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旅、映画、食べ物、哲学?

Синьо Небе〜ソフィア ②〜

NDKこと、国立文化宮殿は、繁華街になっているヴィトーシャ通りをまっすぐ行ったところにある。観光地の割には人影がまばらなこの通りは、今まで歩いてきたソフィアの地区と比べれば、穏やかな空気が流れており、いい感じである。レストランが軒を連ねる道の真ん中にはテラスもある。昼はここで食うのもありだ。そう思いながら、私はヴィトーシャ通りをゆっくりと歩いた。

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閑散としているが、これから人が増えてくる、ヴィトーシャ通り

結構長いこと歩いたと思うが、しばらくして、道の向こうに公園が見えた。イメージでは、通りの先に文化宮殿が聳え立つイメージだったので、ちょっと戸惑った。だがきっとこの公園にそれはあるに違いない。 


公園に入ると、空気はさらにゆっくりとしていた。日曜だったからか、日向ぼっこをする人や、日向ぼっこをする大型犬が公園に寝そべっている。子供は自転車やローラースケートで滑走し、美しい花がいろいろなところに咲いている。ソフィアも悪くない。そう思った。

そんな雰囲気に異様なエッセンスをたらすのが、文化宮殿である。水が出ていない噴水がずらりと並ぶ、その奥に、ホールのバースデーケーキのような形の建物が立っているのだ。予想していたより小さかったが、共産主義の雰囲気はひしひしと伝わってくる。これで、プロパガンダの垂れ幕でもあれば、完璧だ。だがもはやここは共産圏ではない。

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国立文化宮殿、現在はモール

宮殿に近づいてみると、驚きがあった。この宮殿はびっくりするほど荒れ果てているのである。落書きはあるし、ビール瓶なども落ちている。夜は近づきがたいところだろう。中はどうやらショッピングモールのようだが、延命措置というよりも、余命を持て余している感じだ。一つの時代が終わり、新しい時代となった。そこに残されたのが、このバースデーケーキだったわけだ。

宮殿の側面に登れたので、登ってみた。文化宮殿の背後に見える山がよく見える。三月だし、雪も深い。ソフィアの町は、山の麓にある。この、山に見下ろされる感じは、不思議と東アジアの街を想起させる。

  

そのあとは公園をぶらついた。公園は、相変わらず、穏やかである。人々の喋り声、笑い声とともに、ストリートミュージシャンの音楽も聞こえる。戦没者の慰霊をするライオンの銅像の前には青い花が咲いている。

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ブルガリアには巨大な犬が多い。だが凶暴な感じはしない。

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戦没者慰霊碑。ライオンはブルガリアのシンボルだ。

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実物はもっときれいだったんだけどなあ。


一通り公園を回ってから、別のところに行くことにした。「ソフィア 観光名所」で調べると必ず出てくる、「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」だ。セルディカまで戻り、そこから旧共産党本部方面に歩けば、あるらしい。さらにそばには、ソフィアという名前の由来になった「ハギア・ソフィア大聖堂」もあるらしい。もちろんこれはイスタンブルの「アヤ・ソフィア」とは異なる。いろいろな場所に、この「ハギアソフィア(聖なる智慧)」の名前を冠した教会は存在するのだ。

強い日差しに向かって私は歩いた。遺跡を用いた博物館などが見える。ヴィトーシャ通りからすると、共産党本部の界隈はかなり静かである。本当にこの先に有名な教会があるのだろうか。なんとなく疑心暗鬼になっていると、一本道の奥に、黄金のドームをもつ教会が見えた。これが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂である。しかしどうしてこんなに金ピカなのだろう。モスクワで似たような雰囲気のものは見た気がするが、明らかにギリシアや、ソフィアについてすぐにいった教会とは雰囲気が異なる。中はどうなっているのか。私は入ってみることにした。

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アレクサンドル・ネフスキー大聖堂。とにかく金ピカ。

中は巨大な空間をなしていた。そりゃ、教会なんだからガランとしているものだが、西欧のものやギリシアで見たものに比べて、椅子などが全くない。天井は高く、足音もよく響く。正教会らしいなと思ったのは、イコンが数多く置かれていることだ。だが、建物がでかすぎて、イコンの威光がすこし色褪せて見える。ここはここで面白かったが、私はギリシアの方が好きだなと思った。

 

