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旅、映画、食べ物、哲学?

フェンシングのこと、あるいは風向

今から、私はとんでもなく無謀なことをしようとしている。

スポーツ観戦記も書いたことがないのに、昨日初めてきちんと見た競技の観戦記のようなものを書こうとしているのだ。本当ならやめた方がいいのかもしれないが、書きたくなるほど熱中したのだからしょうがない。

柔道?いや違う。スケートボード?いやそれでもない。先程金メダルを取った卓球?見ていたけれど違うのだ。実はそのスポーツはフェンシングである。

 

経緯から話そう。一昨日の夜、オリンピックの日程表を眺めて、せっかくだから何か見ようと思った。馬に何度か乗ったことがあるので、乗馬を探したが、まだ先のようだ。それでは、と思って目に止まったのがフェンシングだった。アテネ大会だったか、北京だったか忘れてしまったが、太田選手が出ているフェンシングの試合を見て、その時幼いながらも面白かった記憶があったからだ。

勇足でテレビ欄を探すとフェンシングがない。何度探して見てもない。そんなに注目されていないのだろうか。そんなモヤモヤを抱えつつ、こうなったらもう意地だ、となんとかしてフェンシングを見る方策を探していると、NHKのホームページでテレビ放映のない競技の配信も行っていることに気がついた。

私は天邪鬼を具現化したような人間なので、注目されてないのだとしたらむしろ好都合だ、世の中の人々が柔道やら卓球やらスケートボードやらに熱狂している真裏でフェンシングを楽しんでやろう、とライヴ配信を見始めた。これが、フェンシングを見始めたきっかけになった。

最初見た試合は日本代表の選手が負けてしまった。そして次に見た試合でも同じく負けてしまった。だが惨敗というほどでもなく、かなり善戦している。どちらも女子のフルーレという競技である。

その時はルールも何も全く分からない状態で見ていたが、試合の中にある緊張感に呑み込まれ、ルールも知らないのに熱狂している自分に気がついた。二人の選手が向かい合う。そして細長い剣の切先を向け合って、まるで攻撃を仕掛けるコブラのように、相手を伺い、機を掴んで、シュッと剣を前へ出す。点数が入った選手のヘルメットのランプが点灯すると、すかさず勝者は「ウワー」とか「ギャー」とか叫ぶ。点数のシステムが分からないまま、これは入ったのか、入ってないのか、どちらのランプが点灯するのかを凝視し続けた。

 

後で、試合の合間に調べたところ、フェンシングには三つの競技がある。フルーレ、エペ、そしてサーブル。フルーレは相手の胴体を剣でつけば点になり、エペは相手の体のどこをついても点になる。サーブルは腕を含めた上半身への攻撃が有効で、「つき」だけでなく、「斬り」も点数の対象になる。だから、フルーレの選手は胴体部分にセンサーのついた服を纏い、エペの選手は体全体にセンサーがついており、サーブルの選手は上着にセンサーがついている。このセンサーに剣が一定の力で攻撃を与えた場合、点数が入り、ヘルメットが点灯する仕組みとなっている。

とまあ、ここまで、自分の中で整理をつけるためにも書いてみたわけだが、これは多分、きちんとしてページで読んでいただいた方がわかりやすい。要するに、三つの競技があり、ルールも異なるということだ。

強いてイメージをいうなら、フルーレは先ほども例えたコブラの攻撃に似ている。距離を詰め、シュッと攻撃に移る、を繰り返す緊迫感がある。

エペは試合展開が早く、どこをついてもいいため、初心者が見ていると、「今点数入ったのか!」と驚くことが多い。

サーブルは、海賊である。マストの上で海賊が戦うのと同じようなフォームで、斬り合う。そして、他の二つが試合を3セット行うのに対し、サーブルはたぶん8点先取で試合が切り替わる(確証がないのは、見ながらそうかなと思っていたからだ)。どの競技も15点先取なので、サーブルは2セットのみということになる。

 

さて、私が見ていた試合は両方とも日本敗退だった。だが面白かったので、別の日本の選手の試合に切り替えた。そう、あまり注目されていないようだが、結構な数の日本人選手が出ているのだ。すると、試合の雰囲気が違うことに気がついた。

日本の選手の名前は上野優佳選手。相手はエジプトのノーラ・モハメド選手。日本の上野選手が面白いように点をとってゆく。その勝ち方も、何も知らない私が見ても美しい。私が今までみた試合とは明らかにペースが違う。そして、何より格好良かったのは、モハメド選手は他の国の選手同様、点をとるや否や「イヤーオ!」と雄叫びをあげるのに対し、無言ですぐに次の攻撃の準備をし始めるところだった。その侍のような佇まいと、素早い攻撃に私は引き込まれた。上野選手はそのまま勝ち、三回戦へと駒を進めた。

