暗く、部屋には眠気が充満している。イタリア・ギリシア間の船は人気があり、椅子には座れないと言われていたが、シーズンオフなのか、とにかくガラガラであった。寝袋まで用意したので、これもまた少し残念。だが、快適に過ごせそうだ。

出航まで探検することにした。デッキはロビーのある階と、その一つ上の階が出られる他、一番上の屋上みたいな場所も出ることができた。一瞬立ち入り禁止かと思ったが、大丈夫なようだ。屋上は、ドラマや映画に出てくる学校の屋上のような趣で、ヘリポートのマークもあった。出航まで私たちはそこから船に入ってくるトラックを眺めたり、イタリアに別れを告げたり、小芝居を繰り広げたりしてすごした。

 

船の出航は、キャッチーなアナウンスとともに始まる。キャッチーな音楽、DJのような、英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・ギリシア語のアナウンスで、出航が告げられると、しばらくして船はじわりじわりと動き始める。地面が動いている、不思議な感覚である。

私の仲間たちの何人かは寝ていたので、友人一人と食堂に行ってみることにした。値段は予想するほど高くはなかったが、一応節約したいので、ビュッフェで一皿食べ物をとって、二人でシェアすることにした。ほんとうは「ムサカ」という料理を食べてみたかったが、なかったらしく、よくわからない肉料理を食った。味はうまい。

部屋に戻ってみると、案外誰もいなかった。そりゃそうだ。出航というタイミングを寝て過ごすのは損である。彼らはデッキにいたようで、私もデッキに出てみることにした。もう外は真っ暗で、ブオオンオオンンという重低音とともに、水しぶきが立っている。船の片側からはイタリアが見えた。もう片側には何も存在しなかった。いや何も存在しないはずはない。海があり、遠くには陸もある。だが、何も見えなかった。そこは完全な闇が立ち込めていた。闇があったのではない。闇は闇を覗き込む私を包み込んでいた。だから、霧のように立ち込めていたのだ。怖さもありながら、ふわりと宙ぶらりんになるような、変な感触がした。

一方イタリアはどんどん向こうへ逃げていった。私は少し格好つけて、心の中でこう呟く。「Ciao, Italia, ciao!(あばよ、イタリア、じゃあな!)」と。

 

できから降りた友人たちが食堂で食事を済ませてからしばらくして、酒盛りをすることにした。あるものは紙パックのワインを飲み、あるものはビールを買ってきた。私は瓶ビールを持っていたが、王冠は船上での退位を嫌って、なかなか外れない。ペンを使ったり(おかげでこのペンはインクが出なくなった)、灰皿を使ったりして、なんとかびしょびしょになりながらもビールを開け、乾杯の運びとなった。サラミと生ハムは食料としての意味も持って買っていたのだが、六人いるとすぐなくなってしまう。さらに、船の上で話しながら飲むという、青春ロマンの極致のような状況にありながら、誰も寒さには勝てなかった。というわけで、飲み終わったら直ちに退散、皆寝ることにした。なぜ寝るのか。それは、次回の投稿にでも書こう。

しかし、船室に戻っても寝る気にならない。とりあえず歯を磨いてみても、なんとなく落ち着かない。そんなわけで、私は仲間とギリシアコーヒーを飲んだりしてしばらく過ごした。ギリシアコーヒーはコーヒーの粉を煮出して淹れるもので、その際に砂糖も混ぜる。飲み終わった後の粉っぽさは否めないが、なかなか美味しい。

船室に戻り、しばらくあれこれしていると、デッキに行きたくなってきた。私は身支度をし、外に出た。すると、友人の一人ができから帰ってきたところに出会った。しかしせっかくなのでということで、二人でデッキに上がってみた。寒い風が吹き付け、イタリアはより遠くにある。闇もより闇だった。ふと、これは寝転んだら星が見えるのではないかと思った。私たちは冷たい甲板に背中をつけ、上を見た。案の定星はそこに瞬いていた。

星座はギリシア神話の名が付けられている。それはギリシア人が航海の途中、放牧の途中に星を見ていたからだという。「Superfast」社のフェリーと違って、もっとゆっくりだったであろうギリシア人の船からは、星も穏やかな風の中で見ることができたのだろうか。しかし、今でも星は美しく輝いている。東京で見るより、やはり多くの星が見える。正直なところ、このようなブログでは語りつくせない何かがそこにあった。

私たちは、そろそろ寝ることにした。

せっかく寝袋があるので、空いているいくつかの席に寝袋を置き、横になって寝ることにした。まだ深夜とは言えないが、明日は早い。枕代わりに、ギリシアの歴史の本とトルコから韓国までのアジアの言語が書かれた本を寝袋の頭が来る場所の下に置いて横たわってみると、船の微振動も心地よく、よく眠れそうだった。

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Ciao, Italia, ciao