外に出たら昼食の時間である(ハギア・ソフィアに入り忘れたことをこの時点では気づいていない。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の巨大さにやられちまったのである)。ヴィトーシャ通りで食いたかったので、通りに戻ったが、この通りの不思議に直面することになる。ここにはなぜか、ブルガリア料理屋がないのである。私はその土地ではその土地の食べ物が食べたい。これは重要である。なぜなら食べ物には、その土地の歴史、文化などが凝縮され、食べ物の放つ香りは、その土地に特有のものだからだ。その土地を知るのに、食べ物がハンバーガーではダメだ。

そんなわけで、私は血眼になってブルガリア料理の店を探した。実は、ギリシアで合流した友人のうちの一人が、直前にブルガリアに行っており、ソフィアにあるブルガリア料理屋の名刺カードをもらっていたのだが、生憎、そのカードはリュックに入れたままだった。Wi-Fiも入らないし、さらに言えばスマートフォンの充電は17%である。もはや頼れるのは己の目と鼻のみ。猟犬の形相で獲物を狙う。

しかし、収穫はなかった。だんだんと頭まで痛くなる。どうしたものか、と悩んでいると、脳裏に市場が浮かんだ。市場に行けば何かあるかもしれない。私は一路、市場を目指した。

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ほら、ちょっと賑わってきた。

 
市場に入ると、相変わらず閑散としていた。店の人の活気もない。ギリシアとは大きな違いである。なんとなく食べられる場所はある感じだが、疲れているせいかやる気が出ない。そこで、地下の薄暗い食堂に行くことにした。

地下に降りると、甘い香りの漂うショッキングピンクの大きなアパレル系の店があり、そこには入らずにエスカレーター側にUターンすれば、食堂が見える。ショッキングピンクとは打って変わって、電飾は無機質で、なんとなく場末である。

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市場の食堂

この店はカフェテリア形式で、指差し注文をするようだ。ひとまずショーケースのところに行くと、勤続数十年の雰囲気が漂う力強いおばちゃんがやってきて、「どうする?」と言ったようなことを尋ねる。言葉があまりわからないので、私はロシア語混じりのブルガリア語で、置いてあったチキンの煮込みを指差し、

「エータ・モーリャ(This ください)」と言った。見るからにうまそうだったからだ。

おばちゃんは力強く、鶏肉の煮込みを皿に乗せ、なにやら尋ねた。まずい、わからない。首をかしげると、おばちゃんは少し悩みながら、

「ライス?」と聞いた。なるほど、付け合せか。ここは米食なのか。それともアジア人へのサービスか。いや、それはなさそうだから、米食なのだろう。

「ダー、モーリャ(はい、おねがいします)」というと、ピラフのようなものがのっけられた。

私は次のコーナーに行き、冷蔵庫に並べられたサラダを吟味した。ヨーグルトスープのようなもの、トマトときゅうりを刻んで上にカッテージチーズとディルをかけたもの、プリン、などいろいろあったが、今日の夜にはイスタンブルへ発つため、お腹を壊したくなかったので、無難なトマト・きゅうりサラダにした。

会計のところに行くと、別のおばちゃんがいる。今度は痩せたおばちゃんだ。だがちょっと待てよ。おばちゃんの肩越しにビールが見えるではないか。これはもう、ビールである。頭がちょっと痛いときにビールを飲むと頭がもっと痛くなるというのは宇宙の真理だが、ときに人は真理と運命に抗うものだ。ビールという単語がわからないので、ビールのある冷蔵庫を指差した。

おばちゃんが、なにやら尋ねるので、とりあえず頷いて(常套手段である)、緑色の瓶ビールをゲットした。問題は、結構でかい瓶できたことだ。日本で言えば、中瓶に当たるだろうか。これを一人で飲むことになる。全部の値段は……と言いたいところだが、忘れてしまった。だが今思えばさして安くはなかったのではないかと思う。

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ビールがでかい……鶏肉がうまい

結論から言うと、肉の煮込みは非常に旨かった。市場の食堂に期待する味の二十倍は旨かったと言っていい。少々冷めているが、肉には適度に脂が乗り、柔らかく、ハーブを効かせたスープがこれまた肉にあう。サラダに関して言えば、はじめは美味しいが、きゅうりが水っぽすぎて、途中で飽きてしまった。だが、肉の旨さが全てをカバーする。ビールは……これが実はブルガリアのビールではなかった。というのも、このビール、デンマークのビールなのだ。これはやらかした。夜はしっかりとブルガリアビールを飲まねばなるまい。

だがなんにせよ、気分もちょっと乗ってきた。頭は運命に抗うことができずにじんじんしたが、仕方ない。街歩きに出かけよう。しかしひとつ問題は、ソフィアの見どころがほかにどこがあるのか、わからなくなってしまったことである。