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旅、映画、食べ物、哲学?

ἐκ Πατρῶν εἰς ᾽Αθῆνας〜パトラからアテネへ〜

パトラからアテネまでは電車が断絶している。だから、中間地点のキアトまでバスで接続しないといけない。そのバスはというと、パトラ駅の前から出ていた。さっと食事を済ませ、バス停まで行くと、運転手はむすっとした顔で、早く荷物を入れろという。もう出発の時間だ。

バスに乗り込んで少ししたら、バスは出発した。ローマと比べると日差しも強く、バスの中も暑い。だがそれにしても、こんな感じのバスで進むというのは、なんとなく修学旅行みたいで面白い。だが窓の外は日光でも京都でもなく、パトラである。カーニバルの人形、正教の教会、ギリシア文字。家の外壁は白っぽい。まるでそれを半紙と勘違いしたかのように、たくさんの落書きが見える。

街を出ると、向かって左側に大きな川のようなものが見える。しかしこれは川ではない。れっきとした海、その名もコリントス湾である。パトラがあるのはペロポネソス半島古代ギリシアの時代には、軍事国家スパルタと経済都市コリントスの拠点があった場所だ。今ではパトラがギリシア第三の都市。湾の向こうまで白い橋が架かっている。この橋がパトラの名物らしい。

ペロポネソス半島北部は予想外にも平坦である。湾を隔てた向こう側、すなわちバルカン半島の山の多さに驚かされる。こちら側はというと、日差しが照りつけて、乾いてはいるものの、木々も生えていて、南欧の雰囲気である。窓の外を眺めているうちに、暖かさもあったか、私はなんだか眠くなってきた。

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遠くに見えるのがパトラの橋だ。

 

キアトは、片田舎である。小さな駅がポツンとあり、日がかんかん照りになっている。私たちはバスから荷物を取り出し、とにかく駅へと入った。目指すホームは、階段を上った先にあるらしい。

鋭い日光が射し込むホームに到着し、駅員のおばちゃんに、ここで良いかと聞くと、流暢な英語で、そうですよ、という。どうやらギリシアはかなり英語が通じるらしい。ギリシア語はほんの少しだけやったが、あまり身にならなかったので、助かる。だが、ところどころは使おう。私はおばちゃんに、

「Ευχάριστο(エフはリスト)」と言った。ありがとうという意味だ。

「Παρακαλώ(パラカロー)」おばちゃんはちょっと驚いたような顔でいう。

電車はかなりのオンボロで、近郊鉄道のような雰囲気である。だが、この列車がキアトからアテネまでを駆け抜ける。蒸し暑さが抜けない車内に入り、しばらくすると列車はゴトンゴトンと動き始めた。外の世界は山がちである。それも石がゴロゴロしているタイプの山で、時折草が見える。スペインで見たほどの荒野ではないが、雄大さはある。古代の人々も同じ風景を見たのだろうか。大都市国家アテナイからペロポネソス半島への道すがらである。

 

電車はアテネへと突き進む。キアトを過ぎれば、古の都市コリントに至る。コリントといえば、コリント式円柱が有名である。どんな形だったかはすっかり思い出せなくなってしまったが、確かゴテゴテしたやつだ。ゴテゴテに似つかわしく、コリントス古代ギリシアに名を馳せた経済国家だったという。主神(都市の守り神)はアフロディーテ、美の女神というから、随分と華やかだったのだろう。アテナイなどの都市と同じく、各地に植民市を持っていたが(と言っても、古代ギリシアの植民市は、近現代の植民地とは異なり、本国とはゆるやかなつながりを持つ程度である)、そのうちの一つが、私たちの乗っていた船の寄港地イグニメッツァと海を挟んで向かい合うコルフ島のコルキュラだった。このコルキュラを巡ってコリントスアテナイが対立、それをきっかけにしてアテナイ率いるデロス同盟とスパルタ率いるペロポネソス同盟によるペロポネソス戦争が起こる。ペロポネソス半島の付け根に当たるコリントスは重要な都市であった。

だが、列車で通ってみると、どこがコリントだったのかよくわからないほどパッとしなかった。もちろん市内に入ったわけではないでので、よくわからなかっただけかもしれない。ただ、想像していたものとは違った、それだけの話だ。

 

そこから先も、時に海、時に山に囲まれた風景を列車は走った。思わず見上げてしまうような少し荒涼とした雰囲気に、圧倒される。電車の中では徐々に乗客数が増えて行き、蒸し暑さは上がって行く。どうやら我々は一歩一歩首都へと近づいているようだ。ギリシアは案外小さい。だがその分、縦に広い。山だらけである。

そうこうするうちに、駅名に「アテネ」の文字が見えるようになった。だが、どう見ても風景は首都とは思えない。地方都市的な雰囲気である。乗客はどんどん増えて行くが、アテネって本当にこんなところなのか。少々訝しんでいると、アテネ中央駅に到着した。この駅はさすがに、大きい街の雰囲気を湛えた駅だった。だが、同じ首都でも、ローマテルミニ駅、パリの長距離路線用の駅(北駅、東駅、リヨン駅など)、ロンドンセントパンクラス駅、マドリードのアトーチャレンフェ、バルセロナのサンツ駅と比べてみると、「大都市の」と形容するには程遠い(コスモポリスでもあるパリとロンドンは差し引くにしても、イタリアやスペインの駅よりもかなり小さい)。駅の作り、規模からすると、日本でいうなら、鎌倉駅くらいである。鉄道網があまり発達していないのだろう。

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アテネ

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出口は「エクソドス」。英語で「エクソダス」というと、聖書の「出エジプト記」だから、要するに、「出る」ということだろう。

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駅舎

駅の外も閑散としていた。日は傾きかけていて、日差しが暑い。道路を渡り、ホテルの方へと続くだろう坂道を登る。途中でこんなものを見つけた。

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早速アテネらしいではないか。ソクラテスホテル。泊まったが最後、私たちはみな無知に気付かされるわけである。「テレビのリモコンありますか?」「それでは君、リモコンとはなんのことか知っているということかね?」「その通りです、ソクラテス。私にはそれが、テレビの電源をつけるもののように思われるのですが」「では善き異邦人よ、なぜテレビをつけるのだろうか?教えてくれたまえ」「テレビ番組を見るためです、ソクラテス」「なぜテレビを見るのだろうか?」……

冗談はさておき、そんなホテルを横目に、私たちは坂を登りに登った。私たちを中国人と思ったギリシアの青年たちに、「ピンポンパン」と言われるという洗礼を受け、ちょっと治安の悪いところを登った。徐々に体感されていったが、この街は治安が芳しくなさそうである。多くの建物にはびっしりとウォールペインティング、悪く言うなら落書きでおおわれていて、なんとなく空気もがさついている。

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こうやって写真にしてしまうとあまりわからないが、確かにあそこでは、少し早足にしなければと思わせる何かがあった。そして、この数時間後、私たちはもっとやばい地区へと突入してしまうことになるのだが、それはまだ先のお話……