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旅、映画、食べ物、哲学?

短文:ドミトリー

私はドミトリーというものがあまり好きではない。

そういう風に堂々と言えるようになったのもわりと最近のことである。

 

ドミトリーというのは、安宿の一種で、二段ベッドのようなものが一部屋に並んだ作りをしている。バックパッカーといえばドミトリーに泊まるということになっており、旅人の交流の場にもなっている。

私はパックツアーの類や、ガラガラとスーツケースを引く類の旅よりも、リュックサックだけ背負って、自分の足で歩く旅に憧れを抱いていた。沢木耕太郎にも憧れた。だから、ドミトリーが好きではない、ということ自体がなんらかの甘えというか、弱みのように思えてならなかった。そう言った恥ずかしさがある。ドミトリーを渡り歩く人への憧れもなくもない。

 

だが、やっぱりどうも性に合わないのだ。

1人でいるのが好きだ、とまでは言わない。だけど、1人でいる時間が一番ちょうどいい自分でいられる。ドミトリーというのは、共同生活が強すぎる。

例えば出かける時は、ある程度荷物に気をつけておかないといけないし、シャワーを浴びる時も同様だ。それに部屋の中にいても、人の目があるとなんとなく落ち着かず、話しかけたりしなきゃいけないんじゃないかとそわそわしてしまう。そもそも見知らぬ人が帰ってくる部屋で寝ているのもなんとなく苦手のようだ。

正直、そんなにドミトリーを使ったことがあるわけではない。だが、あの場にいて、直感的に、ここは落ち着けないなと、そう思ってしまったのだ。だから、はじめは青く淡い憧れを抱いていたドミトリーを、私はほとんど使わなくなった。

 

もう少し積極的な理由もある。

どうやら私は安い個室が好きみたいなのだ。狭くても構わない。だが数日間だけ、その小さな部屋が私の家になる。買ってきたものを並べたり、持ってきたものを並べたり、リュックの収納場所を決めたりする。

そして、ちょっと妙かも知らないけれど、そんな個室から外に出かける時、鍵をガシャっとかける瞬間が好きでたまらない。理由はわからないし、意味づけもできないのだが、なぜだか、そのガシャッが好きである。そして鍵をポケットに入れるにせよ、フロントに預けるにせよ、なんだがその街の立派な住人になったような気がするのだ。

大きくて豪華すぎると、ホテル感が強いので、安い部屋が良い。だが清潔感もそこそこあってほしいし、シャワーくらいはついていてほしい。テレビもだ。それは多分、街に住んでいることの象徴のような物品たちなのだろう。

 

そしてこれが私の旅のスタイルなのだ。

旅が自分と向き合う時間であるなら、スタイルも自分に合ったものを模索するのが大事だ。そう思えるようになったから、私は堂々とドミトリーよりも個室の部屋がいいと言えるようになったのかもしれない。自分と向き合い、話し合うことが大事だと気付いたから。