調べてみるとこの選手、ユースオリンピックで金メダルをとった人らしく、注目の選手だったらしい。通りで強いわけだ。そう思いながら、第三回戦をつける。相手はアメリカのロス選手。どんな試合になるのだろう、とぼんやり思っているうちに上野選手はガンガン攻めて点数をものにしてゆく。途中でロスも取り返しにかかったところもあったが、最終的に上野選手の勝利で終わる。彼女は完全にその場をものにしていた。

三回戦に勝ったということは、その次は準々決勝である。なんの気無しに見ていた、あまり注目されていなそうなスポーツでここまで勝ち上がっている。ちょっとした興奮を感じながら、私は準々決勝を待った。

 

準々決勝の相手はリー・キーファー選手。国籍はまたもアメリカ。こんな紹介の仕方しかできなくて大変申し訳ないのだが、どちらかというと華奢でスタイルがいい。

私は若干たかを括っていた。今までの試合を見る限り、上野選手はどう考えても最強だった。素早く切り込み、攻撃できない時は相手のスキを探し出し、そこをすっとつく。だから、またやってくれる。なんなら金メダルとってしまうのではないか。そうしたら、フェンシングの放映権を野放しにしていた大手テレビ局も一泡吹くだろう。

だが、試合が始まると、キーファー選手は全く今までの相手と異なっていた。

開始数秒で、いきなり点数を取ると、立て続けに得点をものにしてゆく。もちろん、上野選手も取り返す。だがスピードが違うのだ。上野選手はまったくもって問題なく、今まで通り点数を取りに行っている。だがその倍のスピードでキーファー選手が点をとってゆく。上野選手が無言で点を奪うと、キーファー選手はひらりひらりと立て続けに点を奪い、「キャー」といとも楽しそうな雄叫びをあげ、飛び上がる。そんな展開が続き、フルーレの試合の3セットのうち、1セットと少しで、キーファー選手は15点を先取。11点も取っていた上野選手が負けてしまった。こんな試合は初めて見た気がする。

その後、このキーファー選手は金メダルを獲得したらしいが、そりゃそうだ、そうじゃなくっちゃ困る、と思ったものだ。あのスピードに勝てる誰かがいるとは思えなかった。

 

スポーツの試合はいかに場を掴むかにかかっているようだ。怒涛のようにフェンシングを見続けてわかったことだ。特に印象に残った上野選手の話だけをしたが、他の選手、他の試合もそうだった。

試合には風向きがある。風向きが良ければパフォーマンスを十分に発揮できるし、頭も回って、勝つための一手を仕掛けることもできる。ところが風向きが悪いと全てが裏目に出る。そして、その風向きがどちらを向くかは、その場を支配した選手にかかっている。場を支配できれば、風向きも変わる。本当は違うのかもしれないが、スポーツといったものにあまり縁のない私が外から見ていると、そう思えてならない。

今日、日本の男子フルーレの敷枝選手が準決勝まで進んだ。ところが、その先の風向きはよくなかった。敷枝選手も、私の好きな「雄叫びあげない系」フェンサーだったので、熱を入れて応援していたのだが、準決勝は全くと言っていいほどうまく行かなかった。今までなら入っていた切先がそれ、今までなら見せなかったスキが露呈した。3位決定戦でも悪い風を払拭できず、4位という結果となった。結果自体はありえないくらい素晴らしいものだ。だが、試合展開は見ている私もぶっ倒れそうになるものだった。

風を操れるかどうか。そのための一手を繰り出せるかどうか。それは難しいことだ。だが不可能ではない。その後見た卓球の試合では、明らかに悪い風向きでスタートした試合で、日本人ペアは風向きを変えることに成功していた。最後、風向きがまた悪い方に傾き始めたが、休憩を経ると、すっかり元通りにしてみせた。ひょっとすると休憩が大事だったのかもしれない。思えば、フェンシングで負けてしまった選手は、休憩に入る前に追い込まれ、休憩後に追い上げたが、一歩足りなかった、ということが多かったように思う。生きていく上でも、ガーっとある方向だけを見ざるを得ない状況では、風向きがどんどん悪くなることが多い。視野を広げるには休憩時間が必要なのだ。

 

などと、話を無理やり広げることで、自分の無知をカバーしようとして見たが、やっぱりルールなどきちんと知りたい。今回は配信だけで、実況もほぼないに等しかったから、全くの無の状態で見てしまった。これも面白かったけど、次のパリではもっとわかった状態で楽しめるだろうか。

大丈夫だ。上野選手も敷枝選手もまだ若い、きっと三年後にはとんでもないことになっている。注目も集まるだろう。そうなったら、私はあいも変わらず何も知らない状態だったとしても、こう言ってやろうと思う。「ほら、フェンシング面白いって三年前に行ったじゃないか!」と。

 

いや待てよ。今年も日本チームのフェンシングの日程は終わっていない。まだチャンスはあるぞ。