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旅、映画、食べ物、哲学?

スターウォーズにまつわるあれこれ

スターウォーズ」を最初に観たのは、小学生の時だったと思う。正確に学年だとか、年齢だとかは思い出せないが、両親がエピソードIV〜エピソードVIの入ったDVDボックスを買ってきて、私はそれで、初めてスターウォーズを観たのだ。

スターウォーズの作りは少々込み入っていて、1977年に最初に公開されたものは現在「エピソードIV(=4)」と言われており、そこからV、VIと続き、その後90年代に入ってからIが発表され、II、IIIとなる。そして2015年(だったと思うが)、VIIが公開され、VIII、IXと続き、ひとまずの完結を見た。だから、9作品あるものの、時系列的には、4、5、6、1、2、3、7、8、9となっているわけである。そして私が最初に観たのは時系列通り、4、5、6だった。

再生ボタンを押せば、壮大なファンファーレが飛び出し、場面設定を語るオープニングロールが流れる。「遠い昔、遥か彼方の銀河系で……時は内乱のさなか。凶悪な銀河帝国の支配に反乱軍の秘密基地から奇襲を仕掛け帝国に対し初めて勝利を収めた…」このオープニングの時間だけでも、スターウォーズシリーズの魅力が詰まっている。まるで講談のようなスタイルというか、なんというか、この「あらすじ紹介」と言って仕舞えばそれまでの言葉の羅列に、世のスターウォーズファンたちは胸躍らされるのである。かくいう私も、スターウォーズの世界にグッと引き込まれてしまった。

そんなこんなでIV、V、VIと一気見をした私は、(こういう言い方は恥ずかしいものだが)すっかりファンになっていた。時はエピソードIから始まる「新三部作」公開のさなか。ちょうどエピソードIIIが公開される頃だった。だけど私は、スターウォーズはIV〜VIで完結したものだと思い込んでいたし、なんなら、IVをIだと思い込んでいた。つまり、時系列通りに1、2、3だと思っていたわけだ。仕方あるまい。小学生でローマ数字を読める人はあまりいない。

 

ちょうど小学生の時の友人で、スターウォーズが好きな奴がいた。「今スターウォーズにハマっているんだ」と言うと、目を輝かせてスターウォーズの話をし始めた。

「Iでアナキンがレースをするシーンがいい」と彼は言う。私は同じ映画の話をしているはずなのに、違和感を禁じえなかった。でも、小学校といえば知識と力だけが世界を支配する見栄とマウンティングであふれた過酷な荒くれ者どもの世界だ。私は無理矢理、自分の知っているスターウォーズのことを彼が言っているのだと信じようとした。『1(世間的にはIVのことだが)だとたしか、最後の方で敵軍の拠点デス・スターを、主人公ルークが戦闘機Xウィングで攻撃するシーンが出てくるはず。あれのことに違いない。でもアナキンといえば、ルークの父親の名前のはず。おかしい。きっとこいつが勘違いしているに違いない』

そんなアンジャッシュのコントみたいな下りが現実世界で長続きするはずもなし、しばらくしゃべっていくうちに、私はスターウォーズには新三部作があることに気づいた。余談だが、その友人は私がスターウォーズの全てだと思い込んでいた「旧三部作」の存在を知らなかった。そういうわけなので、お互い、私たちは違うスターウォーズに気付かされるきっかけとなったのであった。

 

私はそれから、親に頼んで、エピソードIとエピソードII(エピソードIIIは公開前)のDVDを買ってもらい、観た。驚いたのは、世界観の複雑さである。旧三部作は、銀河を支配する「銀河帝国」とそれに対抗する「反乱軍」という構図で描かれているが、新三部作は違った。まず銀河を支配する「銀河共和国」なる組織があり、そこに各惑星は属している。これに対して、「通商連合」と呼ばれる一種の経団連のようなものがあり、共和国が課す規制に反対しているが、実はそれを裏で糸を引いている人物がいる……。エピソードIIになると、通商連合が共和国から独立しようとする星々と「分離主義勢力」を組んだりして、話はもっとややこしくなる。

小学生の私はその全てを理解することができるほど頭が良くなかったのだが、それでも楽しむことができた。なぜなら、個々のキャラクターの設定が魅力的だったからである。当時の私の「推し」だったキャラクターはクワイガン=ジン。共和国を守る「ジェダイ」の騎士のメンバーで、父親のような優しさと、それでいて、因習に囚われたジェダイ上層部への反骨心も兼ね備えた存在だ。彼は訳あってエピソードIで早々と退場してしまうが、心に強く残る人物であった。

4、5、6、1、2と一気に駆け抜けた私は、アニメ作品にも手を出したりしながら、ワクワクしながらエピソードIIIの公開日を迎えた。初日だったかは忘れたが、家族で府中のシネコンに観に行ったのを覚えている。エピソードIIIは一言で言えば、壮大な悲劇の物語の結末部分を凝縮したようなもので、小学生の私には結構強烈なものだった。作品を見終わってから悪夢を見たのを覚えているし、それ以来、エピソードIIIだけはそんなに見なかったのを覚えている。だが、それでも私にとってスターウォーズは好きなシリーズだった。

複雑な政治状況と、緻密な人物描写。「新三部作」の本当の魅力がわかったのは、結構成長してからだったかもしれない。当時とは異なる楽しみ方を、大学生になってから、もう一度見返してみて気付いた。少しずつ大破局へと向かう展開を緻密に描きながら、人の心の葛藤や、思惑が絡み合う政治劇を見せるのはさながらシェイクスピアだ。「よくできてるなあ」とちょっと大人になってから思う。歴史を勉強すると、歴史のリアルな動きをスクリーン上で表現していることもわかる。噛めば噛むほど味がする。またもう少し大人になって、どういう姿を見せてくれるのか。今からちょっと楽しみである。

 

スターウォーズのすごいところは、世界共通語だと言うことである。例えば、好きな映画は?と聞かれてスターウォーズと答えるのは若干恥ずかしいが、海外でそう言うと、一人や二人は異常な食いつき方をする人がいる。こちらの英語が拙くなって、スターウォーズだけで盛り上がることができる。スターウォーズの世界はシャーロックホームズの世界、はたまた聖書の世界と同じくらい論争がつきない世界でもあるから、意見を戦わせたりすることもできる。もちろんやりすぎは禁物である。楽しいファン同士のやり合いが、罵り合いになれば、それはもうただの醜い宗教戦争だ。

かつてドイツに住んでいた時の友人の両親が来日したことがあった。私は大して英語が話せるわけではなかったが、その時、ドイツの友人の父親とスターウォーズで盛り上がったのを覚えている。飯田橋から四谷の方まで酔い覚ましに歩きながら、夜桜そっちのけでスターウォーズの話をした。エピソードIV〜VIまで、つまり旧三部作の時代を生きていた彼は、スターウォーズの世界の「超正統派」、旧三部作以外をスターウォーズとして認めたくない人だった。

「エピソードIは政治の話になってしまった。キャラクターも無駄が多い」と彼は言う。確かに、新三部作は政治の話が強い。でもそれでも好きだと伝えると、

「それは世代の差だね。僕の息子も新三部作が好きみたいだ。僕には理解できない」とうかなそうに言う。じゃあ、(ちょうどその時公開していた)エピソードVIIから始まる「新サーガ」はどうか、と尋ねると、

「見たよ。でも二度目はないな」と答えた。いや見てるんかい、と言いたくなるが、そこがいいところでもある。スターウォーズファンは何かと論争するが、結局見ちゃうのである。見たいと言う欲望に勝てないのである。そして本当に好きかどうかは何度も見るかにかかっている。

「でも…」と彼は言った。「『ローグワン』はよかったな」

「ローグワン」とはエピソードVIIとエピソードVIIIの公開の間に上演されたいわゆるスピンオフ作品だ。作品内での時系列で言えば、エピソードIVの物語の直前にあたる。先ほどちょっと述べたエピソードIVのオープニングロールで、「凶悪な銀河帝国の支配に反乱軍の秘密基地から奇襲を仕掛け帝国に対し初めて勝利を収めた。更にその戦闘の合間に、反乱軍のスパイは帝国軍の究極兵器の設計図を盗み出すことに成功。」という文言があるのだが、この二文をそのまま映画化したものだ。

スピンオフというと、普通はメインの作品よりも質が落ちるものだ。朝ドラのスピンオフなどもあるが、なんだか面白くないことが多い。だが「ローグワン」だけは別だと言い切れる。もちろん、エピソードIVを観てから観ることをお勧めするが、それはこの「ローグワン」と言う作品の本当の魅力を知ってもらいたいからだ。だがあまり、この話をしすぎると、止まらなくなるので、やめておこう。とにかく、「ローグワン」はどの立場のスターウォーズファンも必ず絶賛するものだ。

ともあれ、カナダでも、はたまた私が属していた哲学科でも、スターウォーズファンは一定数いた。それも皆、「見たことある」といったものではなく、かなりのファンである。

 

私が自分の世代を恵まれていると思うのは、そんな世界中を巻き込むスターウォーズを生で見ることができる世代の一端を担っているということだ。最初のファン層と違って旧三部作を生では見られなかったし、新三部作もまた、1と2は見逃している。だがそれでも、3、7、件のローグワン、8、ハンソロ、9と生で、それもほとんど公開初日に見る幸運を受けている。スターウォーズは、私たちにとっては歴史であり、なおかつ、ライブでもある。

スターウォーズは今後も続くと言う。これもまた議論があるところでもある。もういいんじゃないか、と。私も若干そう思うところはある。だが、それでもきっと見に行ってしまうだろう。友人の父が文句を垂れながら7、8、9を見たのと同じだ。だけど、それはやっぱり、ライブで、生で、スターウォーズの物語が生まれている場と時代に生きているという幸運を噛み締めるためでもある。

 

そんなスターウォーズには合言葉のようなものがある。物語の中核を握るジェダイの騎士の言葉だ。彼らは「フォース」と呼ばれる宇宙を秩序・調和づけ、宇宙を動かす力に自分自身を調和させることによってその力を手に入れる。自分の思惑や利益のために利用するのではなく、むしろその力とともにあることがそのままジェダイの生き方となり、力となる。ジェダイや、ジェダイが守る共和国の信奉者たちは、だから、幸運を祈る際に次のように言う。

「フォースと共に在らんことを(May the Force be with you)」

「ローグワン」ではこれが「with us」となり、エピソードVIIIでは「Always」が付け加わる。誰が言ったか知らないが、この言葉をダジャレ的にMay the 4th be with youなんて言い換えれば、5月4日はスターウォーズの日になる。そう、今日のことだ。

だから、というわけではないが、この本当に先行きが見えない世の中、鬱屈した日常にこの言葉を口にしてみようじゃないか。

「フォースと共に在らんことを(May the Force be with us all)」と。